第10話

 窓から月の光が妖しく照らしてくれる。

 廊下を歩む私の影から、一つ、また一つと、黒いモノが溢れ出す。

 それは人。それは獣。

 この世に存在する生物の形をしていながら、何にも似る事が出来ない黒いだけの物体。それらが、群れとなり私の後ろへ現れる。


「お行きなさい。愚かな者を、哀しき者を、その身で包んで上げなさい」


 彼らは一斉に飛び出していった。

 私の影の中から現れた異形の軍勢は、闇夜に紛れて城を蹂躙じゅうりんしていく。

 歯向かう者には永遠の眠りを、怯える者にはただ一晩の悪夢を。

 悲鳴が聞こえることはない。一瞬の出来事に反応は有り得ないのだから。



 歩みを進めるうちに、私はある部屋の前にたどり着いた。

 入り口からして豪華絢爛ごうかけんらんで在らせられる、ある御方の御座す部屋。

 私は失礼の無いように、開け放つ。静かに、音を立ててながら。


 部屋の中にいたその御方、次期国王へと至る資格を持つ……。

 いや、持っていたはずの御方。

 既に、そのお体を影に浸食され、顔のみがこの世に露わされるばかりの御方。


「お久しゅうございます、ラーテン様」

「き、貴様ッ! サラタッ!! なぜここにいるッ!」

「御元気なようで何より。最早この世から去るのを待つばかりの貴方様に、せめてものご挨拶にと馳せ参じました」


 スカートの裾を掴み、お辞儀を一つ。

 その仕草一つ一つが、この男には苛立ちを増幅させるだけに過ぎない。

 現に、今にも血管が切れそうな程、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけている。

 その身を闇に溶かしながら。

 

「貴様、自分が何をしているのか分かっているのかっ!? このような事をして!! 貴様を捨てたこの俺がそれ程憎いかッ!!!」

「いいえ、憎しみなどで魔女は動きませぬ。ただ均等に、失いには失いを。その身で清算して頂くだけの話ですので」

「サラタ! 貴様は、俺の……ッ!!」

「もう口も利けませんね。では、これで……」


 顔を覆われ、最後に残った口も覆われ、彼の御方が何を言いたかったのかつゆと知る事が出来なくなった。

 最後に残ったモヤへと、手向けの言葉を送る。




「おさらばでございます」




 そうして黒いモノはこの世から完全に姿を消し、ただ静寂のみが耳を騒がせてくれる。


 それからもう一つ、行かなければならない場所がある。

 闇がそれを教えてくれた。




 そこは、玉座の間。

 このような時間に誰もいるはずが無いその場所に、一人の高貴が座っておられた。

 体を黒い影に蝕まれながらも、堂々と剣を床に突き立てて、正しく王が君臨していた。


「……来たか、サラタ嬢」

「何故です? 影は、何もしなければ無害。気分の悪い夢を見せるばかりのものでしかない。それを知らないはずがありません」

「ふん、この老骨を心配してくれるのか? それも、あのような愚物の父親を」


 何故、命を落とす真似をなさるのか? 私にはわからなかった。


「時代は流れた。世継ぎがあれでは……。

 天が告げているのだ、この血の終焉を、な」


 そのお顔は皺だらけで、だからこそ威厳の凝り固まった御尊顔。

 そのお顔は笑みを浮かべる事は無く、しかし今、実に朗らかだった。

 何の悔いも無い、そのような御尊顔。


「行くといい。其方は、自由を振る舞えばよいのだ」

「……よろしいのですね?」


 王は何も答えない。

 全身が影で覆われ、顔を覆い尽くそうとしたその瞬間、笑ったような気がした。

 もうここには誰もいない、私以外は。

 

 ここを去ろう。

 そう思ったけれど、最後にふと、行きたい場所が頭に浮かんだ。

 私には、まだ欲があったのか。


 その場所へと、足が動いた。


 何故だろう? 手の中のペンダントが光った気がした。

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