エピローグ

 雲ひとつない蒼い空と、頰を撫でる穏やかな風。降り注ぐ太陽の光があたたかい。

 今日も過ごしやすくて気持ちのいい日になりそう。


「……あの、今日はいい天気ですね」


 手元にある湯のみに力をこめて話しかけたら、隣からため息が聞こえてきた。


「ユーク、それ言うの何度目だ?」

「うっ、すみません」


 シェダルは何も言わなかった。絶対呆れたように見ていただろうけど。しばらくして隣からずず、とお茶を啜る音が聞こえてくる。


 カイの封印を解いたのが昨日の話だ。

 彼とは一緒にお茶を飲んでから、その日のうちに手を振って海で別れた。今頃カイは自分の縄張りである海の中を自由に散策しているだろう。

 そして今。カイに堂々とシェダルと夫婦宣言してしまったぼくは、とりあえず二人だけで話をしようとジェパーグのお茶屋さんに来ているのだけど。


 どう切り出したらいいのだろう。

 回りくどいのは好きじゃないし、何より伝わりにくい。ここは率直に言ったほうがいい。分かってはいるんだけど。

 緊張する。膝に置いた手を、思わず強く握りしめる。心臓の音がうるさい。

 こういう時は深呼吸だ。空気いっぱい吸って、吐く。

 よし。


「ぼくは、シェダルのことが好きになっちゃったんだと思います」


 何も言わずに、シェダルは聞いてくれた。

 手元の湯のみを、腰掛けている長椅子の上に一旦置く。


「シェダルに好きだと言われて、意識するようになって。気がつくと好きになっちゃってました。思えば、シェダルは子どもの頃からぼくのそばにいて助けてくれました。だから今も隣にいると安心するんです」


 背筋を伸ばし、ぼくはシェダルを見上げた。

 風に揺れる紅の髪、ぼくの顔を見返すあかね色の目。いつだってぼくに歩み寄ろうとしてくれた、優しいぼくの幼馴染。


「シェダル、ぼくはあなたが好きです。どうか恋人として、ぼくのそばにいてくれないでしょうか」


 ずっとそばにいることをシェダルは誓ってくれた。でも、伴侶としてではない。そこまでシェダルは求めなかった。

 それはたぶん、ぼくがシェダルに気持ちを向けていないのが分かっていたから。


「〝夫婦〟じゃなくていいのか?」


 クスッと笑われた。完全にからかっている。


「いきなりは無理ですっ。お友達からっていうのも今さらですし、とりあえず恋人からで」

「なんだそりゃ」


 今度は声に出して笑われる。なんだか気が抜けて、ぼくも笑えてきた。

 しばらく二人で笑い合う。

 どのくらい時間が経っただろうか。お互いに落ち着いてきた頃、シェダルから口を開いた。


「本当に俺でいいのか?」

「はい。シェダルがいいです」


 まっすぐ見上げると、シェダルは口許を緩めた。ぼくの手に触れて、包み込むように両手で握ってくれた。

 あったかい。

 氷が解けるように、緊張が緩んでいく。


「分かった。それなら、恋人としてずっと一緒にいることを誓うよ。……ありがとう、ユーク」


 穏やかな声で、相好を崩すシェダル。

 つられてぼくもうれしくなって、頰が緩んでしまった。




 ☆ ★ ☆ ★ ☆




「ええ!? ユーク、この家から出て行っちゃうの?」


 次の日、ジェパーグにある山小屋に戻ってから、みんなにシェダルとのことを話したら、ちょうど帰省から帰ってきたノイシュにつかまってしまった。

 ノイシュは見た目が十代半ばくらいの魔族ジェマだ。部族は闇猫ケットシー。医者見習いで、ぼくが風邪を引いた時によく助けてくれるいい子だ。


「すみません。シェダルと付き合うことになったので、二人で旅することになったんですよ」

「そっかあ。それなら仕方ないね。寂しくなるなあ」


 目に見えて肩を落とすノイシュ。子どもらしい素直な反応だけに、なんだか申し訳ない。

 ノイシュはここ数週間いなかったわけだから、ぼくが家を出て行くことはまさに寝耳に水だっただろうし。

 明らかに落胆するノイシュを、ヴェルクが見逃すはずはなかった。黙って近づき、ノイシュの頭をぽんぽんと軽く叩いて、慰める。


「まあ、そうなるだろうな。と言っても、お前もシェダルも裏切り者だから帝国にはいられねえだろうし、これからどうするつもりだ?」

「シェダルが国を出るのが初めてなので、とりあえず諸国を巡ってみるつもりです」

「そうか。まあ、ユークも危険な国には行かねえだろうし、シェダルがついてるから大丈夫だろ。気をつけて行ってこいよ」

「はい、ありがとうございます」


 感謝の気持ちをこめて、頭を下げる。

 ヴェルクは笑って、元気でやれよと言ってくれた。

 頭を上げたところで、今度は反対方向からくいっと服を引っ張られる。

 振り返って、見上げてくる顔を見て、ぼくは彼の名前を呼ぶ。


「シェルシャ?」


 揺れる群青色の瞳は、どこか不安そうだった。そういえば、シェルシャもノイシュの帰省について行っていたからいなかったんだっけ。

 翼族ザナリールのシェルシャは大人しい性格の男の子だ。歳が近いせいか、ノイシュと一緒にいることが多い。普段ならあまり自己主張したりしないんだけど、今回ばかりは珍しく自分から近づいてくれたみたいだった。


「どうしたんですか、シェルシャ」


 シェルシャは、ぎゅっとぼくの袖をつかんで離さない。目を合わせるように屈むと、シェルシャはようやく口を開いた。


「また会えるよね、ユーク」


 そっか。シェルシャも寂しいって思ってくれているんだ。それくらい、シェルシャにとってぼくは家族みたいな存在になっているのかな。そのことがなんだか嬉しい。

 自然と頰が緩む。


「もちろんです。また遊びに来ますね、シェルシャ」

「うん。待ってる」


 袖をつかんでいた指が離れる。花が咲いたように笑ったシェルシャがなんだかいとおしくて、ぼくは頭を撫でてあげた。




 ☆ ★ ☆ ★ ☆




 旅立ちの日はいい天気だった。

 蒼天に、もこもこした雲が少し。日差しが心地よくて、ぼくは背伸びした。


「出発の日がいい天気で良かったですね、シェダル」


 振り返ってシェダルを見ると、彼は相変わらず大きなリュックを背負っていた。いつ見ても呆気に取られてしまうけど、リュックは大きすぎてシェダルの身体からはみ出て見えている。

 前のぼくなら荷物多すぎだから、と怒っていたところだけど。

 今まで何度もシェダルの荷物にだいぶ助けられてきたため、何とも言えない気持ちになってしまう。きっと、シェダルのことだから旅に役立つものをたくさん詰め込んでいるのだろう。


「それはいいのだが。ユーク、当初の予定では二人旅ではなかったか?」


 大きなリュックは見るからに荷物でいっぱいなのに、シェダルはいつもと変わらない顔で話しかけてきた。


「そのつもりだったんですけど、予定変更です!」


 明るく言ってみたけど、シェダルの顔色はいまいち晴れなかった。

 うーん、困った。確かに二人きりの旅にならなかったのはシェダルには悪いと思っているんだけど。


「ねえ、ユーク。やっぱりぼくはついて行くのは迷惑なんじゃないかな」


 沈んだ顔がもう一人。布製の白いバッグを肩から提げたシルだった。竜だからなのか、荷物がとても少ない。

 そう。ぼくとシェダルに加えて、シルも旅の仲間に加えることにしたのだった。当たり前だけど、シルもシェダルもなかなか納得してくれない。

 ぼくだって、二人の言い分は分かる。それでもぼくは、何も考えずにシルの同行を希望しているわけじゃない。


「そんなことないですよ」


 全然気にしなくていいと言うのも酷な話だったかな。

 予想通りシルは首を横に振る。


「やっと二人は想いが通じたのに。僕は邪魔だと思うんだ」

「シルがぼくとシェダルに遠慮してしまうのも分かりますけど。でもぼくは、シルのことが心配です。たとえ人族でなくても、シルは無属ですから」


 シルと目を合わせて言ったら、シェダルがなるほどなと言う。

 どうやらシェダルは納得してくれたみたいだ。相変わらず察しがいい。


「シル、あなたは竜だから知らないかもしれないですけど、無属性のひとは狙われやすいんです」


 青い瞳がもの言いたげに揺れる。口を挟む隙を与えずに、ぼくは続ける。


「無属性として生まれ落ちた人の子が迷い込んできた場合、国は無条件でその子を庇護しなければならないという決まりがあるんです。これは帝国に限らず、世界のどの国にも義務付けられています。なぜなのか、分かりますか?」

「……利用されやすいから、かな」


 なんだか安心した。シルにも狙われやすいという危機感があったのかもしれない。


「その通りです。それは人族も竜族も変わりはないはずです。だから、一緒に旅をしましょう。大丈夫です、ぼくとシェダルがシルを守りますから」


 もともと素直な気質なシルは、ぼくの言葉に反論しなかった。

 目を伏せて黙り込むこと、数刻。顔を上げて、シェダルを見る。


「シェダルはいいの?」


 何を、とは直接言わなくてもぼくもシェダルも分かっていた。

 理由を明確にしたせいか、シェダルの顔はもう沈んでいない。穏やかに笑って答える。


「もちろん。シルはユークにとって恩人だし、受けた恩を返したいのは俺も同じだ。世界にはシルが思っているより残酷なことを平気な顔でやってのける輩がいる。ユークの言い分も杞憂ではないだろうさ」

「ありがとう、シェダル。じゃあ、お願いしようかな。でも迷惑だと思ったら、すぐに言ってほしい。きみの言うことはちゃんと聞くし、二人の邪魔は絶対にしないって誓うから」


 念を押すように言い募るシルに、ぼくとシェダルは吹き出して笑った。きょとんとした顔のシルがかわいくて、余計に笑ってしまう。


「大丈夫だ、シル。お前が誰かに迷惑をかける姿なんて、想像できないさ。ま、あらかじめ注意してもらいたいことは言うようにするから、もっと気楽に構えていてくれ」

「そうですよ。それに、シルだって初めてでしょう? 世界を見て回るのは」


 首を傾げて尋ねれば、素直にシルは頷く。


「うん、楽しみだな。きっとこの世界は僕が想像するよりも美しくて、きらきらと輝いているんだろうね」


 まるで吟遊詩人の歌みたいな言葉だった。シルって、もしかしてロマンチストなのかもしれない。


「さて、行くか」

「はい!」


 シェダルがぼくの手を取って、握る。握り返し、ぼくたちは歩き始めた。シルはぼくの隣だ。

 最初の目的地はジェパーグの港町。そこから出ている船で他国に向かおうと、事前に二人で話し合って決めた。

 船が苦手なシェダルが船旅を希望した時には驚いたものだけど、ゆっくりと移動しながらの旅も悪くはない。




 草木を揺らしていた風が頰を撫で、髪をなびかせる。

 まるで風の精霊たちが、ぼくたちの旅立ちを祝福してくれているみたいだった。 

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竜を追いかけて 依月さかな @kuala

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