第3話

 燕尾服に着替えてホールに入ると、それだけで女子生徒の黄色い声が上がる。この感じ、どこかで経験あるなと思ったら、剣道の地区大会だ。試合を終えて面を外すと、他校の女子生徒がざわつくのである。それがあまりにもうるさいというので、自分だけは奥に引っ込んでから面を外せなどと難癖をつけられたのだ。冗談じゃない。あんなの試合が終わったら一分一秒でも早く外したいのに。


 けれど、私はもう大人だ。自分より弱い癖に『先輩』というだけででかい顔をするやつらを睨みつけて黙らせるような子どもではない。だから、頬を真っ赤に染めてスマホを向ける彼女達をやんわりと窘め、太一君が来るまでの繋ぎとして、給仕役に徹した。


 それからほどなくして――、


「お待ちしてましたよ、寿都先生」

「何やっ……! てんすか、門別先生」

「生徒から頼まれたんですよ。急に買い出しに行かなくちゃいけなくなって、人手が足りないって。生徒の頼みとあらば仕方ないですよねぇ」


 まぁ、多少、誘導した自覚はあるけれども、頼まれたのは事実である。


 可愛い生徒に無理やり連れてこられた我が恋人は、精一杯『仕事モード』の表情を作っている。そこに気付いているのは私だけだろう。見慣れぬ姿にドキドキしているのが、手に取るように伝わってくる。


 なんて可愛いんでしょう。

 ここが学校じゃなかったら。

 周りに誰もいなかったら。

 いますぐ押し倒しているところです。

 

 とはいえ、棒立ちでやんややんやと騒いでいる場合ではない。多少、邪な下心があったにせよ、あくまでもこれは生徒からのSOS。教師として、真面目に取り組まなければ。


 更衣室で彼の着替えを手伝いながら、事の経緯を説明する。案外聡い太一君は、私の下心にも気付いたようだが、何ら問題はない。それが証拠に、彼はさっきから燕尾服姿の私をちらちらと見ては、悔しそうに下唇を噛んでいるのである。何を考えているのかなんて、こっちにはバレバレだ。


 と。


 素早く腰を抱かれて、唇を奪われる。

 勝利を確信したような「覚えとけよ今夜」という言葉を聞いて、かかった、と思った。


「良かった。そのつもりで、昨日の晩にローストビーフ仕込んでおいたんです。食べ頃ですよ」


 内心ホッとしながらそう返す。良かった、あのローストビーフは私の自棄酒のつまみに成り下がることはなくなった、と。


 優位に立ったつもりが返り討ちにされたと思ったのだろう、膝を叩いて悔しがる太一君がたまらなく可愛く見えて、「まぁ、食べ頃なのはですけど」なんて口が滑る。忙しいのはお互い様だけれども、確実に私の方が飢えている。


「えっ、ちょっ、だけじゃない、って……? えっ? 大す……じゃなかった門別先生!?」


 まさか、そこまで動揺してくれるとは予想外でしたが。



 燕尾服に身を包んだ太一君は想像以上だった。

 確実に、本人が思っている以上の色気がにじみ出ている。


 恐らく、その辺の学生連中なら、私のような、わかりやすいきれい目の美男に騒ぐのだろうが、それより多少上の層は太一君のようながっしりとしたタイプにも目を奪われたりするものなのだ。


 駄目ですよ、『お嬢様』。こちらは私のパートナーでして。良い男でしょう? こんな見た目ですけど、案外ベッドでは優しく抱いてくれるんですよ。


 少々窮屈そうな胸元と、パツッと張った腿の引き攣った布地をなぞりたい衝動に駆られて、己を律するのに苦労する。けれど恐らくは向こうも似たようなことを考えているのだろう、わざと指先で脇腹をなぞってやると、ぶる、と大きな身体を震わせて恨めしそうにこちらを睨んで来た。こちらにしか聞き取れないほどの小声で「何すか」と呟く。


「人のこと横目でじろじろ見て。いま何を考えてます?」

「いっ、いや、何も……」

「ま、だいたい想像つきますけど。――さ、行きますよ、お客様――じゃなかった『お嬢様』のご来店です」

「『お嬢様』ぁ!? えっ、そういうコンセプトなんすか?!」

「さっき生徒はそう言ってましたよ。『お帰りなさいませ、お嬢様』って。生徒が出来るものをまさか教師が出来ないなんてことはないですよねぇ?」


 多少意地悪くそう言ってやると、彼はもう半ば涙目である。もちろん、なんて返って来たが、たぶん無理だろう。


 その後は、いつもはぴんと胸を張って生徒を指導する側の体育教師が、しどろもどろになって慣れない接客をするのを微笑ましい気持ちでサポートしながら、この店のコンセプト通りにイチャついてやった。後ろの方で「さすが門別先生、慣れてる」なんて生徒の声が聞こえる。馬鹿なことを言うものではありませんよ。私だってさすがにこんなのは慣れてませんって。

 

 多少やりすぎたかな? と思ったのは、彼から両手を掴まれて、


大祐だいすけ先輩、少しは人目を気にしてください。ずっと嫌がらせをされて、俺は困っているんですよ。責任取ってくれませんか?」


 なんて釘を刺されてしまった時だ。こんな時に名前呼びなんて反則過ぎる。


「寿都君。そんなに触らないでください。どれだけ触っても、何も出ないですよ」


 だから、窘める気持ちでそう返した。あえて『寿都君』と。いつもなら名前で呼ばれた時には名前で返すのだけれども。


「じゃあ、俺から門別先輩に触らない方がいいってことですよね。これから気をつけます」


 この場を収めるための軽口だということくらいはわかっている。それでも、胸がずきりと痛んでしまうのは、それだけ彼に本気だからだろう。


 思わず彼の手を頬に当てて、懇願するように、ずるいですよ、と零してしまう。


「買出しに出かけた子が戻ってくるかもしれないから、わざわざ寿都君呼びを続けているのに。下の名前でおねだりしたくなってしまうでしょう」


 どうかこれも、演技の類だと思ってくれますようにと願わずにはいられない。けれど、一瞬重なった視線で、どうやら正確に伝わってしまったらしいことを悟った。私の視線を捉えた彼の目が、すべてを物語っていたからだ。


 演技と思ったなら、その目はいたずらっぽく細められていたはずだ。けれどそうではなかった。撃ち抜かれたとでもいうべき、驚きに満ちた目。そしてその後、やはり悔しそうに逸らしたことも。


 そんな反応をされたら恥ずかしいのはこっちなんですからね。


 成る程わかりました。

 下の名前で呼んでほしいんですね。

 今夜は名前をたくさん呼んで、うんとおねだりして差し上げましょうね。

 ドロドロに甘やかしてもらいますね。何せ、もう随分久しぶりですし。

 私さっき言いましたもんね、食べ頃なのはローストビーフだけじゃないって。


 楽しみですね、太一君。

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すったもんだで!④~恋人のウェイター姿なんて見たいに決まってるでしょう!~ 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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