推しメーカー【本屋】

沖綱真優

第1話

そいつらは。どこにでもいる。どこにだって。


✳︎


「しゃーらーせー、せー」


平日午後の本屋は客はおらず、並ぶ背表紙に店員の気怠い挨拶が反響した。

すでに保全活動が必要なほどの絶滅危惧種、町の本屋。田舎の実家近くにあった、おばちゃんが一人で店番やってるような、なんとも貴重な店舗を見つけて、ついフラリ立ち寄っていた。


朝イチの営業先を出て、最寄駅の地下鉄に乗ったのが十一時十五分。環状路線を一周半ほど回って普段降りない駅で下車。二方向にある出口を南側に出れば、商店街ならぬシャッター街。腹も減ったし喫茶店でもと、飛び飛び未満の開口率で開いている店先にはためいた、薄緑、ベージュ、灰色の、褪せた色とれどれノボリの文字を、疲れた脳ミソに送っていた目が止まった。


小学三年生。


辛うじて読める程度の、明度も彩度も近づきすぎてしまった背景色と中抜き文字と。ところどころマーブルのテクスチャが入って今どきかと思いきや、進む足に合わせて拡大されれば、ただ薄汚れているだけで。

それにしても懐かしい。元は朱色に白抜きだったか。懐古趣味ではないはずの自分が、故郷を思い出して足を向けてしまうなど、よほど弱っているらしい。


自動ドアなど導入する余裕もなかったか。かつては開きっぱなしだったであろう引き戸の、スムーズとは言い難い動きに力を込めて開け入った。

狭い通路と本や雑誌に特有の匂い。天井角っ子にあるカーブミラー越しに見える、ずれた老眼鏡のおっさんがペロり舐めた指先でペラり繰った週刊誌らしき雑誌は売り物じゃあるまいな。

それよりもさっきの、しゃらせな挨拶はどこから来たのかと首を巡らす。若い女の声に聞こえた。御年七十代でもセクシーボイスな声優がいると考えれば、若い声の自信はなくなるが、少なくとも女の声だった。


若い女の、声。


『三月までで退社させていただくことになりました』


晴れ晴れとした女の声が反響する。頭の内か外か、咄嗟に判別できずにまたキョロりと辺りを見回した。ふと見上げれば、カーブミラーの向こう側から視線が刺さっているように感じた。下唇に二本の指をやったまま静止する、老眼鏡からはみ出した店主の黒目。

途端に息苦しくなる。女の声と黒い視線——目の奥の嘲笑。


いわゆる寿退社です、と女——ジブンが恋人だと思っていた同僚——は、同期に聞かれて答えた。その目の端がチラリとジブンを掴んで、黒目に映る前に投げ捨てた。知っている表情。アナタには関係ないでしょう、と時々見せた表情。

お目当てのモノ、限定の化粧品からブランド財布まで、深い仲になる前の恋人に送るには手頃な物品——を手に入れた後の表情とは別の。


貢いだというには安すぎて、騒ぎ立てるのも馬鹿馬鹿しい。相手は会社を辞めるのだから、騒いで損するのはジブンだけだ。結婚詐欺やデート商法ほど悪質でもない。数千円から数万円で一、二時間デートできたと考えれば——しかし、頭で考えるほどすぐに悔しさと虚しさが抜けてくれるワケはない。


「んんんっ」


咳払いが聞こえた。カーブミラーの主は、視線を下げたようでその実、意識をこちらに集中している。平日真っ昼間に暇そうな背広姿の不審者に。真面目なサラリーマンを装った万引き犯も多いそうで、一冊盗まれれば取り返すのに数十冊販売しなくてはならないという薄利の本屋では愛想よりも警戒の方が大切なのだろう。


何かの縁か。何冊か買っていってやろう。

貢ぐ相手もいなくなったことだし。狭い通路を歩きつつ両側の書棚のタイトルを浚っていく。マンガは読まないし、小説も最近はほとんど読んでいなかった。


「あぁ、これか……」


つい、声に出していた。

先々月か、件の女に頼まれていた限定コスメの受け取り日に、財布を忘れてスマホにもチャージがなかった。仲の良い後輩に貸してくれと頼んだら、好きなラノベの発売日なのにとブツクサいいながら貸してくれたのだ。二十八にもなってラノベかよ、と思ったジブンはサイテーだ。三十二にもなって女に弄ばれてるクセに。


背表紙にアニメ絵の女の子が描かれた一冊を本棚から抜き出す。両側から倒れた本が空洞を幾らか埋める。


「あいつ、こんなのが好きなのか」


表紙は、胸元の開いたブレザー姿の女子高生が、スカートの裾も翻して見えそで見えないパンツを晒すのも厭わずに悪漢を蹴り上げている絵だった。最終的にはキミヤクと訳すらしい長々しいタイトルと強烈なパンチというかキックの効いたイラストが情報過多でチカチカする。


「そうか、こういうのが好きなのか」


すっと、棚に戻した。もたれかかっていた両側の本が、またキチンと戻った。

数歩先にあった平積みのミステリー小説を一冊手に取って、おっさんの待つレジに向けて二歩ほど歩いて、財布にお金が三百円しかないことを思い出した。現金などほとんど使わないから下ろしてなかった。レジを伺う。本棚の影で見えないが、なんとかペイどころかカード払いも不可能だろう。

心の中で謝りつつ、本を戻した。


仕方ない、帰ろう。

Uターンすると、先ほどのラノベが目に入った。あいつの好きなラノベか。あいつ、いい奴だからな。あの表紙の女子高生がタイプなんだろうか。あの子を推せばアイツと仲良くなれるんだろうか?アイツを推せばアイツと仲良くなれるんだろうか?推すために愛でれば良いのか、愛でるために推せば良いのか?真理はどこにある?



✳︎



ともかく会社へ戻ろうと、男は推しの名を呟きながら立ち去った。あとには閉じたシャッターとノボリを立てる穴開きブロックがあるだけ。

推しメーカーは、何処にだっていて、何にだって化けている。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

推しメーカー【本屋】 沖綱真優 @Jaiko_3515

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ