蠅ィ鬟溘>陌ォ、ともだちを祭る

三浦常春

蠅ィ鬟溘>陌ォ、ともだちを祭る

「いらっしゃいませ」

「あいがとございます」


 蠅ィ鬟溘>陌ォが語りかけるのはフェルトを縫い合わせた玩具だ。座布団を敷いた椅子の上にちょこんと乗せて、拙い『人類語第十三位』を紡ぐ。


「どんな本をお探しれすか」

「コーヒー、飲みますか」


 装飾品であるボタンを転用した目玉は依然として虚空を見つめているが、逃げ出して話しにならないよりは断然マシだった。


 そもそも、なぜこんな練習をしているのかといえば、この本屋が、人類の拠点たるとある島国に位置するからだ。

 

 人類がテレパシーを使えないと知ったその瞬間から『音声』の取得に乗り出した。発声器官の改良を経てようやく手に入れた『音声』。


 最初は本棚を相手に練習していたのだが、ある日――忘れもしない、初めて人類が生み出したゴミとその集積場を訪ねた日。山のように積み上げられた私欲の中に布の塊が落ちていた。


 最初はこんなにも小さな人間がいるのだと驚いたものだ。しかし手に取ってみると、鼓動が、血潮の騒めきが、一向に聞こえてこない。死んでいるんだ。漠然とそう思った。


 のちに分かることだが、この『小さな人間』は文字通り背丈の低い人間の肉体ではなく、人類の姿形を模倣して作られた、いわばレプリカなのだとか。


 皮膚は固めた羊毛、血肉はゴワゴワの綿。口は赤い糸で目はボタン。裾の長い黒い服をまとい、黒い布を頭から垂らしている。


「あたためますか」

「袋はごりょーですか」


 『小さな人間』がまとう服が、漫画と呼ばれる絵の集合体やライトノベルに登場する『シスター』とそっくりだと気づくまで、そう長い時間は必要なかった。


 同時に、この『小さな人間』はある種の宗教性をはらんでいるのだとぎょっとしたものだ。


「お客様はカミサマ」

「いつものくらさい」


 ぽつぽつと、街中で見聞きした言葉をくり返す。『小さな人間』は口を曲げている。


 ふと思う。


 接客業はカミサマを相手取るのだという。ならば今、自身の目の前で『客』として座っている『小さな人間』もカミサマなのかしら。


 カミサマの意味は調査済みだ。抜かりはない。カミサマがカミサマに仕える者の服をまとっているのは何とも皮肉めいているが、ひょっとしたら謙遜を司るカミサマを模しているのかもしれない。


 故郷に、人類的な『宗教』は存在しない。『信仰』なんて概念もこの星にやって来てから知ったし、宗教に頼らねば生きていけない人類の脆さに胸を痛めたものだ。


 だが、今なら分かる。


「どうぞ、ゴヒーキに」


 カミサマ、もとい客がいなければ店は成り立たない。


 店だけではない、音声言語の練習も少し物足りないように思えてくる。


 原始の人類がカミサマに求めたのも、なのではないだろうか。


 かたり、と椅子が音を立てる。『小さな人間』に断りを入れて向かったのは台所だ。虫の羽音を立てる冷蔵庫を開けるとコーヒーゼリーがほんの少し残っていた。今朝腹に入り切らなかった分だ。


 いっとう綺麗な皿に盛り付けて、ついでにホイップクリームを添える。


 これでよし。


 崩してしまわないよう気をつけながら、ぬるぬると『小さな人間』の元へと急ぐ。


「いつも、ありがと」


 彼女は穏やかに微笑んでいる。

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蠅ィ鬟溘>陌ォ、ともだちを祭る 三浦常春 @miura-tsune

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