残酷遊戯

藤光

残酷遊戯

 つまらないな。

 アキちゃんはいつもぬいぐるみを抱いていた。


「アキちゃんは、ママが入院していたの」


 知ってるよ、母さん。アキちゃんのママは病気で……シュジュツをしたんだろ。


「ママがいない間、アキちゃん、寂しかったと思うのよ」


 ぬいぐるみだけがアキちゃんの友だちだったのね――って母さんは言うけれど、それだってもう一年も前のことだ。ママは元気なったのに、アキちゃんは、いまでもずっとぬいぐるみにべったりだ。


 ひさしぶりに泊まりがけで遊びにきたっていうのに、「ポーシャとおままごとしよう」とか「ポーシャの着せ替えごっこしよう」とばかり言う。


 ぼくが「庭で鬼ごっこしよう」とか「裏の川で水切りしよう」とか誘っても、「乱暴なのはポーシャが怖がるから」と言って断られてしまう。


 このポーシャってのがぬいぐるみなんだ。


 ポーシャはクマのぬいぐるみで、どうやら女の子らしい。水色のワンピースを着て、耳に同じ色のリボンを結んでいる。好きな食べ物はパフェで、趣味はオンガクカンショーなのよとアキちゃんが教えてくれた。人形がパフェを食べるわけなのに、なに言ってんの。


「大好きで、いちばんのお友だちなの」


 ちぇっ。去年までアキちゃんが「大好き」だったのは、従兄いとこのぼくだったはずだろ。ぼくの言うことはなんだって聞いて、一緒に遊んでくれていたのに。


 いまでは、どこへ行くのもポーシャと一緒で、ポーシャがいいと言わないと遊んでくれない。鬼ごっこも、水切りも、かくれんぼもポーシャがやりたがらないから、やってくれない。いったいどうしちゃったんだよ、アキちゃん。そのぬいぐるみのどこがそんなに好きなのさ!


 しぶしぶおままごとに付き合いながら、赤ちゃん役のポーシャを抱っこする。ひと抱えもある大きなぬいぐるみだ。くるくるとカールした毛皮が柔らかい。


 なんだろう。


『……』


 中になにかいるような気がして、ぬいぐるみの胸に耳を押しつけた。なんだか音が聞こえてくるような――。


「エッチ。やめてよ。ポーシャが嫌がっているじゃない」


 もうお兄ちゃんには触らせないと、怒り出したアキちゃんにぬいぐるみは奪われてしまった。でも、たしかに。耳をとおして感じたなにかに、ぼくの胸がざわついている。


 ぬいぐるみの中になにかいるのなら、そんなものをアキちゃんが抱いているのは危ないんじゃないだろうか。好きだなんて言っているのも、そいつがそう仕向けてるのじゃないかな。


 母さんに相談すると、大きな声で笑われてしまった。


「あの年頃の女の子はみんなそうなのよ。ぬいぐるみのことが大好きになるの。そうやって大人に……お母さんになる準備をしてるんだから。それに――」


 女の人はいくつになってもそう。ぬいぐるみやお人形って理想の友だちなんだから――と言って、母さんはじぶんが好きな人形の話をしはじめるのだけれど、母さんはずっと抱いているわけじゃないし、人形の中になにかような感じはしないだろう?


 ぼくが、たしかめるしかない。


 その夜、アキちゃんとアキちゃんのママは、ぼくたちの家に泊まることになっていた。布団を並べてぼくと母さん、アキちゃんとアキちゃんのママが、リビングで一緒に眠るんだ。


 ぼくは、母さんとアキちゃんのママが夢中になっておしゃべりをしているのを聞きながら、真っ先に布団へもぐりこんだ。早く眠らないと。ぼくには、夜のあいだにやらなきゃならないことがある。




 目を覚ますとリビングは暗かった。枕もとの時計は午前4時を指している。母さんたちはいつまで話していたんだろう。みんなまだよく眠っている。ぼくは、カーテンごしに差し込んでくる月明かりをたよりに布団を抜け出すと、眠っているアキちゃんの手からぬいぐるみを取り上げた。


 足音を立てないよう気をつけてリビングを出ると、ぬいぐるみを連れて子ども部屋に入った。机の引き出しからハサミを取り出す。早く。みんなに気づかれないうちにやってしまわないと。


 座布団の上に押さえつけたとき、ポーシャと目があったような気がしてぞっとした。


「へ、平気だよ。これからするのはシュジュツだ。お医者さんごっこだよ」


 水色のワンピースをまくり上げると、ハサミの先をポーシャの柔らかいお腹に突き立てた。とても嫌な気分になったけれど、一度そうしはじめると止まらない。ぶすぶすと何度も突き刺すと、中から白いわたがあふれ出してきた。中になにがあるのか。ぼくは思い切ってポーシャの中に手をつっこんだ。


 温かいものに触れた。


 お腹の中からつかみ出すとそれは人の形をしていた。長い髪の毛、白い肌、すらりと伸びた手足、小ぶりの顔と形のよい乳房――温かい身体。手の中でそれはぶるっと震えた。ちがう、震えたのはぼくの手だ。


 濡れた唇

 ふくらんだ乳房

 脚の付け根の淡い茂み


 触れてはいけないものに触れてしまった。


 濡れた瞳




         見ないで、みないで、ミナイデ



 急いで子ども部屋の窓を開け放つと、ぼくは手のなかのを思いきり外へ投げ捨てた。それはまだ真っ暗な夜の向こうへ消えてゆき、ぼちゃんと川のなかへ落ちる水音がした。


 あれを見、あれに触れたことで、自分がとても汚されてしまったような気がした。洗面所にかけ込むと石けんを使って何度も何度も手を洗った。顔も洗った。耳も目も取り出して洗いたかった。


 ぬいぐるみのお腹にもとどおりわたを詰めると、服を着せ、リビングに戻って、アキちゃんに押し付けると自分の布団にもぐり込んだ。ものすごく疲れていて眠りたかったけれど、目にはあれの肌の色が、手にはあれの温かさがまとわりついて、ぼくを眠らせてくれなかった。


 次の朝、アキちゃんはポーシャと遊ぶのをやめて、かくれんぼや鬼ごっこをして遊びたがるようになった。それは、ぼくが望んでいたことだったのだけれど、今度はぼくの方がアキちゃんと遊びたいとは思えなくなってしまった。アキちゃんは寂しそうだったけれど仕方がない。

 

 それからもアキちゃんは、何度かぼくの家に遊びにきたし、その度に別の新しいぬいぐるみを連れてきたけれど、ぼくがその中になにが入っているのか、たしかめようという気を起こすことは二度となかった。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残酷遊戯 藤光 @gigan_280614

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ