11.覚悟
「さあ、剣を取れシェダル。お前が取った行動の言い訳を聞いてやろうではないか」
抜き身の剣をそのままシェダルに突きつけると、陛下のそばにいたローウェルは数歩後ろに下がった。
応じるように、ぼくの隣のシェダルも動く。
「俺が直接言わずとも、陛下はすべてをご存じでしょうに」
シェダルを見ると、彼は笑っていた。けど、茜色の目はまっすぐ陛下を睨んでいて。ゆっくりと歩を進めながら、シェダルも剣を抜く。
「いつものように、剣を交えながら語り合いましょう」
「無論そのつもりだ」
陛下は口端をゆがめて笑う。剣の柄を両手で握ると、地面を蹴り一気にシェダルとの距離を詰めてきた。
「……!」
振りかぶってシェダルの上から剣の刃が振り下ろされる。予測してなかったわけじゃないみたいで、シェダルは自分の剣でしっかりと受け止めていた。
でも。
その表情は苦虫を噛み潰したかのようだった。
第二撃がシェダルを襲う。それも受け止めた。
シェダルは眉間に皺を寄せたまま、反撃へと移る。今度は陛下がそれを自分の剣で受け止め、白い歯を見せて笑った。
「ハハハッ! そんなものか、シェダル。もっと私を愉しませろ!」
「遊びではないのですから、挑発はほどほどにしてくださいね! くれぐれも命の取り合いにはならないように。危険だと感じたら、止めさせていただきますので」
張り上げた声に対して、陛下からの返事ははい。
杖を一振りして、ローウェルは片手を掲げる。空に向けたてのひらには、風の下位精霊シルフの姿。口を開いて会話していたみたいだけど、こっちにまでは聞こえなかった。
シルフが風に乗って飛び上がる。ローウェルから離れていき、次第に見えなくなってしまった。
……ローウェルに何か、頼まれたのだろうか。
一体、何をするつもりなのだろう。ぼくたちが陛下とシェダルの邪魔さえしなければ、何もしないと思うのだけど。だからと言って、ローウェルが策を講じないはずがない。
答えは、すぐに明らかになった。
「あれ……?」
ふと頭上が陰って、違和感を覚えた。今日は快晴だったはずなのに、雲が出てきたのだろうか。
思わず空を見上げたぼくの目に飛び込んできたものは、翼を広げた獣の姿だった。
「ええ!?」
頭が真っ白になって、口はパクパクと開くだけ。言葉にならない。
空にいたのは、狼だった。中天をぐるぐると飛んだ後、降下してぼくの目の前まで舞い降りる。広げていた青色の翼をたたんで、
『ごめんね。何もせず、ただ彼らを見守ってもらえないかな』
頭の中に直接声が流れ込んでくる。精霊が用いる心話だ。
大きな翼を持つ、牛くらいの大きな狼。その両翼と毛並みの色は蒼天の青。人と言葉を交わすことのできる中位精霊といったら。
「――天狼」
「ウソ!? 見て見て、ヴェルク! ホンモノの天狼だよっ」
ぽつりとつぶやいたら、レイシェルが反応した。天狼の言葉はぼくだけじゃなく、みんなにも聞こえたみたい。
「……まじかよ」
ヴェルクを見ると、顔を引きつらせていた。
察しのいいヴェルクのことだ。彼は天狼をぼくたちのもとへ向かわせたのが誰なのか、すでに予想がついているのだろう。
顔を上げて、ぼくは天狼より向こう側にいる青い髪の魔法使いを見据える。彼はぼくの視線に気付くと、群青色の瞳を和ませた。
――ローウェル。ぼくがいない五年の間に、あなたがここまで中位精霊の心まで惹きつけられるようになっているとは。
中位精霊に妨害されては、取れる手段はない。もとよりは手出し無用だとシェダルに言われていたし、問題はないけれど。
……やっぱり心配。
シェダルは陛下のことが嫌いだと言っていた。
陛下は戦いになると好戦的になって、敵に情けはかけないところがある。人をたくさん食べているだけあって、とても強い。今だって陛下の力強い剣戟を受けて、シェダルの方が押されてるくらいだもの。
ひどい怪我をして、シェダルが倒れたりしたらどうしよう。
『大丈夫。シャウラとシェダルは、ほんとうの意味で憎み合っているわけではないから』
まるでぼくの気持ちを見透かしたかのように、天狼が言った。
そういえば、精霊は人の心を読むことができるんだっけ。
『うん、そうだよ』
ありゃ、やっぱりそうですか。
『ユーク、きみには見届けてほしい。彼らの覚悟を。心配しないで。きみが銀竜を伴ってここまでたどり着けた時点で、道は拓かれているのだから』
天狼は身体の向きを変えて、いまだに剣を交わし合っている陛下とシェダルに目を向ける。倣うようにして、ぼくも二人を見た。
剣の刃が激しく重なり合う音が聞こえてくる。叫ぶほど喋ってはいないのか、二人の声までは聞こえてはこない。
そう思った時。風が、ぼくの頬をなでた。
「相変わらずお前は可愛げがないな、シェダル」
陛下の声が、ぼくの耳にまで届く。今まで聞こえていなかったのに、どうして。
まさか。
すぐ目の前の天狼を見る。天狼は青色の両翼を広げていて、ぼくの視線に気付くと黙ったまま
「お前が人の命を刈り取ってまで力を得たくないと、私に申し立てに来たのは百年ほど昔だったか。お前は人を喰わずとも騎士団長にまで登り詰め、己の力のみで高みにまでたどり着いた。だからこそ、私はお前の願いを叶えてやったのだ。お前を認めたからこそ、命を賭けたお前の誓いも受けてやった。それを今さら、無為にするつもりか?」
二人は距離を取って、剣を構えていた。
シェダルは息が上がっていて、相手の一挙一動を見逃さないように睨みつけている。対する陛下は呼吸を乱すこともなく、平然としていた。
歴然とした力の差。
そんな言葉がぼくの脳裏をかすめた。
陛下は強い。人喰いの
「……はい。それは、
「ハハハッ! 私の顔を目の前にして、誓いを反故にするだと? いい度胸だな、シェダル。理由を聞かせてもらおうか」
「俺は、ユークが好きです。子どもの頃から。ユークが出て行くなら俺も共に出て行き、そばにいる。それだけです。さすがに決心するまでに時間はかかりましたが、もう覚悟を決めました。だから、」
荒れる呼吸を整え、シェダルが勢いよく陛下に突っ込んだ。余裕の表情で、陛下はシェダルの剣を受け止める。
ガキン、と金属音が耳につく。
「俺は貴方に勝たなくてはいけない!」
はい?
意味が分からないんですけど、シェダル!
「お前に守れるのか?」
風に乗って聞こえてきたのは、陛下の低い声音だった。
「シェダル、お前も私という
シェダルの剣を陛下が薙ぎ払う。後ろに飛び退って、距離を取った。
油断なく陛下は剣を構えたまま。
風にのって、陛下の言葉が聞こえてくる。
「魔法の原理を読み解き、術式を組み上げる技術だけで言うならば、ユークは真の天才だ。ユークの開発した魔法道具は実際、帝国の力になった。大胆な戦法を考案し、結果的にユークの導きで我が国の領土は広大になったのだ。だがな、シェダル。逆を返せば、能力があるゆえにユークは私のような立場の者に利用されやすい」
「……それは、分かっています」
「いいや、分かっておらんな。帝国の後ろ盾から逃れて、お前はどうやって守るつもりだ。今の時代、世界は優しくはない、弱肉強食だ。帝国の民でなくとも、
陛下による問い掛けを最後に、静寂で静まり返る。
数刻の後。
視線を落としたシェダルが顔を上げ、陛下を見据えた。
「一人では無理かもしれません」
聞こえてきたシェダルの答えに不安になる。でも、陛下に対する返答には続きがあった。
「ですが、ユークはこの五年の間に心を預けることのできる仲間と絆を結んできました。そして、俺も彼らと知り合った。彼らと手を組み、連携すれば、ユークを守れます。それで足りないのならば、利用できるものは何でも利用するつもりです」
「……そうか。あの泣いてばかりいたユークがな」
笑いを含んだ陛下の声が聞こえてきて、ぼくはショックだった。
二人ともひどい。ぼくは昔からそんな泣いてばっかりじゃないし。……たぶん。
「良かろう。お前の覚悟を認めてやろうではないか」
シェダルに向けていた剣の刃を返し、陛下は剣を鞘に収めた。そして振り返り、背後にいるローウェルに声をかける。
「気は済んだ。ロー、お前の望むように話し合いの場を設けてやるぞ」
くるりときびすを返して、陛下はローウェルに近づいていく。その姿は一見無防備だったけれど、シェダルは追撃することなく、同じように剣を鞘に収めた。
「承知いたしました。
「無駄とは何だ、無駄とは。有用な広さではないか。帝国の王が寝泊まりする場所は広くて当然であろう」
自分の国なのに、陛下はわざわざテントを張って泊まっていたようだ。戦争のための進軍じゃあるまいし、何やってるんだろうこの人。
あーあ、なんか怖がっていたぼくが馬鹿みたい。
「おお、そうだ。言い忘れるところであったな。おい、ユーク!」
「は、はいっ」
返事をした後、思わず身体が萎縮する。そんなぼくに気付いているのかいないのか、陛下は声を張り上げる。
「お前が勝手に国を出て行ったことに関しては、ひとまず不問にしてやる。そこの
「ありがとうございます。陛下、あの……」
不問って。主君に黙って国を出奔した臣下に対して、陛下がそこまでの温情をかけるだなんて。
「言い訳はしっかり聞かせてもらうからな、ユーク。いくら泣きわめこうが容赦はせん。お前には慈悲はない。覚悟しておくことだ」
緊張を緩めた途端に、ギラリと目を光らせて陛下は高圧的に睨んできた。
あの目は本気だ。本気で、ぼくに全部白状させる気だ。
やっぱり陛下はこわいよ。
うう、泣きそう。
『シャウラはこわくないよ。みんなきみのことを大切に想っているんだから、理由くらい話してあげたらいいよ』
まだいたのか、天狼にまたまた見透かされたように心話で突っ込まれてしまった。ドキリとして、涙まで引っ込んでしまう。
「もう分かってますよー!」
図星だったから、叫ばずにはいられなかった。天狼は穏やかな目でぼくを見上げて笑った。
シェダルは覚悟を決めて、ぼくのために陛下から離れることを決めたのだから。
ぼくも自分がしたことへの落とし前をつけなければならない。
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