シャドウバスター翔(カケル)
石田宏暁
テーマ〈ぬいぐるみ〉
「いったいあんたは誰なんだ!」
固い鎖に縛られた茶髪の青年がさるぐつわを外したとたんに叫んだ。そう、<シャドウバスター・アユミ>の十二巻のシーンを再現しているのだ。
悪の組織に捕われた青年住職カケルが元仲間であり親友のはずの〈ぬいぐるみ〉デッドリー・ベアに拷問される場面である。
「貴様が宝珠を隠しているのは分かっている。ヴァンパイアの組織にも狼男たちにも渡さない。あの宝珠は我々デーモン族のものだ」
「……知らない。頭でも打ったのか」
「ふっ。あくまでしらを切るつもりか?」
幼いころからベッドを共にした小さな〈ぬいぐるみ〉であり、彼のアドバイザーだったデッドリーベア。それが二メートル以上に膨れ上がり左の目はほつれ、生地は抜け落ち、過去の面影は消え、ホラーな怪物と化していた。
不気味にゆらめく古びた生地と染み付いた匂いが哀愁と同時に、カケルを恐怖を駆り立てる。コアな読者なら分かるはずだ。身近な存在の奇行こそが真の恐ろしさを醸し出すことを。
「さあ、貴様の知っていることを洗いざらい話してもらおうか。このナイフで指先から切り刻まれたくなかったらな」
「ひ、ひいいっ。なっ、なにを知りたいんだ」
「まずは戦場で貴様が経験したことをいえ!」
「そ、それは……言えない。絶対に言えないんだ」
「フハハハ! 愚か者めっ、貴様の大事なアユミがどうなってもいいと?」
話は三日前に戻る――。俺の経営する〈体験型電子書籍販売店・凰文堂〉の事務所を訪れた女性がいた。まだ非公認の自転車操業中のバーチャル書店ではあるが、これがネット社会の口コミの強さであろうか。
二十代後半、セミロングにグレーのスーツ姿の目鼻立ちのいい女性。俺の目の前に彼女の顔があった。心配そうに俺の顔をみつめてきた。俺はこの坂本萌花の眼球を見つめ返した。
坂本萌花はゆっくりとまばたきをした。その一瞬がとてもゆったりとしたものに見え、引き込まれる。真っ白な肌に持っていたまばゆい名刺には、新都心にある有名なカウンセリング事務所の名があった。
「PTSDといわれる病なんです」彼女は知ったようにいった。「とにかく、あの戦争から戻ってから得意の料理も一切せず、独り言をブツブツいってるんです。きっと酷い目にあったんだと思います」
俺にはまったく無縁だった北部の戦争へ彼女の兄は行ったらしい。三ヶ月のあいだ料理人として支援部隊に加わったのだ。その間にいったい何があったのかは、よく分からないという。
「でも、支援部隊なんですよね」古びた事務所で薄いお茶を差し出して俺は聞いた。「最前線で死体を見たとか、命からがら逃げてきたってわけじゃないんでしょ」
「それが分からないんです! 戦争なんだから何があっても仕方ないとは思いますけど、何も話してくれないんです」
「やだな……重い話になりそうだな」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。もっとも、プロのカウンセラーが俺の手を借りたいというならやり方に口出しはしないでいただきたいですね」
「プロ……え、ええ。なんせ身内のことになりますので、こうやって別の方にたよるしかなくて。他のカウンセラーに依頼するわけにもいきませんし」
整ったセミロングに手入れされた肌のいい女ではあるが、なんで女性ってのは同じことを何度もいうのだろうか、はっきりいって苦手である。
それも知ったように。彼女にいわせれば何もかもが〈戦争〉なんだから〈戦争〉が原因で〈戦争〉のトラウマで……。俺はもっと具体的な中身を知りたいと思ってるのに。
「そうですね。食事しながらだと、人は険悪にはならないらしいですよ。ほら、食べながら喧嘩なんか出来ないでしょ」
商談や交渉時に御菓子や昼食を利用するのはごく一般的な話だ。人間という生き物は栄養源を摂取しながら嫌悪感を吐き出すほど器用には出来ていないらしい。
「それなら試しました」
彼女の実家から二駅はなれた高層マンション。昔から兄妹でよく食べたもんじゃ焼きと奮発して高級なステーキ肉を持って兄の部屋のチャイムを鳴らした。
『……あ、ああ、萌花か』
「ご飯を持ってきたわ。久しぶりに鉄板で一緒に食べようかと思って」
『ひっ!』
「どうしたの」
『こ、怖いんだ。怖いんだよ、聞こえる。あいつらの苦しみ悶える声が……』
「何よ。話だけでも聞かせてよ」
『で、できるもんか。それを持ってさっさと帰ってくれ!』
ステーキ肉かもんじゃ焼きの匂いか、あるいは鉄板か、結局は分からないまま。兄は彼女の差し出した食材を前に頭を抱えて部屋に逃げていったという。
「ずいぶんと重症だね」余った食材を食いながら彼女と俺は相談していた。「帰ってきたときより酷いかも。やっぱり戦争で恐ろしいものを見たのね」
「同じ支援部隊にいた知り合いは何か教えてくれなかったのかな」
「上層部が揉み消したのよ。事実は闇のなかよ」
いったい支援活動部隊で何があったらそれほど臆病になるのだろう。そんな謎を残したまま俺のカウンセリングは始まっていた。
実際の彼は寝ている間に自室のベッドで縛り付けられ、萌花に無理やりヘッドギアをつけさせられている。バーチャル空間の拷問小屋が舞台だ。
「ひ、ひいいい!」
恐怖に支配され歪む彼の顔をのぞきこむと、俺はゾクゾクせずにはいられなかった。食材に贖罪。トラウマにトラウマを。恐怖に恐怖をぶつければ、人間は過去の自分と向き合うしかできなくなる。
ああ、神様ありがとう。彼を拷問させてくれて――俺は本気で彼と向き合うことが出来て嬉しかったのかもしれない。
「フハハハ! 全部ぶち撒けて楽になれ。大事な大事なアユミは俺が始末してやる」
「す、少しだけ分かってきた。実名を濁して……アユミっていうのは萌花のことなんだな。くそっ、話すよ、全部はなす」
北部戦線で二ヶ月がたった頃だった。第四部隊との合流で夕刻までに百四十人分の飯を用意しなければならなかったらしい。
だが食材の肉からは異様な匂いがしていた。寒い国だからまだまだイケるとおもっていたのに、全部腐っていたのだ。
仕入れと管理を任されてしばらくたっていた。そのとき彼は勝負にでた。道半ばで引き返すことが出来ない程、あまりに若かったのだ。
「よく火を通せばいけると思ったんだ。それにスパイスで」
「ああ、よく分かる。まだまだイケる気がするっていうのは誰もが通る道だ」
「……そして、みなの苦しみ悶える声、吐瀉物の匂いと罪悪感が、いまも耳から離れないんだ。怖いんだ」
もんじゃ焼きとステーキ肉は最悪の組み合わせだったのか。バーチャル空間で縛り付けられる彼をナイフと拳でボコボコにしてから俺はある名言を残した。なにか言わないと格好がつかないと思ったからだ。
「フハハハハハハ!」デッドリーベア(俺)は肩を揺らしていった。「俺様がひとつアドバイスをしてやろう」
食べる前に、飲む――。
「これはある有名な役者が何かのキャッチコピーでいった言葉だが、まだ胃がムカついてもいないし、酔ってもいない健康状態で薬を飲めという無茶苦茶な話なのだ。この画期的な言葉の意味がわかるか?」
「……なんとなく」
健康な人間が薬を飲むのだから、不健康な人間と合わせて売上が二倍になるという意味だ。俺は幼かったころ、この大発明に度肝を抜かされた。これを聞いて、彼が健康になってもリピーターになってくれるとありがたい。
「あんたは確か、子供のころみたアニメに出てきた〈ぬいぐるみ〉だろ」いつしか落ち着きを取り戻した彼はゆっくりと話しはじめた。
「他の人間の言葉だったら何も感じなかった。でも幸せだった頃のマスコットが化け物の姿で僕を正しにきたっていうなら、もう一度やり直せる気がしたんだよ。何か起きる前に薬を飲めばいい――そうだ、できることから始めればよかったんだな。ありがとう」
「……分かってくれればそれでいい」
後日、萌花さんは菓子折りを持って事務所へ正式にお礼にきた。実際のやりとりを聞きたいといわれたが、やりかたも報告書も書かなくていいという条件だったのでこういった。
「やはり戦争というのは恐ろしいですね。原因は、よくいえばPTSDってやつですかね」
「ありがとうございました。兄はすっかり元気になりました。また仕事でも協力できることがあったらいつでも声をかけてください」といって笑った。
俺は恐怖に歪んだ彼の顔が笑顔に変わった姿を想像した。毒をもって毒を制す。俺が拷問すればするほど、またひとりの人間が解放されたような気がした。
なぜか泣きたくなったが、どうしてかは分からなかった。
END
シャドウバスター翔(カケル) 石田宏暁 @nashida
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