第6話 二十六年前の事故

 庭からこぼれる日差しが、廊下の奥にある座敷には、柔らかくほの暗く差し込む。

 夕方に近づいてきた時刻故に、薄っすらとオレンジがかってきた光は、静かに時が過ぎるのを教えてくれる。


「あれは、もう二十六年ほどのことです」


酔った上にスピードを出し過ぎて、自動車事故を起こしたのは、祖父母の長男。

中村悠衣子の父親の兄だった。周作が、戸籍を調べて知った人物。

中村朔なかむらはじめ


 朔は、事故を起こしてすぐに行方不明になってしまった。車は、その事故で死んだ同乗者の物であり、被害者も、その事故で即死であったために、朔が運転していたという証拠は、事故直後には無かった。


 だから、家族は皆、朔がいなくなった件と、その朔の友人が亡くなった事故が関連しているとは思わなかった。

 しかし、警察の捜査は、失踪した中村朔が運転していたのではないかという疑いを、周囲の防犯カメラと、普段から、その車を朔が運転していたという、友人たちの証言で、持ち始めた。


 まさか……そんな……。


 とても信じられない話。自分の息子が、死亡事故を起こして、そのうえ責任も取らずに逃走しているだなんて。


 だが、事故で亡くなったのが、テレビにも時々顔を出すような大学教授であったことから、事件は大きく取り上げられた。

 中村朔の名前こそ出はしなかったが、テレビの報道が教えてくれる、事件の内容やそれによって犯人が支払わなければならないであろう賠償金の額に、中村家の面々は震えあがった。

 息子を信じたかったが、あの事故以来、失踪してしまったこと、刑事達が話を聞きにきたことから、疑念は払えない。

 もし、本当に朔が犯人ならば、あの過熱する報道の矛先は、今後は自分達に向かい、自分達が加害者として世間から制裁をうけるのだと。

 そして、報道されている高額な賠償金は、自分達が背負わなければならなくなるのだと。


 怯え切っていたところに、朔が家に顔を出した。

 朔は、事故を起こしたのは、自分だと、はっきりと言った。そして、そのまま、時効まで逃げ切ると言って、家を出て行ってしまったのだという。


「飲酒していたこと、スピード違反もしていたことが分かっています。そして、被害者は死亡している。時効は、二十年だと、朔は言っていました」

ため息をついて、中村の祖父は、庭に目を移す。


 そこには、小さな石積みがあり、その周りに花が植えられている。

 茜色に染まる白い石は、庭に静かにたたずんでいる。


「それで、私達は、朔の存在を無かったように振舞いました。兄がいるということを知っている者には、海外に移住して帰って来なくなったと言い、それ以降に知り合った者には、そもそも一人っ子で、朔は存在していないように言いました。どうして朔が家にいないのか、とても説明出来なかったからです」

祖父の手が震えている。


「だから、私やお母さんには、朔伯父さんの存在が知らされていなかったのね?」

中村悠衣子の言葉に、祖父は、こくりと首を縦に振る。


「悠衣子の父……つむぐは、とても正義感が強い子でした。だから、自分の責任から逃げ続ける朔も、それを容認して目を瞑る我々も、許せなかったのでしょう。績は、一人で、ボランティア活動の炊き出しを通して兄を探し回り、交通遺児の手助けをすることで、自分なりの罪滅ぼしをしていました」


「そして、ついに績さんは、朔さんを見つけた……。悠衣子さんの入学式の一週間ほど前」

周作が、穏やかに話の続きを促す。


「ええ。そうです。時効まであと数年。朔もそろそろ、ほとぼりが冷めたかと、この家の周囲をうかがっていたのでしょうね。逃走生活です。辛いことも多かったでしょう。だから、懐かしくなったのだと思います」


 朔を見つけた績は、その場で自首するように朔に詰め寄ったが、それを朔が承知する訳がなかった。

 その炊き出しの場では、連絡先を教え合う程度で場は収まったのだが、事件は、悠衣子の入学式の夜に起こってしまった。


 績と話し合うと言って、朔はこの家に帰ってきた。

 久しぶりの息子。

 風呂に入れ、食事をとらせて、祖父母は歓迎した。


 まさか、そんな恐ろしいことを、朔が考えているとは思わなかったから。

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