第12話

「途中まで送って行く」と、シバたちは口々に言ったが、七瀬はそれを断った。

 帰り道をわたしと七瀬は並んでゆっくりと歩いた。さっきの集団について考え事をしていたわたしは、ふと気づくと、七瀬を見失っていた。

「七瀬?」

 振り返ると、すぐ後ろでしゃがみ込む七瀬の姿が見えた。膝と腕をアスファルトに着き、青白い顔には大粒の脂汗が浮かんでいた。慌てて駆け寄って「大丈夫?」と尋ねたが、七瀬は苦しそうに荒い息をしながら、微かに頷いて見せただけだった。こんな七瀬は見たことがなかった。いまさらながら、彼女は妊娠していたということを思い出す。目を離してしまったことの罪悪感が生まれて、胸を締め付けた。

「もしかして、産まれそうなの?」と、七瀬の手のひらに指を重ねてわたしは訊いた。七瀬は苦痛の中に、少しだけ自嘲のような笑みを浮かべた。

「違うの……」

「ミキを呼んで来ようか?」

 ショッピングセンターの大きな墓標みたいな看板は、もうすぐそこに見えていた。走れば五分もかからず着けるだろう。でも、行かないでというふうに、七瀬はわたしの指を弱々しく握った。その手は驚くほど冷え切っていた。

「少し、疲れただけだから」と七瀬は言った。

 だとすれば、明らかにあの集会の代償だった。本当に超能力のようなものを使ったとは思わないけれど、あんなに長い間、他人の話を聞いているだけでも相当の疲労だろう。

 ここまで七瀬が消耗していることを、ミキも、あの連中もきっと知らない。七瀬は単に心配をかけたくないと思っているだけか、それともこれがミキがアガペーと呼ぶ彼女の愛なのか、わたしにはもう考えることも出来なくなった。どうして、七瀬はこの愛を他人に使ってしまって、ミキだけに与えてはくれないのだろうか。

 仕方なくわたしはしゃがみ込むと、七瀬の肩をぎこちなく抱いた。クラスでも小柄な方のわたしより、七瀬の体はもっと華奢だった。それなのに服の下に丸みを帯びた肩の肉が感じられ、無理やり母親にさせられていくようで儚く、ひどく切なくなった。

 しばらくそうしていると、七瀬の呼吸が徐々に落ち着いていくのが分かった。七瀬は自分の鼓動を確認するように胸に手を当て、わたしは彼女の背中にそっと手を添えていた。

 二十分ほどして、七瀬はようやくちゃんとした微笑を見せた。

「ありがとうサキコ」と言って、彼女は立ち上がった。「心配をかけてごめんなさい。もう大丈夫よ」

 再び歩き出そうとする七瀬に、わたしは「もう少し休んでいけば?」と言ったが、彼女は首を横に振った。

「行かなきゃ」と彼女は言った。「ミキが待ってるもの」

 確かに日はもう沈もうとしていて、約束の時間はとっくに過ぎていた。瑠璃色の空を背にして立つ七瀬の姿は白く浮かび上がるようで、美のイデアというものが本当にあるのなら、彼女はほとんどそれを写し取ったのじゃないかと思うくらい本当に綺麗だった。なぜかそう思うと、胸がまた苦しくなった。

「ずっと、ミキのそばにいてよ」と、わたしは言った。「もう、あそこには行かないで」

 無理よ、と七瀬は言った。

「七瀬は」わたしは呼びかけるように言った。「本当は、死者と会話したり、ましてや生き返らせたりなんて、出来ないんでしょ?」

 彼女は小さく微笑みを返すだけで、何も答えなかった。もう一度、わたしは小さく言った。「もう、行かないで」

「無理よ」ややあって、七瀬は同じことを言った。「放っておけないもの」

「七瀬は迷ったり、辛くなったり、嫌になったりすることはないの?」

「あるわよ」七瀬は静かに言った。「迷ったり、辛くなったり、嫌になったりすることは、たくさんあるわよ」

「七瀬は優しいね」

「そうありたいと、思っているだけよ」

 ちょうど昇ったばかりの月の光が、彼女の肩と丸いお腹を柔らかく縁取るように照らしていた。わたしは彼女のほうに長く伸びた自分の影に目を落として、呟くように言った。

「じゃあ、ミキをちょうだい」

 顔を上げて見た七瀬の表情にはほとんど変化はなかった。微笑にも見える顔で七瀬は言った。

「どうして、そんなことを言うの?」

 その視線に見つめられると、隠しておきたかった言葉までが次々と溢れた。

「七瀬が羨ましいよ。綺麗だし、ミキがいるし、それに、本当に優しい。あたしには七瀬みたいなことは出来ないよ。あんな連中、放っておけばいいのにって思っちゃう。ほんとくだらない人間で自分が嫌になるよ」

「そんなことはないわ、サキコ」と七瀬は言った。「サキコ、あなたはわたしにとって……」

「あたしを救おうとしないで!」思わず、叫んでいた。「あたしは……」

 言葉に詰まった。わたしは、本当は何がしたいんだ。

 力なく言った。「せめて、ミキが欲しい」

「そんなことを言うために、サキコは一緒に来たの?」七瀬は少しだけ悲しそうに言った。「それに、人は物じゃないの。あげたりなんて、出来ないのよ」

 わたしは七瀬の建前のように美しい言葉を聞きながら、この苦しさの正体をはっきりと理解した。わたしは、七瀬に嫉妬している。なんて無様なんだ。

 だから、ショッピングセンターの駐車場でミキを見つけたとき、わたしは心から安堵した。彼は所在無げに軽自動車の傍らに佇んでいて、七瀬がゆっくりとした足取りで彼のもとにたどり着くまで、言いつけられたみたいに、ただじっと彼女を待っていた。

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アローン 酒魅シュカ @sukasuka222

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