ぐちゃぐちゃを見て困った男

烏川 ハル

ぐちゃぐちゃを見て困った男

   

「よう、田中……」

 昼休みの大学の食堂で、友人を見つけて話しかける。

 ちょうど彼の隣がいていたので、一緒に食べようと思ったわけだが、僕の声は尻すぼみになっていた。

 顔を上げた彼が難しい表情だったから、声かけたのを後悔したのだ。


 箸を手にしているし、テーブルの上には食べかけのハンバーグ定食。田中が食事中だったのは間違いないが、しかしトレイの横にはスマホが置かれており、今の今までそちらの画面を覗き込んでいたらしい。

 ならば田中の渋面の原因は、そのスマホなのだろう。

 そう思った瞬間、ピンときた。

「もしかして……。去年やってたやつ、今年もやってるのか?」

「ああ、そうだぜ」

 僕の問いかけに、田中は表情を変えないまま頷いた。


 素人小説の執筆や投稿が彼の趣味の一つ。そして田中愛用の小説投稿サイトで大きなイベントが行われていたのが、ちょうど去年の今頃だった。

 同じこの食堂で、田中がニヤニヤ顔でスマホを見ている場面に遭遇してしまい、説明されたのだ。「発表されたテーマに従って即興で小説を書いて投稿する」というイベントが開催中で、週三回、十二時にお題発表だから食事しながらお題を確認している、と。

 去年の場合は、あらかじめ田中の予想していたお題が的中したらしく、それでニヤニヤしていたわけだが……。

 今年は困っているのだから、思いもよらぬ難問が出たのだろう。


「見てくれよ、これ。今年は……」

 彼が見せてきたスマホの画面には「今回のお題は『ぐちゃぐちゃ』」と表示されている。

「……初回で『本屋』、二回目が『ぬいぐるみ』。具体的で書きやすいお題が続いたんだが、とうとう三回目で抽象的なのが来たのさ」

「抽象的どころか、擬音語だか擬態語だか、そんな感じの言葉だな」

「そうだろ? 難しいお題で、考えれば考えるほど、まさに頭の中がぐちゃぐちゃになってくる」

 お題の「ぐちゃぐちゃ」のせいで、自分の頭も「ぐちゃぐちゃ」になるなんて……。田中としては、うまいこと言ったつもりだろうか。

 そんな田中を見ているうちに、ふと僕の頭に浮かんできたのは、高校時代に付き合っていた元カノ。由梨恵ちゃんのことだった。


 田中がやっている「発表されたテーマに従って即興で小説を書いて投稿する」というのは、小説執筆そのものの楽しみに加えて、おそらく「テーマから何をどう考えるか」という部分にも面白みがあるのだろう。いわばパズルを解くような楽しみ方だ。

 だとしたら、クロスワードパズルが好きだった由梨恵ちゃんと似ているではないか。

 そしてクロスワードパズルといえば、ちょうど今の田中みたいな表情を浮かべながら、彼女が解けなくて困っていた時のこと。困っているならば助けてあげたいと思って、

「ねえ、由梨恵ちゃん。そのヨコの空白に入る四文字、『アンテナ』じゃないかな?」

 と言ったところ、彼女は激怒し始めたのだ。

「酷い! なんで言っちゃうの!? せっかく私が解いてたのに!」

 あの時は一ヶ月くらい口をきいてくれなくなったし、最終的に別れることになった原因の一つもあれではないか、と僕は思っている。


 田中は単なる友人であって、別に恋人でも何でもない。そもそも田中は男であり、僕にはBLみたいな感情は一切存在しないのだ。

 だから由梨恵ちゃんのケースがそのまま当てはまるわけではないが……。

 それでも友人との間に、無駄に波風を立てる必要もない。だから彼の「『ぐちゃぐちゃ』というテーマから考えていく楽しみ」を奪ってはいけないと思う。


 僕は田中の――うんうん唸りながら「ぐちゃぐちゃ」という言葉を見つめる友人の――横に座り、静かにお昼を食べ始めて……。

 心の中だけで、田中に対して、次のような言葉を投げかけていた。

「頭の中が『ぐちゃぐちゃ』になったならば、そのままそれを小説のネタに出来るじゃないか」と。




(「ぐちゃぐちゃを見て困った男」完)

   

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ぐちゃぐちゃを見て困った男 烏川 ハル @haru_karasugawa

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