第7話 雨の夜

 績が夜遅くに家に来た。

 朔と話し合うためだ。


「今日は、悠衣子の入学式だったんだろう? おめでとう」

「頑張ったものね。悠衣子ちゃん。志望校に入れて良かったわね」

績に、悠衣子の祖父母は、そう祝いの言葉を述べた。


 外は、雨。

 濡れた肩先をタオルで拭いながら、ああ、と績は答えた。


「いい気なもんだ。その幸せだって、俺がこうやって辛い逃亡生活を送ってやっているから得られたんだ。何を正義感ぶってやがる」

朔が、ケッと悪態をついた。


 その時は、一理あると、祖父は思っていた。

 もし、あの時に朔が捕まっていれば、賠償金の支払いと、世間からの冷たい声で、家族は辛い生活を強いられていただろう。

 績は、大学に行くことは出来ず、妻とも知り合うことも、結婚も、子どもを育てることも諦めなければならなかったはずだ。


 だから、朔の逃亡を、家族で支えなければならいと思い込んでいた。


「二人で話そうぜ」

そう朔が提案すれば、績もそれに応じた。


 話し合いは、座敷で行われた。

 最初は、ぼそぼそと話し合う声が漏れ聞こえてきた。


 績が何を言いたいのかは、想像がつく。

 きっと、自首するように説得しているのだろう。績は、その考えを今まで一度も曲げていない。悠衣子が出来てからは、さらにその考えを強くしたようだ。

 被害者には、幼い子供がいた。そのことが、績の罪の意識を強めているのかもしれない。


 話し合いは、夜中になっても続き、祖父母がうつらうつらとし始めた時だった。


 ギャー!!


と叫び声が上がり、祖父母は慌てた。

慌てて飛び込んだ座敷に入って見たのは、床の間に飾ってあった置物で殴り殺された績だった。


畳に血だまりが出来て、その血だまりのなかに、績が目を見開いて倒れていた。

 

「何が起きたか分かりませんでした。目の前の、績の遺体が、目の前にあるのに信じられなくて、妻も私も呆然としていました」


 ただ、朔だけが、「こいつが悪いんだ! こいつが、訳の分からないことばかり! 俺の気持ちも知らないで! 俺が! 俺がこの家を守ってやっていたんだ!!」と叫ぶばかり。


「それで、また、朔を庇ってしまったのだね?」

赤野の言葉に、祖父は首を静かに縦に振る。


「ひどい……。どうして……。だって、実の息子でしょ?実の息子が、目の前で殺されたのよ?」

刑事とは思えない元子の感想。


 だが、素直なその言葉は、祖父母の心に突き刺さる。


「おっしゃる通りです。あれ以来、私共は、針のむしろの上の生活を送っております。ですが……ですが、その時には、績の遺体を朔と一緒に隠すしか、道はないと思い込んでいたのです」

そう、絞り出すように言って、祖父母は泣いた。


―後日=


 中村績の遺体は、祖父母の家の庭。

 石を積み重ね花を植えた場所を掘り返すことで見つかった。




 中村悠衣子は、交通課へと移転を希望し、事件が落ち着いた頃には交通課に移動した。


「伯父さんが犯した人身事故の被害者への罪滅ぼしのために、交通安全のために戦いたいのだそうよ」

元子が、周作に言っていた。


「へえ。優しい子だね」

書類から目をあげずに周作が返答する。


興味もなさそうな周作の返答に、元子がため息をつく。


「少しは、興味を持ったらどう? 大切な後輩の移動なのに!」

元子が周作を睨む。


「その大切な後輩に、吐瀉物をぶっかけたのは、誰だっけ」

書類に記入しながら、周作は言い返す。


元子が、あ~、と呻く。

しばらくは、これをネタに黙っていてもらえそうだ。

 中村の意見を調べいる内にも、書類は山積みになっていた。

 これを処理するためには、そうとうな時間がかかるだろう。元子の相手をしている暇は、周作にはない。


「そう言えば、中村さんに、『元子さんには負けません』って言われたんだけれど、私、何したっけ?」


「知らない。かけっこでもしたんじゃない? 泥酔して」


いつまでも話し続ける元子が面倒で、周作は席を立つ。

元子は、そんな訳ないじゃない、といつまでもむくれていた。

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刑事赤野周作は、面倒ごとを嫌っている ねこ沢ふたよ @futayo

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