12.宿営での会合
水竜の洞窟からそれほど離れていない場所に、軍のテントは張られていた。
中でも一番大きな白いテントに陛下は真っ先に入っていく。陛下のすぐ後ろに控えていたローウェルはぼくたちの方へ振り返り、穏やかな笑みで手招きしてから入ってしまった。
「大丈夫なのか、ユーク」
足を踏み出そうとした時、ミストが言った。その声は緊張のこもった硬い声だった。
「たぶん大丈夫だと思います。陛下は必ず約束を守る方ですから」
「プライドの高い方だからな、陛下は。一度口にした言葉は意地でも果たすところがあるから、危険はないだろう」
「…………」
「ミスト?」
ミストは足を止めてしまった。先を行こうとしていたぼくも思わず立ち止まって、ミストを見る。
「どうしたんですか、ミスト」
すぐに答えず、黙ったまま。ミストらしくない。
滅多に感情をはっきりと表に出すことのない彼が、眉を寄せて眦をつり上げていた。睨むように見据えるのは、帝国の紋章が施された陛下のテントだ。
「悪いが、ユーク。僕は王族を信用することはできない」
親の仇を見るように、ミストの目つきは鋭くて殺気がこもっていた。
ぼくは動揺した。
ミストは表情の変化は乏しいけどいつだって穏やかで、気がつくとそばにいて世話を焼いてくれる優しいひとだ。元傭兵なのに包丁とかおたましか持っている姿しか見たことがないくらい、諍いが嫌いだったはず。
「前に王族と、何かあったんですか」
たしかミストは帝国出身ではなかったはずだ。ええと、どこだったかな。頭の中に残っている記憶をたどって、ぼくは思い出そうと試みる。
帝国の近くの国だったような……。
「ユーク、僕がマレルニア出身だと話したことは覚えているか」
「マレルニアだと!? ミスト、お前はマレルニア王統国の出身なのか!」
シェダルが目を丸くして声をあげる。ミストは目に力をこめて頷いた。
帝国の隣国、マレルニア王統国。
入国はできないというわけじゃないのだけど、一度入ったら二度と他国へ出ることはできない。
だから、シェダルが驚くのも当然だった。
マレルニアがどういう国なのか知られていないし、謎も多い。帝国が攻めてきた時のために迎え討つ準備をしているとか、帝国の貴族達の中にマレルニアの内通者がいるとかいないとか。噂は定かではない。
シルに初めて会った時マレルニアのことを話題にも出さなかったのは、そういう得体の知れない恐怖を持っていたからだった。
「マレルニアの王族は僕が住んでいた村を滅ぼした。だから僕は他国であろうと、王族は信用できない」
陛下が出てきてから静かだと思ったら、ミストはそんな思いを抱いていたのか。
数年一緒に住んでいたのに、そんな辛い過去があったことをぼくは全く知らなかった。打ち明けてくれたのは初めてだ。
明らかにミストが抱いているのは、王族に対する偏見だけど……。だからと言って、ぼくが今すべきことはそれを指摘してミストを正すことじゃない。それは、ぼくだけじゃなくシェダルも感じたようだった。
「……分かった。ミストが陛下を信用できないなら、俺がヴェルクとレイシェルを守ろう。それでいいか?」
「ああ、構わない」
ミストの強張った表情が少し和らいだ。シェダルが先頭になってテントに入ると、ミストも進み始める。
ぼくも後に続こうと思った時、ヴェルクが足を早めてミストの隣に並んだ。
二人は何も言葉を交わさなかった。ヴェルクはただ、ミストの肩をぽんと優しく叩いただけで。振り返ったミストは目を丸くしたけど、すぐに口許を緩めて、力なく笑っていた。
「ずいぶん遅かったではないか」
テントの中に入ったのは、ぼくが最後だった。
さすが帝国の国王が寝泊まりするテント。内装は地面むき出しではなく、絨毯が敷かれている。お城みたいに豪華な装飾じゃないけど、ちゃんと椅子もテーブルもあった。
テーブルの真ん中の席は陛下が座っていて、ふんぞり返っている。いつも通りといえば、いつも通りだ。
「こちらにも、色々と事情があるんですよ、陛下。なにせ陛下の暴君っぷりは世界に知れ渡っていますから」
恐れ知らずとはこのことだ。シェダルは涼しい顔で言い返す。でも、陛下はふんと言うだけで、咎めなかった。
陛下、暴君については否定しないんだなぁ。
「さあ、ユーク殿も座るといいですよ」
そう言って、ローウェルは手に持っていたカップをテーブルに置く。中を見ると紅茶だった。
ミストの気持ちも汲み取って、シェダルはなるべく陛下の近くに座ってくれたようだった。ヴェルクとレイシェルはなるべく陛下より遠い位置に座り、ぼくはシェダルの右隣に座る。シルはそのぼくの隣だ。ローウェルは陛下の隣に座ったから、必然ぼくはローウェルと向い合せに座る羽目になってしまう。
……う。かつての部下と顔を合わせて座るのは、なんだか気まずい。
「さて、話を聞こうではないか。まずはユーク、お前が国を出奔した理由についてだ」
やっぱりそう来ますか、陛下。
「水竜の呪いを解く方法を探るために出ました」
「そうか。まあそれについては察しがついている。だが、水竜の呪いの件については解決済みだ。私は一国の王として、精霊の統括者の指示通りに海竜の封印を手助けしたに過ぎないのだぞ」
「そうですね。水竜の呪いに関しては、陛下の行動は正しいと言えると、私もそう思います。その点に関して、ユーク殿も異論はないでしょう」
うん、そうだ。陛下は悪くない。
世界の均衡を保つために統括者に協力するのは、一国の王に課せられた義務なのだから。
「はい、異論はありません。ですが、海竜はぼくの友人でした。だからぼくは統括者と交渉し、話し合いました。そして、水竜の呪いさえ解くことができれば、海竜を解放してくれると約束してくれたんです」
「それは、統括者が海竜の封印を解くということか。ユーク殿」
ローウェルの群青色の目が、まっすぐにぼくを見る。敬語が抜けた言動と彼の視線に、どくんと心臓が波打つ。
たぶん。
ぼくはさっきの発言でローウェルは怒らせてしまった。
「私は関心しないな。封印された竜を解放することがどういうことなのか、分かっておられるのか。ユーク殿、解放された途端、逆上した海竜が私達人族に襲いかかる可能性だってあるんだ」
「それはっ」
言い返そうとして、二日前のシルの言葉が頭をよぎる。
――彼は勇ましい性格をした竜だけど。
……否定できない。ぼくはカイのすべてを知っているわけじゃない。
「その点に関しては大丈夫だよ。彼はユークの言うことなら、聞くだろうから」
助け舟を出してくれたのはシルだった。にこやかな顔で話すシルに陛下は興味を持ったみたい。シルをじっと見つめている。
「お前の名は?」
「僕の名前はシルヴェストル。時と運命を司る銀竜だよ」
「ほう。お前も竜なのか」
足を組み直して瑠璃の両目を輝かせる陛下の隣で、ローウェルがなるほどと呟いた。
「無属の竜か。ユーク殿、よく見つけたな」
「いえ。見つけたというか、偶然
「何二人で分かり合っている。私に分かるように説明しろ、ロー」
片眉を上げて、陛下はローウェルを肘で小突いた。ローウェルはローウェルで、痛いですやめてくださいと遠慮なく反発する。
「シルヴェストルが」
「あ、シルでいいよ。長いし」
途中でローウェルの言葉をシルが遮った。どうやら言いにくそうにしていたのが気になったらしい。
小さく咳払いしてから、ローウェルは続ける。
「……シルが言ったでしょう。自分は時と運命を司る竜だと。呪いという運命を捻じ曲げて解く魔法は、無属に多いです。竜の呪いは竜の力でないと対抗できないと統括者が言ったのであれば、同じ竜でしかも呪いを解く力をもった銀竜のシルならば、水竜の呪いを解くことができるというわけですよ」
「そうなのか、シル」
「うん。僕の力なら、水竜の呪いを解いて大地に水の恵みを戻すことができるよ」
顔をほころばせてシルは頷いた。とても嬉しそうな笑顔だ。
「なるほど。お前達の言い分は分かった。ひとまず統括者の了承があり、解呪の手段を手に入れたのならば、私からは何も言うことはない。水竜の洞窟へ入ることを許可してやろうではないか」
「本当ですか!?」
「ああ、私は嘘を言わない。男に二言はないというやつだ」
「……そんな庶民的な言葉、どこで覚えてきたんですか」
半眼でローウェルが見つめても、陛下は腕を組んで上機嫌だ。この方は機嫌が良いと、とりあえず害はない。
「ロー、お前の方からは何か言いたいことがあるか?」
「そうですね。では、ユーク殿に文句のひとつでも」
なんか不穏な言葉が聞こえた。正面のローウェルを見れば、彼は笑っていた。ただ、目は笑っていなかった。
「ユーク殿、素っ気ない手紙ひとつ残してあなたが出奔したと知った時、私は失望しました。海竜があなたの友人であることは私も知っていました。統括者の指示で親しい友人の封印に加担したことで、あなたが苦しんでいたことも」
言葉を切った後、ローウェルの顔から笑みが消える。真顔でぼくを見据えた。
「ただ一言、相談してくれれば良かったじゃないですか」
「え、」
今、なんて。
「相談してくれれば良かったんです。そうすれば、少なくとも私やシェダルは話を聞いて一緒に悩んだし、力を貸したはずです。陛下が聞く耳を持とうとはしなくても。あなたのことを心配している人は少なからずいたのですから」
ああ、ぼくはなんて馬鹿だったのだろう。
誰も信じていなかった。誰も助けてくれるはずがないって思っていた。三百年前のあの時、陛下の愛人になってから。
勝手に思い詰めて、勝手に出て行って。そんなぼくの身勝手な行動に傷ついた人達がいることさえ、気付かず。
「ごめんなさい、ローウェル」
ぼくは頭を下げた。心からの謝罪だった。向けてくれた信頼を裏切ったぼくは誠意をもって謝らないといけない。ローウェルの心に届かない。
聞こえてきたのは、小さく息を吐き出した音だった。
「もういいですよ。あなたはこんなに多くの友を連れて、帝国に乗り込んできた。
顔を上げると、ローウェルは瞳を和ませていた。ホッとする。これくらいで許されたとは思ってはいけないって、分かっているけど。
「ただ、今度は間違えないでくださいね。友との絆や信頼はお金では買えないかけがえのない宝で、未来を切り拓く力にもなるのですから」
「はい!」
ぼくは強く頷いた。ローウェルは満足そうな顔をした後、紅茶を飲んだ。
ありがとう、ローウェル。あなたはぼくにはもったいないくらい、優しい部下だった。身分や立場が自分より上でも、臆することなく間違っていることを諌めてくれる人は、そう多くいるものじゃないのに。
「ありがとうございます、ローウェル」
なんだか感極まってしまって。お礼を言わずにはいられなかった。
ローウェルは口をつけた紅茶のカップをテーブルに置いて、嬉しそうな顔で笑った。
「どういたしまして」
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