第11話

「ねえ、一体どこへ向かっているの?」

 わたしは七瀬に追いつくと、そう尋ねた。

 七瀬はそういえばという感じに小首をかしげ、「さあ」と小さく言った。

「さあ?」わたしは思わず聞き返した。「どこかで待ち合わせているわけじゃないの?」

「そういうことはしていないの。でもきっと、そのうち会えるわ」

「本当に、まるで迷子ね」

 皮肉のつもりだったが、七瀬は何も言わなかった。

 でも七瀬のこういった不思議な行動にもわたしはもうずいぶんと慣れてきていたので、黙って彼女の後ろを付いて歩くことにした。

 七瀬はまるで、どこかの上品に手入れされた庭園を散歩しているみたいに、じれったいほどゆっくりとしたペースで歩いていた。

 わたしは彼女のもうずいぶんと膨らんだお腹を抱えたまま歩く苦労を思って、何度か辛ければ休もうかと言ったが、彼女は首を横に振った。

 彼女が歩みを止めたのは、歩き出して二十分ほど経ってからのことだった。

「どうしたの?」とわたしが尋ねると、彼女は腕を上げて、通りの向こうを指し示した。

 それは小さな公園だった。東屋にブランコに滑り台と、背の低い何本かの木々。典型的な住宅街の公園といった雰囲気だった。

 そこに、いくつかの人影が見えた。

 わたしは思わず身を強張らせたが、七瀬はわたしの腕にそっと触れて、大丈夫だと言うように軽く頷いてみせた。

 よく見ると、その集団は軍服を着ているわけではなかったし、小銃もぶら下げていなかった。

 不思議なことにわたしたちがそうやって立ち止まっていても、彼らはわたしたちにまるで気づく気配はなかった。彼らがわたしたちの方を向いていなかったわけではない。何人かは明らかにこちらを向いていたし、その視線の先にわたしたちは何度も写り込んでいたのだが、彼らは気づくことが出来なかったのだ。わたしたちはまるで巧妙にカモフラージュされた騙し絵に迷い込んでしまったように、完全に彼らの死角に入り込んでいたのだ。

「知り合いなんだよね?」わたしは念のため、七瀬に手短に尋ねた。知らない人もいると七瀬は答えた。

 唐突に人だかりにざわめきが走った。彼らはようやくわたしたちに気づいたようだった。何人かの若い男女が駆け寄ってくるのが見えた。

 気がつくと、七瀬は歩き出していた。七瀬、と呼びかけると、彼女は振り返って「大丈夫よ。サキコ」と言った。

 彼らはわたしたちを囲むと、招き入れるように公園に連れて行った。敵意のようなものは感じられず、むしろわたしたちの到着を心待ちにし、待ちわびていたようだった。

 中に入ってみると公園は意外に広く、その割には遊具もまばらで、ほとんどが何もない広場だった。その真ん中には、場違いな赤い小さな一人用のソファが置かれていた。どこかの家のリビングで、大画面テレビの前にオットマンとセットで置かれているようなものだ。たぶんこのあたりのどこかの家から盗んできたんだろうとわたしは思った。

 公園には、思った以上の人数が集まっていた。七瀬はこの町に住んでいるのは三十人くらいだと言ったが、わたしたちの周りには、明らかにそれ以上の、四十人か五十人くらいの人だかりが出来ていた。

 彼らは七瀬の来訪を心から喜んでいるといった表情を浮かべ、彼女を讃える言葉を口にした。彼らの主な興味は七瀬にあったが、なぜかわたしにも親しげだった。わたしは彼らの顔をまじまじと眺めてみたが、誰一人知っている顔はなかった。何らかのわたしとの接点を考えてみたが、それも思いつかなかった。

 しばらく彼らを観察していると、なかなか輪に加わろうとしない数人がいることに気がついた。彼らは虚ろな表情で、少し離れた場所でバラバラに立ち、ぼんやりとわたしたちを眺めていた。ときどき笑顔の連中に強引に輪に引き寄せられると、うるさそうな顔をして腕を払った。

 どちらのグループも、年齢も性別もまちまちの中学生くらいから中年までの男女で、外見には何一つ共通点がなかった。とりとめもなく、それでも一緒にいるという点で、まるで毎日通学で同じ時間に乗り合わせる電車の乗客のようだった。

 笑顔の集団は、七瀬を広場の真ん中のソファに座らせ、その周りに輪を作った。それから暗い顔をしたメンバーを一人ずつ引きずるように七瀬の前に連れて行き、跪くようにして七瀬になにかを話しかけた。

 わたしは彼らからさらに離れた場所に立ち、その様子を眺めていた。彼らの輪は、少しづつ密度が増すように縮まっていき、わたしとの距離は次第に離れた。

 七瀬に語りかける声はたいていとても小さく、そのくせ一人にやたらと長い時間がかかった。その内容まではわからなかったが、なにかの打ち明け話の類らしかった。彼らはしばしば泣き出していたからだ。七瀬はほとんど瞬きもせずに、ずっと膨らんだお腹のあたりで手を組んで話を聞いていたが、時折彼女が微笑みを浮かべて相手の涙をぬぐったり、何かを語りかけると、彼らは感情を抑えきれなくなった様子で、嗚咽を上げ、七瀬にすがりついた。話している本人だけじゃなく、話が終わると、周りで見ているだけの人も涙を流した。

 それは、懺悔室で行われる宗教的な営みを見ているようだった。

 わたしは彼らが何を話しているのかに興味が沸いて、人だかりの最後尾に張り付いて背伸びをした。ちょうど中学生くらいの男の子が話し終えたところで、泣きはらした顔をした彼は、二十歳くらいの金髪の男に支えられながら人だかりに戻った。彼が傍を通ると、人々は背中や肩をやさしく叩いたりさすったり、何人かはまるで祝福のように彼を抱きしめた。

 彼が人々の輪に混ざってしまうと、しばらく沈黙が続いた。どうやら彼らは、あらかじめ決められたルールや順番のようなものは持ち合わせていないようだった。わたしは視線をめぐらせて、周りの人々の表情を観察した。すると、そんなことをしているのはわたし一人で、彼らは落ち着いた様子でじっと七瀬を見ていた。

 気づくと、七瀬が顔を上げていた。はじめわたしを見ているのかと思ったが、実際はわたしの前に立っている男性を見つめていた。

 ぼさぼさの白髪交じりの髪をした彼は、ホームレスかと思うくらい薄汚れた灰色のスウェットスーツを着て、この寒さなのに素足にベルトの切れたピンクのクロックスサンダルを履いていた。彼はこれまでに何度かまわりの男女に前に出るよう促されていたが、頑なにそれを拒絶していた。というよりも、ずっとうな垂れたままで、まったく動こうとはしなかった。わたしは彼はこの集団のメンバーじゃなく、もともとこの公園に住み着いていたホームレスじゃないのかと疑っていたほどだった。

 彼と七瀬の間の男女が七瀬の視線に気づいたのか身を引いて、通路のような切れ目が人だかりに出来た。全員の注目が彼に注がれても、彼は動かなかった。ただ、少し顔を上げ、七瀬を見た。

 七瀬が小さく何かを言った。声は聞こえなかったが、「おとうさん」と唇は動いていた気がした。すると、男はふらふらと前に進みだそうとした。摺り足のようにゆっくりと、足が二歩ぶん動き、次の瞬間にはあっけなくバランスを崩して転倒した。そのときわたしははじめて彼の顔を見た。若くも見えたが、老人のように血色が悪く、頬はこけ、窪んだ眼窩の奥で瞳が異様な暗い光を放っていた。彼は転んだまま、立ち上がろうとしてゆっくりともがいていた。まるで、たった今墓場から這い出てきた亡者のようだった。

 さっきの金髪の男が駆け寄って、亡者のような男にペットボトルの水を飲ませた。彼は這いつくばったまま、ゆっくりと水を飲み、ときどき咳き込んで半分以上を零した。

 男が水を飲み終わると、金髪の男ともう一人の女性が、男の両脇を抱えるようにして七瀬の前に連れて行った。わたしも、それに付いていくようにして最前列に出た。

「何も話さないし、何も食べようとしないんです」と女性が七瀬を見上げた。「どこからか来たのかも言わないんです」

「まだ、名前もありません」と金髪の男が言った。

 七瀬はわかったというふうに微笑んだ。

 亡者のような男は七瀬の前に跪くと、七瀬を見上げて、樹皮のような唇を動かして何かを訴えていた。七瀬はソファからゆっくりと立ち上がると、男の前にしゃがみこんで、自分の耳を彼の口元に近づけた。七瀬の耳元で何かを言い続ける男の声は、近くにいるわたしにも聞き取れたが、それは、ほとんど意味を成していなかった。

 それでも七瀬は小さく頷いたり、ときどき男の頭や背中を撫でてやりながら、彼の長い話を聞いていた。

 やがて男は、言葉に詰まって涙を流し始めた。七瀬は彼を抱きしめて、「あなたの娘は、あなたのことを恨んだりしていないわよ」と優しく言った。驚いて顔を上げる男に、七瀬は微笑んだ。「わたしには、それがわかるの」

 七瀬は顎を少しだけ上げるようにして、宙を見た。「あなたの娘は、とても悲しんでいるの。お父さんがこんなになってしまって。あなたが死ぬと言うたびに、彼女も涙を流しているわ」

 男は何かの糸が切れたように、嗚咽の声を上げて地に伏した。娘のものらしき名前を呼びながら泣く彼の肩に手を触れたまま、七瀬は立ち上がった。

「彼には娘がいたの」と七瀬は、金子みすゞの詩を朗読するみたいに言った。娘は十歳だった。あたりは避難する人でいっぱいで、男は娘の手を引きながら、ターミナル駅のホームに向かっていた。そこで将棋倒しが起きた。階段の上から群集が転がり落ちてきて、踊り場にいた彼らに襲い掛かった。彼は咄嗟に、娘に覆いかぶさると、腕と足を柱にして、必死で娘のために小さなスペースを守ろうとした。しかし、誰かの頭が彼の頭にぶつかって、彼の意識は遠のいた。

「気づいたとき、娘は、彼の下で死んでいたの」七瀬は涙を流していた。まるで、彼女自身が苦しんでいるかのように。周囲の人々も泣いていた。泣いていないのはわたしと、呆然としたように七瀬を見上げる男だけだった。

「でも、彼女は恨んでいない」と、七瀬は男に言い聞かせるみたいに繰り返した。「最後までかばってくれたことを、彼女はとても感謝しているの」

 それから七瀬は男の肩から手を離し、「もう、生きていけるわよね」と確認するみたいに言った。何度も頷く男に目を細め、彼女は深い水の底に沈むみたいに目を閉じた。再び目を開いた七瀬が、「あなたは、トワよ」と宣言するみたいに言うと、感嘆のようなざわめきがあたりに広がった。

 その名前は、彼の娘のものととてもよく似ていた。七瀬はこうやって人に名前を与えているんだ。わたしは、初めて会った日にミキが言ったことを思い出していた。彼は、七瀬の与える名前が本当の名前のような気がする、と言った。それはわたしには、生まれ変わりの儀式のようにも思えた。

 似ている、とわたしは思った。今のトワは、かつてのわたしにとても似ている。七瀬は何故だかわからないけれど、そういうことが出来るようだった。つまりは弱りきった人に必要なものを与えて、寄り添うようなことだ。わたしだって、一人で家族の死を知ったなら、もしかしたら孤独に耐えられなかったかもしれない。今思えば、あれは七瀬たちに出会った日で本当によかった。

 でもそれなら、ふと思った。咲子のままのわたしは、いったい何なんだろうか。

 トワとなった男はすっかり生気を取り戻して、自分の足で立ち上がると輪に戻った。彼に人々は、次々に悔やみと労いの言葉をかけた。

「また話をさせてもらうといい」と、誰かが男に語りかける声が聞こえた。「今度までに、娘に伝えたいことを考えておくんだね」

 わたしは驚いて声のした方向を見た。

 誰が言ったかは分からなかったが、あたりを見回しても、誰もその言葉に疑問を抱いている様子はなかった。

 わたしは振り返り、すぐ後ろにいたわたしより少し年上の少年を捕まえて、今の言葉を聞いたか、と尋ねた。

「聞こえたよ」と彼は言った。

「まさか本当に、七瀬が亡くなった人と話せるなんて、思っていないよね?」とわたしは声を潜めて訊いた。

 男の子はわたしを、理解力の足りない児童に対する教師のような、哀れみと優しさの混ざった表情で見つめた。

「いや。今、やってたよね?」

 いったい何を言っているんだ? わたしは愕然とした。だってあれはどう見てもただの七瀬の演技だった。いや、演技ですらない。だいたい彼女は一言も、トワの娘と会話なんてしていないのだ。

「七瀬さんは死んだ人と話せるんだよ。魂を通してね」と彼は教え諭すようにゆっくりとした口調で続けた。それからちょっと誇らしげに、「実は、生き返らせることだって出来るそうだよ。体があれば、だけどね」と言った。

「それは七瀬がそう言ったの?」思わず大声を上げていて、周りの人々が怪訝そうな目でわたしを見た。「そんな奇跡が出来るって、七瀬が言ったの?」

「いや、七瀬さんから聞いたわけじゃないけど」ちょっと鼻白んだ様子で、彼は言った。「出来るに決まってるでしょ。そんなこと言ってるようじゃ、悪いけど君、なんでここにいるの?」

 馬鹿じゃないの! 叫びたい思いに駆られた。七瀬にそんな力はありはしない。一緒に暮らしていたわたしにはよくわかる。奇跡なんて彼女は一度も起こさなかった。確かに七瀬は不思議な雰囲気を持っているし、戦場にも動じないような精神もある。けれど、本当に奇跡を起こす力があるわけじゃない。それは彼女に少し接していれば、すぐに分かることのはずだ。わたしは七瀬がマルチーズを救おうとして救えなかったことを知っているし、わたしに与えてくれたのが家族との再会などではなく毛布とスープであったことを覚えている。そして、七瀬に声を掛けようと近づいたのはわたし自身の意思なんだ。それはわたしの選択であって、奇跡などでは決してなかったはずだった。

 わたしはそのことを彼らに告げようと思った。けれども、彼らの異物を見るような視線はわたしを萎縮させた。怖い、とわたしは思った。彼らはやっぱり危険だった。

 わたしは七瀬を見た。彼女は今のこの状況をどう思っているんだろうか。しかし七瀬は相変わらず穏やかな沈黙のままでいて、何一つ行動を起こそうとはしていなかった。灯台にいるときも、戦場の夜でも七瀬はいつもこうだった。

 もしかしたら七瀬も現実の中を生きていないんじゃないかとわたしは思った。かつてわたしが、マンションの部屋で現実感の何一つない、夢のような毎日を過ごしていたように、彼女もまた、そのような日々を過ごしているんじゃないだろうか。

 わたしは彼らの輪を出た。わたしが移動する間、当然のように誰もわたしに一顧も払わなかった。

 それからも告解のような光景が続いた。暗い顔の連中がみんな笑顔になってしまうと、他の連中も群がるように七瀬に並んだ。七瀬はただ彼らの望むまま、穏やかに言葉をかけ続けた。彼らはそのたびに、まるで新たな救いを受けたように破顔した。トワですら、表情を一変させて笑みを湛えていた。

 わたしはそんな七瀬の姿を見ているのが嫌で、目を伏せて一人で座っていた。

 わたしは、彼らの連帯感はいったいなんだろうかと考えていた。きっと、この集団の一人一人に、トワと同じような孤独や苦難や別離があり、彼らはそれを七瀬を介して共有しているのだろう。それは共有されることで強さを増し、すでに信仰に近いのかもしれない。

 でも、それは弱さだ。小さな嫌悪感とともにわたしは思った。弱い彼らは何でも許してくれる幻想の七瀬を作り上げ、それにすがり付いているだけなんだ。

「いったい何を考えているんだい?」

 頭上で誰かの声がして、わたしの堂々巡りのような思考は途切れた。顔を上げると、さっきの金髪の男が少し赤みの差した顔でわたしの前に立っていた。彼の声はひどく上機嫌で、かすかなアルコールの臭いがした。

 見ると、告白はすっかり終わって、彼らは肩を組んだり、あるいは抱き合ったりしていた。中にはウイスキーか焼酎のビンを手にしているものもいた。それは儀式のあとの宴のようだった。その輪の中で、七瀬が相変わらずソファに一人で座っていた。それは神像のようにも、ゆりかごに入れられたまま捨てられた赤ん坊にも見えた。

「別に」とわたしはまた視線を落とした。

 しかし、彼はわたしを放っておいてはくれず、よいしょと声を上げてわたしの隣に座った。その声があまりにも年寄り臭くて、思わずわたしは噴き出してしまった。

「癖なんだよ」と彼は照れたような、少し不機嫌そうな表情で言った。

「変な癖」と、わたしは笑いが止まらないまま言った。

 すると彼はわたしの顔をまじまじと見て、「君でも笑うんだね」と面白そうに言った。「いつも何かを考えているような感じだったから、この子は笑わない子なんだと思っちゃったよ」

「あたしは嫌われたのかと思っていました」とわたしは言った。

「そんなことはないさ。新しく来た人なんて、みんなそんなもんだよ。驚いたりびっくりして当然さ。でも、俺たちは誰だって受け入れてるんだぜ」

 しばらくわたしたちは、黙って座っていた。不思議なことに、ほんのわずかにまともな会話を交わしただけだけれど、彼に傍にいられることが苦痛ではなくなっていた。張り詰めていた緊張がほぐれたような気がした。たぶん、わたしは彼らを勝手に敵視していて、きちんとした会話が出来るなんて思っていなかったのだ。当たり前だけれど、受け入れることのできない思想のようなものを彼らが信じているからといって、それが人格のすべてじゃないんだなとわたしは思った。

 よく見ると、金髪の下の彼の表情はおとなしそうな、どこにでもいる普通の青年の顔をしていた。通学の電車や道ですれ違っていたとしても、きっとわたしは覚えていないくらい平凡な顔だった。

 彼は座っている間も、まるで家族を見るときのような親しみと愛情に満ちた瞳で公園の人々を眺めていた。七瀬のほかは、彼がこの集団のリーダーであるらしかった。

 彼の顔を眺めていたわたしは、彼が振り返るときの一瞬の表情に見覚えがあることに気が付いた。しばらく考えていたが、ようやく思い当たったわたしは声を上げた。

「シグマ。あなた革命軍のシグマでしょ」

 クラスメイトのブログのリンク先で、確か写真を見たことがあった。演説が得意で、その声は心で聴けだとか大げさなキャッチコピーが付いていたはずだ。でも、そのときの彼は軍服にベレー帽を被っていて、しかもその画像のまぶたは二重に加工されていたせいで、今まで気が付かなかったのだ。

 わたしがそのことを言うと、彼は気恥ずかしさを含んだ表情を浮かべた。

「広報にフォトショップの好きな奴がいて、勝手に写真を加工しちまったんだ。革命家は見た目が大事だって。けど、今はシバ。シグマだった頃の俺はもういない。だから七瀬さんにもらった名前で呼んでくれよ」

「でも革命軍のリーダーの一人が、いったいなんでこんなところにいるの?」わたしはいささか戸惑いながら言った。

「七瀬さんに救われたんだ。どう? 聞きたければ話すけど?」

 彼の話に興味がないといえば嘘になったが、わたしはしばらく考えて、「ううん、やっぱり遠慮しておく」と言った。

「今、聞いても、あなたたちを否定してしまうことしか出来ないと思う。もうちょっと自分で整理してみたいんだ。今の気持ちとか、自分のこととかを」

 それから、「咲子」と自分の名を名乗った。でも、わたしの名前と彼の名乗った名前の意味が違うことまでは言わなかった。

 やがて、誰かが公園の中心からシバを呼ぶ声がした。七瀬が帰るつもりだというものだった。シバが大声を上げて、分かったと答えた。わたしは立ち上がり、そして七瀬を見つめながら、しばらくの間、ミキのことを考えていた。

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