或るおじさんの炎上と死

海沈生物

第1話

 人はなんて愚かな生き物であろうか、とよく思う。特に、インターネットのような人の悪意や欲望が混沌の渦のように渦巻いている場所がそうだ。ここでは「"自分"という存在を分かってほしい」という承認欲求やら「裏垢です♡ 手足が触手で構成されているタイプの方募集中♡」という触手欲求やらが渦巻いている。愚かな場所だ。


 そんなインターネットの中で特に愚かなのは、やはり「調子に乗っている人間」である。要は「迷惑動画を上げる連中」である。彼らはインターネットが混沌の渦であることを何も理解していない、愚かな奴等だ。


 俺はいつも、彼らの動画を引用リツイートしては、


『彼らは無知蒙昧だっ! 火星からやってきたタコ型宇宙人の頭に醬油をかけた上に山葵を付けて”これでタコの刺身の完成だぜぇぇぇ!”などと知性のない叫び声を上げるなど、言語道断であるっ! 時代錯誤もいいものだっ! 江戸時代のように、市中引き回しの刑をするべきだっ!』


などと批判する文をツイートした。

 

 そのツイートはいつも100から500の「いいね!」をもらうことができた。時々、フォロワーの方から「そうだそうだ!」と肯定してくれる文をもらった。そのツイートを見ると、俺の自我はぐわっと増長して、段々と自分のツイートが査読済論文のように「公的に認められたモノ」であるような錯覚を覚えた。


 もちろん、最初の内はなんとか増長する自我を抑えていた。俺はこの増長した自我の先に成り果てる姿が、自分が「無知蒙昧」と嘲笑う者たちと同質であることを理解していた。自分自身が「嘲る側」から「嘲笑われる側」になってしまうと理解していた。


 しかし、インターネットとは恐ろしいものである。そのように自覚していたとしても、ふと気を緩めた時に


(これは大丈夫だろう)


と思って呟いたツイートが、自分の想定している数十倍以上の反応を貰ってしまい、やがて大炎上と化することがある。……だからこそ、ある日にツイートした


『彼らは無知蒙昧だっ! 床に落ちた揚げ物を商品としてお出しするなど、地球の家畜人間以下の知性しかないっ! 言語道断であるっ! 時代錯誤もいいものだっ! 江戸時代のように、市中引き回しの刑をするべきだっ!』


という呟きが大炎上した時、俺は絶望の沼に沈んだ。


 どうやら、この「家畜人間」という言葉が良くなかったらしい。高貴なる水星の都市部で生まれた俺は知らなかったのだが、どうやら現代の地球において「家畜人間」のことを「家畜人間」と呼ぶことは「ヘイト」として扱われているらしい。


 正直、この程度の間違いなど炎上するようなモノではないと思ったのだが、インターネットというものはとても厳しい。炎上したツイートには、


『無知蒙昧おじさん炎上していて草』

『今こそ、市中引き回しの刑するべきでは?????』

『いつも無知蒙昧とか言っているのに、自分が無知を晒すことあるんだw』


などといった誹謗中傷のリプが付く。普段は俺のツイートに興味の一つも見せない奴等が、こういう時だけ悪ノリする無知蒙昧な若者の如く、大量のクソリプや殺人予告じみたDMを送り付けてくる。俺は狂いかけた。どうして、俺がこんな目に遭う必要があるんだ。


 社会か? 社会が悪いのか? 政治が悪いから、こんな目に遭うのか。教育が悪いから、こんな目に遭うのか。どうして、今まで善良なる一般市民であったはずの俺が、これほどまでの大炎上の渦に巻き込まれる必要があるのか。


 そのような自問自答をしていた、そんな時のことだ。同僚の男と二人で飲み会に行った。そこで久しぶりの酒にすっかり酔っ払った俺は、ふと炎上したことをぼやいた。すると、普段インターネットをしない彼はゲラゲラと笑った。


『インターネットなんてやめたらどうだ?』


 それは目から鱗の意見だった。確かにそれはそうだ。企業アカウントならともかく、俺のアカウントはただの匿名アカウントである。面倒になれば、さっさと捨ててしまえば良い。

 

 俺は早速アカウントを削除した。すると、どうだろうか。段々と身体が軽くなってきて、ストレスも減少した。彼女も出来て、結婚もして、恋人もできた。来月には子どもも生まれて、俺の人生は一変した。


『インターネットやめて良かった! 皆さんもインターネットみたいな愚者の掃き溜めをやめて、現実を生きましょう!』


『時代は現実。現実こそが、人間の生きる全てです。インターネットは所詮、逃避の手段にしかなりません。そんなものに縋るのはやめて、現実に生きましょう!』


『現実に生きましょう』


『現実に生きましょう』


『現実に生きましょう』


『現…に……ま……う』


『………………………』





————メンタルヘルス・プログラム、全て完了オールクリアシステム終了シャットダウンします。





 目を覚ますと、そこは病室だった。そこには白い壁と白い天井があり、の頭には奇妙なヘルメットのような機械が嵌められていた。ふと、目の前に眼鏡をかけた医者の男がいることに気付いた。


「おや、気付いたのですね。貴方、自分が今置かれている状況について分かりますか?」


「じょ……状況ですか? ……さっきまで、現実で生きていたはずですが……?」


「……残念ですが。さっきまでのものは全て嘘。現実ではなくて、仮想現実ゆめが見せていた嘘なんです。貴方は彼女も結婚もしていない、ただの冴えない中年男性なんですよ」


「そ、そんな! 僕はインターネットをやめて、ちゃんと正しい道を進んでいたはずなのに……僕が仮想現実ゆめを見ていただけなんて、そんな滑稽で……愚かであるはずがない!」


「現実ですよ。貴方が今まで観ていた人生の全てはただの仮想現実ゆめでしかなく、”僕”ではない”俺”という存在しない男の人生でしかなかったんです。……それに、普通に考えて宇宙人が現実に出てくるなんて有り得ないでしょう?」


「そ、それはそうかもしれないが……ですが、こ、こんな現実、信じられるわけがないっ! いや……これは現実ではないっ! この現実こそが仮想現実ゆめなのだっ!」


 僕は目の前の医者を腹いせに五発ぐらい殴ると、そのまま病院から逃げ去った。こんな現実、本当であるはずがない。本当の僕が冴えない中年男性であるはずなど、認められるはずがない。これは仮想現実ゆめだ、酷い仮想現実ゆめだ、早く現実に戻らなければ。


 僕は目の前に赤色に変わった横断歩道を見据える。社会が正しいと囁く現実など、所詮は仮想現実ゆめにすぎない。僕が正しいと信じたものこそ、本当の「現実」なのだ。


 僕は大型トラックに向かって身体を投げ出すと、「"俺"は現実に戻るんだぁぁぁぁ!」と叫んだ。そうして、僕は死ぬ……はずだった。


 しかし、運の悪いことに僕を引いた車は。僕の嫌う無知蒙昧な若者の運転する車であった。僕を轢いたことに気付いた運転手は、焦って逃げようとしたらしい。僕を車体下に挟んだまま、そのまま発進してしまった。


 引きずられた身体は何度もコンクリートの道路にぶつかり、その度に身体中に痛みが走った。殺してほしい、どうか早く殺してほしい。そう思っても、車は中々止まってくれない。ただ僕の身体を引きずり回して、死へのカウントダウンを延長してくる。


 やがて、300m程度経った頃だろうか。ようやくその車は止まり、僕は解放された。周囲で野次馬がざわざわと騒ぎ出している声を聞いて、僕は全てが嫌になる。彼らは僕を小さなスマホで撮影して、また「これ動画サイトに上げようぜぇ!」と知性のない声を上げている。


「や…ろ」


 そんな掠れて聞こえないような声も、能無しな野次馬どもの騒声や雑踏に押し潰されていく。そんな中で絶望の沼の奥底で届かぬ声に打ちひしがれながらも、僕はただ、この死の先に本当の「現実」があると信じ続けていた。

 

 それこそが、僕にとって最後の「希望」であると信じて。

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或るおじさんの炎上と死 海沈生物 @sweetmaron1

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