【KAC2023②】そらのぬいぐるみ

鐘古こよみ

そらのぬいぐるみ

 二月のカレンダーを破り取って、大事なことを思い出した。

 三月二十日は博人の五歳の誕生日だ。そろそろプレゼントを用意しなくては。


「ヒロ、誕生日プレゼント、何がいい?」

 幼稚園バスを待つ間、見えない敵と戦っている博人に声をかける。

「この間は、恐竜のぬいぐるみって言ってたよね。今もそれがいい?」


 子供は気分が変わりやすいから、買うのは直前が無難だ。三月に入ってからもう一度聞いてみて、それでも欲しいと言ったら決めるつもりでいた。

 案の定、博人は「ううん」と首を横に振る。


「やっぱり、そらのぬいぐるみにするー」

「そらのぬいぐるみ?」

 思わず聞き返して、頭上に広がる青い空を見た。


「そらって、青い空?」

「うーん。あおいけどー、ほかのいろもある」


 バーン、ババーン! と口の中で破裂音を真似している博人を見下ろして、私はちょっと感動した。つい最近まで満足にお喋りもできなかったのに、空の色が青だけじゃないって気付いて、それを教えてくれるなんて。


 バスに乗り込んだ博人とバイバイをして家に戻ってから、私はスマホで検索をかけた。思った通り、空のぬいぐるみなんて、どこにも売っていない。

 恐竜でも結局喜ぶんじゃないかと、ちらりと思った。でも、空は青だけじゃないと教えてくれた時の小さな感動が、まだ胸に燻っている。


 しょうがない。作るか。


 幸い、まだ母親の手作りを喜んでくれる年頃だ。面倒に思う気持ちがないわけではなかったけれど、ネットショップで生地や綿を選んでいるうちに、わくわく感の方が増していった。

 何を隠そう、高校では手芸部に入っていたのだ。本格的なドレスを仲間と一緒に作って、文化祭でファッションショーを開いたこともある。大学ではボランティアサークルに入り、バザーで売るためのアクセサリーや小物を作っていた。

 社会人になってからそんな暇がなくなり、結婚と出産を経た今では、博人の入園時にお弁当用の巾着と手提げバッグを作ったきり、手芸の趣味があったことすら忘れていた。一から何かを作るなんて、本当に久しぶりのことだ。


 数日後、材料が届いた。作業は博人が幼稚園へ行っている間にしかできないから、急いで進めなければ。

 デザインはもう決まっていた。四角いクッション型にして、表側は青い布地に雲や虹や太陽のアップリケを施す。裏側はオーロラ加工の黒っぽい布地にして、銀糸や金糸で月と星を刺繍するのだ。

 細かい作業なんてすっかり忘れたと思っていたけれど、手が覚えていた。

 始めると夢中になり、あっという間に時が過ぎていく。

 こっちの雲には雨を降らせようとか、星の刺繍は星座や天の川の形にしたらどうかとか、作っているうちにアイデアがどんどん湧いてきて、つい本来の目的を忘れそうになった。何かに没頭するのは楽しいということを、久しぶりに思い出した。


     *


 今年度最後の参観日がやって来た。年中さんの博人のクラスでは子供たちが体操をしているところを見たり、親子で触れ合い遊びをして過ごし、お弁当タイムの前に親は帰ることになっている。休み時間に多くの親子がバイバイして離れていく中、博人は私の腕をぐいぐいと引っ張って、どこかへ連れて行こうとする。


「ヒロ、どうしたの? ママ、もうバイバイしないといけないんだよ」

「そらみせてあげる!」

「空?」


 外へ行くのかと思ったけれど、博人は廊下をどんどん進んで、突き当たりの職員室まで来てしまった。出入り口の近くに何かある。銀色の細い格子で組まれた直方体。鳥を飼うためのケージだ。

 ドキッとした。

 止まり木に、雨上がりの空みたいな美しい羽色の鳥がいる。


「そら! ママ、あれがそらだよ!」


 その言葉を聞き、私は勘違いに気付いた。

 そらのぬいぐるみって、空じゃなくて、この鳥のことだったのだ。

 首の辺りには黄色や白の羽毛もあり、確かに青一色ではない。


「あら、ヒロくん。ママを連れてきたの?」


 職員室から園長先生が出てきて、ニコニコと膝を屈める。

 会釈をする私に先生は、鳥の説明をしてくれた。


「このセキセイインコね、綺麗でしょう。知人から譲り受けて、せっかくだから子供たちにも見せてあげたくって、先月からここに置いているんですよ。みんな喜んだんですけどね、ヒロくんは、逃がしてあげないと可哀そうだって。気持ちが優しいですよねえ。人に飼われることに慣れた鳥さんだから、お外では生きていけないのよって話したら、友達もいなくて寂しそうだからって、毎日会いにきてくれてねえ」


 ちっとも知らなかった。博人は、家に帰ると幼稚園のことは忘れてしまうのか、何を聞いても「しらないー」と首を傾げるような、ぼんやりしたところがある。

 でも幼稚園では、そんなふうに自分の考えをしっかりと伝えていたのだ。

 以前、キリンを飼いたいと言い出したとき、キリンはお外で自由にしていた方が幸せじゃないかな……と答えたことがあるから、それを覚えていたのだろう。


「そらって名前なんですか?」

「ええ。子供たちにもアイデアを出してもらって、ついこの間、決まったんですよ」

「ぼくも、そらにした!」


 誇らしげに教えてくれる博人に、そうなんだ、と頷きながら私は、むなしいようなホッとしたような、なんとも複雑な気分になっていた。

 勘違いに気付けて良かった。全く違うプレゼントを渡してしまうところだった。

 家に帰ったら、すぐに検索しないと。

 セキセイインコのぬいぐるみなら、たぶん、どこかのショップで買えるだろう。


     *


 包みを開けた途端に博人は、そらだ! とはしゃぎ声を上げた。

 黄色い首につぶらな黒の目、青々とした翼。

 幼稚園のそらにそっくりなセキセイインコのぬいぐるみを、両手で持ち上げて「ぶーん」と空中移動させる。

 いや飛行機じゃないんだから、とパパが笑う横からおずおずと、私は自作の空のぬいぐるみを差し出す。


「ヒロ、これ、ママが作ったんだけど……」

「なあにー? あ、おそらだ!」

「うん。空のぬいぐるみだよ。良かったら、これもどうぞ」

「やったあ! そらとそら!」


 博人がさっきと同じように喜ぶのを見て、あれ、と私は拍子抜けした。

 こんなのいらないって言われるかと思ったのに。

 作ったのか? すごいなあ。と、横でパパが呑気に感心している。

 

「ママ、上手だなあ。ヒロのために頑張ってくれたんだな」

「うんママじょーず」


 博人はもう遊びに夢中になっていて、鳥のそらを青い空に飛ばしたり、裏返して夜空の上で「おやすみなさーい」とやったり、すぐに裏返して「あさだ!」と叫んだり忙しい。その楽しげな様子に、参観の日に感じた虚しさは胸の中で溶けていった。


 勘違いして、良かったのかも。


「ママ、そらがそらとんでるよ!」

「本当だ」


 私は笑ってケーキを頬張った。

 次は何を作ろうと、自然に考えていた。



<了>

 


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