【KAC20236】なんやかんやでとことんツイてない日

宇部 松清

第1話

 思えば今日は朝からツイてなかった。


 朝食の目玉焼きは二つとも黄身が割れちゃったし。せめてどちらか片方なら、きれいな方を萩ちゃんの分に出来たんだけど。萩ちゃんは気にしないって笑ってくれたけど、それでもやっぱり上手に出来たものを食べさせたかったな。


 通学の途中では曲がり角でいきなり自転車が飛び出してきて、危うく轢かれかけた。結構なスピードだったから、もしぶつかっていたら怪我していただろう。それは回避出来たから良かったんだけど、避けた弾みで電柱に激突し、肩を強打した。痛いし、恥ずかしい。


 それで、今日は何かおかしいなって思いながら学校に着いたら、ペンケースが鞄に入ってなかった。しまった、昨日バイト先に置いてきたのかも。あとで新田にったさん家に電話で聞いてみよう。仕方なく手帳に挟んでる三色ボールペンで授業に臨んだけど、まさか途中で黒のインクが尽きるとは。


 ここまでで計5つだ。目玉焼きの黄身、自転車、電柱への激突、忘れ物に、インク切れ。


 これが厄日ってやつなのかも。


 昼休み、学食でAランチを食べながら、ため息をつく。


「ここ良い?」


 そう問い掛けておきながら、僕の返事も待たずに、向かいの席にトレイが置かれる。席はあいてるのになぜわざわざここに? と顔を上げると、同じゼミを取っている当馬とうま君だ。彼は同じ一年生だけれども、年齢は僕よりも三つ上である。最初は敬語で接していたんだけど、「現役合格者の振りしたいから、敬語はやめてよ」って言われたので、そういうものなのかもしれない、配慮が足りなかったな、と反省し、タメ口で話すようになった。


「どうぞ」


 もうしっかり座っている人にいう言葉でもない気がしたけど、一応そう言うと、彼はBランチを食べながら「神田君、何か今日元気なくない?」と話しかけて来た。


「うん、まぁ。今日は朝からなんか色々ツイてなくて」

「そうなんだ。もしかして体調悪いんじゃない? なんかさ、ほやーっとしてる感じするんだけど」

「えっ? そう?」

「ここ最近朝晩の寒暖差もあるしさ、レポートも多くて忙しかったじゃん? 顔がね、もう見るからに疲れてるっていうか」


 言われてみればなんとなく身体もだるい気がする。額に触れてみると、確かにちょっと熱もありそう。


「ありがとう当馬君。風邪引いたのかも。僕今日は早退するよ」

「そうしな。送ろうか? 俺車で来てるから」

「ううん、大丈夫」


 そう言って、立ち上がる。体調不良を自覚してしまうと、食欲も急激に減退してしまって、とてもじゃないが完食出来そうにない。鞄を肩にかけ、トレイを持ち上げようとしたところで、軽くバランスを崩した。


「ああもうほら! 駄目だって。危ないよ。送ってく送ってく。せめて駅まででもさ」

「いやほんと大丈夫だから」

「そんなこと言って倒れたらどうするんだよ。こういう時はね、甘えた方が良いんだって」

「そういうものなのかな」

「そうだよ。さっさと帰って、ゆっくり寝て、早く治しな? 来週からまた忙しくなるんだし」

「そう、だね。えっと、じゃあ、お願いします」

「はいよ、任せて」


 そういう流れで、当馬君の車で駅まで送ってもらうことになった。


 のだが。



 伝えた最寄り駅への道中、近道だという住宅街を突っ切っている時に当馬君の車のタイヤがパンクしたのである。どうやら、太めのボルトらしきものがぐっさりと刺さっているらしい。それで、駅までは辿り着けそうにないということで、当馬君のアパートに車を止め、タクシーを呼んでもらっているところだ。


 これで僕のアンラッキーは6つ。一体今日はどれだけツイてないんだ。


 当馬君が車の外で電話をかけているのを横目で見ながら、萩ちゃんにメッセージを送る。風邪気味で学校を早退したこと、今日は夕飯を作れないことと、もしかしたら朝も作れないかもしれないという内容だ。まだ既読はつかない。たぶん授業中なんだろうな。


「ごめんお待たせ。タクシー、ちょっと時間かかるかも、って。なんかほんとごめんね、こんなことになって」

「当馬君のせいじゃないよ。今日僕、ほんとなんかツイてないんだ」

「そういう日もあるよね。ねぇ神田君、やっぱり俺の家で休んでいかない? かなりしんどそうだよ。顔色も悪いし」

「そんなわけにいかないよ。大丈夫」

「だって、一人暮らしでしょ? 食べるものとかさ」

「えっと、一人暮らしじゃないんだ。その……一緒に住んでる人、いて」


 そこまで言って、果たしてここでズバリ『恋人』なんて言ってしまって良いのかと考えた。いまはだいぶ市民権を得たとは言っても、男同士の恋愛というのはやっぱりまだマイノリティだ。それを快く思わない人もいるだろうし、萩ちゃんだってあまり人に知られるのは嫌かもしれない。


「そうなんだ。恋人? 彼女とか?」


 だよね、そこ聞くよね。


「えっと……、幼馴染み」

「幼馴染みかぁ。成る程ねぇ」


 恋人という言葉を否定したくなくて、そこには触れず、ただ幼馴染みとだけ言う。これ以上の追及を避けるため、この話は終わり、とばかりに目を瞑った。本当は話を勝手に中断させるなんて失礼なことはしたくはないんだけど、具合が悪い時というのはこれくらいの無礼も許される気がしたのである。


 と。

 額に冷たいものが触れた。

 それが当馬君の手のひらだとわかって目を開ける。


「えっ、当馬君?!」

「神田君ってさ、お肌きれいだよね。何かお手入れとかしてる?」


 運転席に座っていたはずの当馬君は身を乗り出して、僕に覆い被さるような体勢になっていた。


「特に何もしてないけど……、あの、ちょっと近い、です」

「敬語、止めてって言ったじゃん」

「そっか。え、っと。いや、ちょっと離れて」

「神田君のその幼馴染みってさ、男? 女?」

「お、男、だけど」

「そっか。そんじゃもしかしてアレ? 神田君って男もイケる? だとしたら助かるんだけど」


 額の上にあった手が、するり、とこめかみをなぞって、首に触れる。っついね、なんて言って、にやりと笑う。


「助かるって、何が」


 どうにか距離を取ろうと窓の方へとずりずりと移動するが、それに合わせて当馬君もついて来る。ドアを開けようとしたけど、ロックがかかっていて開かない。


「俺、どっちもイケるんだ。神田君、可愛いからさ。ずーっと狙ってたんだよね。どう?」

「嫌です」

「あっ、また敬語。やめてよ、俺すげぇおっさんみたいじゃん」

「おっさんとか、そういうことじゃなくて、心の距離です。こういうことをするなら、当馬君とはもう仲良く出来ないです。降ります」

「良いじゃん。一回だけ。減るもんでもないでしょ、女の子でもあるまいしさ」

「減ります。僕の心が減ります。それに、こういうことに女も男も関係ないですし、曲がりなりにも医者を志す人間が言って良い言葉ではないです。そもそも、病人に対して行って良いことでもないですよね。そういう意味でも、僕はもう当馬君を尊敬出来ません」


 そう言って、最後にもう一度、降ろしてください、と強く告げた。


 すると、当馬君は少し僕から離れた。


 わかってくれたかな、と気を緩めた時だ。当馬君は、くつくつと笑い出した。


「そんじゃもう落ちるとこまで落ちたわけだし、どうでも良いや」

「は? 何言って――」


 急にシートを倒され、手首を掴まれる。抵抗しようにも、元々そう大して腕力もないところへ、この体調不良だ。ラッキーセブンなんて言葉があるけど、アンラッキーの方でもやはり7つあるものらしい。今日は本当に厄日だ。どうしよう。どうしたら良いんだ。


 さっき萩ちゃんにメッセージは送ったけど、すぐにタクシーが来ると思ってたから、僕がここにいることは伝えていない。助けなんて、絶対に来るわけがない。この様子だと、おそらくタクシーも呼んでないだろう。


 諦めたくはないけど、だけど、どう考えたっていまの僕にはどうすることも出来ない。ぎゅっと瞑った瞼から、涙が落ちる。


 と。


 コンコンコン! と強く窓を叩く音がした。


 えっ、何?!

 

 そう思ったのは僕だけではなかった。当馬君もである。何事かと窓を開けて身を乗り出したところで――、


「うわぁっ!?」


 ずるり、と彼の身体が車外へと引きずり出された。


 その代わりにひょこりと顔を出したのは。


「遠藤君?! えっ、どうしてここに!?」


 高校時代の友人、遠藤初陽はつひ君である。


「訳はあとだ! とにかく逃げるぞ!」

「う、うん」


 

 それで、だ。

 こっちこっち、と手を引かれて連れていかれた先は、当馬君のアパートから少し離れたところにあるコンビニである。その駐車場に、水色の軽自動車があった。


「これ、遠藤君の車?」

「まぁな。ほら、乗れ。家まで届けてやるから」


 助かったけど、一体何がどうなってこんなことに? と首を傾げつつ、促されるまま後部座席に乗り込むと。


「あれっ!? WALL BOOKS の店員さん?!」


 助手席に座っていたのは、WALL BOOKS の店員さんだったのである。こないだ深夜のコンビニで倒れた人だ。


「元気そうで何よりです。ええと……もしかして遠藤君の彼女さん?」

「違うよ。俺の姉ちゃん。そういや神田会ったことないんだっけか」

「うん、知らなかった。そうだったんだ……」


 それでさ、と遠藤君が語ってくれた内容はこうだ。


 今日、珍しいことに互いの休講が重なった遠藤姉弟は、近況報告も兼ねて久しぶりに一緒にランチにでも行くか、ということになったらしい。そこで、「最近、第六感に目覚めた」らしいお姉さんが食事中に立ち上がり、「推しにピンチが迫っている、車を出せ!」と叫んだのだとか。


 それで、何が何やらわからないが、言われるがままに車を走らせてここに来た、と。第六感なんてものが本当にあるかどうかはわからないけど、とりあえず僕の貞操は守られたわけである。


 こうして僕のとことんツイていない日は7つのアンラッキーでどうにか踏みとどまった。帰宅すると遠藤君から連絡を受けていた萩ちゃんが泣きながら僕を出迎えてくれて、どういうわけだか助手席のお姉さんもむせび泣いていた。


 その後二日ほど萩ちゃんからの手厚い看護を受け、復帰した時には当馬君はいなかった。休学することになったらしいと聞いたのはそれから数日後のことだ。

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