困った時のぬいぐるみ頼み

五色ひいらぎ

困った時のぬいぐるみ頼み

「くそっ!」


 毒づきつつ、俺は自室の扉を勢いよく閉めた。

 ばぁん、と大きな音を立てつつ、あるべき所にきっちり収まってくれるのは流石の作りの良さだ。けれどそれさえ――叩きつけた力がおとなしく枠に収まることさえも、今の俺には奇妙に腹立たしい。ああ、むしゃくしゃする。


「ったく、レナートの石頭め……俺の言い分なんざ完全無視かよ」


 昼寝でもすれば気分が変わるかと、寝台に身を投げ出してみる。王宮の布団は流石に柔らかい、だが、しばらく横になっても眠気は来ねえ。よっぽど腹立ってんだなと、自分自身で呆れる。

 イライラしながら寝返りを打つと、部屋の隅で机に座るぬいぐるみ人形が目に入った。聖教会のシスター服を模した衣装に、木製ビーズの目と口。ごくごく簡素な造りだ。見た目だけなら、そのあたりの市場で売っているものと変わりない……だがこいつは、王宮に来た時、王妃陛下が個人的にくださった物だ。


(ラウル料理長殿。王宮で何か困り事があったら、まずはこれに相談するといいですよ)


 皺に埋もれそうな目を細めつつ、王妃陛下はぬいぐるみ人形を俺に渡してくれた。


(これは聖教会の祝福を受けたぬいぐるみです。悩みごとをこの子に話しかけると、不思議と困り事がひとりでに解決するのですよ……私も時々使っています)


 王妃陛下のご厚意を断るわけにもいかず、あの時は仕方なく受け取ったが……大の男がひとり、部屋でぬいぐるみにブツブツ話しかけるなんざ、考えただけで恥ずかしい。だから、実際にやったことはなかったんだが。

 ひょっとしたら、今がこいつの使い時なのかもしれねえ。

 俺は椅子を動かし、ぬいぐるみ人形の真正面に座った。ぬいぐるみの服を整えてやり、ビーズで付けられた目と口を正面へ向ける。


「なあシスターさんよ。ちょっくら、俺の話を聞いてくれ」


 ぬいぐるみは無言で笑っている。いくら祝福されたぬいぐるみとはいえ、勝手に喋り出したりはしねえらしい。


「四日後の来賓に出す献立の件で、レナートと揉めた。ああ、レナートってのは、王宮付きの毒見役なんだがな……だいたいいつも小言が多くて鬱陶しいんだが、今日は特に頭がガチガチでな」


 ぬいぐるみは、相変わらず静かに座っているばかりだ。


「来賓は山岳地域の辺境伯でな。普段は肉しか食ってねえ、というか食えねえらしい。だったら海の幸でもてなしたくもなるだろ? 下手すりゃ一生、新鮮な魚を食う機会はねえんだろうからな……だってのに、レナートの奴が止めてきやがった」


 怒りが、ふつふつと蘇ってくる。


「『王宮での会食は、賓客を驚かせるのが目的ではありません。従来、かの地の辺境伯との会食で供されていたのは、常に上質な肉料理でした。であれば、今回も踏襲するのが筋というものでしょう』……だとよ」


 あいつの淡々とした口ぶりを真似て、ぬいぐるみに投げつける。それでも、布製のふっくらしたシスター様はにこにこ笑っているばかりだ。


「そりゃあ、昔は鮮魚をここまで運んでくる手段も乏しかっただろうしな。だが今は街道も整備されて、港から馬車で新鮮な魚が運ばれてくる。時代が変わってんだ、だったら料理も変わるべきだろうよ」


 大きな溜息が、出た。


「ここが窮屈な檻だってのは、わかってたつもりだけどよ。思い通りになんねえこと、ほんと多いぜ……魚を食ったことがねえ相手に、最高の魚料理を食べさせてえってのが、そんなに的外れなのかね」


 机を叩きかけて、止める。揺れちまったら、シスター様が落っこちちまうかもしれねえ……ここまで、一言も喋っちゃくれてねえシスター様だが。


「いいじゃねえかよ魚。肉とはまた違った、魚ならではの脂の旨味。ソース次第で味わいの変わる、さっぱりした身。海の具合で獲れる品が変わるのも、変化があって飽きが来ねえし――」


 そこまで言って、俺ははたと気付いた。

 鮮魚の入荷具合は、海の様子次第で変わる。凪いでいる時期はいい。だが嵐になれば供給は途絶える。

 俺は、部屋の窓から外を見た。いま、街並の上に広がる空は青い。だが海の上でも同じとは限らない。四日の間、天気が同じとも限らない。

 鮮魚を主菜セコンド・ピアットに据えた献立を計画したとして、そのとおりに賓客に出せるかどうか……保証はどこにもない。

 ああ、なるほど。一国の名誉を預かる料理人として、俺は浅はかだったのかもしれねえ。 


「なあ、シスターさんよ……俺はそれでも、魚、あきらめたくはねえんだよな。国王陛下ご本人でもねえレナートに、却下されたのも納得いかねえし」


 ぬいぐるみのシスターは、相変わらず何も言わねえ。

 だが俺の頭の中は、部屋に帰ってきた時点とは、すっかり様変わりしていた。

 レナートにもう一度、来賓に関する資料を見せてもらう。これまでどのようなものが供されていたのか、食材の確保等も含めて確認する。そして前例を踏まえ、無理のない範囲で、美味い魚を混ぜ込んだ献立をもう一度考える。

 よく考えりゃ、魚が主役である必要もねえのかもな。前菜アンティパストなら自由もきくはずだ。鮮魚にこだわらずとも、干物や塩漬けでもいいかもしれねえ。

 俺の頭は、激しく回り始めた。


「……ありがとな、シスターさんよ。なんだか考えがまとまってきたぜ……これも、あんたのご加護なのかね」


 まあ、俺が勝手に喋って、勝手に解決策を見つけただけの気もするが。

 ここは王妃陛下の顔を立てて、「聖教会の祝福」ということにしておこう。

 大事なのは頭が冷えたこと、考えが整理できたこと、解決策が浮かんだこと、それら自体だ。


 さて、新案をレナートの所へ持っていくぞ。できれば今日中がいい。

 最初は嫌な顔をされるだろうが……話が全く通じねえ奴じゃあないはずだ。

 ああ、楽しくなってきた。


 俺は感謝をこめて、机上のぬいぐるみに一礼した。

 ふっくらした布製のシスター様は、ただ黙って、俺をにこにこと見上げていた。



【了】

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困った時のぬいぐるみ頼み 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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