禁断食堂へようこそ

佐倉有栖

禁断食堂

 七月の初旬にもかかわらず、息苦しいまでの熱風が町中を包み込んでいた。照り付ける太陽がジリジリと肌を焦がし、アスファルトからは湿った熱気が立ち上ってくる。上からも下からも、逃げ場のない熱にため息が出る。

 カバンの中で振動するスマホを取り出せば、友人から他愛のないメッセージが送られてきていた。適当に返事を打ち、左上に表示された時刻を確認する。

 お昼にはやや遅く、おやつにはまだ早い、ちょうど中間の時間だった。

 今日は起き抜けにコーヒーを一杯とクラッカーを一枚つまんだだけで、他はミネラルウォーターくらいしか胃に入れていない。おなか自体は空腹を訴えているのだが、いかんせんこの暑さだ、食欲はない。

 それでも、ボーっとしてくる頭がエネルギーの枯渇を必死に訴えてきている。

 何か食べなくてはいけない。あまり重たくなくて、サラっと食べられるものが良い。いくつかの候補が浮かぶが、これだというものがない。

 どうしようかと考えていると、食堂と書かれた看板を見つけた。

 夏の熱気で、風景が歪んでいる。息苦しいほどの湿度に茹だった頭が、食堂以外の言葉を認識する前に、体が自然と吸い寄せられた。

 銀に輝くノブを掴み、押し開ける。ヒンヤリとした冷気に人心地つくと同時に、鈍っていた頭がようやく回転し始めた。


「いらっしゃいませー!」


 爽やかな声に、先ほどまで見ていた看板の文字が重なる。


禁断コピペ食堂へようこそ!」


 禁断と書いて、コピペと読む。そんな不思議な食堂の中は、どう見ても書店だった。

 壁一面に並んだ本棚は天井まであり、全ての棚にぎっしりと本が詰まっていた。文庫本から単行本、大型のハードカバーから豆本まで並んでいる。背表紙を眺めれば、日本語はもちろん、多種多様な言語がそろっていた。冷たい空気を吸い込めば、インクと紙のにおいがした。

 ポッカリとあいた中央部に申し訳程度にテーブルと椅子が並んでいるほかは、食堂らしいところはない。入口以外の三辺は全て本棚で埋まっており、ゲーム顔負けの隠し部屋でもない限りは、この部屋しかないことになる。見た限り、キッチンの類は見当たらない。奥に見える長机の上には真新しいレジが乗っているのだが、ちょうど数週間前に駅前の書店で見たレジにそっくりで、余計に食堂の言葉に違和感を抱く。


「ここ、本屋ですよね?」

禁断コピペ食堂だって言ってるでしょ」

「コピペ?」

「コピー&ペーストの略よ。コピペって言うでしょ?」

「それは……言います、けど……」


 ね、言うでしょ? と満足げに微笑むのは、年齢不詳の男の人だった。白いワイシャツに紺のスラックスとベスト、胸元ではループタイが揺れ、ターコイズ色の石がキラリと光っている。パッと見は三十代くらいに見えるが、幼さの残る顔立ちは二十代にも見え、老獪さが見え隠れする眼差しはもっとずっと年上にも見えた。


「さあさ、そんなところでボケっと立ってないで座りなさいよ」


 低音に似合わない、しっとりとした女性のような口調だった。

 促されるままに椅子に座れば、透明なグラスが置かれ、水が注がれた。


「なにが食べたい? なーんでも、お望みのものを作ってあげる」

「あの……メニューは……」

「そんなのないわよ」


 かなり昔、客の注文に合わせて即席で料理を作るレストランに行ったことがあるが、かなり値が張ったと記憶している。ディナーとランチの差はあるにしても、そこまでお財布に余裕があるほうではないこちらとしては、余計な出費は痛い。かと言って、席に座ってしまった以上はこのまま帰るという選択肢は選びにくい。

 お財布に優しく、なおかつ胃にも優しい料理。


「うどん……なんて出来ますかね?」

「うどんー?」


 不満げな様子に、ヒヤリとしたものが背筋を伝う。

 真昼間だし、一応は食堂だしと安心していたのだが、もしかしたらナッツ一袋に数万円取られるようなお店かもしれない。テーブルの水も、コップ一杯数千円から数万円を請求される可能性もある。手を付けずにいたほんの数分前の自分のことを誉めてあげたい。


「出来るか出来ないかで言ったら、出来るわ。でもあなた、もっとガッツリしたもの食べたほうが良いわよ! 例えばステーキとか」


 脳内に、ジュウジュウと音を立てるステーキの映像が浮かぶ。ホカホカとした湯気とともに広がる濃厚なニンニクソースの香りを思い出し、うっと喉の奥で呻いた。夏バテ気味の今は、もっとアッサリとしたものが食べたい。それに、こんなお店でステーキなど頼んだらゼロが幾つつくのか分かったものではない。


「私のおススメは、レッドスカイファイアードラゴンのお肉ね」

「はい?」


 突然のファンタジーな言葉に、目を丸くする。前半部分はよく聞き取れなかったが、ドラゴンという一言は分かった。


「レッドスカイファイアードラゴンよ。英知と勇気を象徴していて、勇者の剣でしか斬ることのできない硬い鱗に守られているのよね」


 男性がクイと人差し指を動かせば、棚の中から一冊の本が飛び出してきた。背表紙には金文字で「ウィスティリア・ネームレス」と書かれている。ふわふわと宙を漂っていた本が男性の手に収まると自動的にページが捲れていき、真ん中ほどで止まった。

 細長い男性の指先が、文章をなぞるように上下する。その指の動きに合わせて、黒い文字がペロリと剥がれると宙に浮かんだ。


【アークの一撃が、レッドスカイファイアードラゴンの鱗を砕き、柔らかな肉を断ち切った】


 その一文のの文字を男性が撫でると、ピンク色の塊肉へと変わった。肉以外の文字が崩れ、砂粒のようになって消えていく。


「うん、おいしそうなお肉ね。味付けはどうしようかな……」

「えっ……えっ……?」


 こちらは何も理解できていないのに、男性の思考はすでに肉から離れているらしく、あれこれとソースの名前を呟いては、もっと良い味はないかと考え込んでいる。

 宙に浮かんだ肉が、プルンと震える。鶏肉に近い淡い色をしており、見た目的にはかなり柔らかそうだった。


「な……なんで文字がお肉に……」

「やあね、肉の文字をコピーしてペーストしたんだから、お肉ができるのは当然じゃない」

「当然じゃないって言われても……」

「そうだわ。おろしポン酢にしましょう! 見た目も華やかに天の川を使って、口の中で弾ける感じも出せたら楽しいわね」


 次から次へと本が宙を舞い、文字が浮き上がる。


【最後にポン酢を一回しすれば、懐かしいあの味に出会える】

【吹き降りてくる六甲おろしの冷たさに、牧長は首をすくめるとコートの襟を立てた】


「思い出のポン酢に、冷たいおろし。これを合わせれば良い味になると思うのよね」

「おろしポン酢のと、六甲おろしのは違う意味だと思うんですけど」

「大丈夫。六甲おろしのでも、ポン酢とくっつければちゃんとおろしポン酢になってくれるんだから」


【雨雲がゆっくりと流れていき、天の川が眼前に広がった】

【俺の撃った弾丸は真っすぐにその男の胸にあたり、鮮血が弾けた】


「希望の天の川に、鮮やかな弾け……」

「ちょちょちょ、不穏な文章を選ばないでくださいよ!」

「大丈夫よ、味はないから。口の中でソースが弾ける感じに使うだけだから!」

「何も大丈夫じゃないですよ! 鮮血が弾けるってこういう感じなんだなって、お肉食べながら思いたくないです!」

「もうっ、我儘ねぇ。それじゃあ、こっちの弾け方にしましょうか」


【見上げた夜空で、大輪の花火が弾けた】


「焼き方はそうね……火の妖精にお任せしましょう」


【ミリルの願いを聞き入れ、火の妖精がかまどに舞い降りるとパンを焼き始めた】


 全ての言葉が物となり、合わさって美味しそうなステーキが出来上がる。

 男性がどこからか取り出した真っ白なお皿をステーキの下に置けば、スルリとその上に乗った。爽やかなポン酢の香りが広がり、ジュウジュウと肉の焼ける良い音が響くが、ある地点を境に匂いも音も文字へと変わると砂のように崩れてしまった。


「文字から作った料理は、いずれは文字に返るの。音とか匂いは広がりを持つから、ある程度本体から離れると文字に戻っちゃうのよね」


 ジュウジュウという文字が、徐々に小さくなっていく。小指の先ほどで漂う文字をつつけば、儚く消えてしまった。


「飲み物はレモンスカッシュにしましょうか。青春の淡いサイダーに、初恋のレモン、ハチミツは優しいものを」


【不意に頬に押し当てられた冷たさに驚いて振り返れば、凛子がサイダーを差し出してきた】

【今年も見事に実ったレモンを見上げながら、いるはずのない彼女の姿を探す】

【切った大根と蜂蜜を保存容器に入れて数時間待てば、子供のころに母がよく作ってくれたハチミツ大根が完成する】


 グラスに蜂蜜を少々垂らし、続いてパチパチと弾けるサイダーが注がれた。最後に、宙に浮かぶの文字をギュっと親指と人差し指でつぶせば、果汁がしたたり落ちてきた。

 潰れたの文字が、絞り終わった後のレモンへと変わる。しばらく宙を漂い、再び潰れたの文字に変わると、崩れて消えてしまった。


「ほら、温かいうちに食べちゃいなさい」


 促されるまま、お皿の横にセットされたナイフとフォークを取った。

 文字から生まれたものだとは思えないほどにリアルなステーキに、夏バテで萎えていた食欲が膨らんでいくのを感じる。ゴクリと喉を鳴らし、ナイフの刃先を肉にあてる。ナイフの重みだけで切れた肉の断面は中心が鮮やかな桜色で、見事なミディアムレアだった。

 かかっていたソースがトロリと流れ、煌めく星々が蛍光灯の明かりを反射する。天の川のソースは深い藍色で、口に入れるのを躊躇するような色をしていたが、漂ってくるのはポン酢のさわやかな香りだ。

 断面にたっぷりとソースをつけ、口に入れる。舌の熱で溶けだす肉の脂が、星が弾けるたびに広がるおろしポン酢の味に包み込まれていく。ねっとりと絡みつくような濃厚な肉の味と、鼻に抜けるポン酢の酸味がよく合っていた。

 熱で溶けだす感触とポン酢が弾ける食感をまた体験したくて肉を切るが、舌に広がる味を飲み込むのが惜しくて、まごついてしまう。変なタイミングで飲み込んだせいで喉に引っ掛かり、むせながらレモンスカッシュに手を伸ばす。

 喉を通り過ぎる炭酸がすべてを洗い流し、ほんのりとした甘みとキリリとした酸味が口の中を支配する。口内に広がるレモンの香りが心地よく、思わず目を閉じる。

 しかしすぐに鼻孔を肉の匂いがくすぐり、ステーキにかぶりつく。至福の味が消え去る前に、レモンスカッシュを口に含む。弾ける炭酸とレモンの酸味に、再び肉への気持ちが高まっていく。

 一心不乱に肉を切り、口に入れ、レモンスカッシュで流していると、あっという間に食べ終わってしまった。お皿に残った僅かな天の川のソースもフォークの先でとり、舌先で味わう。


「こんなに美味しいステーキ、初めて食べました」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも、空腹は最大の調味料っていうくらいだからね、あなたの心の栄養が枯渇してたんじゃないかしら」

「心の栄養?」

「本は心の栄養って、聞いたことあるでしょう? ここで食べたものは、元は文字だからね、全部心の栄養になるのよ。今はお腹いっぱいかもしれないけれど、しばらくすればまた文字に戻って消えてしまうから、体の栄養になるものを食べなさいね」


 ニコニコと人の好い笑顔を浮かべ、男性が空いた食器を宙に投げる。食器たちはある程度の高さまで到達すると、ふっと姿を消した。文字になって崩れるということはなかったため、手品を見ているような気持だった。


「えっと……それで、お会計は……」

「あぁ、お会計ね。なんだかんだ、私が全部決めて食べさせちゃったようなものだし、今回はお試しってことで、お会計はナシで良いわ。でも、次に来たときはしっかり払ってもらうわよ」


 突然の申し出に恐縮しながらも、手持ちの少なさを思い出して厚意に甘えることにした。その代わり、次に来るときは財布をきちんと膨らませておこうと心に決める。


「あの、もう一つだけ聞きたいことがあるんですけど」

「なあに?」

「レモンが出てきた本のタイトルを教えてほしいんですが」

「あら? もしかして、あのレモンの味気に入ったの?」

「はい」


 男性の人差し指に呼ばれて出てきた本が、ふわりと手の上に乗る。表紙にはどこまでも続く果樹園が描かれており、実ったレモンの黄色が鮮やかだ。

 クエンの約束という赤文字を指先でなぞり、何度も心の中で復唱する。


「良かったら、その本買っていく?」

「えっ、買えるんですか?」


 驚きに顔をあげれば、悪戯っぽく微笑む男性と目が合った。


「もちろんよ。こんなに本があるんだから、売ってるに決まってるでしょ。食堂と書いて、書店とも読むんだから」

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