第2話

 話は文化祭の数週間前に遡る。


「門別先生、御相談したいことがありまして」


 放課後、体操部の二年生、中曽根なかそね君が、ほとほと疲れた顔をして保健室へとやって来た。体調でも悪いのかと思ったら、そうではないらしい。


「俺らのクラス、BL喫茶っていうのをやるんすけど」

「BL喫茶?」

「二人一組でペアになって、何かそれっぽくイチャついたりすんの見せながら、『お帰りなさいませ、お嬢様』なんつって接客するんすよ」

「……ほう」

「そういうの好きな女子、いま多いっすから。それで、相談したいのは衣装のことなんすけど」


 そう言って、カタログを見せて来る。


「これは?」

「実はウチの親戚、貸衣装屋なんすよ。それで、使った分のクリーニング代だけで貸してくれることになって」

「それはありがたいですね」

「まぁ、それはそうなんすけど。ただ、それで衣装係を押し付けられちゃったんすよね。だけど、どれを選んだら良いのかも、どれくらい借りたら良いのかもさっぱりで」

「成る程。それはわかりましたけど、なぜ私のところに来たんですか? 担任に相談したら良いでしょう」

「そうなんすけど」


 と、がくりと肩を落とす。


「ウチの担任、岩畑いわはた先生っすよ?」


 っすよ? と言われてもと思ったが、いや、考えてみれば、岩畑先生なら少々厳しいかもしれない。そう思ってしまうほど、実年齢よりもかなりくたびれたおじいちゃん先生である。BL喫茶のBとLが何を指すかなんてきっとわかっていないだろうし、調べもしないだろう。

 養護教諭の立場からこんなことを言うのはなんだが、なんていうか、やる気も覇気もない、本当にただただ定年を待っているような教師である。進路相談の時期になると、「あの先生は本当に大丈夫なのか」と親御さんからのクレームが何件か来たりするものだから、絶対に三年生の担任は受け持たせられないと言われている。


 かといって、体操部ウチの顧問に聞いたって、と中曽根君はうんざりした顔を向けて来た。まぁ、それもわかる。太一君に相談したところで「あ? 何でも良いだろ、そんなの」で返されて終いだ。それも容易に想像つく。


 なので、どこのクラスも受け持っていない、中立の立場である私のところへ来た、と。

 

「そういうことなら、納得です。世界観から考えるに、妥当なのはこちらの燕尾服でしょうね。それで、ウェイターとして割り振られているのは何人いるんですか?」

「十四人っす。残りは調理と呼び込みで」

「成る程。では、最低でも十四着必要ですね。ですが、何が起こるかわかりませんので、多めに借りた方が良いでしょう。クリーニング代だけ、とおっしゃってたんですよね?」

「そうっす」

「では、御迷惑でなければ、借りられるだけ借りましょうか。サイズは――そうですね。まず、ウェイター役の生徒の普段のサイズをすべて調べること。こういうのは身体にぴったり合っていませんと。それに合わせてはもちろんですが、当日、どんなトラブルが起こっても対処出来るよう、大きめの物も用意しておくと良いです」

「大きめっすか?」

「そうです。例えばですけど、不測の事態が起こったとして、当日いっぱいいっぱいになっているだろう調理班からホールに人を回せますか?」

「うっ……ちょっと、無理かもです」

「そういう時こそ、大人を頼れば良いんです。生徒だけで対処しようとしないで」

「でも、岩畑先生じゃ……」

「岩畑先生じゃないです。中曽根君が大人が、いるでしょう?」


 わざと強調してそう言うと、彼は、その人物に思い当たったらしい。衣装の頭を使う相談では頼りにならないものの、実技身体を使うことに関しては恐らく、かなり頼りになると思われる人物に。


「寿都……先生?」

「そうです。可愛い体操部の生徒の頼みなら聞いてくれるはずです」

「確かに、俺らには何だかんだ甘いっす」

「でしょう? それに、乗りかかった船です。もしもの時は私も手を貸しましょう」

「マジすか!」

「私だって生徒に混じって文化祭の空気を味わいたいですからね。ただ私の場合、生徒とペアなんて組んだら立場上――まぁキャラ的にも洒落にならないので、その時は必ず寿都先生も巻き込んでください」

「確かに、門別先生とペアになんてなったら、営業どころじゃなくなりますね。色んな意味で」

「まことに遺憾ですけど、不本意な噂がありますのでね。――まぁ、もしものことなんてないに越したことはありませんが、そういう備えがあると思えば、当日も安心して運営出来るでしょうから」

「そうですね。あぁ、やっぱり門別先生に相談して良かったっす! あざっす!」


 立ち上がり、きっちりと腰を90度に曲げて礼をする様は、さすが太一君の指導の行き届いた部員である。


「準備、頑張ってくださいね。張り切りすぎて怪我などしないよう」


 そう言って、退室を促す。

 

 もしもの時は。


 もちろん、その時はそう思っていた。

 ただほんの少し、そのもしもに期待はしていたけれども。


 だって、可愛い恋人の燕尾服姿なんて、見たいに決まってるじゃないですか。特に私達は、それに袖を通して教会を歩く、なんてことを容易く望めないのですから。


 同性同士、という事実をいまさら噛みしめて、久しぶりにつけられた鎖骨の痕をなぞった。



 それで、だ。

 それから時は経って、文化祭当日である。もしも、は起こった。


 といってもそこまでのトラブルではない。我々大人からしてみれば、トラブルのうちにも入らないようなものではあるが、経験の浅い生徒達にしてみれば、すわこの世の終わりだとでも言わんばかりの狼狽えぶりである。ただちょっと、想定よりも売れ行きがよく、材料諸々が足りなくなったというだけで。


「門別先生ぃぃぃ」


 約束どおりに泣きついてきた中曽根君をどうどうとなだめ、買い出し班をホールから適当に指名すると、その穴を埋めるために私もウェイター役を買って出ることになった。もちろん――、


「中曽根君、わかっていますね」

「もちろんっす。何が何でも寿都先生を引っ張ってきます」

「頼みましたよ。クラスの仲間が全員私の毒牙にかかったなんて噂が立つ前に、急いで」

「じゃあマジで時間ないすね。急ぎます」

「お願いします。私は着替えておきますので」


 絶対に連れてきてくださいね、と固く約束をして、更衣室代わりに使用している空き教室へと向かう。


 早速、「お手伝いしましょうか」などと声をかけて来るものもいたが、「まだ介護の必要な年齢ではありませんから、ご心配なく」と返した。何もなかったとしても、『門別先生と二人きりになった』という事実だけで十分なのだ。あることないこと吹聴して外堀を埋めようとする生徒もいるのである。高校生は子どもだが、甘く見てはならない。

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