13.銀竜と流星の奇跡

 国を出奔する前に訪れた時は、たった一ヶ月で足首にまで水がたまっていた。それほどまでにカイの竜としての力は強いのだと思い知らされたものだけど。

 五年ぶりに洞窟に入ると、水は腰のあたりにまでカサが増えていた。


「うわあっ、見てみてヴェルク。すっごくきれい!」


 レイシェルの感嘆の声が洞窟内で反響する。

 洞窟と言えば暗いものだけど。もともと水竜の巣穴だったこの洞窟には、ほのかに蒼く光るたくさんの石がビッシリと岩肌にくっついている。

 ブルーのターコイズ。水竜の力の結晶。それは俗に言う、竜の魔石。


「海竜の魔力がもうこんなに溶け出しているなんて、びっくりだね」


 バシャバシャと水音を立てて、シルは水の中に入った。濡れるのをまったく気にしていない顔で、中央にある巨大な岩――封印状態のカイに触れる。


があってから、まだそんなに時は経っていないのに。人と関わりを持つのはご免だと言っていたきみが、人と親しくなっていたなんて僕は驚いたよ。海竜、まさかこうして人に救われる形になるだなんて、きみは思いもしなかっただろうね」


 まるで独り言のような呟きだった。封印されているカイには届きはしないんだろうけど、それでもシルは構わないのだろう。

 ひとつ息を吐き出して、シルはぼくたちの方へ振り返る。


「水竜の呪いを解くとこの場所の水はさらに増えると思う。きっと頭まで浸かっちゃうだろうし、水が苦手な人は外に出た方がいいかもしれないね」

「ボクは鱗族シェルクだから平気だよー。足も魚に変えられるしっ」


 一番乗りで挙手したのはレイシェルだった。うきうきとなんだか楽しそうな顔だ。


「――と、言ってますけど、ヴェルクはどうします?」


 なんとなく答えに予想はつくけど、一応聞いてみた。

 目を輝かせているレイシェルを見て、ヴェルクは眉を寄せて難しい顔をする。そして、唸るような声をもらしてから、シルに目を向けた。


「シル、洞窟の入り口まで水は来るか?」

「そこまではこないかな。もともとこのエリアは人で言う寝室みたいなものでね。水竜の巣穴といっても、すべて水で浸かるわけじゃないから」

「分かった。じゃあ、俺はミストやシェダルと一緒に入り口で待機してるぜ。俺やミストはともかく、炎属性のシェダルは水が苦手だろうしな」

「シェダル、泳げないですもんねぇ」


 憐れむように見たら、「無茶言うな」とシェダルに言われた。そんな他愛もないやり取りをしていると、シルにくすくすと笑われた。


「ユークって、シェダルには遠慮がないよね。強気な言動が多いというか」

「――へ?」


 そ、そうかな。でも冷静に考えれば、そうかもしれない。ヴェルクやミストには絶対に言わないだろう。

 シェダルは子どもの頃からの付き合いだから、こんなのいつものやり取りだし。ちょっと嫌味を言ったくらいで怒ったことないから。


「それだけユークは、シェダルには甘えられるんだと思う。まるでさっきの王様とローみたいだよね」


 陛下とローの掛け合いはいつものことだから、置いておくとして。

 甘えてるって……。なに、それ。


「あ、そうだ。ユークはどうする? ここに残る?」

「はい。ぼくは泳げるので、ここにいます。見届けさせてください」


 もやもやしていたモノを頭の隅に追いやって、ぼくは頷いて思考を切り替えた。

 集中しなくては。今から、ついに帝国の大地を蝕んでいた水竜の呪いが解けるのだから。


 でも。

 急に話を本題に戻されてしまったから、それ以上突っ込んで聞かれなくて良かったのかもしれない。

 ぼくがシェダルに甘えている、だなんて。そんなのまだ素直に認められるほど、ぼくは自分の気持ちをはっきりと分かってはいないもの。







「さあ、始めようか」


 しんと静まり返った洞窟の中。もはや湖化した水の中に、シルはちゃぷちゃぷと音を立てて進んでいく。

 岩肌の天井を仰ぎ、シルは目を閉じた。


 一瞬の間。


 ドラゴンが現れる。シルの本来の姿である、銀色の竜。

 銀竜はゆっくりと目を開ける。深い青の目が天井を仰ぐと同時に、洞窟の中が暗くなった。水竜の魔石で淡く光っていたはずの空間が闇へと転じる。


「ユーク、見てあれ!」

「……あっ」


 レイシェルが指さした方向へ目を向けると、ぼくは驚きのあまりに言葉を失った。

 岩で囲まれているはずの洞窟内で、銀砂を撒いたかのような数え切れないくらいの星が、夜闇のような天井に浮かんでいた。あまりに幻想的で美しい光景に、思わず息を飲む。まるで、こことは違う世界に来たみたい。


 よく見ると星は明滅していた。

 星明りの中、シルは銀色の翼を広げる。

 浮かんでいた星が動いた。

 ひとつ、またひとつと。次々と水の中に音を立てて落ちていく。ぼくはぶつかるんじゃないかと思って、目を固く閉じた。でも、痛みは感じなかった。


「大丈夫だよ。ユークに当たることはないから」


 穏やかな声でシルは言った。ぼくの考えていることはバレバレだったみたい。

 たくさんの星達は光の軌跡を描きながら、水の中へと落ちていく。その光景はまるでー―。


「……星の奇跡スタークウォーツ


 いつかたどり着いてみせると憧れた、流れ星の魔法。なんでも願いが叶うと言われている、無属の上級魔法。


「ユーク、それは違うよ。これは【星の奇跡スタークォーツ】じゃないんだ。その魔法は人族だけに与えられた、特別な贈り物だから」


 銀の固い両翼から、星のような光があふれた。そのすべてが水面へ吸い込まれていく。

 ぼくたちみたいに呪文を唱えることもなく、発動されていく竜の魔法。目の前で起こる夢みたいな広範囲に及ぶ奇跡は、人の身に宿る魔力だけで為せる業じゃない。

 再びシルが目を閉じた瞬間。

 ぼくとレイシェルは、足元で一気にあふれだした水に飲み込まれた。







 最後にカイに会いに行ったのは、いつだっただろう。

 そう。あれは……旅立つ前日の、まだ太陽が昇っている時だった。

 あの日、ぼくは——…。





「ユーク!」


 呼ばれた。ハッとして、目を開ける。すぐ目の前には、心配そうなレイシェルの顔が。


「ユーク、翼出さないと溺れちゃうよ!?」


 よく見ると、レイシェルの足は魚の尾に戻っていた。

 さっきから身体に感じる浮遊感に、口からこぼれる泡。思うままに呼吸できなくて、余計にごぼごぼ泡が出る。やばっ、ちょっと水飲んじゃったかも。

 そっか、ここは水の中なんだ。

 目を閉じて、本性トゥルースになる。海歌鳥セイレーン魔族ジェマなら呼吸するかのようにできることなのだけど、ぼくの場合はまた別で。両翼が出たと同時に、背中に裂けるような痛みを感じた。


「……っ!」

「ちょっ、ユーク大丈夫!?」

「だ、だいじょぶです。いつものことですし」


 あ、呼吸できるようになった。まだ背中や翼はジンジン痛むけど、これは今に始まったことじゃない。もう慣れっこだし。

 どのくらい水は増えたんだろう。

 見上げると、水面ははるか上だった。シルの力で呪いが解けたってことなんだろうけど、竜の呪いがどれほど水の恵みを失わせていたか改めて思い知る。

 そう言えば、シルの姿が見当たらない。


「シルはどこに行ったんでしょうか」

「あっ、いた。あそこにいるよ!」


 レイシェルが指さす方角には、封印状態のカイのそばにいる銀竜の姿が見えた。見つけるやいなや、あっという間にレイシェルはスイスイ泳いでいってしまう。さすが鱗族シェルク、水の中だと素早い。

 足と翼を動かしてぼくがたどり着いた時には、シルとレイシェルはカイをじっとみつめていた。まだ封印されたままだから、大きな岩のかたまりだ。その大岩を熱心に眺めている。

 何してるんだろう。


「ユーク、これはきみが?」


 振り返って、シルの青い目がぼくを見た。二人に倣って大岩を覗き込んでから、ぼくはようやく思い出す。

 ああ、そうだった。ぼくは最後にカイに会いに行った時に、持っていたナイフで岩肌を削って手紙を書いたんだ。

 遠い未来、この場所を訪れるであろう誰かに向けて。






 この文面をあなたが読む頃には、願いを果たせないままぼくはこの世界から消えているでしょう。

 偶然この場所を訪れたあなたに頼みがあります。

 ここには海竜が封じられています。ぼくの大切な友人です。

 どうか助けてあげてください。

 彼はなにも悪いことをしていないのに、ぼくが巻き込んで封印されてしまったのです。

 見ず知らずのあなたに頼むのはおこがましいことだけど。

 数百年の時を使っても叶わなかったぼくの願いをあなたが叶えてくださるなら、ぼくは心安らかに自分の魂を土の精霊王ミッドガルドにあずけることができます。


 お願い、カイを助けて。






「覚悟の上だったんだね、ユーク」


 ぽつりとシルが言った。

 ぼくは答えなかった。シルはそれを肯定と捉えたみたいで、続ける。


「旅の危険に見舞われる覚悟や、人生のすべてをかけても海竜を助けられないかもしれないという覚悟。すべて承知の上だったんだね」


 言葉を切り、シルは首を巡らせた。そしてにこりと笑う。


「信頼を寄せていた相手に背を向ける覚悟は、少し足りてなかったのかもしれないけど」


 それは余計ですってば、シル。

 いや、本当のことではあるんだけど。


「きみは何もかも捨てて、竜族のために動いてくれた。寿命全部の時間を使うことも覚悟の上で。そして自分の力が及ばなかった時のために、こうして未来へ託す備えも……してくれていたなんて」


 シルの声が震えていた。まるで泣いているかのようだった。

 ううん、本当は泣いているのかもしれない。涙が水に溶けているから、分からないだけで。


「ありがとう、ユーク。僕たち竜族をこんなにも想ってくれて。たとえそれが海竜のみに向けられた想いだとしても、僕は嬉しい。今の時代、竜を捕らえて搾取しようとする人が多い中で、こんなにも僕たちのことをまっすぐに想ってくれているのはきみだけだと思う」

「ほんとにねー。ボクもユークに竜の話を聞くまで、竜族のことは知らなかったしさ」


 水色の目がぼくを見上げて、顔をほころばせる。


「まあ、でも」


 視線を岩肌に戻し、レイシェルは細い指先で、ぼくが残した“手紙”にそっと触れた。

 水中なのに、水色の両目に確信に近い強い輝きが宿っていたのは、たぶん錯覚じゃない。


「ユークなら、シルに出会えずに死んじゃったとしても、転生して自分の願いを叶えただろうね」


 そう言い切って、レイシェルはにんまりと笑ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る