新本格ぐちゃぐちゃ
λμ
近藤正行
新新本格探偵、
「やぁ、やっと来てくれた。花粉症かい?」
対策室で待っていた刑事が、近藤を見るなり笑った。
近藤は首を振った。
「いえ、単なる趣味ですよ。えーっと……」
「刑事の
言って、近藤が近藤に手を差し出した。
近藤は涙で滲んで見える手を一瞥し、両手をポケットに入れようとし、今日はポケットのないパンツだったと気づいて腕組みをした。
「近藤なにさんですか?」
「近藤
「……では、刑事さん――」
近藤は近藤を近藤と呼んでいたらいつか頭がぐちゃぐちゃになってしまうだろうと思い、刑事さんと呼んだ。
しかし。
「近藤と呼んでくれ」
近藤は譲らなかった。
「……じゃあ近藤さん――」
「近藤と、呼んでくれ」
「……近藤、事件のあらましを教えていただけますか?」
嫌な近藤もいたものだ、と近藤は対策室を見回し、ホワイトボードの前の椅子に腰掛けた。ボードには『近藤正行殺人事件』と書かれており、資料写真がいくつか貼ってあった。
近藤が近藤の視界を遮るように近藤の前に立ち、事件のあらましを話し始めた。
「事件が起きたのはつい一時間ほど前だったはずだ」
「……だったはず?」
「話の腰を折らないでくれ。今日は月曜だぞ?」
「月曜日になにか関係が?」
「接骨院も激混みだ。ジジイとババアで飽和している」
口の悪い近藤もいたものだ、と近藤は内心で舌を叩きのめして言った。
「続けて下さい」
「飽和ジジババはいずれ蒸発するかもしれないが――」
「そちらでなく、事件の方を」
「ああ、そちらか」
近藤は近藤の頭を掻きながら言った。
「事件は
被害者と通報者が同じなのか、と近藤は近藤に頭を掻かれながらホワイトボードを見やる。
被害者の氏名は
「通報者は近藤のクローンですか?」
「いや、クローンを作る際には遺伝子に識別子を入れるが、どの近藤にも識別子は見つからなかった。ぜんぶ死んだ近藤本人だよ」
「つい一時間ほど前に事件が起きたはずだったのに、もう鑑定が終わったんですか?」
「何だ、知らないのか? 古臭いミステリじゃないんだから、いまどきDNA鑑定ですぐに分かっちゃうんだ」
「なるほど。――ところで僕の頭を掻くのをやめてもらえますか?」
「ああ、すまない」
言って、近藤は近藤の頭から手を離した。
近藤はいまのいままでぐちゃぐちゃにかき回されていた髪の毛を整えながら目を細める。涙が滲んだ。
「状態保存の間というのは?」
「簡単に言うとアセンブリ言語のメモリだな」
「僕はそのアセンブリ言語とやらを知りません」
「機械語だよ」
「そういう意味ではなく、なにが起きるのかです。同じ近藤なのに頭が悪いですね」
「アセンブリ言語を知らない近藤のほうが頭が悪いだろ。まぁいい。状態保存の間ってのは、扉を開いて中に入り、中から扉を閉めると部屋の中の情報を記録し始めるんだ。そして中から扉を開けて外から閉めると中で起きていたことを記憶する」
つまりアセンブリ言語のメモリだ、と近藤は思った。
「記憶された状態は外から扉を開くと再生され、そのまま外から閉じた場合は保存されたままになる。状態を保存したまま部屋の中に入って中から扉を閉めると同じように新しい状態を保存する。スタックといって、すでに保存されていた状態に積み上げるように保存するんだ。だから外から開くと直近の状態が再生される。それより前の状態を取り出すためには、外から扉を閉めて中から開けてやるというわけだ」
「だんだん頭がぐちゃぐちゃしてきましたね」
「問題はここからだ」
「ここから」
近藤は頭がぐちゃぐちゃになっていくのを感じながら近藤の話に耳を傾ける。
「被害者の近藤は近藤が中にいるという状態をつくり、次にその状態を再生して再生されている近藤を殺害するという状態を保存したんだな。状態保存の間は一度に四つまでしか状態を保存できないから、四つ以降は近いものから開放され、開放された状態はそのまま固定されてしまう。するとどうなる?」
「……近藤が近藤を殺したという状態が確定する?」
「そうだ。そこで近藤は、近藤が近藤を殺していると通報し、俺が現場に行った」
「……なら犯人はもう分かっているじゃないですか。通報した近藤でしょう?」
「ところがそうでもないんだ。近藤は状態を開放する前に通報し、外から扉をあけてしまったのは俺なんだよ」
つまり、近藤による近藤殺害のうち一つを確定させてしまった。
焦った近藤は近藤にこれ以上、近藤に近藤を殺させないでほしいと要請した。悩んだ近藤は扉を中から閉めて近藤を止めるという状態を保存した。
「その結果が、これと」
近藤はホワイトボードに貼られている、複雑怪奇な現場写真を見つめた。
三人の近藤が結合する形で折り重なっている。腕が六本、足も六本。三つの胴体にてんでバラバラにつながっている。頭も三つあるが、うち一つは表と裏がひっくり返っており、表側に出てきた内臓は綺麗なままで、凶器と思しきナイフ二本が表と裏が合っている胴体の胸に刺さっている。おそらく残る一本は内臓が表側にきてしまっている胴体の裏側に刺さっているのだろう。
「……それで、どうして僕を呼んだんです? 犯人は分かっているんですよね?」
「ああ、近藤だ」
「自分で自分を殺すのは殺人かどうか聞きたいということですか?」
「いや殺したのは俺だ」
「……は? ああ、状態を確定させたから?」
「いや、現場に血が一滴、残っていたんだ。近藤の、つまり俺の血だった」
「……えーっと…………?」
「近藤による近藤の殺害を止めようと状態を保存して再生した結果、現場に俺の血が一滴残ってしまったため、俺が犯人になったんだ」
「どうしてそうなるんです」
「いまどきはDNA鑑定があるから血の一滴もあれば犯人が分かっちゃうんだ」
「なるほど」
どうにも頭がぐちゃぐちゃしてきたぞ、と近藤は思った。目鼻や口、耳、内側にある神経や血管や脳髄の位置関係がおかしくなってくる。
「ひとつ気になるのは、近藤の腕六本のうち、右手だけ四本あることですね」
「なに?」
近藤は怪訝そうに振り向き、写真を見つめた。
「本当だ。よく気づいたな。俺は見るに堪えなくて気づけなかった」
「僕も見るに堪えませんよ」
「ああ。前も後ろも見るに堪えない」
近藤は近藤を一瞥し、口元を押さえた。
「おい、早く頭をもとに戻せ。――やめろ、口を目の位置に持っていくな。顎を耳から生やすなよ。気持ち悪い。さっと正しい位置に戻せ」
「頭がぐちゃぐちゃになってるときになんて無茶を」
言いながらも、近藤は頭のパーツを正位置に戻しながら考えた。
「――で、あらためて聞きますが、近藤は僕に何をさせたいんです?」
「一連の連続殺人を止めて俺を犯人じゃなくするのに協力してほしい。このままでは俺は多重連続殺人の被告として死刑を宣告されるし、近藤は近藤を止めようと思っている。DNA鑑定ですぐに犯人が分かってしまうからな」
「ふむ……」
近藤は神経を一本に集中して全身を脳みその代替器官に設定、思考した。
外から開けて中から閉めると、部屋の中で起きたことを記憶し始める。そのあと中から扉をあけて外から閉めると保存される。再生には外から開ける必要があり、近藤は再生された近藤を殺害するため中から閉めて近藤の胸を刺し扉を開けて外から閉めた。開くと近藤の近藤殺しが再生される。この時点で近藤は二人。奇妙だ。
世界の端々が丸まっている。まるで魚眼レンズを通して見ているようだ。
近藤は言った。
「おい近藤、右目と左目を入れ間違えてるぞ」
「ああ、なるほど」
近藤は目の位置を戻した。世界が正常になった。
――ああ、そういうことか。
近藤は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした。
ぎょっとする近藤に、近藤は悠々と語ってみせた。
「頭をぐちゃぐちゃにされたから多少、時間はかかりましけどね。簡単なことです」
「なんだって?」
「近藤が近藤の殺害を通報したというのがほとんど答えみたいなものだったんです。そこに結合した近藤の死体が三つ。これの意味するところは、最初に保存されたそこにいる近藤を、つぎの近藤が殺すという状態を記憶したにすぎないんです」
「……だから?」
近藤の顔をぐちゃぐちゃと揉みながら尋ねた。
近藤は鼻水をすする。
「近藤は外から開けて状態を再生、近藤を止める状態を記憶、外に出て確定させたんでしょう? 押し出されたのは近藤が近藤を殺す状態で近藤が止めた状態です。ではなぜ近藤は通報できたのか。一番最初に保存された、部屋のなかにいる近藤だったからです。では死んでいるのは? 最初の近藤ではなく近藤に殺された近藤です。部屋にいた近藤ではありません。近藤が止めたのは近藤を殺す近藤を止めようとした近藤ですから、結果として殺された近藤は殺される近藤でも殺す近藤でもないんです」
近藤は席を立った。事件は解決だ。
近藤は対策室を出ていこうとする近藤を呼び止めた。
「ま、待ってくれ! 俺はまだわかってないぞ!?」
近藤は肩越しに振り向き、肩を
「状態の間に戻って順次記憶を確定させてください。一時的には近藤が殺されてしまいますが、最後に格納されている状態を確定させれば何も起こらなくなりますよ」
死体は三つ。
一番最初に保存されていたのは何もない部屋だ。
近藤は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして部屋を出た。
新本格ぐちゃぐちゃ λμ @ramdomyu
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