15.蒼海の覇者 海竜

 水竜の呪いが解けてから、カイがいる場所はけっこうな深さのある湖になっていた。

 シルによると、水竜の巣穴の中でもこの場所は人族で言う寝室にあたる場所だから、そんなものだと言う。カイもそうだけど、水竜も水のあるところに棲むものらしい。


 波ひとつ立たない水面を目の前にして、またもぼくとシェダルは浮上してきた問題に頭を抱えていた。

 大岩と化したカイは湖の底だ。つまり、封印を解くためには潜らなければいけない。

 でもぼくに同伴してくれているシェダルは、泳げないのだ。

 今までシェダルに対して散々好き放題に言ってきたぼくだけど。炎属性のシェダルに泳げだなんた、酷な話だと思う。


「やっぱりぼく一人で封印を解いてきますよ、シェダル」

「駄目だ」


 なのに、シェダルは頑として譲らなかった。水竜の呪いをシルが解いた時は素直にヴェルク達と洞窟の入り口で待っていたのに。


「もう、なんでですか!? シェダル水が苦手じゃないですか」

「苦手だが、ユークの安全を考えるとそうも言ってられないだろ。ローの言う通り、封印が解けたと同時に怒りを抱いた海竜が襲ってくる可能性だってある。それに……」


 突然に流れる、少しの沈黙。

 最初に破ったのは空気を読まないぼくだった。


「それに、何ですか?」

「……いや、いい。これは俺の問題だ。とにかく俺はお前の隣で海竜の解放を見届けるからな」

「ええー!?」

「ユーク大丈夫だよ。水に潜らなくても、この湖のほとりに剣を突き立てるだけでも問題はないと思う。この空間全体が封印の起点だろうし」


 にこにこと笑って、シルが言った。

 こんな広い空間ひとつが封印の起点って……、大雑把すぎませんかウラヌス様。


「シルがそう言うなら……」


 良しとするしかないか、と口の中で呟いてから、ぼくは重みのある銀の剣を取り出した。


「では、始めます」


 銀色の鞘を抜く。ウラヌス様がくれた術具は刀身まで銀だった。

 鈍い光を放つそれを、思いっきり足元の岩に突き立てる。


 刹那。

 風ひとつないはずの水面が、小さく波打った。


 続けて、第二波。今度は大きい。

 第一波よりも高い波は大きな音を立ててぼくたちを覆った。

 海ではないから、水の中に引き込まれることはない。降り注ぐ滝みたいな水を浴びて、結局は濡れちゃったけど。

 ぱらぱらと洞窟の岩を濡らしていく水沫の音を聞きながら、たしかにぼくの耳に届いた。


「何だ、コレ。もしかして俺、外に出られてんのか?」


 丁寧ではないけど、気安く親しみのある言葉。思わず視界が溶ける。


「カイ……!」


 水面から顔を出した青い竜を見て、ぼくは叫んだ。ブルーの鱗で覆われているのが特徴で、水面から見える影はとても大きい。陸に上がったら、ぼくたちの立っている場所さえなくなってしまうだろう。アクアマリンの目をぼくに向けて瞬きして、カイは首を傾げる。


「ユークじゃん。ここで何してんだよ」

「え、っと。ぼくは……」

「あ、いい! 水ん中じゃ埒が明かねーや。ちょっと待ってろ、そっち行くから」


 ちゃぽん、とカイは水の中に潜る。

 大人しく待っていると、あまり間を置かず人型になったカイは顔を出して、「よっと」と言って軽々と陸に上がってきた。


 人の姿になったカイは、シルよりも背が高かった。海色の長い髪を後ろでひとつに束ねて、着ている服は魔術師風の衣装だ。

 服の隙間から見える透ける薄青のヒレがついた竜の尻尾と、髪の間から出ている薄青のヒレの竜耳。それらが彼を人ならざるもの、いにしえの竜だと物語っている。


「なに泣いてんだよ、ユーク」


 ずかずかと遠慮なく近づいてくるカイの顔に、ますます涙があふれてくる。

 ああ、本当にカイだ。


「良かったです、カイ……っ。ごめんなさい!」

「だーかーらー、謝られても分かんねえだろ!? 俺が覚えてることと言えば、暗いカオしてユークがウラヌスが呼んでるから来て欲しいって、ここ水竜の野郎の巣穴に来たくらいのことだし。ま、ウラヌスが絡んでるから、俺封印されてたんだろうけどさ」


 ひんやりとした手でわしゃわしゃ撫でられて、ますます涙が止まらなくなる。

 どうしよう。色々説明したいのに、もう止まらない。


「ユーク、とりあえず思いっきり泣いておけ。五年の間、この時のために頑張ってきたんだろう」


 背中に感じる、あたたかいてのひら。穏やかなテノールボイスに、心の中にあった不安が溶けていく。

 いつだって、あかね色の目は優しくて、安心する。

 考えるよりも早く手がシェダルの服をつかむ。こくん、とひとつ頷いて、ぼくは子どもみたいに大きな声をあげて泣いてしまったのだった。







 あれから、どのくらい時間が経ったのだろう。

 泣き止んだ後、びしょ濡れになったぼくたちはひとまず着替えてから洞窟の外に出た。もともと水に潜るつもりでいたから着替えは持ってきていたんだけど、シェダルまで服を準備していたとは思わなかった。


 外の平原に出てから、持ってきていたレジャーシートを敷いてぼくたちは腰を下ろした。

 シルとぼくとで今までのいきさつをカイに説明している間に、シェダルは自分の荷物の中からカップとお茶っ葉を取り出して、お湯を沸かしていた。大きなリュックを持ってきてると思ったら、野外でも使えるお茶セットまで持ってきていたとは。

 周囲に気を遣ってお茶を淹れる細やかなところとか、意外と色々準備してから事に当たる慎重さとか。身近にいながら知らなかったシェダルの一面を発見することが多くて、なんかビックリだ。


「ふーん。バッカだなあ、水竜のヤツ。やめとけば良かったんだ、ヒトに手を出すなんてさ」


 最後まで説明し終えた時、開口一番にカイはそう言って悪態をついた。

 湯気の立つカップをシェダルに差し出される。受け取って中を見ると、琥珀色の紅茶が入っていた。

 うん、いい香り。それにあったかい。


「ユークもユークだぜ? 話してくれれば俺だって聞いてやったし、納得した上で大人しく封印されてやったんだからよ。あれほど一人で抱えんなって言ったのにさ」

「う……。ごめんなさい」

「別に謝らなくていいって。俺みたいな竜一匹のために、ユークの大事なモノを犠牲にする必要はなかったんじゃねえか、って思っただけ」


 眉を寄せつつも、シェダルが淹れた紅茶をカイは口につける。揺れる海色の尻尾が草を撫でつけていて、がさがさとこすれ合う音がした。


「まあまあ、海竜。ユークもユークなりに一生懸命悩んで考えた上での行動だったんだしさ」

「そんなの言われなくても分かってるっての。つーか、銀竜。一度ツラ貸せコラ」


 腰を浮かせたと思ったら、カイはシルの胸ぐらをつかんで引き寄せる。つり気味のアクアマリンの目が穏やかなシルの青い目を射抜く。


「な、何かな海竜」

「なーにが〝まさかこうして人に救われる形になるだなんて、きみは思いもしなかっただろうね〟だ! こちとら封印状態でも、外の声や様子は全部聞こえてるし見えてるんだっつーの。銀竜のくせに生意気だぞ」


 えええ!? まさか、封印されていてもぼくたちの言葉が聞こえていたなんて。というか、どうしてカイはシルに対しては喧嘩腰なんだろう。


 ――止めなきゃ。なんかよく分かんないですけどっ。


 腰を浮かせる前に、シルは顔を引きつらせつつも笑顔を作って、なだめるようにカイに言った。


「気に触ったのなら、謝るよ。ごめんね、海竜」

「心のこもってねえ謝罪なんかいらねえっつってんだろ!? よし、良い機会だ。勝負しようぜ。俺とお前どっちの立場が上なのか、ハッキリさせようじゃねえか!」

「僕は勝負しなくてもいいよ。蒼海すべてを縄張りに置く海竜の方が強い、ということでいいんじゃなかな」

「はあ!? テメー、俺をどんだけコケにしたら気が済むんだよ!」


 まさに爆発寸前の一歩手前という雰囲気。今にもシルに殴りかかりそうなカイを目の前にぼくの頭はパニックし始める。

 水竜の呪いを解いてくれたシルは恩人だ。いにしえの竜同士にもイロイロあるんだろうけど、カイに誰かを殴ってほしくない。なにより乱暴なカイを見るのは嫌だ。


「カイ、ケンカはだめですっ」

「なんだよ。ユークは銀竜の味方かよ」


 無理やりにでもぼくはカイとシルの間に割って入った。当然カイは不服そうに口をへの字にする。


「そういう問題じゃないです。せっかく封印が解けて自由になったんだから、争わなくたっていいじゃないですか。みんな仲良く、暴力反対です!」


 間近にあるカイから目を逸らさずに、ぼくは腰に手を当てて言った。

 至ってぼくは大真面目だったんだけど、なぜかシェダルは吹き出して笑った。しまいには声に出して盛大に笑い始めた。

 ひどい。ぼくは真剣なのに。


「ちょっとシェダル!」

「……悪い。そんなに怒るなユーク。俺もシルに事前に聞いてはいたが、海竜は随分と勇ましい竜だなと思っていたところだ」

「当たり前だろ。竜は強くてナンボなんだぜ」


 得意げに腕を組んで胸をそらすカイは相変わらずというか、何というか……。

 表現しがたいもやもやとした気持ちを抱えたまま、ぼくはため息をついて再びシェダルの隣に座った。

 すっかり紅茶はぬるくなってしまったみたい。ひと息で飲むと、シェダルはぼくに見えるように金属製のポットを掲げた。


「まだあるから淹れてやろうか?」

「はい、お願いします」


 湯気の立つ紅茶がカップの中に注がれるとあったかくなる。今度は冷めないうちに、とカップに口をつけて飲んだ。

 その時。

 カイがポツリと言った。


「なんだ。お前らなのか」


 直後、ぼくはお茶を吹いた。


「ちょっ、ユーク汚ねえぞ。そういうのシュクジョにあるまじき行為ってヤツなんだろ?」


 なんでぼくが教えたことは何年経ってもちゃんと覚えてるのかな!?

 って、そうじゃなくて。


「ななな何を言い出すんですか、カイ!?」

「お前こそ何焦ってんだよ、ユーク。俺は思ったことを言っただけだぜ」

「海竜、人族はつがいって言わないんじゃないかな」

「あー、それもそうか。人族のコトバで言うと何だっけ? そういうコトは俺よりお前の方がくわしいだろ、銀竜」


 カイから解放されたシルはカイの隣でぼくを見て、にこやかに微笑んだ。


「夫婦かな」

「シルまで……!」

「変なユークだなあ。ちょっとは落ち着けよ。じゃあ、お前らはつがいじゃないのか? つがいじゃないなら、どういう関係なんだよ」


 アクアマリンの目がまっすぐぼくを見てきて、視線を逸らしたくなった。

 悪意ではなく、純粋な興味というカンジのカイの顔。

誤魔化すのもなんかまずい気がする。ああ、でもどうすれば。

パニックで頭の中の真っ白だ。

考えるよりも先に、ぼくの口が勝手に動く。


「まだ夫婦じゃないです。でも将来、ぼくとシェダルはそういう関係になるんです!」

「……え?」


 あ、しまった。順序が逆だった。

 隣を見れば、ぽかんと口を開けたまま石のように固まってしまったシェダル。ああ、もう取り返しはつかない。

 自分の迂闊な言動をぼくは後悔したのだった。

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