第9話


 偽りの重力により、ぼくらは行く手をさえぎられた。

 それを確認した八雲老人は、ゆっくりと区切りながら言葉を吐いていく。


「さあ、ショーの始まりじゃな」


 ぼくたちが、なすすべもなく見ている前で。

 徐々にレーザー砲の起電力が高まっていく。


 やがて……。

 一瞬だが、エィジア全体の電力供給が途絶する。

 4000メガワット級核融合炉の発電量を、消費電力が陵駕した瞬間だった。


 ――ヴォン!


 莫大な量のγ線レーザーが射出される時。

 周辺の宇宙空間にある微小物質に誘導電流が発生する。


 その微細な電流がエィジアのチタン外殻に放電現象をもたらす。

 結果……。

 外殻の振動する音が、ぼくたちの耳にも聞こえてきた。


 間に合わなかった……。

 がっくりと肩を落とす。


 気力が尽き果てたぼくの上に、八雲老人の耳障りな笑い声が降りかかる。


「なんで、こんな事を……」


 ぼくはうつむいたまま、歯を食いしばって質問した。


「昔……」


 ほんのすこしの沈黙のあと。

 八雲老人のつぶやきに似た声が聞こえてきた。


「エィジアを建設するために、わしは家族を残して宇宙へと飛びたった」


「………」


「家族同伴で来れるほど、ここは甘い所ではなかった。そしてわしには、たった1人の娘がいた」


「娘?」


「ああ。陳腐な言い方じゃが、目に入れても痛くないほど可愛い娘だった」


「なんの話だよ!」


 我慢が切れて、マーフィが怒鳴る。


「まあ、聞いておくれ。わしがここに来てまもなく、娘は核融合プラズマジェットエンジンの開発をしておってな。その実験中の事故で、両足を切断してしもうたんじゃ。開発に従事していた妻も、その時に死んだ……」


 古い人工音声だと、感情を乗せることができない。

 なのになぜか八雲老人の述懐には、悲しさの波動が込められているように聞こえた。


「わしはエィジアが完成したら、ずっと一緒にいようと約束していた。そしてその時がきたら、だれよりも先に、素敵な合図を送ると娘に約束していた。じゃが……」


 八雲老人は漆黒の宇宙を見あげ、ひとつ大きな溜息をついた。


「じゃが、娘は耐えられなかった。エィジアの完成を待たずして、わが身をはかなんで、自らの命を断ってしまったのじゃ」


「その弔いのために、こんなことをしでかしたのか?」


 ぼくの声は怒りに染まっていた。

 同情の余地はある。

 でもそれで、今回の行動が許されるわけじゃない。


「弔い?」


 ぼくの声を聞いた八雲老人は、短く疑問の声を出した。

 そして、すぐに黙る。


 ズザザザ……。


 無数のコードを引きずりながら、重力壁を隔てたすぐそばまで歩いてきた。


「弔い? そう、弔いなのかも知れんな。わしは、果たせなかった約束を実行した。今日という日を逸すれば、もうわしの存命中には、二度とチャンスはめぐってこぬ。今日ほどの日和は、もう訪れまい」


「そのために、アルテミスやコロンビアに住む、数多くの人々を犠牲にしたのか!」


「犠牲じゃと?」


 八雲老人は、意外そうな声を出した。

 金属と皺に埋もれた顔からは、出した声の真意はつかみ取れない。


「おめおめと、まだそんなことを――!」


 なおも言い募ろうとするぼくの腕を、美希が引っぱる。


「シュウ!」


 美希はいつのまにか重力に逆らって、すぐうしろまで這ってきていた。

 ぼくは腕を振り払うために、荒々しくふり向いた。


「なんだよ、邪魔すんな!」


 ふりむいたぼくの目に……。


 盛大な宇宙の花火が飛び込んできた。


 それは音もなく四散する、極彩色の花びらに似ている。


「わしは、あらかじめ軌道上に重力場発生装置を設置しておいた。宇宙のゴミ《デブリ》を集めるためじゃ。

 そして一流のアーチストによるサイビック・コントロールと、三次元位相コンピュータによる計算で、エィジアにある6基のレーザー砲のうちの5基を自動制御、発振させた。

 ゴミを選択的に蒸発させてプラズマ状態にする。それが美しい宇宙の花火となる。

 アーチストの組んだソフトは、次から次へとプログラムをこなしていく。デブリの集積を一掃し、最後に重力場発生装置を自爆させる。それでわしの目的は達せられるのじゃ」


「………?」


 八雲老人が何を言っているのか、ぼくにはわからなかった。


 茫然と見あげるぼくの目の前で、最後の光条が漆黒の空間にのびていく。


 巨大な光芒がまきおこった。


「何を勘違いしておるのか知らんが、わしはただ、死んでしまった娘と妻に、最後のメッセージを送りたかっただけなんじゃよ。

 そのために、エィジアの機能をほんの少しばかり借りた。半日分の電力と数分の防衛力低下、重力制御に関する機密の私物化……それを責められるのなら甘んじて受けよう」


 まばゆい光芒は、重力場発生装置が蒸発するときに発生したものだった。


 装置はプラズマ渦流へと変貌しつつも、最後の仕事を果たしていく。

 その光景は、漆黒の夜にふる虹色の雪にそっくりだった。


「虹雪だわ」


 美希が、うっとりとつぶやいた。


 重力をコントロールして、レーザーの光条を変移させる。

 それは無数の塵やゴミに放射され、さまざまな角度に散乱する。


 宇宙空間に、巨大なが表示された。


 それは夜になっている環太平洋国家連合日本州の地上からも、くっきりと見ることができるはず。


「愛する、めぐみ、へ」


 美希がたどたどしい日本語で、その文字を読んだ。


「いま、帰る。父」


 その声を聞き終わった八雲老人は、金属をきしませながら妙に人間っぽい笑いを浮かべた。


 そのまま前のめりに倒れる。

 気がつくと、すべての電力が停止していた。


 意図的な電源喪失なのか。

 それとも、結果論的に電力が途絶したのか。

 それはわからない。


 八雲老人の体は、すべてを電力に頼っていたはず。

 ならば超伝導蓄電装置大容量バッテリーくらいはあっても良いはず。


 そう考えると、覚悟の上の自殺のようにも思えた。


「ゲーム・オーバー……だな」


 マーフィのあっけらかんとした声。

 それが、全機能を停止したエィジアの床に明るく響く。


 そんな中……。

 ぼくたちは重力の加護を失い、ただ空中を漂っている。


 マーフィの声は、なぜか場違いには聞こなかった。

 それどころか、奇妙なすがすがしさを持って、ぼくの心の中にしみ透っていく。


「ばっかみたい」


 美希が小さく声を漏らす。

 見れば頬に、一筋の涙が光っていた。



                              了

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虹雪の降る夜 羅門祐人 @ramonyuto

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