ふしぎな本屋さん
相内充希
ふしぎな本屋さん
クグァルの城下町ホクシーには貸本屋が多い。そして他の町や国に比べて本屋も多い。貸本屋が四軒あれば、その間に一軒は本を商品として置いている本屋がある。それくらい多い。
よその土地の人間が聞けば、そんなバカなと驚くことだろう。庶民が手を出せないような代物を売る店がそんなにあるわけがないだろう、と。
本来本を買えるのはお貴族様か、大きな大店の主人くらいと相場が決まってる。
しかし、ここホクシーは版画が盛んな町だ。
多色刷りなる技法を生み出した工房と、布には粗末だが、それを色付けしやすい丈夫な紙に改良した技師のおかげで、全く新しい形の本が生まれた。そして多くの版画家や
☆
ホクシーの西にある商店街に、ある夫婦が営む小さな八百屋がある。
今年十二歳になるコニー・ブッカーは、その八百屋の娘として生まれた。
商店街はいつも活気があり、様々な国の人が行きかう。
小さいころから本が好きなコニーは、店番をするときはいつも、前の道を行きかう色々な国の服や言葉を見聞きしては空想の羽を広げていた。
そんなコニーが不思議な本屋の話を聞いたのは、通りすがりの客だっただろうか。それともコニーの空想や夢だったのだろうか。
『コスモス通りの向こうには不思議な本屋がある。薄氷のような美しいドアの向こうには、見たこともない本でいっぱいらしい』
それは、実際誰かから聞いた話のようにコニーの頭の隅っこにいつも残っていた。
薄氷のようなドアとはいったいどのようなものだろう。
見たこともない本とは物語の事なのか、装丁の事なのか。
そんなことを考えるだけでコニーはとても楽しい。
コニーが本好きになったのは、彼女が「おばあちゃん」と呼んでいるお隣の婦人の影響だ。真っ白の髪が綿菓子みたいなおばあちゃん。
おばあちゃんとコニーはただ隣人だ。血のつながりはない。でもコニーにとっては、忙しい両親に代わって赤ちゃんの頃から面倒をみてくれた大事な身内だった。
おばあちゃんは目がほとんど見えない。昔は見えていたらしいけれど、だんだん見えなくなって、今は色や大きな字がわかるくいらいだという。けれどおばあちゃんの頭の中には本箱がたくさん入っているのではないかというくらい、沢山お話を知っていた。
怖いお話、キラキラしたお話。ワクワクドキドキする話。
おばあちゃんがお話をすると、見たこともない世界がコニーの頭の中に浮かんでくる。その中でもコニーは妖精や冒険者の出てくるお話が大好きだ。
七歳になると学校に通えるようになった。それはコニーが生まれるよりもすこーし昔、十二歳までは学校で学ぶ義務があると国の偉い人が決めたからだ。
学校に通うようになって一番うれしかったのは、朝に読書の時間があることだった。学校においてある教本も面白いけれど、やっぱりコニーは物語が好きだった。
学校の本は外に持ち出しはできない。けれどコニーはそのお話を覚えて帰って、おばあちゃんにお話をする。新しいお話も古いお話もおばあちゃんは喜んでくれるから、いつも真剣に読んで一生懸命覚えた。
おばあちゃんから聞いたお話や、自分で作ったお話を本にしてもらいたい。
いつしかコニーはそんな夢を抱くようになった。
色の綺麗な大きな本を作って、おばあちゃんに見せてあげたいのだ。
そのおばあちゃんが寝たきりになったのは、その年の秋も終わりの頃だった。
冬が終わればコニーは学校を卒業する。卒業の式典は町のちょっとしたお祭りになっていて、おばあちゃんはその日をとても楽しみにしていたのに。
最初は転んで足をねんざしただけだった。なのに休んでいたら歩けなくなった。
冬になって風邪をひいて、治ってもベッドから起き上がれなくなった。
朝と夕方に食事を持っていくコニーは、おばあちゃんがどんどん小さくなっていくように見えて怖かった。
お母さんたちは、春になれば元気になるだろうと言うけれど……。
「ねえ、おばあちゃん。何か欲しいものはない?」
早く元気になってほしくて何度もそう尋ねたコニーに、おばあちゃんは「おはなし」をねだる。コニーが話すとおばあちゃんも「おはなし」をしてくれる。
(ああ。おばあちゃんに何か綺麗なものを見せてあげたい)
そう考えたのは、おばあちゃんが海に住むお姫様の話をしてくれた夜だ。
おばあちゃんの目は海の色は見える。空の色も見える。
でも小さな窓しかないおばあちゃんの部屋からは、空がほんの少し見えるだけ。海は決して遠くないのに。コニーの足ならほんの三十分も歩けば見に行けるところにあれうのに。
コニーにはおばあちゃんに海を見せてあげる方法が見つからない。
色々悩んでいたとき、ふと不思議な本屋さんのことを思い出した。
(見たこともない本がたくさんあるなら、海の本もあるかも)
それは希望。あるいはただの願望。
本当のおばあちゃんじゃないけど、祖父母も他の親戚もいないコニーにとっては誰よりも近しい人だから。
行かなきゃいけない気持ちに突き動かされたコニーは次の日、店番や手伝いをして貯めたお駄賃を全部ポシェットに詰めてコスモス通りを目指した。
コスモス通りは隣町に入る手前にある。
行ったことはないけれど、大きな道を真っすぐ行くだけだからきっと迷わない。
なのに突然の霧に、町は知らない場所のように姿を変えた。なぜか人通りも途絶えて不安で怖くなってくるけれど、道をまっすぐ進むだけ。それだけを考えて進む。
やがて霧の中に明かりが浮かんだ。
「あ。氷……」
外国風の建物のドアは薄氷のようで、何か文字が書いてある。
目的の店はここだと確信をしたコニーは、そっとそのドアに触れてみた。氷ほど冷たくはない。でも店の中がうっすらと見えるそれにドキドキとする胸を押さえ、コニーはドアを押してみた。
「いらっしゃいませ~」
中から男性の声が聞こえてきて、びくりと肩が震える。
ごくりと唾をのんだコニーに、かがんで何か作業をしていた男性が顔をあげた。
「何かお探しですか?」
穏やかにほほ笑む男性の姿に息を飲む。
見たこともない服だった。白いシャツに黒いズボン。そして何より目を引くのが、短く整えられた真っ黒な髪!
混じりけなしの黒い髪など初めて見た。
王都に住むコニーは、外国人をよく目にする。
赤い髪、黄色い髪、青い髪。
おばあちゃんは今は真っ白だけど、昔は黒が少し混ざってた。そんな風に二色混ざった髪なら、黒も珍しくはない。
実際コニーの髪も薄い赤にところどころ黄色が混ざってる。
ぽかんとしたコニーに男性は歯を見せてニカッと笑う。
「始めてくるお客様は、この髪を見てみんな同じ顔をするんですよ。メッシュ入れるべきかなぁ」
「あ、ごめんなさい。珍しかっただけで、綺麗な髪です」
いくら男性が面白そうな顔をしてても、コニーの態度はとても失礼なものだ。十二歳にもなるのにいったい何をしてるのだろう。
パタパタと手を振って謝罪するコニーに、店員らしき男性は「ありがとうございます」と目を細め、もう一度「何かお探しですか?」と尋ねてくれた。
「はい。あの、海の絵が描いてある大きな本を探しています。目が悪いおばあちゃんでも見えるきれいな本を……」
ポシェットの中の全財産を見せたコニーは、そこで改めて店の中を見まわした。真夏の昼間のように明るく春の陽だまりのように温かな店内には、見たこともないような大量の本が並んでいる。見たこともない文字や絵、大きさもそれぞれ違うそれらは色の洪水だ!
「お貴族様の店……?」
つるりとした本の表紙は、普段貸本屋でも学校でも見たことがない質の紙だ。
場違いな場所に来てしまったのだと青ざめるコニーに、店員は「こちらですよ」と右手を指す。
「お客様向けの本はこちらですね」
「私がお買い物しても大丈夫なんですか?」
「はい。もちろんですよ」
痛いくらいにドキドキしていた胸が、店員の優しい声で少し落ち着いた。彼の案内してくれた棚には、コニーも読める文字の本が並んでいたのだ。
いつも見ているような紙質の本もあれば、つるりとした紙の本もある。
大きい本も小さい本も、厚い本も薄い本もあった。
店内の他の本に比べると数は少ないけれど、それでも貸本屋さん一軒分くらいの量がお店の一画にあるなんてびっくりだ!
(しかも全部新品! すっごくきれい!!!)
本箱なんかじゃない。一面の本棚!
現実とは思えず、それでいて汚しそうで怖いと手も伸ばせないコニーの横で、店員が数冊の本を棚の前の机のように張り出した棚に並べてくれる。
「本は大きいサイズがいいですよね。絵本がいいかな。このあたりとかきれいですよ」
並べてくれた、コニーの顔よりも大きな本。
全部海の絵が描かれた本なのに、それぞれ違う青。
「あ、人魚姫」
大きな海の真ん中を泳ぐ、下半身が魚の美しいお姫様の絵を見つけた。
おばあちゃんが話してくれた美しく悲しいおはなしだ。
「おばあちゃん、人魚姫が好きなんです。わあ、人魚姫の本は初めて見ました」
「中も見てみますか?」
「いいんですか?」
「もちろんどうぞ」
こくりと唾をのみ、手のひらを服に擦り付ける。そっと本を開けば海の中で髪をとかす人魚姫がいた。
王子様を助ける姫。人間の足を手に入れる姫。でも最後には……。
「あの、この本はこれで買えますか?」
こんなに美しい本は見たことがない。
どうしても欲しいと思った。絶対におばあちゃんが喜ぶと、その笑顔が見えるみたいだった。
でもコニーのお駄賃では……。
それでもあきらめきれずに店員に聞いたコニーは、持っていたポシェットの中を開けて見せる。
「ああ、大丈夫ですよ。二冊は買えますね」
「うそ」
「本当ですよ。ここにあるのは趣味で作った本なんです」
「趣味?」
趣味で本を作れる? こんなに美しい本を?
「サークル活動でね、僕はパソコンを使うけど、妻は布絵本が得意で。このあたりは妻が作ったんですよ」
パソコンが何かはさっぱりわからないけれど、人魚姫は「スズキくん」なる人が描いた絵を元にして店員が仕上げたものらしい。きっと版画の方言か何かなのだろう。
同じものが何冊もあるのでそう確信したコニーは、安心して本を選ぶことにした。
おばあちゃんには人魚姫。コニー用にはきれいな羽の妖精の絵が入った本を選んだ。
お会計を済ませて帰ろうとしたコニーは、ふと立ち止まって振り向く。なんとなくもう二度と来れないような気がした。ここは夢の世界なのかもしれない。
買った本をいれた鞄をギュッと抱きしめて、名残惜しく店内をもう一度見まわしていると、店員が「あ、そういえば」と呟く。
「おばあさんのお名前を聞いても?」
なんでそんなことを聞くのだろうと思ったけれど、コニーは小さく頷いた。
「私のおばあちゃんじゃないんですけど……。テリュー……じゃなくて、テルコ・キシモトです」
異国風の名前が発音しづらく、近所の人は皆テリューと呼んでいるけれど、本当の名前はテルコだ。
それを聞いた店員が笑って頷く。
「テルコさんが喜んでくれるといいですね。えっと……」
「あ、私はコニー・ブッカーです。おばあちゃん、絶対喜びます! ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます。また来てくださいね」
「はい!」
また来られるかもしれない。
それは名前を聞かれたことで許可を得たような不思議な確信。
「あの、この店のお名前は?」
☆
コニーが買ってきた本を見たおばあちゃんは、驚くほどの勢いで健康を回復した。冬の終わりには卒業の式典も見に来てくれた。
いっぱい働いて、またあの不思議な本屋に行こう。
今度はおばあちゃんと一緒に。
「このお店のお名前は?」
「ここは名月堂書店といいます。美しい月という意味ですよ。月が真ん丸になる日にまた来てくださいね」
fin
ふしぎな本屋さん 相内充希 @mituki_aiuchi
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