14.精霊の統括者

 水竜の呪いが解けたのなら、やるべきことはひとつだけ。必要なものは正式な書簡と正装のドレス、そして折れそうな心を奮い立たせるための勇気だ。


「なぜ戻らないなどと言うのだ、シェダル。理由を言え」

「だからさきほどから何度も申しているではありませんか」


 頭の中でタスクをメモ書きしながら、目の前の陛下とシェダルのやり取りをぼんやりと聞き流す。

 ぼくが関わっている内容なだけに、聞かないでいるってこともできないんだけど。間に入るのも、余計にややこしくしそうだし。


「俺とユークはすでに陛下の命に背いた、いわば逆賊です。いくら陛下が不問に処すとおっしゃられても、周りの貴族達が納得するわけがないのです。ですから、俺とユークはこのまま国を出ます。爵位も剥奪してください。禍根が残るのも嫌ですし」

「納得がいかん。どうにかしろ、ロー」

「私にこれ以上何ができるって言うんです。シェダルの言葉は妥当だと思いますよ。貴族達がみんな面倒くさい狸共なのは陛下もご存じでしょう。ユーク殿をそういう貴族の諍いに巻き込みたくないんですよ、シェダルは」

「むぅ……」

「それにさっき陛下はシェダルをお認めになったではありませんか。もういいでしょう。自由にさせてみては?」

「……仕方あるまい」


 どうやら話は決まったらしい。

 思っていたより結構な修羅場になっていた気がしなくもないけど、今ぼくは思いを集中しなくちゃいけない別の件を抱えている。だから、シェダルに任せていたのだけど。


 それに、さっきまで水に浸かっていたからずいぶん身体が冷えている。

 洞窟を出てから、レイシェルと一緒に荷物の中にあった毛布を身体にくるんでいたけど、やっぱり思ったより温かくならなくて。どうしようかと思っていたら、大体ぼくが陥る状況を予想していたらしいローウェルが着替えを用意してくれていて、今は帝国軍の宿営にいさせてもらっていた。

 ローウェルが用意してくれた着替えのドレスは簡素なデザインだけど、生地が柔らかくて着心地がいい。


 きっちり準備されていた焚き火の前をレイシェルと一緒に陣取って、身体を温めていた時だった。陛下が突如現れたのは。

 ぼくが裏切り者だということを頭からすっかり抜けてしまったのか、なんなのか。よくわからないけど、いきなり「戻って来るがいい。今なら笑って歓迎してやろう」と言い出したので、それを聞きつけたシェダルと口論が始まったのが事の顛末だった。


「まあ、陛下のワガママは今に始まったことではありません。理性を保っているように見えても、その心は狂気で侵されていますから。記憶が飛ぶのはよくあることですし」


 すっかり静かになった陛下は、どうやら自分のテントに引っ込んでしまったらしい。

 さり気なく隣に座ってローウェルは湯気の立っている器をぼくに持たせてくれた。中を覗き込んだと同時に、甘い匂いがした。ココアだ。

 受け取って、口につける。あったかくて、甘くて、おいしい。


「ローウェルは食べてないんでしたっけ」

「ええ。私はかつて側でしたし。それに、私の養父も人を食べることは好きではありませんでした」

「……そうですか。そういえば、ローウェルは吸血鬼ヴァンパイアの部族でしたっけ」

「そうですよ」


 穏やかに笑うやわらかい雰囲気は吸血鬼ヴァンパイアからはほど遠くて、ぼくは思わず吹き出した。普通、吸血鬼ヴァンパイアの部族の人って目に強い魔力が宿っているから、高圧的で迫力があるんだけどローウェルはまったく感じさせない。


「まだ気を抜くのは早いですよ、ユーク殿。まだ海竜の封印は解けていないのですから」

「分かっています。今日中は無理でもできるだけ早く精霊の統括者には書簡を出すつもりです」

「…………」


 妙な沈黙が流れた。

 あれ、ぼくなんか変なこと言ったかな。


「精霊の統括者に手紙って届くものなんですか? こう言っては失礼になりますが、一応人外ですよねあの人」

「え!? 確かに人ではないですけど、精霊の統括者って言うくらいですから【風便りウインドメール】で送ったら届くんじゃないんですか」


 風の初級魔法に、手紙を小鳥に変えて相手のもとまで届ける風便りウインドメールというものがある。相手の居場所が分からなくても手紙が届く便利な魔法。だから、それで届くと思ってたんだけど違ったのかな。


「ああ、それなら大丈夫だよ。ウラヌスに届くんじゃないかな」


 ローウェルとうんうん唸っていると、ぼくと同じく焚き火であたたまっていたシルが教えてくれた。水竜の巣穴を出てから、人型に戻ったシルはローウェルのココアを堪能中みたい。


「でも、ユーク。どうしてまず手紙なの?」


 気になるところはそこなの、シル。

 どうしてって。


「だって、“精霊の統括者”という肩書を持った、いわば世界レベルで偉い人ですもん。書簡で正式にアポを取って、正装で会いに行くのが筋だと思うんですけど」

「そんなものかなあ」


 不思議そうにシルは首を傾げる。ローウェルはシルとぼくを見比べてくすくす笑いだした。


「こういう価値観の違いが、竜と人との違いなのかもしれないな」

「そっか。シルは竜ですもんね」


 いつも人みたいな顔しているから、時々忘れそうになるけど。さっきまで銀竜の力を目の当たりにしていたはずなのに。今は人に混じってココアを飲んでのほほんと笑っているせいなのかもしれない。


「うん、僕は竜だから人族に関しては分からないことも多いよ。ウラヌスは約束を守るだろうけど、なんだか心配だな」

「何が心配なんですか?」


 ココアの入ったカップを両手で持って、シルは視線を落としていた。青い目が揺れている。


「彼は、本当に海竜を解放してくれるのかな。話をちゃんと聞いてくれるといいのだけど」


 揺らぐ瞳は今にも泣き出しそうに見えた。

 いにしえの竜にとってウラヌス様がどういう存在なのか、人族のぼくには分からない。でも。


「大丈夫ですって。精霊の統括者は五年前も話を聞いてくれました。だから、今回も話し合いに応じてくれるはずです!」


 うん、きっと大丈夫。

 待ってて、カイ。もうすぐ助けてあげるよ。




 ☆ ★ ☆ ★ ☆




 ――とは言ったものの、やっぱりぼくは不安だった。


 どのくらい不安かって言うと、前日は緊張で一睡もできず、胃がキリキリ痛むくらい。

 目の下の隈は化粧をしても隠せなくて、同行してくれたシェダルには怪訝な目で見られてしまった。


「大丈夫か、ユーク」

「だ、だだだだ大丈夫ですッ。それよりシェダル、本当に付いて来るんですか?」

「もちろんだ。ユークだけで行かせるのも心配だしな」


 精霊の統括者に会いに行くのに正装のドレスで行くと言うぼくに合わせてくれたのか、シェダルも正式な騎士の衣装を身にまとっていた。

 先日、シェダルは堂々と陛下に爵位を返したらしい。よく見ると、濃い紺色の上着は帝国の紋章入りではなくなっている。


「そういえば、精霊の統括者とはどこで会うことになってるんだ?」

竜の島ドラゴンアイランドにある螺旋銀河の館という建物ですよ。ウラヌス様はそこで暮らしているので。普通は入れないんですけど、約束を取り付けているので大丈夫でしょう」







 竜の島ドラゴンアイランドはその名の通り、島の形は竜の姿を模した形になっている。そのちょうど目の部分には竜の瞳ドラゴンズアイという湖があって、螺旋銀河の館はその湖のほとりに建っている。

 一週間前に書簡で謁見したい旨を伝えたら、日付指定付きで謁見許可のお返事をいただいた。だから大丈夫だと思ってたんだけど、いざ大きな館を前にするとぼくは不安にかられた。


 ため息混じりに呆れた顔をしたシェダルに手を引かれつつ中に入って、おそるおそる受付の人に声をかけると、すぐに応接間に通してくれた。

 そして、今。

 ぼくの目の前にはウラヌス様がいる。


 闇の衣をまとった長身の男性。ひとにあらざる透けるような漆黒の長い髪と、光を呑み込む切れ長の瞳。額には変わった紋様が描かれている。

 五年前と全然変わっていない。

 彼こそが、人族をはるかに凌ぐほどの大きな魔力を持っている精霊の統括者、そして光と闇の精霊王。


『ユークレース=ウィル=マグノリア。今日は何用でこちらへ参った? まさかわずか五年で水竜の呪いが解けたわけではあるまい』


 気を引き締めなければ。

 腰をかけていたソファの上で姿勢を正して、ウラヌス様をまっすぐに見る。


「そのまさかです。調査していただければ分かると思いますが、水竜の呪いは解けました」

『……ほう。どのようにして解いた? あれはひとの手で解けるものではないぞ』


 バクバクと鼓動する心臓の音がうるさい。

 ひとつ息を吐いて深呼吸する。

 緊張を和らげるのはいつだって、この方法が効率的だ。


「銀竜に頼んで解いてもらいました。竜の力で解かれたので、大地に何の影響も及ぼすことはありませんでした。今は水の恵みはすっかり元通りになっています」

『よく見つけたことだな。銀竜は普段フラフラとこの島でよく本を漁っていたものだが、普段はひとの姿を取っているというのに』


 そう言って、ウラヌス様はすでに出されていたカップに口をつけた。飲み終えてカップをテーブルに置くまで、ぼくは黙ったまま待つ。


「ウラヌス様、覚えていますか。五年前、ぼくと交わした約束を」

『無論、覚えている。海竜の解放だったな。たしかに水竜の呪いを解けたようだし、そもそも海竜は何も悪事を行ってはおらん。いいだろう、封印を解いてやろうではないか』

「……本当に呪いが解けたかどうか、調査しなくてもいいのですか」


 ぼくの隣でシェダルがウラヌス様に聞いた。

 嘘を言っているつもりはないけれど、ぼくの発言だけを鵜呑みにするのはたしかに違和感が残る。


『嘘をついているかどうかは、お前の顔を見れば分かることだユークレース。それに、お前は初めから正式な手段で私に近づいたし、今回も最初に館に乗り込んで来るのではなくまず書簡を送ってきた。真偽を調査せずともお前の言葉は信頼できる』

「あ、ありがとうございます……」


 もしかして褒められているのだろうか。素直にお礼を言ったけど、ウラヌス様からの返事はなかった。

 何も言わずにウラヌス様は手をかざす。すると、何もない空間から一振りの剣が現れた。

 あれはどういう仕組みなんだろうか。魔法の原理で説明できるものなのか、それとも。


 ――と、ぼんやりと考えていたら、ウラヌス様にその剣を差し出される。


「あの、これは……?」


 鞘に入ったままの剣は、飾りもなくシンプルで銀製のものだった。まじまじと剣を見つつ、ウラヌス様を見る。


『海竜が眠っている場所まで行き、これを突き立てれば封印は解ける。お前の手で奴を解放してやるがいい』

「……! ありがとうございます!!」


 剣を受け取ると、ずしりと重かった。シェダルの剣よりは軽いから、非力なぼくでもなんとか持てるだろう。

 ぼくは立ち上がり、もう一度ウラヌス様に頭を下げる。感謝を込めて。


「ウラヌス様、本当にありがとうございます!」

『世界の律が保たれるのなら、どちらでも私は構わぬ。そんなに海竜にこだわるのなら好きにするがいい』

「はい!」


 手の中にある、封印を解除する術具は重みがあった。両手で抱いて、ぼくは涙がこみ上げそうになった。

 ようやく、ぼくの願いが叶う。

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