刑事赤野周作は、面倒ごとを嫌っている

ねこ沢ふたよ

第1話 飲み会の夜に

 刑事である赤野周作あかのしゅうさくが残業から帰宅して鍵を開けて玄関に入ると、一人暮らしの部屋の明かりがついていて、玄関に女が寝ていた。


幼馴染で同僚の木根元子きねもとこだった。

泥酔している。脈を調べて、意識を確認してみる。


「元子、誰だかわかる?」


小さな声で、周作と返答がある。急性アルコール中毒とまではいかないようだ。良かった。元子は、そのまま玄関で眠りこけてしまう。


 今日は、周作と元子の所属する警察署の新人歓迎のための飲み会だった。

周作は、飲み会に参加するのが面倒で、この日のために残業理由を作っておいて、飲み会には行かなかった。


新人に用があるのならば、昼間会って話せばいい。歓迎するならば、一言、歓迎するよと本人に言ってやればいい。何も大勢で雁首揃えて飲み会をする必要はないはずだ。そんな意味のない集まりに参加したくはないというのが、周作の考えだ。

だから、適当な残業の必要な作業を引き受けて、それを理由に飲み会を欠席して、残業を済ませて帰宅したところだった。


飲み会に参加した元子が周作の家の玄関で寝ている。


同じ県内に実家はあるが、いい歳をして親に生活をとやかく言われたくないと借りたワンルーム。

親同士が中学からの同級生で昔からの知り合いの木根元子に、親経由で合い鍵が渡ってしまった。

一人暮らしで行き届かない点があるだろうからと、元子に合い鍵が渡ったのだが、元子に何かしてもらったことは無い。むしろ、終電が無くなったからとか、雪で電車が動かないとか、何かと理由をつけて元子に転がりこまれて迷惑している。


今回は、特にひどい。

誰か、もう一人連れ込んでいる。

誰かが風呂でシャワーを使っている。玄関には、女物の靴が二足。つまり、もう一人も女。

今回の飲み会は、部署での新人歓迎会であったことから、同じ部署の女ということになる。


なぜ家主の帰宅を待たずにシャワーを浴びているのか。それは、シャワーを浴びざるを得ない状況に追い込まれたからと推察できる。


元子の襟に少しだが汚れが残っている。周囲も綺麗に掃除されて痕跡は残っていないし、元子の顔も拭われている。

口も漱がれているのか、匂いもしないが、これは、……吐きやがった。

人の家の玄関で元子が嘔吐したのだろう。ゴミ箱にそれらしいビニール袋が入っている。中身は吐瀉物だろう。


本当に本当に迷惑だ。

す、推察を続けよう。


シャワーを浴びている人物は、泥酔した元子を担いでいて、それを浴びてしまった。ひょっとしたら、服はドロドロになってしまったのかもしれない。だから仕方なくシャワーを……。

ならば、着替えを用意してやらねば、とんでもない恰好でここに出てくることになるのではないだろうか? 周作は慌てる。


靴のサイズからみて、身長は、元子と同じくらい。周作の服では大きいが、小さいよりましだろう。元子を跨いで何とか部屋に入ると。クローゼットから服を取り出す。


遅かった。


全裸にタオルを巻いた姿の中村悠衣子なかむらゆいこが現れた。

本日の飲み会の主役。部署に来た新人。刑事課の噂の美人……。


「あ……おかえりなさい」


中村が、周作に声をかける。思考が停止して、挨拶しか出てこなかったのだろう。帰宅していたとは、シャワーの水音で気が付かなかったのかもしれない。


「とりあえず、これ着てくれる? 話は、それから」

周作は、中村に用意した着替えを渡した。


 中村が、周作の服を着て、元子の服も周作の用意した服に着替えさせてくれた。周作が、元子を一つしかない部屋のベッドに運んで、布団をかけてやる。


「吐いたままの服で布団に入って欲しくなかったから、助かったよ。大変だったね」

中村にヘラリと周作が笑いかける。


悪いのは、中村ではない。中村は、泥酔した先輩を運び嘔吐までされて、その結果、部署の男性の先輩にあられもない姿を見られた被害者だ。悪いのは、布団を占拠してスヤスヤ眠っている元子だ。


「本当に、赤野さんの部屋なんですね。元子さんが合鍵を持っているということは、お付き合いなさっているのですか?」

中村が周作に聞く。


酷い誤解だ。こんな人の家の玄関で泥酔して眠りこけている女は、好みではない。


「とんでもない誤解だよ。僕の母と元子さんの父が、中学からの同級生で仲良くてね。僕と元子さんは、昔からの知り合いで、弟と姉みたいなもの。恋愛感情はお互いに無いよ」


周作は、ため息をつきながら、クローゼットから、寝袋を取り出して、中村に投げる。


「冷蔵庫の中のものは、適当に食べてもいいし、使ったコップとかは、遠慮なく流しに置いておいて。帰ったら洗うから。ああ、水も冷蔵庫に何本か入っているから。適当にどうぞ」

周作は、そう言うと、鞄に自分の着替えを詰め始める。


「赤野さん、どこか行かれるのですか?」


「ワンルームに、三人も寝られないでしょう? しかも、男女で。だから、僕が、署の仮眠室に行くか、車で寝るか。それが妥当でしょ? わっ、何?」

周作は、中村に腕を掴まれて驚く。


「ここに居て下さい。少し、話をさせてください」

切羽詰まった様子の中村。周作を掴む手が震えている。

周作は、安眠を諦めた。


 とりあえず、帰宅してそのままのスーツ姿。

周作は、シャワーを浴びて部屋着のスウェットに着替える。

ドロドロに汚れた中村の服と、脱いだままの元子の服が目についたので、中村に許可を取って、明日の朝のために簡単に手洗いして浴室に干して、浴室乾燥機にかけてやる。


本当に×10、迷惑だ。

明日は、貸した部屋着とシーツの洗濯。もう一度、掃除もしたい。のんびりする予定が、崩れてしまった。


そうしている内に腹が空いたので、周作は簡単に用意する。

夕食は、まだ何も食べていない。


冷蔵庫にあったトマトとモッツアレラチーズを切って交互に重ねたらクレイジーソルトとオリーブ―オイルをぶっかける。

フランスパンを何枚かスライスしてチューブのニンニクを混ぜたバターを塗ってトーストすれば、簡単だが立派なあてになる。


リビングのテーブルに並べて、グラスを二つ。すぐ隣で元子が寝ているが、部屋は一つしかない。配慮なんかしてやらない。ビールと水を持ってくる。元子が寝ているベッドにもたれて、中村と周作が並んで座る。


ガーリックバターの匂いに気づいたのか、元子がもぞもぞと起きて、一口……と周作の首にしがみついてきて口を開けるから、フランスパンを小さく切って、トマトとチーズを載せて口に放り込んでやる。

ムグムグと咀嚼して飲み込んだのを見て、美味しい? と聞けば、元子がコクンと首を縦に振る。周作のグラスに入れた水を飲ませると、満足したのか、またそのまま眠ってしまった。


「本当に付き合っていないんですよね?」


中村に聞かれて、周作は、眉間に皺を寄せる。


「まさか。付き合っていないよ。恐ろしいこと言わないでよ」


軽く言うと、周作は、グラスに残った水を飲み干して、ビールを入れ直して飲む。


「適当に食べていいよ。ビールでも、水でも、好きに飲んでよ」


周作は自分の口にガーリックトーストを運ぶ。

サクッとしたハードなパンの歯ざわり、口の中に広がるガーリック香りとバターのコクと塩味が食欲を呼ぶ。チーズとトマトを重ねて口の中に運べば、クリーミーなチーズにトマトの酸味が合わさる。クレイジーソルトのハーブが味に奥行きを出してくれている。美味い。


「で、どうしたの? 歓迎会で先輩に酷い目にあわされて転職でも考え始めた?」


ビールを片手に、中村に話すように促す。口に入れたパンを水で流し込むと、中村が話し始めた。


「私、父を探しているんです」

いきなり、ハードな話。


 中村の話によれば、中村が警察組織に入ったのは、父を探す手がかりを得られるかもしれないと、思ったからだったそうだ。

失踪した父親を捜す手がかり、刑事としてようやく配属して関連する資料を見てみても、さっぱり分からない。


「元子さんに相談したら、赤野さんと話せば、頭の整理がついて思いつくこともあるかもしれないと、言われました。赤野さんは、ヘラヘラして穏やかな人だから、話している内にリラックスして、なんとなく見落としていたことを思い出せるんだとか」


酷い風評被害。

聞いた話から要点をまとめて、ポイントをついているだけだ。


 中村は、今日の新人歓迎会で周作が来るのではと、期待していたそうだ。しかし、周作は現れなかった。そこで、元子に再び相談したところ、すでにグデグデに酔っぱらっていた元子にこの部屋まで連れて来られたのだという。


「ふうん。ビール片手に話を聞いただけで、どうなるかは分からないが、まあ、試しに話してみてよ。まずは、失踪したその日のことかな」


周作に促されて、中村が事件のことを話し出す。


 八年前、雨の日。日付は四月八日。高校の入学式の日。入学式を終えて、家で、家族で出前の寿司をとって食べた後、寝静まって朝起きたら、父親はいなくなってしまったのだという。

普通のサラリーマン。仕事もそれなりに順調。両親の仲は良く、中村悠衣子も順調に普通の公立高校に入学したところ。借金は無く、浮気の形跡もない。失踪する原因は、母も中村も一つも思い浮かばなかった。

 ひょっとして、趣味の夜釣りにでも思い立って出かけたのかと思ったが、釣り道具は家の中に置いたまま。会社への連絡もなかった。


「雨の日だものね。まあ、釣りには行かないよね。お父さんの両親は、反応はどうだったの?」

周作の言葉に、中村は思い出す。


「とても悲しそうでした。そりゃ、祖父母にとっては、一人息子でしたし。失踪届を出そうと母が言ったら、すぐ帰って来たらみっともないから、明日まで待とうと言っていました」


「でも、帰って来なかった」

周作の言葉に、中村はコクリと首を縦に振る。


翌日、失踪届を出して、父親の知り合いを年賀状なんかを頼りに母親と悠衣子で連絡を取って、居所をしらないかを確認して。身元不明の遺体が出たら、その度に確認をして。父親のいない生活は金銭面でも、大変だったけれども、祖父母が、とても積極的に援助してくれたから、無事高校卒業して、警察学校を経て署に所属することができたのだそうだ。


「事件性が無いと判断されれば、成人男性の失踪は、積極的に警察も捜査してくれないよね」


周作が、ビールに口をつける。中村は、水の入ったグラスを両手に抱えたまま遠くを見ている。当時を思い出しているのかもしれない。


「お父さんの写真、ある?」


周作に言われて、中村はスマホに高校の入学式の日に校門で撮ったという写真を周作に

見せる。

雨の中、傘を差して母と悠衣子と父で撮った写真。皆、幸せそうに笑っている。とても、この数時間後に失踪するとは思えない父の笑顔。大人しそうなごく普通の中肉中背の中年男性。この写真を中村悠衣子は、どんな気持ちで眺めていたのだろうと思うと、切なくなる。


「優しそうなお父さん」


「はい。とても優しくて。父は、ボランティア活動なんかにも熱心だったんですよ。ホームレスの方の炊き出しや、交通遺児の支援……いろいろな所に顔を出していました。失踪した日の一週間ほど前の土曜日にも、炊き出しに参加していました」


 写真を見つめながら、愛おしそうに父の顔を中村は撫でる。


「いいよ。分かった。協力してあげるよ。明日から、一緒にもう一度お父さんの行方に繋がりそうなことを調べてみようよ」


「ありがとうございます! でも、赤野さんも通常業務がありますよね……」


新人の中村を刑事の周作が連れまわすのは、上の許可さえ取れれば研修の一環と言い訳を立てやすいが、周作にも日々の仕事があるはずだ。大丈夫なのだろうか? 中村は気が引ける。


「大丈夫。そこのベッドで寝ているの塊に、僕の業務を押し付けるから」


周作は、そう言って、元子の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。



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