第12話音痴だろうと歌は歌

【音痴だろうと歌は歌】


 ライブから一週間が経った。

 俺たちはおおよそ日常を取り戻した。おおよそっていうのは、うっかり殺人容疑掛けられてみたり、学校で遠巻きにされてみたり、その視線の中に俺に対する哀れみを感じてみたり、ライブの様子がどっかから広まりファンだって言う奴が出てきてみたりっていうがあるからだが、まあ、おおよそ穏やかな日々を送っている。


 なにより、お守りが効果を増していて日常生活の快適さが格段に向上したのがでかい。このままいけば見えなくなる日も近いんじゃないだろうか。

 さらには護符を貼り付けた団扇がバンドスコアのデザインが格好いいと一部生徒に好評なんだとか。調子にノって「軽音部団扇改」なんてものを作り出している。そんな非日常を取り入れつつ、軽音部は今日も楽しくやっていた。

 メンバーが新しい団扇にどのバンドスコアを貼るか盛り上がる中、俺は飲み物を買いに行く名目で部室を抜け出した。自販機のある渡り廊下には向かわず外階段に出て途中の段に座る。目隠しの壁と校舎の壁に囲まれて誰からも見えなくなる。投げ出した足の間に猫が座った。黒い艶々の毛並みに赤いリボンが似合う可愛い黒猫だ。お守りは返してもらったが先輩から貰ったリボンはそのまま。時々歌を吹き込んでいる。

 そういえばこのリボンどういう原理なんだろうか。先輩がつけている時には誰からでも見えていたのに猫に渡った瞬間から俺にしか見えなくなった。リボンだけ浮いて見えてもそれはそれで困るんだが、これが情報の化け物ってことなんだろうか。

 答えが出ないことをつらつらと考えながら猫の頭を撫でる。


「お前、名前ほしい?」


「な~ん」


 なんとなく訊いてみたら返事が返ってきた。欲しいのか。どうするかな。クロ? タマ? ペットの名前ってどうやってつければいいんだろうか。眷属をペットと同じように扱っていいのかすらわからない。こういうとき先輩がいてくれたらな。

 もう、いいかな。俺は開き直った。


「お前の名前はカスミさんな」


「にゃ~」


 下顎をくすぐりながら決定すればカスミさんは了承するように鳴く。いいんだ? こんな女々しいご主人様でいいの?

 主人と言えば、龍神様だ。


「なあ、龍神様に挨拶しに行ったほうがいいとおもう?」


 団地の一件以来神社には行ってなかった。最初に会ったとき二人で神楽を納めにこいとかなんとか言われた気もするが、先輩がいないんじゃ舞はどうにもできない。しかも俺が演奏できるのはギターぐらいなんだが、それでいいのだろうか。そもそも龍神様が欲しいのって先輩と恋人が納める神楽だろ? あれ? 詰んだ?


 大概返事をくれるカスミさんが小首を傾げて見上げてくる。カスミさんも龍神様にビビってたし、流せるものなら流してしまいたい。わかる。


「ご機嫌伺いにでも行くか」


 そういうことなら仕方ない、とでも言うようにカスミさんは腰を上げて俺の腕に体を擦りつけた。

 神様を怒らせたら怖いから仕方ないよな。決して、些細な理由でむりやり騒ぐ軽音部の「失恋した奴慰めムード」が苦くなってきたからとかではない。決してない。だから失恋してねえって言ってんだろ?


 俺は部室に戻り、神社に行ってくると正直に話してギターを背負い学校を出た。これでもかというほど複雑な表情されたけれどお互いクールタイム必要だよな?


 カスミさんをお供に神社に向かう。途中たつ川に降りて手を洗った。さすがに靴を脱ぐのは手間で思いとどまった。こんなんだから手水舎ができたんだろうな。カスミさんも前足をちょんちょんつけて俺の真似をしている。頭のいい奴だからなにをしているのか理解しているんだろう。


 ぽっと出の幽霊は遠くなったが神社の霧は相変わらず濃い。むしろますます濃くなった気がする。石階段がなかなか終わらない錯覚すら起こすレベルで濃い。なにこれ怖いんだけど。カスミさんが上ったり降りたり遊んでいるから危険はないんだろうけど、踏み外しそうで物理的な怖さがあった。

 二ノ鳥居を潜って拝殿でお参りする。やはり待つのは神楽殿だろうか。本殿を通り過ぎ摂社の小さな鳥居の前に立つ。なんとなく小さな社の賽銭箱にポケットの小銭を入れた。二礼二拍一礼して奥に進む。開けた場所をさらに進んで神楽殿の影が見えた。神楽殿に誰か立っている。

 白い着物に赤い袴。黒い髪はセミロングくらいの長さだが白い紐かなにかで一つに結ばれている。小柄な後ろ姿に既視感がある。

 登場するたびに年齢も性別も違う龍神様が今度は巫女さんにでもなっているのかと自分を納得させようとするがどうにもムリだった。足早に神楽殿に向かって靴を脱ぎ捨て舞台に上がる。

 巫女さんが振り返った。


「なんっでだよっ!!」


 おもわず叫んでいた。


「ひえっ」


 先輩は肩をすくめて飛び上がり小さな悲鳴を上げる。まん丸の赤い目が俺を認めて明後日の方向に逸らされた。一拍おいて着物が翻る。


「逃がすか!」


 欄干を飛び降りようとするから両腕で胴体を絡め取る。


「はややややっ! ち、違うんじゃよ! これは違うんじゃ!」


「なにが違うのか説明しろ!」


 捕まえた体は体温がちょっと低めな間違えようもない先輩だ。癖のあるふわふわさらさら艶々の黒髪に白い肌。大きな目は真っ赤な瞳で飾られて、ふっくらした唇から零れるのはおかしなしゃべり方。世界中の誰が間違えたって俺が間違える訳がない。先輩だ。

 先輩が足をばたつかせるから余計に腕に力を込め軽い体を持ち上げる。


 神社の神楽殿に勝手に上がって騒ぐなんて絶対怒られるだろうに誰かがやってくる気配はない。霧が見えるようになってから神社にいるときは他の人間に会ったことがないから、俺は毎回神隠しに遭っているんじゃないだろうか。やだ怖い。とか考えていたら怖いのが来た。


「騒がしい。そこで騒ぐなら舞にしろ」


 今回は真っ黒に日焼けした金髪の男だった。白のタンクトップが似合う入れ墨だらけの明らかに一般人じゃない風体をしている。容姿の選定基準どうなってんの?


「はやや、今すぐ静かにするのじゃ。これ、坊離せ。主様の前じゃぞ?」


 アンタそんなにかしこまったことないだろ。


「逃げようとしてる奴を簡単に離せるかよ。なんでアンタがここにいるのか説明しろつうの」


「なんだ? 最近社に引きこもっているから何事かとおもえばケンカでもしたか?」


 子供は構い倒すくせにある程度育つと放任主義甚だしくないか?


「アンタが言わないなら龍神様に訊くからな! 龍神様、この人、骨が見つかったのになんでここにいるんですか!?」


 先輩が「ほわ~」だか「ひゃわ~」だか言っているのはおそらく悲鳴だろう。

 巻き込まれた龍神様は首を傾げている。


「なんでもなにも、今更人間の骨が見つかったところでどうこうなる存在ではないだろう? 一葉は私の眷属でもあり今は社を持つ一柱だろうに」


「はや~……」


 この人さっきから奇声しかあげてないんだけどそういう生き物になったの?

 ちょっと待ってくれ。どういうことだ? 龍神様の眷属? 一柱? 社を持ってるってことは? この人も神様の一種ってこと?


「まさか人の生活に紛れすぎて自分がなにか忘れたか? 昔荒れ狂ってワシを血の川に変えて後に祀られたのを」


 ヤンキー伝説みたいに言われてるぞ?

 そうなると話が変わってくるんだけどなあ? 先輩?

 先輩は俺に抱え上げられたまま頭を抱えた。


「違うのじゃ違うのじゃ。いや、違くはないのじゃ」


 どっちだよ。


「たしかにちょっと忘れていたのじゃ。主様と違ってこっちはついででしか拝んでもらえんし長いこと祭りもしてこなかったかららしいことはできんしで忘れていたのじゃ」


 ぐすんぐすんと聞こえてくるから体を降ろし、向かい合う。顔を真っ赤にして泣いていた。

 その場に座らせる。正座の先輩の前にあぐらを掻くと足の上にカスミさんが滑り込んでくる。さらに俺たちの間、三角形を作る位置に龍神様が座った。ニヤニヤとした顔に完全に楽しんでいるのがわかる。神様のくせになかなか俗っぽいこと好きだな。


 先輩は着物の袖で目元を押さえながら続ける。どうやらこれ以上は無理強いしなくていいようだ。


「思い出してきたのはライブの後に眠くなって目を閉じて、起きた後じゃ。摂社の前におった。それまでは消えるものだとおもっていたのは本当じゃし、坊に言ったことに嘘はないのじゃ」


 拳を握って訴えるから、全部もういいよって絆されそうになった。危ない。


「そこは信じてるよ。それで? 結局なんだって?」


 袖で口元を隠し上目遣いで見てくる。あざといな。和装が似合い過ぎているのもあざとい。可愛いが一周回ってイラッとしてくる。


「神様の一部……らしいのじゃ」


 ここまできてまだごまかすか。


「坊~~怒らないでほしいのじゃ~。神様とは言っても末端も末端でこのままなら本当に消えていたはずなのじゃ~」


 俺、この人泣かすの得意だな? そんな特技は嫌だ。

 今まで黙っていた龍神様が片手で顔を覆い笑い始めた。


「童、一葉の社に賽銭を入れただろう。それから供え物もしたな」


 先輩の社が摂社だというなら確かに入れたことがある。二百円。あ……ガチャに溶かした二百円か。この人の所持金って賽銭でまかなってんの!? 


「供え物は覚えがないけど……?」


 社にはなにも供えていない。むしろ榊を引っこ抜いた。


「本来なら清水で清めた供物を言うが、己の食い物を分け与えただろう?」


「あ~……」


 めちゃくちゃ覚えがある。弁当に始まり、この人はやたら俺が手をつけたものを横からかっ攫っていく。なんなら自分の分は無視して俺の皿から食べて自分の分と空皿を交換していたりもした。


「あれって、無意識? それとも狙ってたの?」


 訊けば先輩は真っ赤な顔を袖で隠した。耳まで真っ赤。すごいな、あの白さがここまで染まるのか。


「この様子だと無意識だろうな。無意識に自分の力になることをしていたんだろう。妙に童に構うのも居心地がいいからだ。やってることはその猫と変わらん」


 意地の悪い笑みを浮かべる龍神様がカスミさんをチラ見する。今の容姿でその表情をされると犯罪の臭いを感じてしまう。

 

「居心地……それって俺が見える奴だから?」


 カスミさんが居心地の良さで俺の傍にいてくれるのは嬉しいが、先輩も同じとなると複雑な気持ちになる。それって大部分が龍神様のおかげってことだろ。

 しかし龍神様の次の言葉に俺と先輩は思いきり殴られた。


「童が番いだった男だからだろ?」


 呼吸が止まった。心臓も止まっていたかもしれない。


「顔が同じとかそんな話っすか?」

 

 あぐらに頬杖ついてこっちを見てくる龍神様の顔はかなり柄が悪かった。「何言ってんだこいつ沈めてやろうか」と、如実に書いてある。川の主なので冗談にならない。


「私の流れで清められてようやく戻ってきたということだ。顔形は関係ない。ほんに人間は外見を気にする生き物だ。くだらん」


 先輩はついに蹲ってしまった。床に額を擦りつけ頭を抱えている。

 情報量が多くて処理しきれない。つまり? 恋人を侮辱されて頭にきた先輩は派手にやり過ぎた挙げ句に人から祀られて神様になったけど、龍神様のおまけでろくな信仰がなかったし恋人のことしか頭になかったからうっかり自分が神様になったこと忘れてて消えそうになっているところに元凶の恋人が現れて、でもお互い気づかないまま傍にいて恋人も世話を焼いてたから力が戻ってきちゃって今生の別れ演出したのに結局消えなかったって?


「わけわかんねえわ!」


 カスミさんがぴやっと飛び起きた。


 じゃあなにか? 俺は自分自身に嫉妬して、自分を思い出して笑ってる先輩に恋したって?

 恥ずかしすぎるだろ。


「番いが帰ってきたから私が遊ぼうとするのを邪魔してかっ攫っていったのかと思っていたが、あれも私の考えすぎだったのか。もう少し遊んでやればよかった」


 子供の時俺を助けてくれたのも先輩かよ! あと龍神様怖いこと言わないで! 「今からでも遊ぶか?」とか言われても反応に困ります。


「幼子をからかうのもほどほどにするか。神楽はあとでもよいがまた顔を見せろ。最近は珍しく空気がいい。気分がいいから昔話でも零れそうだ」


 高笑いしながら霧に消えていった。龍神様にかかれば俺も先輩も同じ括りの子供なんだな。

 先輩はまた蹲ってぷるぷる震えている。そういうことされると開き直るのすら恥ずかしくなってくんじゃん。早く顔見せろ。


 カスミさんを足から降ろして横になる。肘を立てて頭を支え先輩のつむじをじっと観察する。柔らかい髪に指を絡めて感触を楽しむ。


「…………覚悟して別れたというのにどの顔で会えばいいのかわからなかったのじゃ」


 少しだけ頭が持ち上がった。声がくぐもって恨めしげに聞こえるが真っ赤になって泣きそうになっている顔が浮かぶから愛おしさが溢れる。

 諸事情を知った後じゃ俺も先輩のことを責められない。今もめちゃくちゃ恥ずかしい。


「しかも……しかもじゃ……ワシは……本人に向かって……なんと、なんということを……」


 大好きだとか優しいとかさんざっぱら褒め倒してたもんな。挙げ句に過去の暴走全部暴露したし。

 正直、過去だか前世だかについてはよくわからないし引っかかるところはあれど先輩の恋人だった記憶もないし結局は俺は俺でしかない。乾志紀で「坊」で、それでも先輩が好きってだけだ。だから、先輩が顔をあげられない理由の半分くらいは気にしすぎなだけだ。


「なあ先輩、悪いんだけど、俺全然記憶なくて思い出してやれないんだ。ごめんな?」


「そんなもの! 思い出さんでいいのじゃ! あんなもの忘れておったほうがいいのじゃ!」


 先輩は勢いよく起き上がった。

 俺も体を起こし先輩の前にあぐらを掻く。

 真っ赤な涙目を覗き込んだ。やっぱりキレイだな。黒でも茶色でもいいけれど、先輩の瞳は赤がいい。炎のように燃え上がって、陽だまりみたいにあったかい色だ。

 額を合わせる。

 覚悟して別れたけれど、別れたくなかった。また会えたなら、今度こそ離したくない。


「先輩、そばにいてくれる?」


 堪えていた涙が零れた。


「今度こそ、ずっと一緒じゃ」


 細かいことはあとからでいい。時間はある。なんなら、俺たちは時間すら飛び越えて出会えたんだから。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「カスミさんそっちじゃねえぞ」


 やってしまったとおもった。

 一度完全に姿を消してしまった手前、学校、特に軽音部に顔を出すのが気まずいと言い出した先輩のために、俺は次の日の放課後、部室にメンバーを待たせ神社まで先輩を迎えに来ていた。巫女服から見慣れた制服姿になった先輩と一緒に石階段を降り道路を渡って橋の手前まで来たときにカスミさんが川に降りようとしていたからつい名前を呼んでしまった。先輩がいないから成立する名前だったのだがもう手遅れだ。カスミさんは言うとおりに戻ってきてくれた。隣を歩いていた先輩が異様に近づいてくる。近い。当たってる。カスミさんを見る振りで逸らしていた顔を覗き込まれた。


「ほほう? 猫ちゃんになんと名前をつけたのかや?」


「聞き間違えじゃねえの?」


「はやや~?」


 ニマニマ意地の悪い笑い方をしてしゃがみカスミさんを手招いた。


「カスミさん~おいでなのじゃ~。こっちの霞と共にいくのじゃ~」


 カスミさんも空気を読んで逃げてくれればいいのにおとなしく先輩の腕に収まる。


「カスミさんの主様はワシのことが大好きなようじゃね~」


「にゃ~お」


「さっさといくぞ」


 可愛いの二重奏を見ていられなくて俺は一人と一匹を置いて橋の境界を踏み越えた。片足はまだ歩道に残している状態で立ち止まる。

 そういえば、じいちゃんがあの世とこの世の間には川があって橋が架かってるとか話してくれたことがあったな。俺も先輩もカスミさんも死に損ないみたいなもんだな。「照れなくてもいいのじゃよ~」とか言ってる先輩に振り向いて手を伸ばした。

 俺の大好きな顔で笑った先輩が跳ねるように近づいてきて手を握ってくれる。俺たちは一緒に橋を渡った。


 手を繋いだまま学校に戻り部室に向かう。先輩を俺の前に立たせてドアを開けた。

 驚いて固まって、三人共が泣きそうになっている。


「引っ越さなくてもよいことになったから、またこの学校に通うのじゃ。よろしくなのじゃ」


 もじもじとした先輩の挨拶を受けて数秒、回路がようやく繋がった三人は一斉に飛び上がった。


「朝香先輩~~~~~~!! 信じてましたよおおおおおおお!!」


「あさ、あ、あさ、あさがざん~~~~~~~」


「志紀ぃ~~~~~~、おめでとぉ~~~」


 羽智? お前だけ方向性違うぞ?

 先輩の背中を押して部室に入る。

 配慮して先輩を出迎えたメンバーは有り余った熱を全部俺にぶつけてきた。もみくちゃにされて、泣きじゃくる伊音を慰めて、涙を堪えようとしてしかめっ面が酷くなる部長にちょっと引いて、方向性の違う羽智をなんとなく受け入れて、それを見て笑っている先輩に、ああ、ようやく戻ってきたな、と、実感する。

 カスミさんが指定席の窓際で気持ちよさそうに丸まった。





【Fin】

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怖がり乾くんと死に損ないの霞さん 織夜 @ori_beru_ya

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