三月八日(火)昼間 インターネットカフェ

 吉岡望よしおかのぞむは、店の入り口に傘用のビニールを出しながら雨空を見上げた。


 三月の初旬、まだ肌寒い。新しい季節が来れば少しは心も晴れるのだろうか。


「それは、ないな」


 店内に戻ってくると、カウンターの前に若者の集団が待っていた。

 すでに春休みの学生が多いようで、自分とさほど変わらない年頃の若者が、これから夜までゲームやマンガに興じるために来店する。


 淡々と接客をしながら、望は仲が良さそうなグループに目をやった。


 ――まだ大学二年、ってところか。

 ――再来年、その友情が続いていれば良いな。

 ――おまえも、おまえも、おれと同じかもしれないんだぜ?


 そうだ、同じだ。

 きっと、お前らもただのガラクタなんだ。

 

 望は会員カードを客に返しながら口を歪めた。


 自分が生まれた時は、この国の宝だといわれた。希望に満ちた子供、そういう意味を込めて祖父は望と名づけてくれた。


 ところが、どうだ。


 両親に叱咤されせながら励んだ高校受験、落ちこぼれながらどうにか入った私立大学、流されるまま取り組んだ就職活動、まるで達成感がなかった。おまけに「ゆとり」だの「さとり」だのさんざん罵られた。そのように仕向けたのは誰だと、心の中で繰り返すしかなかった毎日。ゆとり教育の果てにあるのは、ゆとり社会ではないことだけがわかった。かつては宝だった自分、いつの間にか無価値になっていた。


 きっと、祖父も望という名前をつけたことを後悔したに違いない。そもそも、どういう理由でつけたかも忘れただろう。


 最期は、孫の顔も忘れてしまっていたのだから。


 せめて就職を決めて、社会に必要な人間になれたことを墓前に報告しようと思っていたが、その意志も弱くなってきた。一昨年、大学を卒業し、バイトで食いつなぎながら形だけの資格の勉強を始めた。両親は何も言わないが、呆れ果てているのは伝わってくる。

 なるようにしかならない、慰めとも諦めともとれる想いが望の胸には常にあった。



 雨脚が強くなってきたのか、どの客の上着も随分と濡れている。そこへ、同じシフトに入っているスタッフが膝掛け用のブランケットを補充し始めた。


「早く暖かくなればいいッスよね」


 このスタッフは就職の内定が決まり、四月からは新社会人として働く。望のことは資格を取るため勉強中と認識されているおかげで、蔑んだ態度をとることはない。しかし、その発言一つ一つに、望の心は勝手に波立つ。


 春は嫌いだ。

 強引に心身を高揚させようとするあの雰囲気、やたらピンク色で染め上げる空間。

 まだ、今日のような寒空の雨の方がいい。


 望とは逆に、希望に満ちたスタッフが軽食のオーダーを受け付けた。望は率先してそれらを客の元へ運ぶことにし、カウンターを離れた。逃げたというべきか。

 放置されていたコミック本を書棚に戻しながら薄暗い客席を回り、ペア席の近くに来ると若い女性たちの声が聞こえてきた。やはり、春休み中の学生だろうか。


「そうそう、それでどうしたら良いかな」


「どうしたら良いって、別れる気満々なんでしょ?」


「そうだけどっ!どう切り出すべき?」


 恋の悩み相談にしては楽しそうだった。望は隣のブースをさっさと片付けて、立ち去ることにした。


「だいたい、内定ゼロってダサいんですけど。真美の彼氏は外資系と商社で内定もらったって言ってたのに」


「でも、アンタはそんなダメな彼氏が好きだったんでしょ?」


「けどさあ、職ナシの男と付き合ってメリットある?これからの時代、綺麗ごとじゃ生きていけないよ。アタシが昼も夜も働いてあいつを養うの?だったら、女一人の方がどうにでもなるよ、マジで」


「そこは同感だけどね」


「でも慎重にやらないとさあ、ストーカーとかになられたら困るし」


 望の代わりに、近くでコミックを物色していた若者が舌打ちをした。その途端、女たちは声を潜めて何やら笑っていた。気分を害されたのは、その音量のせいだけではない。彼女らの言い分がどれもこれも刃のように望の心を切り刻む。


 望はカウンターでも客席でも逃げ場所がないことを悟り、トイレ掃除をすることにした。しかし、すぐに他のスタッフに呼ばれ、結局カウンター業務に戻ることになった。


 しばらくすると、騒いでいた女たちがノロノロとブースから出てきた。予想通りの派手な格好だった。寒いというのに、ミニスカートを履いている。しかし、顔は意外にもこざっぱりとしていた。眉毛すらない。それはそれで異様だった。


「サホは今日は入るの?」


「ううん、明日の夕方。ヒカルは?」


「今週は今日だけ」


「何か最近、客入り悪いよねー」


 どうやら水商売か何かをしている二人らしい。その割に小ざっぱりした顔なのはこれから派手に盛り付けるためなのか。どちらの女が恋人を酷評していたかわからないが、望とは縁のない人種には違いない。


 望は女たちのブースを片付けるためにフロアに出た。意外にも食器などはすべて返却口に戻されており、ゴミはストローの袋すら残されていない。人は見た目ではないことくらいわかっているが、これには驚いた。急に彼女らが真っ当な人間に思えてくると、話題に上っていた恋人が本当にダメな男かもしれないと考えが改まった。


 そして、そのまま自分を重ねて望は暗いブースで一人ため息をついた。

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合法ブランクパワー(下記、陣地取りに関する一切の件) ヒロヤ @hiroya-toy

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