あなたのための本、あります KAC20231【本屋】

霧野

ここはそういう本屋です

 最近巷では、「移動式本屋」なるものが噂になっているらしい。


 「らしい」というのは、その移動式本屋のがそんな噂を一度たりとも聞いたことがないからだ。

 呑気な店主は今日も今日とて、本を満載したトラックの前で折りたたみ式のガーデンチェアに腰を落ち着けてすらりと長い足を組み、のんびりと挽き立てのドリップコーヒーを嗜んでいる。時折、テーブルのパラソルの日陰から空を見上げて目を細めるその姿は、日向ぼっこ中の猫を思わせる。



「やっぱ暇じゃん、てんちょ」


 運転席の窓から顔を出したのは、真っ白な髪の少年。淡いそばかすを散らした真珠の肌と灰色がかった瞳は、絵本の中の妖精じみている。


「毎日のらくらして、儲けはあんのかよ。稼げないからって飯も食わずにそんなもんばっか飲んでるから、ガリガリなんだよ」


 この美少年、見かけによらず口が悪い。


「ガリガリでなく、スレンダーと言ってもらいましょうか。それにその言葉遣い。お客様をびっくりさせてしまいますよ?」


 店主は銀フレームの眼鏡をクイっと上げて、嗜めるように微笑んだ。薄青いレンズの下、涼しげな目が僅かに緩む。


「客なんてどこにいんだよ、キザ眼鏡。まわり見てみろ、公園とは名ばかりのこんな野っ原、人っ子一人いやしねえ」

「売上の心配をしてくれるんだね。ありがとう」

「ちげーわ! 俺は店が潰れて本が読めなくなったら嫌だから…」

「はいはい、わかったよ。でもほら、そんなに身を乗り出したら陽に当たってしまう。体に障るだろう。中に戻って、お客さんが来るまで本でも読んでなさい」

「だから客なんていねーって」


「シミ、お客さんだ」


 ひらりと手首を返したその向こうに、スーツ姿の男が見えた。足早に通り過ぎようとする男に、店主が声をかける。


「あなたのための本、いかがです?」


「…俺のため?」


「ええ。ここは本屋です」



 微笑んだ店主の、眼鏡が青く光った。


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