古書店とインスタントコーヒー【KAC20231】

カイエ

古書店とインスタントコーヒー

「古書店と書き損じ」にも書きましたが、ぼくは近所の古書店に足繁く通っていました。


 古書店と言っても近年の本も売っていますので、正しくは古本屋です。

 ぼくも古本屋と言ったほうがしっくりきますが、看板にはだいたい「古書店」とありますので、ここではあえて「古書店」と呼称します。


 ぼくの住んでいる街には、当時「古書街」と言っても差し支えないほど、たくさんの古書店がありました。

 とにかく古い土地柄だからでしょうか。

 やたらと古書店や骨董屋があり、日本一古い何なに、みたいなお店も珍しくありません。


 なのに観光地としては全然賑わっていません。

 枯れてます。


 要するにちょっと古ぼけた感じの、おしゃれにはほど遠い土地です。


 ぼくは、いろんな古書店に顔を出しました。

 古書店にはいろいろ特色もあって、得手不得手もあります。

 

 今日はその中でも一番よく利用させてもらった、一件の古書店さんの話です。

 そこは文庫本に強いお店でした。


 ▽


「庭にはいつも、ちよろずの落ち葉」本編をお読みになっている方ならご存知だと思いますが、少年カイエにはひどい放浪癖があり、そしてポケットにはいつも小説本が入っていました。


 その本をどこで買うかというと、もちろん古書店です。

 なにせお金がないわけです。

 裕福なおうちの子ならともかく、中流階級ど真ん中、かつ教育に異様に厳しい我が家のお小遣いは、非常に少ないです。

 たった100円がどれほど貴重だったか――今だって100円は十分に貴重ですが、感覚的には今の50倍くらい価値があった気がします。

 いえ、それはそれで幸せな気もしますが。


 とはいえ、貧乏小学生の身。

 新品の本なんてものは買えません。

 図書館で借りた本は雑に扱えません(何しろポケットに入れて持ち歩くわけです)。


 というわけで、古書店の登場です。


 当時はまだブックオフのような巨大古書店はありませんでした。

 だから、古書店といっても一冊だいたい数百円くらいはしました。

 今は100円で買えるのが当たり前になってます。

 いい時代になりました。


 ですが、当時のぼくは、もう本当にお金がないわけです。

 店の外のワゴンで10円とかで売られている、売り物にならないような本ばかり、手当たり次第に読みました。


 だから、変なビジネス書や、上中下巻の下巻だけとか、人気シリーズの7巻とか、中途半端なものも大量にありました(売れすぎると値段が落ちるのです)。

 お構いなしに何でも読みました。

 特に好きだったのはミステリでした。

 小学生にしてエログロナンセンスへの造詣が深くなってしまいました。


 避けたのは、ゲームの攻略本くらいでしょうか。

 あれはいただけません。

 文字量が少ない上に、用語の意味がわかりません。


 あと、意外と良かったのは女性向けの恋愛小説シリーズです。

 読み切りが多かったので、手に入ると「当たり」を手にした気分になりました。


 

 読み終えると、古本屋に返しに行きます。

 すると、親父さんに嫌な顔をされました。


 曰く、売り物にならない本を客が置いていくから、場所代として一冊10円で売っているのだと。

 本自体には一円の値打ちもないのだから、持って来られても困る、と。


 しかし、ぼくにしても部屋をよくわからないビジネス書に占領されるのは困ります。

 お金なんてどうでもいいから、とりあえず勝手に戻しておく、ということをし始めました。

 これなら、親父さんにしても単純に10円得するだけで、何も損はありません。


 そのうちに親父さんに奥に呼ばれ、「10円コーナーの本は、もう勝手に持っていけ。もし気に入ったものがあれば、後で金を払いに来い」と言われました。


 これは本当にありがたかったです。

 おかげで少ないお小遣いを削らすに済みます。

 気に入って手元に置いておきたくなった本には、ちゃんと10円を払いました。

 一度だけ万引きを疑われてお巡りさんに捕まりましたが、親父さんがちゃんと弁護してくれて、事なきを得ました。


 ところで、10円の本はいくらでもあるわけではありません。

 たまに大量に売りに来る人がいて、その中に売り物にならないものがあれば補充される、という仕組みです。

 だから、すでに全部読み終えてしまっていたり、あるいは新しいラインナップが大量に追加されたりして、これもどこか宝探しみたいで楽しかったです。


 ▽


 さて、その古書店の親父さんは、いつも店の奥に座って本を読んでいます。

 ちょっと不機嫌な顔をした親父さんです。

 その親父さん、いつもインスタントコーヒーを飲んでいます。

 象印の花柄のポットにお湯を常備していていました。

 お砂糖とクリープを混ぜたものも常備されていまして、コーヒーに少し入れて飲むわけです。


 たまに古書ファンの大人が店に遊びに来ると、丸椅子(スツールなんていうよりも、丸椅子というほうがぴったり来るやつです)を出してきて、本談義を始めます。

 そのとき、お客さんにもコーヒーを振る舞うのです。

 コーヒーカップは小ぶりで、上から見ると四角っぽいころんとしたカップです。


 ぼくの目には、それがものすごく魅力的に写りました。


 別にコーヒーが飲みたいわけじゃありません。

 あの丸椅子に座って、好きな小説の話なんかをしながら、親父さんに淹れてもらったコーヒーを、四角いカップで飲みたかったのです。


 といっても、ぼくは小学生です。

 コーヒーちょうだい、などと言っていいものか迷いました。

 当時は「子供は少しでもカフェインを摂取してはいけない」という風潮だったのです。

 だからこそ、コーヒー = 大人というイメージが強かったです。


 ▽


 ぼくは親父さんに「まぁコーヒーでも飲んでけ」と言われる日を心待ちにしていました。

 そんなに頻繁にではありませんが、何度かは好きな小説について話したこともありますし、若いうちはこれを読んでおけ、と言われて本を借りたこともありました。


 だから、いつかコーヒーに誘ってくれると信じていました。


 でも、まぁ親父さんにしてみればぼくは客ではなく、明らかに厄介者なわけで、そんなお誘いなどあるはずもありません。

 次第に焦れてきまして、ぼくはとうとう意を決して親父さんに言いました。


「おっちゃん、ぼくもコーヒーが飲みたい」


 すると親父さんはぎろりとぼくを睨んで言いました。


「お前はダメだ」


 ▽


 その時はものすごいショックでした。

 今でも覚えているほど、すごくショックでした。

 涙が滲みました。

 よく覚えていませんが、多分泣きながらとぼとぼ家に帰ったのだと思います。


 それからも10円の本を貰い受けにいく日々は続きましたが、もうコーヒーのことは考えないようにしていました。

 そのうちにぼくも中学生になり、気づいたら親父さんは世代交代していて、お店は娘さん(おばちゃんです)が切り盛りするようになりました。


 ちゃんとお別れもしていませんが、まぁお互いその程度の仲だったのでしょう。


 ……と思っていたら、おばちゃんから声をかけられました。

 親父さんから、ぼくの話を聞いていたそうです。


 何でも、変なガキがいて、週に一度ほど10円本を10冊ほど勝手に持っていくが、万引きじゃないから警察に突き出したりしないように、と注意されたそうです。


 その時、ぼくは思いました。

 ひょっとして親父さん、ぼくが道を踏み外さないように、わざと突き放してくれたのでは?


 ▽


 本人から何か聞いたわけでも、おばちゃんから伝言を聞かされたわけでもないので、ただの憶測です。


 ですが思い返すと、その親父さんは「古書に嵌ると碌な人生を歩めない」といったテーマの話を何度かぼくに聞かせてくれていました。


 事実は不明ではありますが、親父さんはぼくに「こっちに来るな」と言ってくれていたのはないか、とぼくは勝手に信じています。


 古書付きがみんなそうとは限りませんが、親父さんの語る古書マニアの人間像――結婚どころか恋人もできず、食事より本、身だしなみより本、住居は本だらけ、収入のほとんどが本に化ける、という生き方は、たしかにちょっと厳しいものがあります。


 ですが、そういう生き方を羨ましいと思う自分がいるのも事実です。

 だから、もしも親父さんにあの時コーヒーを振舞ってもらえていたら、ぼくもそんな生き方を選んでいた可能性は十分にあります。


 別にドラマチックなオチがあるわけでも何でもありませんが、ぼくの中では古書店とくれば、インスタントコーヒーはつきものです。


 美味しいコーヒーを淹れる手段も持っていますが、10円のヨレヨレになった単行本片手に飲むのなら、今でもインスタントのコーヒーが最適だと思っています。

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