応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    「そういう世俗の善悪を切り捨てたところに、芸術はあるのかもしれませんね」

    芸術を成し遂げた人を振り返ってみると世俗の善悪を切り捨てるような生き方をしていた人がいたということであり、世俗の善悪を切り捨てることが芸術を極めるのに必須というわけではないことを望みます(必要条件、十分条件の例文のような ^^;)。

    うかうかしていると、どうしても後者になってしまい、世俗の善悪を超越すること自体が目的になってしまうのですよね。

    毎回楽しく拝読させていただきました。完結おめでとうございます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    世俗の善悪を弁えているかいないかと、芸術の良し悪しとの間には何の連関もない、というべきなんでしょうね。結果的に、人間としてはろくでなしな者が素晴らしい芸術家になり得る、といえるわけですが、、もちろん人格の傑れた芸術家もいます。
    特に東洋の文人画家などは、高潔な士大夫であることが前提ですしね。
    たくさんコメントをいただき、☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    「そして無数の雀は「百雀」とも言えそうです。「百」と「白」とは通じて、やはりめでたい数字」「「一+白=百」の言葉遊び」

    うわあ、こういうウイット、楽しいです! 白雀の右の翼の下三羽目の雀が少し顔を上げていて、顔の白色が他よりもはっきり目立つのも、白雀と呼応しているように見えました。あるいは、右端の上から五羽目のよく目立つ白い顔と三つあわせて三角形をなし、その頂点の目立つところに白雀が配置されているとか(うがった見方ですが ^^;)。

    『群鶏図押絵貼屏風』、墨の濃淡で、蹴爪の荒々しさ、尾羽のしなやかさ、風切り羽のかたさ、雨覆のつややかさまで表現しきるって、素晴らしいですよね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    じっくりとっくり見られましたね! 群れの形もなにか意味があるんじゃないかと想像を逞しくしてしまうようなリズムですが、三角形を読みとられるとは!
    言葉遊びも含めていろいろ想像し、分析し、(勝手に)解釈するのも絵を見る娯しみなんだと思います。
    荒々しさ、しなやかさ、かたさにつややかさ。生命を写しとって表現しきった!と感じますね。『動植綵絵』とはまた別の魅力で、好きな絵です。

  • 18 反美人画 反骨の湯女への応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。

    この『湯女図』、背景を知っているのと知らないのとでは、まったく見方が変わりますね、ありがとうございます。

    湯女たちの表情に、それぞれがふだんから心に抱えている葛藤や不満、虚無感がのぞいているような気がしました。中央の湯女の表情には確かに、一言では表しきれないものを感じます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    背景を知ると、途端に絵の見方が変わるというのが、美だけではないもう一つの面白さだと思います。『湯女図』でそんな面白さを満喫していただければ幸いです。
    仰る通り、彼らの表情からもいろんな奥深い感情が匂ってくるような。。なかでもやっぱり中央の湯女に集約されているような気がしますね。

  • 16 琳派 その広がりへの応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。

    陶芸の世界は、絵画の世界よりも味わい方が分からないなあと正直思います。

    「多くに絵を付けているのが、華やかでありながら、あやういところで俗になりきらない。粋ともまた違います」

    ふむ、やはり難しいなあと思いながらも、尾形乾山の作品を検索し、ちょっと渋めの華やかさを感じました。この渋めと感じ取れるところが、俗っぽくないにつながるのかな、と個人的に思っています。

    バーナード・リーチを検索し、九州は大分の小鹿田焼との関係を知ることができ、興味深かったです。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    小鹿田焼は柳宗悦が紹介していましたね。それで有名になってしまったために伝統が失われるのではと心配された、というエピソードがあったような。。
    バーナード・リーチと小鹿田焼の関係は存じませんでした。言われてみれば、皿の感じが似ているような。・・・でも偉そうに言っても、私も自信をもっては語れません。
    乾山は渋めの華やかさ、、そうですよね。華のなかにプラス何かがある、その何かがポイントなのかなと。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    「わかる人にしたら、そのものずばりのシーンが描かれているのは野暮だ、という審美観」

    絵画の枠を出て、いろんな芸術から日常のちょっとした遊びにも、この類推の粋というものはあるなあと思いをはせました。

    『燕子花図屏風』はリズムの躍動感に加え、燕子花が緩急つけながら微妙に右肩上がりで配置されているのも、安定感をもたらす原因なのでしょうかね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    類推の粋、たしかに! 和歌なんかでも単語ひとつで名所や古典を匂わしたりするので、それに近い感覚だったのかもしれませんね。
    『燕子花図屏風』は六曲一双(6枚組の屏風が2つで1セット)で右隻・左隻があるんですが、右隻が微妙に右肩上がり、左隻では一転してぐぐっと右肩下がりになっています。右隻は仰る通り雄渾な安定感、左隻は細やかな動きを感じるような気がしますね。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    朝鮮民画という言葉を初めて知りました。早速検索してみましたが、これ、面白いですね! 気軽に親しめる絵って感じがします。

    伊藤若冲の『池辺群虫図』も楽しい絵です。でも、この一話を読んでいなければ、綺麗でちょっと不思議な絵だなあで終わっていたと思います。鑑賞の手引き、ありがとうございます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    朝鮮民画、検索していただいたんですね。面白いですよね(^^) 共感いただけて、うれしいです。
    若冲の鶏とか鳳凰とかを好きな方からすると、『池辺群虫図』や『群魚図』のあたりはなんとなく物足りなく感じられそうですが、朝鮮民画を間にはさむと、別の魅力が見えてくるんじゃないかと思います。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    「西洋の油絵の、こってりした血」という表現がおもしろくて、妄想を膨らませました。

    確かにパッとイメージする西洋画と東洋画の大きな違いは、こってりしてるかあっさりしているか、のように思います。西洋画のむっちりと高い密度の感じられる美と、東洋画のふわりと舞い上がってほどけ散りそうな美。

    人種の差による身体的特徴の差から、人体の美をどこに求めるかがまず違ったのでしょうね。そして、そこから自然の美の見方も異なる方向に発展し、またそれにそぐうような画材を開拓していったことが、その傾向にさおさした、と。全部、妄想ですけど。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    むっちり西洋画に対して、東洋画はふわりとほどけ散りそうな美。桜を愛でる精神にも通じるような気がしますね。
    人種の違いが人体美の表現の違いにつながるという観点は、これまで持っていませんでした。言われてみれば黒人の芸術の特徴もそれで説明できそうな…。すぐに答えは出てきませんが、面白い視点を頂きました!
    画材が画風を規定するだけではなく、画風に従い画材も進化を遂げる、、これもありますよね。芸術家の多くは、表現の進化に貪欲なのだと思います。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    『老松孔雀図』、見比べてみました。若冲の模写は、画全体が一つの世界となり、そこから匂い立つような妖艶さが漂っているように感じます。もちろん素晴らしいなあと感じるのですが、孔雀本体の造形に限るなら、私は岡岷山のほうが好きです。羽繕い時に羽をわずかに逆立てたところとか、うつろな目つきとか。見方が庶民臭いのですが(笑)。模写をするからには、岡岷山の画にも模写されるだけの魅力があるのですよね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    画面全体と、孔雀だけ抜き取った場合と、、面白い見方ですね。
    たぶんですけど岡岷山の孔雀の方が、よりリアルに近いと思います。生の姿に迫ろうとして観察する熱が、羽繕いとか目つきとかに表れているんじゃないかなと。若冲の方は主題よりはむしろこの一幅全体をいかに鮮烈に描き上げるかに熱中したんだろうなと思います。
    岡岷山は若冲と同時代の、やはり写生派の流れを汲む画家です。若冲に刺激を与えたのも頷ける画ですね。

  • 11 人物の、くせがスゴいへの応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。

    東洋絵画を意識的に多数見てこなかったので、そうなんだーと目からうろこです。東洋絵画の美人画というと、「鳥毛立女図屏風」や「樹下美人図」を思い浮かべるのですが、こういうのは割とマイナーなんですね。

    くせスゴおじさんパラダイス、需要があってこその流行ですよね。絵画に求めるものが西洋とは異なっていたのだろうと想像します。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    美人図がマイナーというのは私の偏見も混じっているかもしれませんが、、美麗を極めた西洋画と比べると見劣りしてしまう、という点ではあまり反論はないのでは、と思います。
    一方くせスゴおじさんにかけては西洋画を凌駕しているんじゃなかろうか、と(^^)
    パラダイスの源になった需要って、なんだったんだろう、、とか考えるのも楽しいですね。

  • 10 自画自賛 と他賛への応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。

    「自画自賛」って、「画に相応しい詩や文言を、空いた場所に書きこむこと」なのですね。まったく知りませんでした。最近だと絵手紙なんかも、自画自賛ってことになりそうですね。それはそれでひとつの芸術の姿ともいえるかもしれませんが。

    ハンコテロ、これも面白いですね! 次から中国の芸術作品を心して見てみます。

    それにしても、余白は絵画の重要な構成要素だという意識がいきわたっていたであろう中国で、そこに皇帝がぺったぺったとハンコを押しまくっていったというのは、いったい……? 自分の権威は絵画の芸術性をも凌駕すると誇示したかったということなんでしょうかね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    絵手紙も自画自賛、、言われてみれば、そうですね(^^) ただし言葉としての「自画自賛」は自分の言動を自分で讃めるということですっかり定着していますので、不用意に自画自賛とは言えないのが要注意ですね。

    中国皇帝のハンコテロ、本当にどういうつもりだったんだ?と問い質したくなりますが、やっぱり自分なら許される、と思い上がってたんじゃなかろうかと思いますね。頂点に立った人間にありがちな病なのかも。。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    「病葉趣味」! 虫食いの葉っぱやら、傷んだ植物やらにも無常という意図が込められていることがあるわけですね。

    造形美に魅せられた場合もあろうとのこと、こちらは身をもって感じます。枯れかけたり、傷みかけたりしたものって、意外な美しさにはっとさせられることがあります。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    絵に意味や精神性を持たせがちな東洋絵画なので(西洋絵画にもそういう面はありますね…)、無常を表すのも好まれたようです。
    とはいいながら、造形美が主な動機ということは多かったんじゃないかなと思います。仰る通り、妙な生々しさと美しさがありますよね。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    弥勒菩薩の半跏思惟像は日本史の資料集で写真を見て子供ながらに惚れました。

    広隆寺のも、中宮寺のも、少しずつ異なる魅力があって好きですね。中性的でありつつ、なまめかしいというか、悩ましいというか……仏師はどんな気持ちで作成したのだろうと考えてしまいます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    子供ながらに、、渋い趣味でしたね(^^) でも、惚れてしまう気持ちは分かります。なまめかしく、悩ましい、、まさに!と思います。仏師はきっと、ヴィーナスを彫った工人と同じような気持ちで作ったんじゃないかなと思いますね。

    芸術とは?の追伸、拝読しました!
    「気の持ちよう」という考えは、ありだと思いました。
    「衝撃の大きさ」というのと重ねてみると・・・ある人にとって大きな衝撃だったものが、他の人にはそうでもないかもしれないし、同じ人でも2回・3回と見るうち印象が変わるかもしれない。
    仏像が出たついでにまた違った視点でいうと、人々が信仰して日々拝むことによって芸術に化したモノもあるような気がします。こんなのも、「気の持ちよう」の一種かもしれませんね。


  • 編集済

    久里 琳さま

    こんにちは。

    タイトルにしびれました(笑)。尾形光琳の絵なんて、まさに……と、こそっと思っていましたが、それでいいんですよね?

    「宗達・光悦の凄さは、工芸品の美を芸術の域にまで高めたことにある」

    ここで言うところの「芸術」を久里 琳さまはどのようにお考えでしょうか? 考えてみると、なかなか難しいような気がして……。ご教授いただけると嬉しいです!



    追伸)

    芸術について、お考えを聞くだけでは確かに失礼ですね。ここに長々書いてよいのかしら、と思いつつ、書いちゃいます。

    私も正直、これぞという答えが見つかっていません。でも消去法で考えていくと、結局は「芸術の本質とは、気の持ちようである」なのかしら、と。言い方、悪いですが。

    どんな芸術作品であろうと、万人にとって永遠に絵芸術であり続けるものはないでしょう(いや、もしもあるということなら、ぜひご教授ください)。

    美(人)の基準が時代によって変遷したように、芸術にもはやりすたりがあります。往時日の目を見なかった芸術家の作品が今ではもてはやされているということはよくありますよね?

    また、目の見えない人には名画は芸術となりえません。色弱のかたも、弱視のかたも、いわゆる「健常者」と同じように絵画を見てはいないはずです。耳の聞こえない人が音楽を楽しむのは困難ですし、聴覚過敏のひとには、音楽は苦痛としか感じられません。

    芸術作品を分析し、その美の秘密に迫る研究は多いと思いますが、解析できるようなものならば、それは簡単に応用できます。でもたぶん、そうして出来上がるあまたの大量生産品は芸術でなく、せいぜい工芸どまりじゃないでしょうか。となると、芸術の本質は、分析できない、もっと精神的なところにある、なんてお話になり、それはとりもなおさず、「気の持ちよう」であることを裏付けてしまうことになります。

    こんな結論にしたくないので、いつか機会があれば、上記のあらを突っついて突つき崩してください!

    長文、大変失礼いたしました。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    光琳の絵は、典型的な装飾芸術だと私も思います。(反論はあろうかと思いますが・・・)

    「芸術」とは? 根本的な、それだけに難しい問いですね。
    人の数だけ答えがありそうですが、私の考えを述べますと、、、
    ・芸術と非芸術とを区切る線があるのではなく、その間はグラデーションになっている。
    ・それでも芸術の最たるものと、非芸術の最たるものとは、明らかに別物。
    ・喩えるなら、地表から飛びたってついには人工衛星の外まで行ったとして、明らかに地上と環境は違うけれど、どこかですぱあんと切り替わったわけではない。徐々に違うものになっていって、ついにはまったく別物になっている。というような。
    ・では地表からずいぶん高いところまで行ったモノと地表のあたりのモノとの違い(つまり芸術らしさ)は何かというと、、鑑賞者に与える衝撃の大きさ、かなあと思います。時にはその人の在り方を変容させるほどの。(それほどのものは「芸術」でも稀だと思いますが)
    ・目を愉しませる、心を慰める、その他五感や心に快楽を与えることは、非芸術にも可能だと思います。だから、非芸術がダメだとは私は思いません。時にはむしろ、芸術よりも価値があると思うような工芸品に出会ったりもします。
    ・あとは、非芸術は人の目に触れるたび摩耗していくけど、芸術は触れられるほどに輝きを増す、、ともいえそうですが、ううむ・・・抽象的ですね。

    よろしければ、佐藤さんのお考えもお聞かせくださいませ。

  • 4 鳳凰には桐がつきものへの応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。

    興味深く勉強させてもらっています。

    鳳凰に桐が、鳳凰に松になり、鶴になり、猿になり、鸚哥にもなったり……これではもう元が分からない! と思っていたら、

    「そんなときでも申し訳程度に、画面の端っこに桐の葉が描かれている」

    ……ありがたい。これから桐の葉を探しながら絵を見てみます。

    作者からの返信

    こちらにもお越しいただき、ありがとうございます!
    プラハとはずいぶん趣が違いますが、、東洋美術もまた美しく、奥が深いです。
    動植物の出てくるシーンにも決まり事や相性があったりして、そんな目で見るのもおもしろいですね。その決まり事につい手を加えて変化させたりするのは、芸術家の性なのかと思ったり。
    鳳凰に桐や竹が一緒に描かれているのを見たら、「この画家は基本を守るタイプだな」と考えていただいてよいかもしれません。

  • 新たな視点を得ることが出来る楽しいエッセイでした!
    絵画もその根底に流れるストーリーを知ることでまた新たな視点、ストーリーを獲得できますね。
    大変面白い作品でした!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    背景を想像すると、絵画を見る楽しみが広がることがありますよね。新しい視点を提供できたのであれば幸甚です。
    最後までお付き合いいただき、☆もいただいて、ありがとうございました!

  • これまで仏像が好きと言うのが理解できなかったのですが、なるほどと思いました。あらたな視点をもらった感じです!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    仏像好きはマニアックですよね。でも実は、私の周りには実在するのです。つられて見ているうち、興味も湧いてきたㇼ、、ちょっと毒されているかもしれません(^^)

  • 私も絵の目的って飾って楽しむことだと思ってます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    ご賛同ありがとうございます(^^) 身の回りに絵がある生活っていいですよね。

  • 『地獄変』は衝撃的ですよね。『月と六ペンス』はまだ読んだことがないので、すごく興味が湧きました。
    どのエピソードも読み応えがあり、参考文献として挙げてくださった画題を検索して眺める時間と合わせて楽しませていただきました。特に心を掴まれたエピソードは、少し前の湯女のお話。絵を見る視点が変わるだけで、こんなにも強い感情を受信できるのだということが、とても鮮やかでドキドキしました。読ませてくださり、ありがとうございました。すごく面白かったです!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    『月と六ペンス』も、『地獄変』とはまた違ったドラマがありますので、機会がありましたら是非、お読みくださいませ。
    湯女は、絵の背景を読む楽しさ、読むことでもっと絵を楽しめることを知る恰好の例だと思います。ほかにも探してみたくなりますね。
    この「手引き」を書きながら、『夜明けのミモザ』を思い出していました。お楽しみいただけて、幸いです。
    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

  • 『地獄変』と『月と六ペンス』は読みましたが、強烈な話でしたね!
    画家を主人公にした作品ってなぜか「芸術家の背負う業」みたいなものをテーマにした話が多いのが面白いですね!
    東洋絵画には疎いのですが、大変勉強になりました!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    芸術家の超俗と傲慢は紙一重だと思えますよね。でも、それで心をふるわせる美しいものが生まれるなら、すべてを許してしまえる気もします。
    これを機に、東洋絵画にも親しんでいただけましたら幸いです。
    最後までお付き合いいただき、☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 久里様、こんばんは😊

    久里様のエッセイとても興味深く読ませて頂きました。
    紹介された作品は、検索して見ながら、読ませて頂くとより面白かったです。
    今まで東洋絵画に触れる機会があまりなかったのですが、機会を作ってじっくり味わってみたいと思いました。
    色々勉強になりました。
    ありがとうございます✨✨

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    絵も見ながら読んでいただいたんですね。絵と文と合わせて完成するような文章ですので、両方を楽しんでいただけたのなら幸甚です。
    意外と東洋絵画は側に転がっていますので、ぜひ、親しんでいただければと思います。
    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

  • 18 反美人画 反骨の湯女への応援コメント

    湯女についてはこの度初めて知りましたし、絵も検索して見てみました。本当に九里琳様の仰る通りに見えますね!
    エミール・ゾラが小説で描いた貧しい庶民の泥臭い世界みたいでワクワクします。
    こういう生々しい人間ドラマが見えると、絵画ってより一層楽しいですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    絵を見に行っていただいたんですね。背景を思い浮かべると、表情もしぐさも生き生きと見ちがえて映りますよね。
    ゾラの泥臭い庶民の世界! 女たちがますます逞しく見えますね(^^) そんな想像を広げられるのも、絵画の魅力だと思います。

  • 連載お疲れ様でした!
    小説で、絵や絵師を表す。いつか取り組んでみたいテーマです。
    久里さんの教養の深さが知れて、とても興味深いエッセイでした(^^)

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    好きなものは、深く知りたくなって、いつの間にか詳しくなりますね。
    自分で小説にするのも面白そうですね。絵を描かれる黒須さんなら、また違った視点からの絵師を生み出されそう……楽しみです!

  • 取り上げていただき、ありがとうございます。
    感謝です。


    月と六ペンスと言えば、北杜夫氏がアンカレッジかどこかで、英語で話していてどうしても「6Pence」が通じず、気がついたら「ろくぺんす」と言っていたと書かれていました。
    『月と六ペンス』のせいだろう、と。
    確かにありそうだなぁ、と思いました。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    ここではあまり取り上げませんでしたが、狩野永徳や長谷川等伯も、好きな画家です。雲谷等顔、海北友松なんかもいいですね。
    名作がいろいろあるなかで、洛中洛外図を択ばれたのも、いいなと思いました。
    英語で喋っているつもりが、知らずに日本語が混じっていること、、ありますね。ある程度話せる人の方が、ついうっかりやってしまうような気がします。北杜夫を惑わせた「6ペンス」、凄い影響力ですね(^^)

  • 白寿なんて言葉もあるくらいポピュラーな言葉遊びですから、正鵠を射ているのではないでしょうか。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    99歳=白寿は、昔から身近な例ですよね。この手の洒落は、江戸の人にはお手のものだったような気がします。心強い太鼓判、ありがとうございます。


  • 編集済

    完結おめでとうございます。
    ゴッホの場合、弟の献身が神の領域だった記憶が。
    芸術家には、やりたい放題させてくれる環境が必要ですね
    月と6ペンス、読んでみようかな

    2023.04.03追記
    大変失礼しました、ゴーギャンとゴッホを空目しておりました。。
    とんちんかんなコメントにお返事をありがとうございました。m(_ _)m

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    ゴッホと弟テオのお話は、高校のときだったか、英語教科書に出てきたのを覚えています。理解者・支えてくれる人がいないと、途中でつぶれる芸術家もいたでしょうね。
    『月と6ペンス』にはゴッホらしき人は出てきませんが、ゴーギャン(と言われている登場人物)だけでも、なかなか面白いです。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 完結おめでとうございます。
    とても楽しかったです。

    画家自身の生い立ち、取り巻く社会や流行りがあって
    名作が生まれてきたんだなって思いました。
    勉強になりました。ありがとうございます♪



    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    楽しんでいただけて、うれしいです。
    絵は、画家の個性・才能がもちろん最重要ですが、置かれた時代・環境のなかで完成するのだと思います。そんな一面から、また違った視点から絵を楽しんでいただければ幸いです。
    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

  • 東洋絵画は今まであまり馴染みのない世界でしたが、『創作』という観点で腑に落ちるお話がたくさんあり、大変興味深かったです。
    『地獄変』、小学生の時に読まれたんですか! あの作品は本当に衝撃的ですよね……!
    サマセット・モームはタイトルだけ存じていました。今度読んでみます。
    連載お疲れ様でした!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    絵と文字の違いはあっても、同じく創作なんですよね。書くことにつながりそうな、なにか響くものがありましたら幸いです。
    『地獄変』は衝撃でしたね。図書館で目についたものを適当に読んでいたら、、とんでもないのに当たりました(^^;) でも惹かれるものがありました。
    最後までお付き合いいただき、☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 18 反美人画 反骨の湯女への応援コメント

    売春は反社と結果として必ず結びつくので、権力が管理以外は抑えるのはある意味当然で……。

    私娼なり夜鷹なり飯盛女の方が得てして吉原より悲惨……。

    吉原の遊女が下に見るのも当然なんでしょうね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    彼らの資金源でもあり、逃げこんだり仕込んだりする場でもありますね。やはり放置するわけにはいきませんよね。
    私娼からは生活臭がするような気がします。たいてい炭に塗れたような。吉原も苦界でしょうけど、天地ほど別物に見下してたでしょうね。

  • 18 反美人画 反骨の湯女への応援コメント

    なるほどぉ、、そう言われてみると、
    湯女たちから「ツンッ!」て擬態語が聞こえてきそうな。
    右側にいた遊女たちはどんな描かれ方をしていたのか、
    なんで残ってないのか、、(現代でも誰かが独占してる??
    色々と想像を掻き立てられますね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    湯女たちの「ツンッ!」、かなり冷たく尖ってそうですね(^^)
    実はこの絵は江戸時代の時点で既に欠けた姿だったことが分かっています。欠けた部分がどこにあるのかは深い謎ですね。そこを再現する試みも、面白そうです。

  • 18 反美人画 反骨の湯女への応援コメント

    こんにちは。
    前話で絵を見ました。そして久里様の解説を拝読して再度みると
    おおってなりました。それで色んな湯女がいたんですね。
    なぜか湯女たちを応援したくなります。

    現代に当てはめると(私の勝手な妄想)ソープランド嬢と銀座のホステス。
    やはり、政治家の寵愛を受けるのは高級クラブのママ。

    悲哀と反骨。ああ、すごく分かります。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    背景を思い浮かべると、絵の印象が変わりますよね。湯女たちへの感情も。悲哀、反骨には感応してしまいます。私も湯女を応援したくなりました。
    現代にすると、、、さすが秀逸ですね! 昔の遊女は、今の高級クラブのママ! 女の園の戦いが目に浮かびます(^^)

  • 18 反美人画 反骨の湯女への応援コメント

    看到您的讲解,让我不禁想到香港武侠电影中的台词“有人的地方就有纷争,有纷争的地方就有江湖!”
    这幅作品虽然描绘的是女性踏春赏樱的场景,但是暗藏着刀光剑影。
    曾经我的老师告诉我,绘画就去凸显图画的冲击性,去全心全意的去研究线条!去研究构图!去研究明暗关系!去研究色彩影响!不要去深究内在的故事性。
    但是,我总是做不到老师的要求。大脑中总会胡思乱想。也许这就是我最终放弃绘画的原因。
    不过能从不同的绘画中看到隐藏在背后的故事,也真的很棒!







    ご説明を見ていると、香港の武士映画のセリフ「人がいるところには争いがあり、紛争があるところには江湖がある!」
    この作品は女性が春の花見をするシーンを描いているが、刀の光と剣の影が隠されている。
    かつて私の先生は、絵は絵の衝撃性を際立たせ、全身全霊で線を研究することを教えてくれました!構図を考えろ!明暗関係を研究せよ!色の影響を研究しよう!内在する物語性を深く追求してはいけない。
    しかし、私はいつも先生の要求をすることができません。頭の中ではいつもあれこれ考えている。それが私が最終的に絵を放棄した理由かもしれません。
    でも裏に隠された物語を違う絵画から見ることができて、本当に素晴らしいです!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    人の世に争いは絶えず、人の争いを見守る山河は悠久です。それでも人は、矜持を守るために自身の生命を懸けるんでしょうね。
    絵の先生が、線や構図、色や濃淡を追求しなさいと言うのは正しいんでしょうけど、物語も忘れられないですよね。絵を描くときに物語がどうしても浮かんでくるのは、分かる気がします。
    ご紹介した絵は、隠された物語を読み解くことで、より鮮やかに見ることができたと思います。こんな見方もいいですよね。

  • 18 反美人画 反骨の湯女への応援コメント

    すごい……一気にドラマチックに見えてきますね!!
    私も自作のために江戸時代ごろの風俗事情を調べたので、お国の規制のある中で私娼がどんな存在だったか、何となくイメージできました。
    とても興味深いお話でした!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    名古屋の事情は私は疎いですが、御三家の御城下ですから栄えていたんでしょうね。それでも私娼には暗い一面もありますよね。
    北斎が夜鷹を描いた絵もあって、そちらも心象の想像を搔き立てます。物語が見えてくると、俄然ドラマチックになりますよね。

  • 17 反美人画 湯女への応援コメント

    湯女図、検索してみました!
    確かにお顔はちょっと個性的な感じがしますが、着物の柄があでやかで、見返りっぽい立ち姿など、女性らしい色気を感じました。なんだか隅々まで見てしまう絵ですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    湯女図、見ていただいたんですね。
    『見返り美人』が思い浮かびますよね。女性らしさもあるような気がします。それぞれの女性に、どんな背景があるのか、次回をお楽しみくださいませ!

  • 17 反美人画 湯女への応援コメント

    因为日本绘画和中国绘画有着很深的渊源。
    在这种以女性为题材的画作中也有脉络可寻。
    日本和中国同样属于儒家文化圈,早期对女性的描绘都比较含蓄,以丰腴庄严中透出柔美。
    但是,中国明朝中叶是一个明显的分水岭。明朝中期因为东西文化融合,以及经济上的繁荣,政治上的宽松。于是在中国南方出现专门画春宫图的一批文人。初期绘画大师一般不屑于绘画这种画作。
    但是唐寅,唐伯虎的出现打破了这个帐幕。唐伯虎的春宫图艺术价值极高,同时唐伯虎名气极大。他的作品也流传极广!也有大量作品由海贸进入日本。
    同时期日本又受到天主教影响。相互融合下,画风也有着很大的改变。
    以上个人浅见。





    日本絵画は中国絵画と深い縁があるからだ。
    女性を題材にしたこのような絵にも脈絡がある。
    日本と中国は同じ儒教文化圏に属しており、初期の女性の描写は比較的含蓄があり、ふっくらとした荘厳さの中にしなやかな美しさがにじみ出ていた。
    しかし、中国の明朝中葉は明らかな分水嶺である。明朝中期は東西文化の融合、経済的繁栄、政治的緩和のためだった。そこで中国南方に春宮図を専門に描いた文人たちが現れた。初期の絵画家は一般的に絵画という絵を描くことを潔しとしなかった。
    しかし唐寅、唐伯虎の出現はこの幕を破った。唐伯虎の春宮図は芸術的価値が極めて高く、同時に唐伯虎は非常に有名である。彼の作品も広く伝わっている!海貿から日本に進出した作品も多い。
    同時期に日本はカトリックの影響を受けた。互いに融合して、画風も大きく変わった。
    以上の人は浅知恵である。


    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    明朝の頃が分水嶺というのはその通りだと思います。宋・元の時代に山水画があれほどの完成を見たのは驚異的で、世界の宝だとも思える一方で、明に入って新たに展開していったのも、とても貴重だと思います。この時代の絵は、日本や朝鮮への影響も大きいですね。
    唐寅もいいですね。美人図だけでなく、山水画も好きです。

  • 16 琳派 その広がりへの応援コメント

    ボストン美術館で、尾形乾山と尾形光琳の器が並んでいました。
    よくもまあ、こんなところで見られたものと思いましたよ。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    ボストンで尾形兄弟ですか。それはまた、、奇しき巡り合わせですね。
    けっこう海外にも流れているんですよね。行った先で大事にされているなら、それはそれでよいことだと、私は思います。

  • そうなんですか!
    日本の浮世絵などが西洋の画家に影響を与えた事はよく伝えられているけれど、逆のパターンもあったんですね!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    じつは西洋の画法は、日本の画家たちにも影響を与えていたんです。そこから育った絵がまた巡り巡って西洋の画家たちに影響を与えたんだと考えると、面白いですね。

  •  朝鮮民画といえば、虎と鵲のイメージが強かったのですが、魚の作品、見てきました。不思議な空間というか、自分がどこにいるのか一瞬? と感じさせられるような…民画の作風は現代の木版画やコルゲクリム(街頭行動バナーに描かれる絵画)にもうかがえます。野栗は大好きです💗

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    虎のイメージは私も強いです。ユーモラスな虎も好きですが、魚や水辺の絵も魅力的です。不思議な空間ですよね。
    その作風がコルゲクリムにもうかがえる、、と言われてみると、たしかに! 棟方志功を間に入れると、より鮮明に両者のつながりが見えてくるような気がしました。

  • 久里様 
    こんにちは。
    参考の絵を全て見てきました。
    燕子花だけ、橋あり。やはり違いますがバランスがいいですね。
    リズム感もあります。そんな視点で見たことがなかったので新鮮でした。

    四季草花図屏風の美しいこと。
    日本人が好むリズム(構図)に合ってるのかなって思います。
    五、七、五、七、七みたいな。感覚です。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    見てきていただいたんですね。どの絵にも、それぞれの魅力がありますよね。
    「バランス」という見方もできますね。どこに何を置くかというセンス。現代アートのなかにこっそり紛れこませても違和感なさそうです。
    五七のリズムみたいという直感も、すごいですね。琳派の美は、音楽とも相性がいいような気がします。

  • 朝鮮民画 魚介見てきました。
    確かに気負いのない絵ですね。

    蓮池游魚の魚、初めて子供が魚の絵を描くアングルだなと思いました。
    味がありますね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    こちらも見ていただいたんですね。
    子供が描くアングル、言われてみればそうですね。そういう緩さが魅力のひとつなんだと思います。味、ですね。

  • 久里様、こんばんは😊

    「朝鮮民画」初めて知りました。
    なのでググって見ました。
    空間の転換っていうのですか。
    独特の構図ですね。
    久里様の解説を読んで見ると面白いです。
    いつも知らない世界を教えていただきありがとうございます✨

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    朝鮮民画は、まさに独特の構図ですよね。好き嫌いは分かれそうですが、好きな人はクセになってしまいそうな引力をもっています。
    新たな絵の魅力を感じていただければ幸いです。

  • 10 自画自賛 と他賛への応援コメント

    唉!(提到弘历真是让我无法说了)
    乾隆啊!怎么说啊!很纠结!
    理论上,中国画中留白的手法是一种比较独特的艺术表现形式。类似文学或影视作品中的开放式结局。
    而在古画或名画上题诗、提拔。在中国绘画上本来是一种雅趣。
    在中国提拔(就是在绘画上留下印章),最主要是两种用途。
    一,收藏家提拔,这是鉴定和历史脉络传承的作用。证明这幅画或字,由哪一位大师鉴定过。在哪一位大师的手中传承过。
    二,艺术家提拔,本身在中国雕刻印章也是一种高深的艺术形式。属于书法的另一种表现形式。一般来说,敢在名画上提拔的也同样是不逊色绘画作者的大师。这类似文学作品中给别人的作品中写“序”。怎么样去题,在什么地方题,什么样的大小,什么样的字体等等,都十分讲究。并且要求提拔后使绘画或书法作品,提高一个层次的艺术性。
    当然,提到乾隆(弘历),这就又涉及到别的原因。乾隆的题字,题诗和提拔是中国历史上最多的人!并且他的这些举动大多都是对美的破坏!虽然,理论上有乾隆御批可以在拍卖会上确定物品的真实性和卖个更好的价格。
    清朝是中国历史上少数民族统治的朝代。为了稳定统治,文化上的认可与融合就必不可少。乾隆的这些举动,本身的政治意义就大过艺术意义。当然乾隆肯定也对这些绘画和书法是真心的喜欢。但是,按照真正中国文人思想的话。乾隆的这种行为就像是一个小丑一样!
    自身文化素养不够,硬生生的去把自己和大师绑定在一起。这可以说是自爆奇丑的行为。
    但是,如果从政治角度去理解的话,乾隆的行为就是一步很巧妙的处事方法了。乾隆通过这种行为把少数民族统治者和汉民族的儒家文化紧密的绑定在一起,减少了文人对少数民族统治者的抵触情绪。
    对不起,又说了很多不成熟的观点。







    ああ!(弘暦といえば何とも言えません)
    乾隆よ!なんということだ!とても葛藤します!
    理論的には、中国画における余白の手法は比較的独特な芸術表現形式である。文学や映画・テレビ作品のオープンエンドに似ている。
    古画や名画に詩を書き、抜擢する。中国絵画ではもともと雅趣だった。
    中国での抜擢(絵に印鑑を残すこと)は、主に2つの用途である。
    一、コレクターの抜擢、これは鑑定と歴史の脈絡伝承の役割である。この絵や字を証明するには、どの巨匠が鑑定したのか。どの巨匠の手に受け継がれてきたのか。
    二、芸術家の抜擢、自身が中国で印鑑を彫るのも高深な芸術形式である。書道の別の表現形式に属する。一般的に、名画に抜擢されたのも同じように絵画作家に劣らない巨匠だ。これは文学作品の中で他人の作品に「序」を書くようなものだ。どうやって問題を解くのか、どこで問題を解くのか、どんな大きさなのか、どんな書体なのかなど、とても凝っています。そして、抜擢後に絵画や書道作品を一段階芸術性を高めることが求められている。
    もちろん、乾隆(弘暦)といえば、これはまた別の原因に関連している。乾隆の題字、題詩と抜擢は中国史上最多の人だ!そして彼のこれらの行動の多くは美に対する破壊だ!理論的には乾隆の御許可がありますが、オークションで品物の真実性を確定し、より良い価格で売ることができます。
    清朝は中国の歴史上少数民族が統治していた王朝である。統治を安定させるためには、文化的な認可と融合が不可欠である。乾隆のこれらの行動は、自身の政治的意義が芸術的意義よりも大きい。もちろん乾隆もこれらの絵画や書道が心から好きになったに違いない。しかし、本当の中国文人思想によれば。乾隆のこの行為はまるでピエロのようだ!
    自分の文化的素養が足りないので、無理に自分と巨匠を結びつける。これは奇醜を自爆する行為と言える。
    しかし、政治的に理解すれば、乾隆氏の行為は一歩巧妙な対処法である。乾隆氏はこのような行為を通じて少数民族支配者と漢民族の儒家文化を緊密に結びつけ、少数民族支配者に対する文人の抵抗感を減らした。
    申し訳ありませんが、また多くの未熟な観点を言っています。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    この文章ではかなり単純化して書いていますので、深い事情は省いてしまっていますが、仰る通り、絵に印を残すのには意味がありますよね。乾隆帝も、自分に鑑識眼があると信じているからこその押印で、後世から見たらその勘違いがまた鼻についてしまうのだと思います。
    漢民族ではないけれども漢文化の理解者なのだ、と表明することは、政治的に意味あることだったのだ、とのご指摘も納得です。芸術面はともかくとして、政治家としてのセンスはやはり優れていたようですね。
    賛についても、絵と賛とが相俟って一つの作品として完成するような、理想的なものが多くあるのは勿論です。あるいは、解題によって絵が身近になったり価値が高められたりすることも。様々な形があって、賛に着目して絵を見るのもおもしろいですね。

  • 恥ずかしながら初めて聞きました。
    眼鏡絵。応挙の『京三条大橋』を見てみました。
    たばこの看板の字が逆さでした。こういう事ですね。

    昔、テレビで『何でも鑑定◯』みたいなのをやっていて
    応挙の名前ばかり出ていましたが、やはりいい仕事してたんですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    眼鏡絵は、あんまり展覧会の目玉にはならないので、マイナーかもしれません。看板が逆さになっているのに気づかれるとは、鋭い着眼ですね!
    応挙はもっと評価されてもいいと思います。(江戸・明治の頃は高く評価されていました)

  • 4 鳳凰には桐がつきものへの応援コメント

    对不起。
    麻雀在中国的青铜器时代是爵的象征。这没有错误。这也就是我所说的麻雀很特殊。
    例如,麻雀和竹子画在一起,就有步步高升的意思。和牡丹画在一起就是勤劳富贵的意思。
    但是,随着一些政治上的原因。一些高级官员为了像皇帝表明自己没有夺权等等的意图。就画杂草石头和麻雀的组合。这是取自秦末农民起义军领袖陈胜的一句话“燕雀安知鸿鹄之志”。
    因为在中国绘画大师一般来说都是高级文人。并且都喜欢用诗歌,音乐,绘画来表达自己的意图和感情。
    所以在绘画取材上都十分谨慎。例如本章中所描述的凤凰,取自西周故事“凤栖岐山”和汉朝“卓文君的故事”。梧桐木是制作中国古琴的材料,在中国传说中凤凰只栖息在高大的梧桐树上。用梧桐木制作的古琴,在弹奏到至高境界可以吸引凤凰伴舞。
    凤凰同时在中国有独特的政治地位,凤就是皇后,凰也就是皇帝。一般来说画凤凰的大多是宫廷画师。普通文人是不敢画的。
    同样我记得前边提到的麒麟,这是皇太子的象征。杀麒麟就意味着皇帝要杀他的大儿子(皇位继承人),这就是国家的大灾难。
    对不起,本想稍微说一下麻雀的。却又啰嗦了这么多。







    すみません。
    スズメは中国の青銅器時代には爵の象徴だった。これは間違いありません。これはつまり私が言ったスズメはとても特殊です。
    例えば、スズメと竹が一緒に描かれていると、ステップアップの意味があります。牡丹と一緒に描くと勤勉で富貴という意味です。
    しかし、いくつかの政治的な理由に従って。一部の高官は、皇帝のように権力を奪うなどの意図がないことを示すためだ。雑草石とスズメの組み合わせを描きます。秦末の農民蜂起軍指導者陳勝の言葉「燕雀安は鴻鵠の志を知る」から取ったものだ。
    中国では絵画の巨匠は一般的に高級文人だからだ。そして、詩、音楽、絵画で自分の意図や感情を表現するのが好きです。
    だから絵画の取材には慎重だった。例えば、本章で描かれている鳳凰は、西周の物語「鳳栖岐山」と漢の「卓文君の物語」から取った。梧桐木は中国の古琴を作る材料で、中国の伝説では鳳凰は大きな梧桐の木にしか生息していない。桐の木で作られた古琴は、最高の境地まで弾くことで鳳凰のバックダンサーを引き付けることができる。
    鳳凰は同時に中国で独特の政治的地位を持っており、鳳凰は皇后であり、鳳凰は皇帝である。一般的に鳳凰を描くのは宮廷絵師が多い。普通の文人は描く勇気がない。
    同じく前述の麒麟を覚えていますが、これは皇太子の象徴です。キリンを殺すことは、皇帝が長男(皇位継承者)を殺すことを意味し、これが国の大災難だ。
    すみません、雀のことを少し話そうと思っていました。なのにまたこんなにくどい。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    雀も、何とセットで描かれるかで意味が変わるのですね。また、叛意を疑われれば命に関わる高官たちが、画題に慎重になるのはよく分かります。王族でも、例えば曹植の詩の気遣いなどは涙ぐましいほどですね。
    鳳凰は皇帝・皇后で、麒麟は皇太子。となると、迂闊な描き方はできないですね。鳳凰の絵も、そこそこ描かれている気がしましたが、これは文人の描いたものではなく、職業画工の描いたものだろうということですね。
    描いたのが文人官僚なのか職業画工なのかで、分けて考えるべきかもしれません。勉強になります。

  • 角度は違いますが、これが最終的に「横浜植木花菖蒲輸出カタログ」とかになっていくんでしょうね。

    興味深いです。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    まさに、つながっていると思いますね。「本草図譜」なんかも、その流れのなかにあると思います。
    互いに影響が往還していく関係がおもしろいですね。

  • 在鸟兽图中,中国和日本的吉祥物大多较为相似。
    但是,在这里有一些误区。
    可能是这些中餐厅在悬挂绘画上也有错误。
    中国画中对于“鱼”的图形大多有金鱼,鲤鱼,柳条鱼和神仙鱼四种。只有在中国版画中(年画)才有取谐音“剩余”的意思。
    画金鱼意味着“金玉满堂”,意思来饭店就餐的顾客都是品德高尚的有钱人(哈哈,这是对顾客的一种逢迎)。
    鲤鱼,在中国传说中,鲤鱼跳过龙门可以变化成为龙。这是希望自己有光明远大的前途。
    柳条鱼,这是预示喜欢自由,愿意做一位隐士。
    神仙鱼,因为形象较为凶猛,寓意武士虽然文雅但是依然武力超群。
    麻雀在中国画中是很特殊的存在。一般来说是寓意勤劳和与世无争,没有与人争名夺利的意思。理论上如果饭店悬挂麻雀图,是很不正确的。
    对不起,又说了一些拙劣的见解。





    鳥獣図では、中国と日本のマスコットの多くが似ている。
    しかし、ここではいくつかの誤りがあります。
    これらの中華料理店が絵画をぶら下げているのにも間違いがあるのかもしれない。
    中国画の「魚」に対する図形の多くは金魚、鯉、柳条魚、神仙魚の4種類がある。中国版画(年画)でのみ語呂合わせの「余剰」を意味する。
    金魚を描くことは「金玉満堂」を意味し、ホテルに食事に来た客はみな品格の高い金持ちだという意味だ(ははは、これは客への一種の迎合だ)。
    鯉は、中国の伝説では、鯉が龍門を飛び越えると龍に変化すると言われています。これは自分に明るい将来があることを望んでいる。
    柳条魚、これは自由が好きで、隠士になりたいということを予告している。
    仙人魚は、獰猛なイメージがあるため、武士が上品だが武力は抜群であることを意味している。
    スズメは中国画の中では特殊な存在だ。一般的には勤勉と世と争うことなく、人と名利を争う意味はないという意味だ。理論的には、ホテルにスズメの絵をぶら下げるのは正しくありません。
    申し訳ありませんが、また拙い見解を言ってしまいました。

    作者からの返信

    続けてお読みいただき、ありがとうございます!
    本家だからこその深い説明を伺えて、うれしいです。私の吉祥図の理解は入口に足を踏み入れた程度というのは承知していましたが、やはり説得力が違いますね。
    雀と爵の連想は、昔、中国絵画を研究していた方から聞きました。
    雀の絵は中国でも幾つか見たことがありますが、もしかしたら意味が違っていたのかもしれませんね。隠逸を志向しているのだとしたら、正反対の方向ですね。。
    ☆もいただいて、ありがとうございました! 引き続き、気になるところをご指摘いただければ、ありがたいです。

  • 2 東洋絵画の系譜への応援コメント

    您好。根据我个人的理解
    中国画—日本绘画—西洋画这三者之间因为各自文化不同所以有着过度关系。
    就中国画而论有写意,工笔,版画等等之分。日本的浮世绘和中国的版画形式最为接近。
    因为中国绘画是文人技艺,即:琴棋书画。而中国文人对于画这种技艺,最高境界为心道。也就是画中的颜色和物体形态全部是由心而发。这也造就了绿树并不一定就是绿色的情况。
    中国绘画传入日本后。日本同样根据中国绘画的基础上创出了自己独特的艺术形式。而日本独特的艺术形式又和日本人独特的性格特征密不可分——严谨。正因为日本人严谨的性格特征,所以日本绘画中要比中国绘画更加的凸显世界的本质内容。
    而西洋画,这里以油画形式印象派描绘为主。自从文艺复兴运动后。西方绘画吸收了更多的新型知识体系运用。光学色彩原理等等。同时,因为新思潮的崛起,人文理念壮大。笔触也更加狂野,从这些笔触中也抒发出画家的不羁。(这里的笔触可以对比中国南北朝时期绘画作品,同样那个时期是中国画家最放纵的时期)
    对不起,只是简要说一些我个人的看法。请您见谅。
    对比作品:唐伯虎《仕女图》
    浮世绘《仕女图》
    高更《阿尔勒女人》
    莫高窟壁画《飞天图》
    《清明上河图》
    等。





    こんにちは。私個人の理解によると
    中国画-日本画-洋画の3つの間には、それぞれ文化が異なるために過度な関係がある。
    中国画については写意、工筆、版画などの区別がある。日本の浮世絵は中国の版画形式に最も近い。
    中国の絵画は文人の芸であるため、つまり琴棋書画である。中国の文人は絵という芸に対して、最高の境地は心道である。つまり、絵の中の色や物体の形はすべて心から発せられている。これは緑の木が必ずしも緑であるとは限らない状況を生み出している。
    中国絵画が日本に伝わってから。日本も同様に中国絵画に基づいて独自の芸術形式を作り出した。日本独特の芸術形式はまた日本人独特の性格特徴と密接に分けられない——厳密である。日本人の厳密な性格の特徴だけに、日本絵画の中では中国絵画よりも世界の本質的な内容を際立たせている。
    西洋画では、ここでは油絵形式の印象派が中心に描かれている。ルネサンス運動後。西洋絵画はより多くの新しい知識体系の運用を吸収した。光学色の原理など。同時に、新しい思潮の台頭により、人文理念が大きくなった。タッチもよりワイルドで、これらのタッチからも画家の不屈さが表現されている。(ここの筆致は中国南北朝時代の絵画作品と比較することができ、同様にその時期は中国画家が最も放縦な時期である)
    申し訳ありませんが、私個人の意見を簡単に言ってください。どうかお許しください。
    対比作品:唐伯虎『仕女図』
    浮世絵「仕女図」
    ゴーギャン『アルル女』
    莫高窟壁画「飛天図」
    『清明上河図』
    などがあります。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    絵画や文化にお詳しい方とお見受けしました。
    仰る通り、中国画、日本画、西洋画それぞれには文化的気質がそれぞれ背景としてありますよね。特に中国の絵画には文人の存在が色濃く見えるのが興味深いです。明代の董其昌の画論を待つまでもなく、中国で雅趣高い文人画が好まれたのは、わかる気がします。
    それが日本に伝わってどのような花を咲かせたのか、というのも面白いところです。
    文字数の制約と、専門外の方にも楽しんでいただきたいという思いもあって、簡単に触れる程度ではありますが、この先の回で文人画や中国絵画と日本絵画の関係などにも言及していますので、そちらもご覧いただければと思います。

  • こんにちは。
    見比べてみました。
    やはりオリジナルを凌駕していますね。
    ド素人ですが、模写、模写、模写していくだけではなく
    やはりそこにはプラスアルファがないと後代に名を残せないのだと思いました。

    円山応挙は有名ですが、久里様のおかげで詳しく学べました。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    見比べていただいたのですね。絵から受けるインパクトが全然違いますよね。
    模写であっても人に感銘を与えるような特質があって、そんな画家だからこそ名品を生みだせるんでしょうね。
    円山応挙も、名品をたくさん残していますので、また機会があればご覧いただければと思います。

  • 創作の世界では「オリジナリティとは何か」みたいなことが議論されやすい気がしますが、模写や写経は基礎を学ぶという点でもきっと大事ですよね。

    つい先日、カクヨム公式さんが載せている芥川の『地獄変』を読んだので、その内容も思い出しました。
    単に姿形だけでなく、場の空気感や音や動きも全身で感じ取って描く、絵画だからこそ吹き込める命もあるんだろうなと思います。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    オリジナリティもいいですが、仰る通り、本物に即いて基礎から学べば、大いに得るものがあると思います。文章でも言えることかもしれませんね。
    じつは最終話で、『地獄変』にも触れるつもりでいます。(ちらっとだけですが、芸術家の業みたいなものを紹介しようかなと)
    言われてみれば、、あの絵師も本質は「写生派」ですよね。

  • 11 人物の、くせがスゴいへの応援コメント

    久里様。

    私も見てみました。
    ハナス様がめちゃくちゃ笑ったと仰る通り笑えました( ´艸`)
    うふふ、確かにクセが強い!
    面白いですね。
    東洋絵画を見て笑うって事、あるんですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    見てきていただいたんですね。お二人そろって笑いを誘ってしまうとは、、やはりクセが強い(^^)
    東洋絵画は、じつはけっこうユーモアがちらほら見え隠れします。そんなのを見つけるのも面白そうですね。
    ☆もいただいて、ありがとうございます!

  • 久里 琳 様、こんにちは😊

    尾形光琳から琳派って言うんですね。
    絵画の事は、全くの無知で、いろいろ勉強になります。
    『扇面散屏風』や『燕子花図屏風』をググって見てみました。
    見たことはありましたが、解説を聞いた後、見るとまた格別な味わいがありますね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    琳派の画風は尾形光琳以前から続いているのですが、光琳とその周辺で花開いたため、琳派と呼ばれることになりました。
    絵は「好き」「きれい」でいいのだと思います。「好きだからもっと知りたい」となる人もいるというだけで。
    そんな楽しみ方を、いくつかご紹介したいと思います。この機にすこし足を踏み入れて、こんなのも楽しいと思っていただければ幸いです。

  • 11 人物の、くせがスゴいへの応援コメント

    クセが強い?
    本当に?見てきました!こんにちは。

    めちゃくちゃ笑いました。変なおじさん二人組。
    妖怪かと思ってしまいました。クセが強い。
    教えてくださりありがとうございます♪♪♪

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    見てきていただいたんですね。妖怪みたい…まったくです(^^) 笑っていただけて、幸甚です!
    笑う門には福来たる。きっといいことがあると思います。

  • 10 自画自賛 と他賛への応援コメント

    台湾の故宮で、空間がハンコで満ちた水墨画を見ました。
    正直に言って悲しかったです……。

    でも、作者としては嬉しいことなのかもしれませんね……。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    台湾の故宮に行かれたのですか。いいですね!
    やっぱりハンコだらけになっていると、だいなし感がありますよね。。。皇帝に認められた証とはいえ、、作者の思いはどうなんでしょうね。


  • 編集済

    九相図というのですね。
    夢野久作の「ドグラ・マグラ」にそういう絵の描写があって、個人的な感想としてはなんて悪趣味なと思ってましたが、実在すると知って「おおぅ・・」と思った記憶があります。
    できれば生の喜びだけ見て生涯をやり過ごしたいと思いつつ、、
    道路の真ん中で轢殺されている※凹★#とか、植え込みで腐敗して次第に骨と皮になっていく&凸☆%とか、眉をひそめつつ観察せずにいられない自分もいるわけで、
    メメントモリは人間の奥底に植え付けられた思想(?)なのかもしれませんね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    ありましたね! たしかにドグラ・マグラに。あのお話では、むしろ愛への執着に囚われる方向だったような、、それにしても強烈なお話でした(^^)
    そう考えると、仰る通り死の実相をつい見極めようとしてしまう欲求が人にはあるのかもしれず、、メメントモリは解脱よりも生への執着が動機なのかな・・・?とか考えてしまいますね。

  • 阿修羅像なんかも、邪悪神的な扱いでありつつ(古代インドではそうではなかったようですが)三面六臂の異形であんなに美しく、見ようによっては官能的ですものね。
    百済観音像は知りませんでした、そしてどこかサイバーパンクな趣もある巨躯、、これは見に行かねば!
    勉強になりますm(_ _)m

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    興福寺の阿修羅像はキュートですよね。ちょっと悩ましそうなお顔は、母性や庇護欲を刺激するかもしれません。腕のもつ表情も好きです。
    百済観音像は、ぜひ実物をご覧いただきたいですね。どの角度から見上げてもため息ついてしまう美しさです。

  • 仏像は美しいですね。
    夫が好きで写真集を欲しがります。夫にとってアイドルです。

    ユダヤの神様がいう偶像はアイドルという意味があります。
    自分より有名なアレキサンダー大王に嫉妬してるでしょう。


    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    仏像の写真集とは、、素敵ですね。
    アレキサンダー大王崇拝は、たしかに神様に匹敵するのかも。アイドルにあやかるみたいに、いろんな国で彼の名をつけるのが今でも人気ですね。アレクサンドル、アレックス、アレシャンドレ、アレクサンドラ、イスカンダル。。。

  • しっくり!
    確かに、アレキサンダー大王のヘレニズムは超重要ですもんね……。ガンダーラ仏の肉体が好きすぎて何度恋をしたことか(マトゥラーも好き)……。

    日本の仏像も好きですが、特に菩薩の方々のお腰のラインにお色気を感じますネ。(仏像好きな理由がだいたいソレ笑)

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    ガンダーラ仏はギリシアっぽさが特に色濃く見えるような気がしますね。仏教と融合して、いつまでも見飽きない魅力が。。恋する気持ち、わかります。
    菩薩さまのお腰のラインの魅力も、まさに! 解脱前だから、色気を感じても許してもらえますよね(^^)


  • 編集済

    使うものの美が工芸だと思っていますが、本阿弥は本業からの深化、進化なのでしょうね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    本阿弥光悦はマルチな芸術家ですが、工芸で鍛えた審美眼がベースにあるのだと思いますね。
    さっそく☆もいただいて、ありがとうございます!

  • 梁楷とか良いですよねー。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    渋いですね。墨に独特の色気が滲んでいますよね。

  • 琴棋書画という言葉は初めて知りました!これらのテーマが隠逸の思想を表している、というのは興味深いです。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    道教の影響か、中国では隠逸を理想とする文人が多いですね。陶淵明あたりが有名ですが、彼に限らず、隠逸を志向した漢詩が頻出します。
    音楽をかき鳴らしたりするのも好きみたいですね。

  • 西洋の美術では彫刻などでも人物がものすごく精巧に表現されていますが、東洋では理念・思想の表現だというのは何だか腑に落ちますね。目に見える姿形より、心の在り方を重視しているような。
    普段あまり触れることのない分野のお話で、毎回とても興味深く拝読しています(*´-`)

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    目に見える姿形よりも心の在り方を重視、、というのは、まさにその通りだと思いますね。そんな姿勢を反映した絵の話に、このあともときどき触れる予定です。
    東洋絵画を見る楽しみが、すこしでも増しましたら幸いです!

  • よく見るのが風神雷神図屏風だったかしら。
    好きって直感で思いました。
    間近で見たら迫力あるでしょうね。
    尾形光琳は有名ですが、彼の琳から琳派と言われるんですね。

    勉強になります。

    久里様の琳はクリリンからだと信じて疑わなかったです。
    失礼いたしましたm(_ _)m

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    風神雷神図屏風もいいですね。宗達の絵を光琳が写して、それをまた酒井抱一が写すという、琳派の象徴的な絵でもあります。
    実物を見るときの迫力は格別ですね。機会があれば、ぜひ感じていただきたいと思います。

    久里琳はクリリンから、で間違っていないです。
    「リン」にどんな漢字を当てようかとなったとき、真っ先に浮かんだ字が「琳」でした。同時に琳派の画面が浮かんで、これがいいや、と。

  • 燕子花図屏風は見たことあります。きれいですね。絵画よりも意匠(デザイン)に近いように感じます。久里琳さんの「琳」は、琳派からとったんですか、なるほど。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    意匠に近いという感覚、この絵の急所を突いていると思います。燕子花図屏風については、しばらく後にも触れる予定ですので、お楽しみくださいませ。
    名前を「リン」にするところまでは決まっていたのですが、漢字を考えたとき、真っ先に出てきたのが「琳」でした。
    ☆もいただいて、ありがとうございます!

  • >「それは深い精神修養と高い見識を持った士大夫であればこそ、実現できる」みたいな信念があるのだと思います。

    なるほど、たいして上手に見えない絵が珍重される理由がよく分かりました。「余技」なので、むしろ上手すぎると興が削がれるのかもしれません。南画は「芸術家」によって描かれるものではないのかあ。作者が芸術家を自認している現代アートなんかとは違うんですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    なかには何がいいのかわからないような絵もありますよね。。仰る通り、なかには敢えて素朴な線で描かれてるんじゃないかというのもありますね。
    それがいい効果を生んでいるものと、本当に下手なだけのものとがあって、そこがまたややこしいです(^^)

  • 与謝野蕪村といえば「菜の花や月は東に……」ですね。
    私、全くの素人ですが、蕪村は直感で南宗画なんだわって思いました。
    雪舟の絵を見てきました。迫力ありますね。
    奥が深いですね。東洋絵画。勉強になります。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    蕪村は、俳句の印象とも相俟って、画面から詩情が漂ってくる気がしますよね。
    雪舟は雪舟でいいですね。研ぎ澄まされた迫力、感じていただけましたか。
    ☆もいただきまして、ありがとうございます!

  • これから楽しく読ませてもらいます。
    何卒、よろしくお願いします!

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    お楽しみいただければ幸いです。よろしくお願いします。

  • 4 鳳凰には桐がつきものへの応援コメント

    ほえ〜! 面白いですねぇ。
    「一応桐の葉も入れとこ」みたいなノリなんですかね。ちょっと可愛い。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    「ほんの出来心」みたいな遊び心で描き入れられるものもありますね。そんなのを見つけると、面白いです(^^)

  •  絵画鑑賞って、前提の知識のあるなしで、本当にその深みが変わってきますね。魚のモチーフは中国の民画にもよく出てくるようですが「年年有余/魚(yu ) 」のいってみれば駄洒落と聞きました。
     続き、期待しております。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    ひたすら官能的に見るのもいいですが、背景を知ることで別の見え方がしてくるのも、楽しいですよね。
    吉祥図は、本当に駄洒落がいっぱいです。その中でも、魚は好まれているような気がしますね。
    続きもお楽しみいただければ幸いです。

  • 雀が出世を意味するとは!
    意外ですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    意外ですよね。
    言葉遊びなので、モチーフのイメージと合わないこともちょくちょくあります。

  • 2 東洋絵画の系譜への応援コメント

    すごく勉強になります。参考を記してくださっているところも、とっても有難いです……!続きがとても楽しみです(*´ω`*)

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    参考のところは、コピーして画像検索いただければと思います。
    さっそく☆もいただいて、ありがとうございます! ご期待を裏切らないようがんばって書いていきます。

  • 2 東洋絵画の系譜への応援コメント

    こういう作品こそ画像が欲しくなりますね…!
    芸術の背景は知れば知るほど奥深いですよね。
    久里さん流東洋絵画解説、楽しみです♬

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    背景を知ると、またちがった愉しみができますよね。画像と合わせて読んでいただくと、なるほど!となっていただけると思います。
    ご期待に沿えるよう、がんばります。
    さっそく☆もいただいて、ありがとうございます!

  • 2 東洋絵画の系譜への応援コメント

    久里様 こんにちは。
    ゴッホも影響を受けましたものね。
    東洋絵画の手引き。
    次回からなんですね。楽しみです。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    ゴッホは浮世絵の模写も残していますし、構図にも影響が見られますよね。
    次回は、月曜更新予定です。お楽しみくださいませ!

  • 2 東洋絵画の系譜への応援コメント

    九里琳様の知識の幅広さに驚嘆しております……!
    世界の文化が影響しあっている事は、昔話に似たものが世界中にある事から感じていましたが、絵画の世界もそうなんですね!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    知識は広く浅く、ですね。どれも専門家の域に達しないのが残念なところ。。それでも、興味をもっていただけるようなお話ができればと思います。
    絵画の世界も、意外と共通点があったりして、自ずと似たのか、それともどこかに共通の源流があるのか、とか想像するのが楽しいですね。

  • 2 東洋絵画の系譜への応援コメント

    これは楽しみ!
    ぜひ頑張って続けてほしい!

    作者からの返信

    こちらにもお越しいただき、ありがとうございます!
    ご期待に応えられるよう、がんばって書いていきたいと思います。

  • おお、すごく面白そうです!
    テレビなんかで見ていて、「この絵にそんな寓意が?!」と驚くこと、ありますね。主体となるモチーフだけでなく。さりげなく置かれた小物や、人物の位置関係にまで意味が込められていたりとか。
    知るたびに「おおっ」となるのですが、トリ頭なのですぐ忘れてしまいます(笑)
    なので、文章で何度も読み返せるのは嬉しいです♪

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    そうですよね。なにげなく描かれた細部に、実は深い意味が籠められていたりして、そんなのを知ると、おおおーっとなりますよね。自分で見つけるともっとうれしい。そんな楽しさにつながるお話をお届けできればと思います。
    さっそく☆もいただいて、ありがとうございます。ご期待を裏切らないようがんばります。

  • 承知!
    展覧会では解説を読んでしまうタイプです。
    感覚での鑑賞は得意ですが、含みとか下書きになっている宗教、文化、寓意を知っていると見えてくるものが格段にはっきりしますよね。
    楽しみにしています!

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    展覧会ではもちろん絵が主役ですが、解説にも目が行ってしまいますよね。
    仰る通り、解説を読んで背景を知ると、また違った見え方がしてくるのだと思います。
    そんな背景を知る手がかりになればいいなと思います。