私がぬいぐるみに手を出したワケ

腹音鳴らし

『私が欲しかったもの』

 私がぬいぐるみに手を出した理由は、以下の通りである。


 諸君は『エアマックス』をご存じだろうか? 

 かつて日本で一大ムーブメントを巻き起こした、NIKE製のランニングシューズの事である。当時の若者たちはこぞってこの靴をきたがり、闇売買やエアマックス狩りなどと呼ばれる無法者の集団まで現れるほどの、一種異様な人気ぶりであった。おりしも、学生時代を謳歌おうかしていた私も、その流行に当てられてしまった愚か者の一人である。


 強烈な需要によって、あっという間に日本の店頭から消え失せたエアマックスは、ごく限られた専門店か個人が所有していたものが、途方もないプレミア価格で取引されているような状態だった。


 今にして思えば、このような現象は狡猾こうかつな転売屋の手口に他ならない。が、その頃の私は純粋無垢じゅんすいむくな少年であったため、知人からオファーされた10万円というエアマックスの価格にさえ、清らかな心で「妥当だ」と受け止めていた。


 しかし、学生の身分でバイトを禁じられていた私が、10万円もの大金を用意するのは至難のわざであった。お年玉は毎年すべて親に接収され、まともな小遣いももらっていない。

 ゆえに、私はいくつかの事業によって収入を得ていたのだが、この頃はちょうど何もしていない時期で、財布の中には1000円札が一枚だけ、という有様だった。


 目標の10万円までは、ちょうど百倍の金額。生半可な行いでは、この壁を乗り越えることはできないが、私は街で一番流行っているゲームセンターへ向かっていた。


……察しの良い方は、すでに気づいたかもしれない。

 もちろん私の狙いはクレーンゲームであった。


 ときに、昭和のゲームセンターは現代のように明るく開かれた場所ではなく、いわゆる不良のまり場であった。そして平成になると、徐々に一般層向けの仕様に代わっていったわけである。

 とはいえ、その頃はまだならず者も数多く存在し、喧嘩、カツアゲなどは日常茶飯事さはんじであった。


 常日頃から危機意識の高かった私は、「世の中はIT化が進んでいるが、いずれ力の時代がくる……」と固く信じていたので、その備えとして、身も心もみっちりと鍛えていた。つまり、からまれる心配は皆無かいむであった。


 さて、クレーンゲームのコーナーで私が狙っていたのは、キテ●―ちゃんのぬいぐるみであった。

 当時は現代のように法整備も行き届いていなかったため、景品の原価にも制限がもうけられておらず、見た目も質もアンテナショップで購入するものと大差がなかったのだ。私はこれを高額で転売し、ゴールである10万円へたどり着くための、頭金にする算段であった。


 しかしながら、手持ちは1000円。さらにこの頃になると、プレイは200円で1回、500円でも3回しかできないようになっていた。つまりどうあがいても、6回しかチャンスがない。……が、私にはそれで充分だった。


 勘違いしている方も多いと思うので、この機会に、正しいクレーンゲームの操り方をご紹介しておく。

 あまりこのゲームを利用されない方は、すぐにアームで獲物をキャッチしようとするが、実は罠である。あらかじめ店員が機械のバネを弛めていて、『アームが閉じる力』が弱まっているからだ。


 では、一体どうすればいいのか? 


 機体にもよるが、クレーンゲームで使用する『力』は大きく分けて四つある。

『アームが閉じる力』、逆に『アームが開く力』、獲物を捕獲する時に『アームが下降する力』、そしてキャッチした獲物を引き揚げる『アームが上昇する力』の四つである。


 私は作業を開始した。

 まずは500円を投入し、私は落とし穴から一番遠い場所にあるぬいぐるみの山を、アームで掻き分けた。これを3回行うと、そこに少しだけ空白のエリアが出来上がるのだ。決死の思いで残りの500円を機体に投じ、さらにそのエリアを拡大しておく。


 クレーンゲームというものは、多くの場合、底が一枚の大きなプラスチック板になっていて、その上に獲物が乗っているものである。このプラスチック板の高さを調節する事で、落とし穴までの高さを変更したり、お店は景品をより取りにくくする事が可能なのだ。


 そしてクレーンゲームは、本体のガラス壁とこのプラスチックの底板の間に、ほんのわずかですが隙間がいているのである。

 私はラストプレイで、


 クレーンゲームにおいて、最も強い力は『アームが上昇する力』。私が操ったアームはプラスチック板にかろうじて引っ掛かり、先端部がガラス壁と挟まって抜けてしまわないのを良い事に、フルパワーで上昇を試みていた。


「いけ! いけ! いけ!」


 この時、私はたぶん危ない目をしていたと思う。


――ゴカンッ! という音がして、私の狙い通り、


 平衡へいこうを保つはずの底板は、アームに引っ掛かって、もの凄い角度に傾いていた。そして一方が上に傾けば、もう一方は下の傾くのがシーソーの掟である。すべり台に狂喜する子供のように、プラスチック板の上にあったぬいぐるみ達が、次々に落とし穴へと転がっていくさまは、実に爽快であった。


 この荒行で、一度に二十体ものぬいぐるみを手に入れた私は、そそくさと店を後にした。うかうかしていると、正当な得物を、店員に没収されてしまう危険があったからである。


 ところが、この天罰は超高速で私にくだされた。


 ぬいぐるみの卸先おろしさきを考えていた私の、凶報が舞い込んできたのである。当初の目的であったエアマックスが、何者かに購入されてしまった、という情報だった。

 ブツを売却した収益でエアマックスの頭金を払う気でいた私には、まさに寝耳に水であった。


 途方に暮れた私は、せっかく手に入れたキテ●―ちゃんのぬいぐるみを、ヤケになってその日のうちに配りきってしまった。そして軽くなった財布を尻ポケットに差して、トボトボと帰路についたわけである。



……数分後、私は家の近くで、ちょうど塾に行こうとしていた弟とはち合わせした。



 奴は、エアマックスを履いていた。




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私がぬいぐるみに手を出したワケ 腹音鳴らし @Yumewokakeru

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