第11話見送るあなたに
【見送るあなたに】
実情は違うがワンマンにできてよかったと当日心底思った。
小山さんは息子と奥さんの位牌を持ってきているし、間々原夫妻は遺影を抱えている。泉は両親と共に揃って参加しているが一人だけ生き残ってしまって他の家族との距離が微妙に空いていた。吉野はどこで調達したのか爺さんの写真、弟の満は吉宏の写真を持っている。満と一緒に来た小学生は吉宏の友達らしい。ステージ前はほぼ葬式の雰囲気だ。
セーラー服はやっぱり中学生だった。学ランは高校生。どちらも住んでいる場所は隣の市を越えたさらに遠くだ。遠路はるばるようこそ。吉宏とも秀とも関係がない巻き込み事故被害者なので肩身が狭そうだが自業自得の面もあるので仕方ない。
受付のカウンターで会場を見守っている礼兄は異様な雰囲気に当初は面食らっていた様子だが、今は物珍しげに眺めている。
場違いに笑っているのは風波だ。俺たちが団地に入ってからの権力の使い方がエグいが、ライブハウスの仕切りもほとんどやってもらったので軽音部は風波に頭が上がらなくなった。伊音は「毅然とした態度でお願いします」とか言ってくるが、それはそれでどうかとおもうぞ?
赤いリボンを揺らしてステージで遊んでいた猫が開始時間になって俺の足元にやってくる。空気が読める猫。可愛い。
猫は空気を読んだが先輩はまだ姿を見せない。
羽智は泣き出しそうな顔で俺を見ている。見られてもどうしようもないからとりあえず泣かないで?
伊音はチラチラと兄貴を窺っているし、部長はしかめっ面で会場入り口を睨んでいる。顔怖いよ! 顔!
いよいよ始めなければ、というタイミングで先輩は現れた。団地で飛んだボタンもそのままの制服姿だ。手には赤いリボンが結ばれた榊を持っている。小さく手を振られて頷いた。カウンターで礼兄と話をし、階段降りてすぐのバーカウンターで空き瓶に水を入れて貰っていた。そこに榊を生け、カウンターに置き、カウンタースツールに座る。笑って頷いたので先輩側の準備は終わったのだろう。
メンバーに目配せをして俺たちはライブを始めた。
同じことを経験してもみんながみんな同じ気持ちではないだろう。もしかしたらやったことを後悔していないかもしれない。他人に押しつけて自分は悪くないと思っているかも知れない。逆に後悔しすぎて生きる気力すら失っているかもしれない。恐怖に怯えて現実と向き合うことを拒否してしまうかもしれない。そんなことは俺の推察で、全く別のことを感じているかもしれない。
なにを感じてなにを考えるのかは自由だ。だから、俺が伝えることは俺の願いだ。
夜の中に立ち止まらないでくれ。明るい場所を目指してくれ。なにも見えなくても俺が歌うから、一音でもいい、届いたならその音を頼りに一歩踏み出してくれ。
ステージを見つめる人影が増えた。吉野の横に姿勢の悪い爺さんがいた。細いとはいえ、肉も皮もある。穏やかな顔で自分の前に立つ吉宏の肩に手を置いている。
気づいた吉野が跳ね上がってビビって満を抱き寄せていた。満は吉野越しに吉宏を見つけて友達を呼ぶ。友達が吉野を囲むと、虚ろな表情が嬉しそうな笑顔になった。
光の中にでたなら、今度は大好きでいられる人と一緒にいてほしい。自分を大切にしない人なんかに関わらなくていいから。愛して愛されて、優しさが巡る世界を作ってどうか穏やかに。
吉宏を遠くから見つめる男女は母親と父親だろう。
小山さんに歩み寄る母子がいる。母親は息子の手をしっかりと握って引いていた。小山さんが手を伸ばす。今度は息子が母親の手を引っ張り父親の手を取る。
間々原夫妻の前に男の子が元気に走ってくる。二人はしゃがんで抱きしめた。
泉は声も出さずに泣いている。
顔も名前も知らない人影の群れにセーラー服と学ランが戸惑っていたが、間奏が終わる頃にはライブを楽しむ客同士の距離感に馴染んでいた。
辛いままでいてほしくない。苦しいままでいてほしくない。全部忘れろなんて言わないから、せめて誰かと笑えるような場所にいてほしい。
温かい音楽を丁寧に紡ぐ。
俺の足元に座っていた猫はいつの間にか丸まって寝ていた。少なくとも猫には届いている。先輩も嬉しそうに笑っていた。振り返ればメンバーも楽しそうに演奏している。
大丈夫。きっと大丈夫。最後のアルペジオがキレイに収まった。和音になった響きが会場に満ちていく。
先輩が榊のリボンを解いた。記録映像の早送りのように榊が枯れていく。余韻と共に人影は消えていった。
解いた赤いリボンを先輩が襟に通す。胸元で結び、両手で包む。目が合った。
次はアンタの番だ。
先輩のためだけの曲はギターソロから入る。誰だこんなチョーキング連発するメロディー考えた奴。きつい。でも先輩に届けたい音がこれだったんだから平気な顔して弾きこなす。うまくできてる? 届いてる? イントロだけれどアンタへの気持ち、出し惜しみしてないからな?
大切なものを全部奪われて、憎しみを燃やし尽くして、何も持たずに生きてきたならせめて旅立つ時にはギター一本背負っていけ。アンタを照らせるような音楽をここで奏でるから。
先輩が驚いた顔でポケットを探っていた。アンタも入れたまま忘れてた? ギターのキーホルダーを見つけて泣きそうな顔で俺を見る。
俺も右のポケットに入ってるよ。
俺の心は背負っていかなくてもいいよ。でも、アンタに出会えた証拠の音だから、できればそれだけ持っていって。
伝えたい気持ちは意外と少なかった。言いたいことは夜の部室で全部言ってしまった。文句なら一晩じゃ足りないほどあるけれど、先輩の未来が俺の傍にないなら意味がないことばかりだ。だから言わない。気持ちよく歩いて行ってください。
終わりたくなかった。またサビに戻って続けたかった。でも、生きている俺がそれじゃダメだから。始めたものは終わらせる必要があるから。最後のコードを響かせる。
キーホルダーを両手で握った先輩が目を細めて笑う。
カウンタースツールから降り歩き出す。誰かの後ろに姿が隠れたのを最後に見えなくなった。
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