第3話

 その御方、ウイル・ティリーク様との出会いよりしばらく。

 私達は掘っ立て屋敷を、人の住める家程度には改築を行った。

 

 庭は広すぎる程広く、そこに咲く花は種類もわからないがとにかく数が多いと言えば、屋敷らしくも思えるだろう。

 近場に水の湧き出る井戸も、川もある。地下水は美味しく飲水としても生活用水としても申し分は無い。

 森の近くには山もある、食料に困る事は今のところは無い。魚を捌き、兎を捌き、蛇を捌けばお腹が悲鳴を出す事は当然無い。

 幸いにして私は魔女、良心の叱咤よりも生存欲を容易く優先出来る女。

 ウイル様はそんな私にもあわれみを下さって、狩りの共とはしてくれなくなったが。


 山は良い。あの山は地が熱く煙を吹き上げる地帯があり、湧き出る水は温かい。

 元の屋敷にいた頃では味わえない贅沢かもしれない。


『……水の泡だ。分かるか? 分かるものか! 額を地に擦り付けた所とて、その頭が磨かれる事が貴様にあるはずが無い。最早貴様は子では無い、女としての価値も無い。しかし最後の情をくれてやる。……父の命令だ。消えろ』


 私が最後に見た家族の姿は神々しく、御心の高潔さには思わず涙が溢れんばかりだった。

 今の私はただのサラタ。家名は無い。


 母は慈悲を見せた。女性とは女性であると。淑女とは女性であると。

 それが最後の教え、旅立つ私に笑顔で告げた貴女のお考えには感服のあまり拳の震えも止まりませんでした。

 

 滑稽だ。惨めだ。なんたる醜態しゅうたいか。魔女を着飾るにこれ以上は確かに無い。

 家の者は全て味方では無かった。唾を吐いた者に容赦はいらぬ。それが本意で無かったとしてもだ。

 黒い魔術は呪いの輝き。黒曜石よりなお深い。目覚めた私はパペットにもなれなかったのか。

 ルーイン、貴女は白い。何処までも、誰にでも交わる白さだ。己の心すら白で塗りつぶせば、海千山千の殿方とて敵では無いだろう。


 ありがとう、私は地に擦り付けずとも頭を磨く事が出来た。本当に感謝する。

 この身にある黒は魔術だけでは無いと知る事が出来た。


「サラタ殿、水場仕事は女の役目など前時代的だ。俺にこなせない不器用さは無い」


 洗濯物を洗っているとウイル様は、盥ごと拐って続きを行う。


「いえ、我が君。このような事は下女の身に相応しき事。相応しきは相応の仕事をこなしているのみですので、どうぞお気になさらず」


 私の言葉に、ウイル様は眉根を寄せて口をへの字に曲げる。

 何か変な事を言っただろうか? 首を傾げれば、彼は苦笑して私の頬に手を当てられた。


「そのような物言いが、貴女に相応しいとは思わない。ここは我が儘を通させてはくれまいか?」

「……わかりました。それが貴方の本位であれば断る事は出来ません」


 暖かな手は、頬から離れて冷たい盥の水の中へと沈んでいった。

 

「俺は、必要以上に自分を卑下する人間は苦手だ。特に、それが貴女のような美しい人ならば尚更」

「お戯れを。しかし、今度からは気をつけましょう」


 私を見つめる彼の瞳には、何やら不思議な色があるような気がした。

 それはとても美しく見えて、同時に恐ろしくもあるように感じられて、つい目を伏せる。

 何故か心を見透かされたような気分にさせられ、ざわつく。障ると表現しても良いかもしれない。

 臭いものに蓋をするべきだ。不用意に開けるべきでは無い。しかし、無駄に拒絶などする気も起きない。

 美しい瞳には美しい物だけが映れば良い。相応しきには相応しきを。


「覚えていて欲しい事は、私の立場にございます。そればかりはお忘れなきよう」

「元がどうであったかは聞かない。だが、今の俺達に何の違いもありはしない」

「それは……」

「そうありたい。貴女が否定しようとも」

「わかりました。ならばこちらも肝に命じます」


 果たして彼は理解をしているのか?

 魔女と対等であろうとするなど、正気を疑われる愚行なのだと。


 ひとつ事実なのは、私達の奇妙な生活は続いてしまっている。

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