煙と冬の吐息

おとなみ

煙草と私

20歳未満の者の喫煙は、法律で禁じられています。喫煙は、肺がんをはじめ、あなたが様々ながんになる危険性を高めます。


君が駅前で買った、封の開いていないフィルムに包まれたパッケージに書かれたなんだか冷たい言葉を私は小さく読み上げた。


「そんなこと書いてたっけ。気にしたことないよ」


コンビニで働いたこともなければ煙草を吸ったこともない私にとって、見慣れない文章。愛煙家の君が知らない言葉を見つけて、なぜか嬉しく感じてしまう。


「私は翔太君ががんになっちゃったら悲しいけどなあ」

「はは、ありがと。ほら、服に匂い移っちゃうから向こうで待ってて」


ただ待たされるだけのことなのに、そんな曖昧な優しさに騙されて心が動いてしまう。わざわざ抵抗するのも大人げなく、恥ずかしく思えて私はその言葉に従う。

私が離れたことを確認して新品のフィルムを開け、彼のため息が白く染まる。

おもむろにスマホを取り出してその中の世界に入って、息継ぎをするかのように煙を吸いにこちらの世界に帰ってくる。


私をこの距離に留めておいて、君はそちらの世界で何をしているのだろう。


聞ける訳もない質問が、煙のように浮かんで宙に消えた。





明日美あすみさんですか?」


流行りのマッチングアプリで決めた待ち合わせ場所に現れた翔太君は写真から私が勝手に作ったイメージよりも背が高く、『今時の大学生』という言葉がよく似合うという印象だった。


出会ってから仲良くなるのにそう時間はかからなかった。


「翔太君って大学生だったよね。何の勉強してるの?」

「大学では物理を勉強してるんです」

「へえ、すごい!私は苦手だったなあ」

「みんなそう言いますよ。明日美さんこそ保険関係の仕事してるんですよね。そっちのほうがすごいです」

「そんなことないよ。私はただお年寄りと話してるだけだよ。君にとっては5歳も年上の私もお年寄りみたいなものかもだけど」

「そんな訳ないじゃないですか。綺麗なお姉さんの言い間違いですよ。僕の知らない世界で生きていてかっこいいなと思います」


保険会社で働きだしてからもう4年になる。初めのころはお客さんに寄り添えるような人になりたいという大層な目標があった。でも仕事に慣れてしまえば日々同じことの繰り返しのように思えてきて、ただただつまらなかった。

そんなときに年下の翔太君から言われる新鮮な言葉の数々は聞いているだけで自信が湧いてくる。


翔太君を好きになるのに時間はそうかからなかった。


「ねえ明日美さん知ってる?」

いつもそう言って大学で勉強したのであろう私の知らない知識を披露してくれる。

ときどき同じ話を聞くこともあったけど、それすらも愛おしく感じる。

さりげなく話しながら歩道側をあるいてくれるような些細な優しさに年甲斐もなくときめく。


週に1回会えたら良い方だった。いつも翔太君からデートに誘われる。古着屋でコーディネートを披露しあったり、流行りの喫茶店を巡ったり、公園を散歩したりした。そしてどこに行こうとその後は決まっていつもの激安が謳い文句のホテルで朝を迎える。

世の中のほとんどの大学生が金欠だと騒ぐように、翔太君もそうだった。

「いいよ、私働いてるから」

大人なところを見せたくて、いつも私が財布を広げる。

翔太君と一緒にいると若さを取り戻したようで、それと同時に頼りになる大人にもなれたようでただただ楽しかった。


そしてどこに行っても、私と翔太君の間には煙が立っていた。

たまに喫煙所についていき、冷え切った冬の空気に息を吐きだして彼の真似をする。

「お子様にはまだ早いよ」

「ねえ!私からしたら翔太君の方が子供なんだけど」

「はは、ごめんごめん」

「思ってないでしょ!」


煙草は嫌いじゃない。

こうやって楽しいひと時を与えてくれるから。


まだ、告白はされていない。




「明日美さん、誕生日おめでとう。これ、プレゼント。」

そういっていつものホテルで1週間遅れの誕生日プレゼントを受け取る。

誕生日当日にお祝いのメッセージも何もなくてそれから少し落ち込んでいたことがまるで嘘のようにだった。

「ありがとう!開けていい?」

定期入れだった。『定期入れ』という文字とよくわからないイラストが描かれた定期入れ。

「ん、ありがとう。絶妙なセンスだね~」

「いつも使ってるでしょ?明日美さんが仕事の日でもそばにいられるようにと思って。」

「嬉しい、ありがとね。」


前に言ったはずなんだけどな。

自転車で通勤していること。

何かが崩れる音がした。


「ねえ、翔太君」

「どうしたの?」

「私たちって、なんなの?どういう関係?」

「関係に名前なんてつけなくていいんじゃない?」

「私のことどう思ってるの?」

ついに聞いてしまう。

「好きだよ。だから別に今のままでもいいじゃん」

そういって君は煙草に手を伸ばす。

「ねえ、今は煙草はやめて」

「いいじゃん」

「やめてってば」

「うるさいなあ。ただ祝いたかっただけなのに。」

「それは嬉しいよ。でももっと私のことも考えてよ。私だって今みたいに過ごしたいよ。でも周りは結婚して子供も産んで、焦りがないわけじゃないんだよ」

「そんなの知らないよ。楽しいからいいじゃん」

君はため息に火をつける。

何かが終わった音がした。

「もう会うのやめよう。これも返す。」

沈黙がやけに長く感じられた。

君が吐く煙は行き場をなくして漂っているようだった。

「…わかった。それはもうあげるよ。今までありがとう」

彼の後ろ姿と私の間には、吸い殻から出る消え切らない煙が立っていた。


本当は気づいていた。

私は翔太君にとってただの都合の良い女でしかないことに。

翔太君の吐く煙を吸うのが私だけじゃないことに。


私は煙草に似ている。

欲しくなったら火をつけられて、満たされたらそこで終わり。

限界まで私自身を浪費して、最後は押し付けられて火が消える。



帰り道。

駅前のコンビニで買ったライターと煙草。

今まで真似していたように、寒空に本物の白い煙を吐き出す。


煙草は嫌いだ。

ただただ苦いだけだった。

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