間(はざま)の本屋さん-異世界本屋、禅慈堂商売帳-

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 世の中の本屋の一番忙しい時間帯は、夕方の5時頃らしい。世間一般、全ての本屋がそうであるかは知らないが、少なくとも俺の友人が働く大手本屋はそうであるらしい。


 俺はレジの向かいの壁にかけられた時計を眺める。5時半少し前……レジの在高計算の時間だ。


「えーっと……帳簿帳簿……」


 時代錯誤もはなはだしい三畳間のレジスペースの中をゴソゴソと漁る。1日2回、5時半と閉店時の在高結果を書き付ける売上表は、畳の上に山と積まれた本の下に埋もれていた。


 ここに積まれた本は、全て俺が読んだものだ。今日もよく読んだものだと感心する。


 俺は今月のページを開くと、レジを開くことなく数字を書き付けた。今日でもう2月も終盤に突入した。1日から並ぶ数字は全部同じだ。


 思わず、溜め息が出た。


「俺の今月のバイト代、ちゃんと出るかな……」


 今月も、先月も、ついでにその前の月も、上から下まで帳簿を埋める数字はゼロ。立ち読み客は多かれども、レジに金を持ってくる客は一人もいない。


 俺はもうひとつ溜め息をつくと帳簿を投げ捨てた。三畳間の中、座布団をふたつ並べた上に足を投げ出し、積み上げた本を枕にひっくり返る。


 手を伸ばせばどれを取っても自分の好きな本。先のことを心配しても意味がない。今はこの、読書家にはたまらなく幸せな空間を満喫した方が得だ。


「オメェがそんなだから、まともな客が寄ってこないんじゃないかい? うん?」

「……そう言うなら金落としてってくれよ」

「やなこった」


 店の中にいる客はどいつもこいつも常連だ。朝から晩までこの本屋で立ち読みをしている。この店の唯一のアルバイトである俺は必然的に毎日彼らと顔を突き合わせているわけで、嫌でも彼らとは親しくなってしまう。


 俺はチラリと顔の前に広げた本の下から店の中に視線を走らせた。だがこちらに顔を向けているヤツはいない。どいつもこいつも立ち読みに必死だ。誰が先程の言葉を口にしたのか分かりゃしない。


 それでも俺に向けられた言葉は続く。


「大体よ、ハルセ。俺らが金払えるわけねぇだろうがよ」

「何でだよ」

「だってよ、俺らは……」


 チリンチリンッ……


 俺への言葉が途切れた。しばらく聞いていなかった音に俺も思わず顔を上げる。


 ドアに結わえつけられた小さな鈴が、その小ささに似合わず大きな音を立てていた。ドアの前には小さな女の子が戸惑い顔で立っている。ドアが開いた気配はなかった。だがそれはいつものことなので俺は全く気にしない。


「いらっしゃい」


 久しぶりの新顔さんだ。そのことに驚いた俺はほうけた顔のまま女の子に声をかける。


 だが俺以上に驚いたのは、声をかけられた女の子の方だった。ビクッと肩が震え、大きく見開かれた黒目がちな瞳が俺に向けられる。


「お兄ちゃん、あたしのこと、見えるの?」

「客が見えなかったら、商売にならないだろ?」

「でも、だって、あたし……」


 女の子はすごく苦しそうな表情になるとうつむいてしまった。よく見ればその手の中には可愛らしいがま口財布が握られている。


 ……何か明確な探しモノがあって、それを買う前に……っていうところか。


 俺はアタリを付けると体を起こした。それに気付いた女の子がまたビクリと肩を跳ね上げる。


「何を探してるの? 絵本? それとも、漫画かな?」


 なるべく愛想良く聞こえるように心がけたつもりだったが、それでも女の子にはまだ不愛想に聞こえたようだ。女の子が俺から距離を取るようにジリッと足を引く。


 ……ちょっと……いや、かなり、ショックだった。


「お嬢ちゃん、何を買いに来たの?」


 俺が体勢も表情も変えないままショックを受けていることに気付いたのか、それとも俺が対応していたのではらちが明かないと思ったのか、珍しいことに客の一人が本を棚に戻して女の子に近付いていく。


 いつも店の角のラノベ棚で立ち読みをしている女子大生だ。脚立の上に陣取って、いつも店内を見下ろすようにして読書に勤しんでいる。


 俺は彼女のことを内心で勝手に高子たかこさんと呼んでいた。高い所が好きだから、高子。安直だが、そのままだからこそ覚えやすいネーミングだと思う。


「大丈夫、何でも言ってごらん。このお兄ちゃんはね、愛想はないけど、とっても優秀だから」


 高子さんは女の子に視線を合わせて膝を折るとにっこり笑った。上下ジャージ姿で中に着ているのはキャミソール、足元は健康サンダルという実にズボラーな格好だが、高子さんはとても女性的でやわらかな顔立ちをしている。優しく微笑む姿は聖母マリアのようだ。格好があれだが。


 そんな高子さんに警戒を緩めたのか、女の子はそっと顔を上げた。


「……ゆうしゅう? あいそ?」

「そ。ちょっと怖い感じがするかもしれないけど、探してるモノ、絶対に見つけてくれるよ」


 ……ちょっと怖いとか、愛想がないとか、あんまり言わないでもらいたい。


 おまけに『絶対』とか、根拠もないのに保障されても困る。俺は青いネコ型ロボットじゃない。ただの一介の書店アルバイターだ。探しモノがこの店になかったら用意できないっていうのに。


「ほんと?」


 だが俺がその言葉を否定することはなかった。


 正確に言うならば、できなかった。ようやく女の子が俺のことを怯え以外の目で見てくれたからだ。


「ほんとよ。ね、何を探しているの?」


 俺が口ごもっている間に高子さんは勝手に話を進めてしまう。……後で文句を言ってやらなくては。


 だがその前に久々に来たまともな仕事を片付けなくてはならない。


 俺は体を起こすと、読みかけの本にしおり代わりのメモ用紙を挟んだ。


 俺は何でも屋ではない。ましてや未来から来たとっても便利な青いネコ型ロボットでもない。


 でも、この店の、この三畳間のレジを預かる書店アルバイターではある。この店に来た客の要望を叶えるのは俺の役目だ。


「あ、あのね。おっきくて、立派なご本なの。絵がいっぱい書いてあって……」


 だがいざ女の子の話を聴いてみてもさっぱりどの本を探しているのか分からなかった。かろうじて立派な装丁の図鑑だということは分かったが、この店に置いてある図鑑を全部積んでも女の子が探しているモノは見つからない。


「せめてなぁ……タイトルが分かれば、探しようもあるけど……」

「この、グズ」

「るっせぇな……。検索システム上、タイトルか作者かISBNコードが分かってねぇとどうにもなんねーんだよ」


 俺はマウスをクリックしながらじとっと高子さんをにらみつける。


 ちなみにこの本屋はどこもかしこも古風なくせに、在庫管理だけはオンラインで行われている。


 謎だ。他に支店があるとかオンライン通販をしているというならばこの方法も便利なのだろうが、この本屋に支店があるとかオンライン通販部門があるとかいう話は聞いたことがない。


「あんた本屋の店員なんだろ? 本屋の店員のくせにどうして分かんないのさ」

「本屋だからって本について何でも知ってるとか思ってんのかっ!? 世の中、年に何冊新刊が出てると思ってんだよっ!? 全部把握できるわけねぇだろっ!!」


 友人も言っていた。本屋の店員に訊けば分かるだろうと高をくくって、タイトルさえ調べてこないヤツは意外に多いと。


『新聞に載ってたあれだよ、あれっ!!』という言葉で通じると思ったら大間違いだ。本屋のバイトだってただの一学生。社員ならばともかく、たかがバイトが興味もない本のことを一々覚えているわけがない。


 そもそも、今朝の新聞ってどこの新聞だよ。あんたんトコが取ってる新聞を俺も取ってると思ったら大間違いだ。『なのにどうして俺が『本屋の店員のくせに』って怒られなきゃなんねぇんだよ意味不明っ!!』と、友人はよく愚痴っている。


「どうしよう……」


 無茶を振る高子さんとそれに反発する俺。それを見て自分の探しモノはやっぱり見つからないと思ったのか、女の子はじんわり瞳を潤ませながらうつむいた。


「ようちゃんに、ごめんなさいって言えない……」

「ようちゃん?」


 思わず俺がその名前を呟くと、女の子はこくりと頷いた。


「そのご本、ようちゃんにあげるの。あたし、ようちゃんの大切なご本をよごしちゃって……」


 ひっく、と、肩が揺れる。


 つらいなら語らなくてもいいのにと俺は思うのに、女の子は語ることをやめない。


「ようちゃん、そのご本をたんじょうびプレゼントでもらったって言ってたの。とってもとってもうれしかったって。ぜったいはなちゃんも気に入るから、かしてあげるって。あたし、ずっとそのご本がよみたくて、うれしくて、おうちに帰るまでがまんできなくて、歩きながらよんでたら、水たまりの上でころんじゃって……」


 俺は三畳間の下に脱ぎっぱなしにしてあった草履ぞうりを引っかけると女の子の前に立った。高子さんの隣に、高子さんと同じようにしゃがみ込む。


「ごめんなさいって言ったけど、ようちゃんはゆるしてくれなかった……ゆるさない、べんしょうして! 同じもの買ってきて! って。だから、あたし、あたし……」

「……その本が見つかるまで、死んでも死にきれないってことか」


 この女の子は本そのものに執着しているわけではない。


 謝りたい。仲直りしたい。


 その一念だけで、ここにいる。


「……なぁ、聴いてただろ?」


 何度も言うが、俺はしがない書店アルバイター。仕事は本を売ること。それ以外は俺の仕事ではない。未来から来た青いネコ型ロボットのように何でも便利道具で解決できるようなスキルはない。


 でも、この子の力には、多少はなってあげられるはずだ。こんな小さな女の子をこのまま突き放すことなんてできないし……


「手ぇ貸してくれよ、じゃめさん」


 本に寄せるお客さんの心を大切にすることも、書店アルバイターの仕事だと思うから。


 俺は膝を伸ばすとフロアに足を向けた。目指す人物は『精神世界』の棚の前にいる。


「……吾輩の名前は『蛇目』と書いて『じゃのめ』と読むのだがね、ハルセ」


 俺が近付いてくれるのを視界の端で捉えたその人は、パタンと本を閉じると笑みをたたえた視線を俺に向けた。上から下まで墨汁を垂らしたかのように真っ黒なのに、道化師のような笑みを浮かべる瞳だけが赤い。


「この子は実際にその本を一度手にしてんだ。あんたんトコの蔵書を調べれば、どの本探してんのかはっきり分かるんじゃねぇのか?」

「分かるかも知れないね? でも、分から無いかも知れないよ?」

「やってみる価値はあるだろ」


 蛇目じゃのめは緩やかに首を傾げた。年代物のインバネスコートがその動きに合わせてふわりと揺れる。その裾がサラリと俺の足元に触れた。


の程度の事で、吾輩が動くとでも?」

「動くね」


 この本屋に集まる者は皆、本に特別な思い入れを持っている。本が好きで、本を読むことが好きで、そして本が好きな人間も大好きだ。


 人間そのものは嫌いでも、本が好きな人間は別。その人が本に関することで困っていたら放っておけない。


 その気性は常連の中でも一際気難しいこの男にも通じるものだ。現に俺達の話に集中していたのか、俺が声をかける前からページを繰る手が止まっていた。


 蛇目が断るはずがない。ここで断るくらいならば、蛇目は俺が何と言おうとも何をしようとも、顔を上げることなく立ち読みを続けたはずだ。


 だが俺は念には念を入れて、蛇目が動いてくれるように保険をかけることにした。


「お代に、その本持ってっていいから」

「吾輩の記憶力が良い事は君も承知の上だろう? ハルセ。読み終わった本には用は無いのだよ」

「でも、あんたその本好きなんだろ? ここに来るたびに読んでるじゃないか」


 俺の言葉に蛇目は大きく紅の瞳を見開いた。


 まさか俺が気付いていないとでも思っていたのだろうか、失礼な。店員としてこれでも店内にはきっちり目を配っているんだ。来店のたびに同じ本を手にしていれば嫌でもそれがお気に入りなのだろうということくらい分かる。『一度読んだ本は完璧に記憶して居る』と豪語する蛇目ならばなおさらだ。


「……ふむ。其う言うのならば、有難く頂戴して行こうか」


 蛇目は手の中にあるハード本にいとおしむように指を滑らせると俺の横をすり抜けていった。ヒラヒラと足元まで丈があるインバネスコートをひるがえしながら女の子に近付いていく。


「御嬢さん、生まれた日と御名前を教えて貰えるかな?」

「……はな。うえの、はな。むずかしい方の、『はな』だって、お母さんは言ってた。たんじょうびは、三月四日」

「弥生四日生まれの上野華嬢。……ふむ。少し待って居給え」


 怪しさ満点の蛇目が相手だったが、女の子は素直に名前と誕生日を口にした。多分、幼いながらも蛇目が協力してくれるということが分かったのだろう。


 そう思わなければやるせなくなってくる。俺は最初、とっても警戒されたのに……


 俺がそんなことを思っているとはつゆ知らず、蛇目はひとつ頷くと女の子の横をすり抜けて店から出ていった。蛇目がドアを開いた先に見えたのは、店表の道路ではなく広いホールに書架が配された図書館の一室だった。これはいつものことなので気にしない。


「……おい、猫問ねことん


『毎度のことながらどういう仕掛けになってんだ?』とドアを見つめたまま首を傾げつつ、もうひとつやることがあることに気付いた俺は無造作に声を放った。俺の背後をコソコソと通り過ぎようとしていた小柄な影がビクッと肩を揺らして硬直する。


「じゃめさんが帰ってきたら、次はあんたの番だからな。逃げんなよ」

「お……俺に見返りは……」

「ざけんな。散々ツケ溜まってんだろ」


 ディアストーカーを目深に被ったその影は、俺の言葉にしおしおとうな垂れる。手にしていた文庫本を惜しそうに棚に戻している辺りから察するに、おそらくあの本を見返りとして要求するつもりだったのだろう。……お前も好きだもんな、その本。


「……あのおじちゃん、どこに行ったの?」


 一人何が起きているのか分かっていない女の子は、説明を求めるように高子さんを見上げる。そんな女の子に高子さんは微笑みを返した。


「あの人はね、『記憶図書館』っていう、世界の記憶を所蔵してる図書館の司書さんでね。今その中から華ちゃんの記憶の本を探してくれてるんだよ」

「あたしの、きおく?」

「そ。その本を見れば、華ちゃんが生まれた瞬間から今までの記録が全部見れるんだよ。だからその中を調べれば、華ちゃんが探してる本のことも、きっと分かるよ」

「ほんとっ!?」

「ほんとほんと」


 また安請け合いしている。その癖、どうにかならないのだろうか。


 俺は小さく溜め息をついた。確かに記憶の本を見れば女の子が探している本は見つかるだろう。だが記憶図書館の蔵書は膨大だとも聞いている。その中からたった一冊の本を見つけるのに蛇目がどれだけかかるかは分からない。


 なるべく早く帰ってきてほしい。女の子のためにも、俺のためにも。残業手当、つかないし。


「いやはや、待たせて仕舞ったね」


 そんな祈りが通じたのか、蛇目はだいぶ早く帰ってきた。


 時間にして5分。立ったまま待っていた俺でもそう辛いと感じない時間だった。


れで大丈夫かね? ハルセ」


 蛇目が渡してきたメモにはタイトルと筆者の名前しかなかった。残念なことにISBNコードは記されていない。


「猫問、行けるか?」


 俺はそのメモをそのまま猫問に回した。


 ちなみにこの猫問というのは俺が勝手につけたあだ名……というか、略称だ。本人がこのあだ名を気に入っているから、そのまま使わせてもらっている。


 猫問はしばらくメモを見つめていたが、大丈夫だとひとつ頷いた。


「ちょっと待っててにゃん、お嬢ちゃん」


 ディアストーカーをちょい、と下げて女の子に一礼した猫問は、しなやかな体で四つ足をつくとスルリと店裏から外へ出ていく。猫の書籍問屋がすり抜けていった先の空間は、真っ黒に塗りつぶされていて何も見えない。


 ……ふぅ、なんとかなりそうだな。


 今度は安堵の息をつきつつ、俺はレジの三畳間へ戻っていく。そんな俺を、女の子は不安そうな表情で見上げていた。


「ハルセ、猫問で大丈夫なの? あいつ、気まぐれじゃない。途中どっかで立ち読みとか始めたら、いつまでたっても帰ってきやしないわよ?」

「大丈夫。今日の猫問はやる気だ。おまけに猫問御贔屓のシリーズの新刊発売日はまだまだ先だし」


 高子さんの文句を適当に聞き流し、俺は積み上げた本の山をよっこらしょっとどけた。滅多に使わないせいで普段は本に埋もれているが、このレジ下の棚にはちゃんと本屋のレジらしい装備が備わっているのである。


「なぁ華ちゃんや、ようちゃんはどんな色が好きなんだ?」


 ほこりを被っていたが、プレゼント用の包み紙はきちんとそこに入っていた。赤、青、黄、緑、鮮やかなパステルカラーの包装紙がレジの上に広げられるのを見て女の子は歓声を上げる。


「あのね、ようちゃんはオレンジが好きなの! だから、夕焼けお空が好きなんだって!」

「夕焼けか……」


 パラパラとめくっていくと、ちょうどそれに似た色合いの物があった。中心は濃い赤。それが端に向かってオレンジになり、黄色になり、一番端で白になるグラデーション。うまく折り込めば表に綺麗な夕焼けができるはずだ。


 俺はその包装紙を丁寧によけて他の紙を棚に戻した。まだ猫問が帰ってくる気配はない。


「……あれ、まだあったか……」


 どうしたもんか、と考えて、もうひとつ探す物があったことを思い出す。


 俺はまた別の山をどけて棚を漁った。ラッピングペーパー以上に使うことが稀な物だから備えがあるか心配だ。こればかりはこの場ですぐに作れる物ではない。でも、どうしても、俺は今、この子にあれを使ってもらいたい。


「お」


 祈りに近い思いを抱きながら棚の奥を漁っていると、一枚だけそれっぽい手触りの物が指に触れた。


「高子さん、売り場からペン持ってきて。どれ開けてもいいから」

「高子って……もしかして私のことっ!? ダッサ! センスないにも程があるわっ!」


 盛大に罵声を浴びせながらも、高子さんは色の種類が豊富な細ペンセットを持ってきてくれた。俺はそのセットと棚の奥から発掘したメッセージカードを揃えて女の子の方へ差し出す。


「ようちゃんに、これでお手紙書こうか。プレゼントに添えてラッピングしてあげるから」


 ラッピングは基本的に無料だが、カードを添えるには別料金が必要になる。だが俺はあえてそこに目をつむることにした。


 この女の子の言葉が、しっかりようちゃんに届いてほしかったから。これが二人の間の最期の言葉になると、分かっているから。


 俺がカウンターに頬杖をついてラッピングに使うリボンの色を考えている前で、女の子は真剣な表情でカードとペンのセットを見つめていた。


 女の子はすぐにはペンに手を伸ばさない。この小さなスペースに何を書けば一番自分の心が届くのか、幼いながらも真剣に考えているのだろう。そんな女の子を斜め後ろから見守る高子さんが少し心配そうな表情をしている。


「お待たせにゃん。これであってる?」


 結局女の子がカードを書き上げたのは、猫問が帰ってくる直前……俺がカードを渡してから実に2時間以上後のことだった。


 それが目的の物であっているかきちんと女の子に確かめてから、俺はその本を丁寧に夕焼け色のラッピングペーパーで包んだ。綺麗にグラデーションが見える面を表にして、少し複雑な結び方でリボンをかける。


 そして最後に、女の子から預かったメッセージカードを、一番目に止まる場所に、剥がれ落ちないようにしっかり貼り付けた。


『ようちゃんごめんね ありがとう』


 女の子が2時間かけて書いたメッセージは、それだけの時間がかかっているとはとても思えない短いものだった。


 夕焼け色によく映える、夜空の紺色で書かれたメッセージ。短くても、その中に語り尽くせないほどの言葉が隠れていると、俺は思う。


 その思いが、喧嘩をしたまま永遠の別離を迎えてしまった友達に届くことを、切に祈る。


「お待たせいたしました」


 もう一度全体の出来映えを確かめてから、女の子へそれを差し出す。それを見た女の子は、本当に嬉しそうに笑った。


 だが、一度伸ばされた手が、躊躇ためらうように宙を彷徨さまよう。


「?」

「あ……あのね、ビニールのふくろに入れて、しっかり口も閉じてほしいの。また、ころんじゃっても、だいじょうぶなように」

「失礼いたしました」


 同じ過ちは犯さないという賢さに、俺は思わず感動してしまった。


 転んでも包みが破れないように、水に落としても濡れないように、ビニール袋を三枚出してきっちりプレゼントを包み込む。


 過剰包装にも程がある包みを渡すと、女の子はようやく心の底から笑顔を浮かべてその包みを受け取った。


「ありがとう! お兄ちゃんっ!!」


 そしてカウンターにがま口財布ごとお金を出す。俺が中から本の代金だけを取り出そうとすると、女の子は笑顔のまま首を横へ振った。


「いいの。おさいふごとお兄ちゃんにあげる。あたしは、もうもっていけないから」


『ありがとう!』ともう一度繰り返すと、女の子はプレゼントを胸に抱えてドアに向かって走っていく。


 その姿が、ドアの前でフッと、光の粒になって掻き消えた。チリンチリンッと、ドアに結わえつけられた神鈴が微かに音を響かせる。


「……成仏、したんだね」

「ああ」


 高子さんの小さな呟きに短く答えると、俺は草履をつっかけてドアの前まで行った。


 女の子の手でついぞ開かれることのなかったドアの前には、見慣れない小さな金貨が落ちている。


「あのプレゼント、ちゃんと届くのかい?」

「リボンの組みが、転送印になってんだ。たとえ力が足りずに届く前にあの子が消滅しちまっても、その魔法陣がようちゃんの所まできっちりプレゼントを届けてくれるよ」


 金貨の表には小さな女の子が二人、本を間に笑い合う姿が刻印されていた。


 俺はそれを拾い上げて、レジカウンターへ戻っていく。


「メッセージカードって言ってたけど、あれ、呪符じゃなかったかい?」

「そうでなきゃここの外で幽霊が書いた文字が一般人に読めるわきゃねーだろ」

「作るのが大変だから有料サービスだったんじゃないのかい?」

「今日だけの特別大サービスだ」


 俺はつけっ放しになっているレジの鍵をひねってレジを開くと、空っぽなコイン入れの中にその金貨を入れた。きっと次開けた時にはその金貨も消えているのだろう。どういうシステムになっているのかは知らないが、とにかくそういうモノであるらしい。


「……毎度あり」


 俺はしがない一介の書店アルバイター。この魑魅ちみ魍魎もうりょうが集まる本屋で働く唯一のアルバイトであって、詩人でもなければ未来から来た青いネコ型ロボットでもない。


「最期の最後で仲直り、できてるといいな」


 だから祈りの言葉も吐かず、結末を知ることもなく、また三畳間のレジスペースに転がって、閉店の合図である『蛍の光』が流れる時まで本を読み続けるだけ。


 現実世界と異世界のはざまにある本屋『禅慈堂ぜんじどう』に流れる時は、今日も魑魅魍魎と閑古鳥に囲まれて過ぎていく。



【END】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

間(はざま)の本屋さん-異世界本屋、禅慈堂商売帳- 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ