ツァイガルニクのスカート

キエツナゴム

ツァイガルニクのスカート

 突然だが、君はスカートが好きか?

 俺は好きだ。

 どのくらい好きかと聞かれれば、好きな食べ物を聞かれたときに、「スカート」と答え、ドン引きされるくらいには好きだ。 


 でも、俺はスカートを食べたことはない。 

 そういうのは、俺なんかよりももっと高尚で、上位の存在がすることだ。


 だったら何故俺はそう答えたのか?


 答えは簡単。オカズにしたことがあるとかそう言う下賎な話ではなく、単純に俺がこれまで人生の中で最も口にした言葉がスカートだからだ。

 

 大好きな食べ物というのは、人生において必然的に食べる機会が多い。つまり、「口にする」ことが多い。つまり、逆説的に言えば、「口にする」ことが最も多いものが、好きな食べ物だと定義づけることができる。


 だから、俺は答えたのだ。人生で最も「口にする」機会が多いものはスカートだと。


 頭の良い人なら気づいているのかもしれない。

 食べ物を「口にする」ことと、言葉を「口にする」ことの二つには大きな違いがあることくらい。


 だけど、今そんなことは関係ない。


 俺はスカートが好きだ。


 その事実さえわかれば、もうそれで良いのだから。


 さて、ツカミはこれくらいにして、本題に入ろうか。

 

 これは、1人の青年が、スカートの中を覗く、そんな大それたようでくだらない、馬鹿みたいなお話である。


ーー

 

 とある春の日。

 少年は1人海沿いの道路をカバンを持って歩いていた。

 どうやら高校からの帰宅中らしい。


 少年の名は、布川芽来ぬのかわめくる

 まるで、スカートを捲る為だけに生まれたような名前だ。


 しかし、彼は、その人生の中でスカートを捲ることはおろか、女性の履いたパンツを一度たりとも見たことがない。


 少年はスカートが大好きだ。だから、スカートの中にも興味はあった。

 そんなのは、至極当然で、変えようのない事実だった。


 だが、しかし、少年はスカートの中を見たことがない。もちろん、見る機会なら合法的なものでもたくさんあった。

 羞恥心を欠いたクラスメイト女子が、1限目の体育の為に、男子の登校を待たずして着替え始めてしまうなんてこと。


 おかしな事だろうか?

 理解できない事だろうか?


 だが、一度考えてみてほしい。

 ある人間の目の前に大好物の食べ物があったとしよう。

 ステーキかもしれないし、ラーメンかもしれない。しかし、こんなことは今はどうでもいい。

 その人間が次に取る行動は、もちろん、その食べ物を食べようとする。うん、これも普通の行動だ。

 

 しかし、それを食べた後、その人間は思うはずだ。「もっと食べたい」と。


 こういう所が人間の業の深いところで、面白い所だ。

 食べている最中は、「こんなに美味しいものを食べている自分は幸せだ」と思っていても、食べた最後には、「もっと食べたい」と枯渇感と飢餓感に苛まれてしまう。

 しかし、人間はその飢餓感を忘れ、翌日にはまたその大好物のことを考えてしまう。


 つまりは、完食後よりも、食事中のことの方がより鮮明に記憶に残っているということになる。


 こういう現象を、心理学的には考えついた人の名前から『ツァイガルニク効果』と言うらしい。


 この少年はその心理を知っていた。学んだのではなく、本能的に理解していた。


 物事は、途中段階でやめた方がより長期的に記憶に残るのだということを。


 少年はスカートがどうしようもなく好きだ。

 少年はスカートをどうしようもなく好きな自分のことも好きだ。


 だが、『好き』はいずれ移り変わり、他のものへと好意を転換させる。

 つまり、スカートを好きな自分はいずれ、いなくなってしまう。


 少年はそれを恐れた。そして、考えついたのだ。『より長期的にスカートを好きでいられる方法』を。


 スカートの中を覗く途中段階とは何か? 

 スカート自体を見ることだ。

 最終目的は……もちろんスカートの中を覗くことだ。


 だから少年は自分が納得するまで、女子のスカートは見るが、その中身をみるようなことはしなかった。


 しかし、転機は訪れる。

 物事が動き、始まるこの季節。

 ボーイはガールにミーツする


ーー


 少年がいつも通りの帰路を歩く中、波の音を切り裂き、いつも通りの踏切警報の音が聞こえる。

 その後数十秒で、電車の走る音が聞こえた。やっぱりこれもいつも通りだった。


 だが、ひとつだけいつもとは違う所があった。それは、小さな違いのようで、とても大きな違いだった。


「あれって……やばくないか!?」

 

 少年が見たのは、線路の方向。

 いつもは、通り過ぎる電車を踏切の手前で横目で見過ごす少女が、今日は踏切の中に立っていたのだ。


 少年は少女のことを知っていた。他の女子より、特別この少女のことを知っていた。

 同じクラスの女子だということ。

 早朝の教室、いつも本を読んでいること。

 帰りの際、いつも通る電車を立ち止まって見てること。……そして、虐められているということ。

 

 だから、少年は踏切の中の少女を見て、焦りよりも納得の方が先に来た。

 しかし、その後また、焦りが少年の思考を塗り替えていった。


 数秒の出来事だった。


 少年は自分の鞄を道に投げ捨て、線路へ走る。

 少女はただ、静止する。

 少年は踏切を超え、少女に急いで近づく。

 少女は、顔をこちらに向け動揺するが、身体は依然静止する。

 少年は少女を抱き抱え、再度踏切へ向かう。


「やだ! 離して! 離してよ変態!」


 少女は、自分を引き離すよう叫び。暴れ出す。

 少年は黙って踏切を超える。

 その三秒後、電車は横を通り過ぎる。

 少女の命は助かった。


「パチン!」


 瑞々しく、若々しい音が鳴る。

 少年は自身の頬を抑える。

 叩いたのは意外にも、少女の方ださった。


「なんで、なんで助けたのよ」


 激高……というより叱責という方が近かった。それも、タチが悪いことに自分自身に対してのもののように少年には感じられた。

 頬を抑えて少年は何もなかったように、日常会話のトーンから一寸もズレない態度でこう告げる。


「スカートが可哀想だったから」


 心からの声だった。

 少年にとっていじめなんて些細なことだ。

 流石に人の死は大したことだけど、それ以上に少女のスカートに重きを置いていた。

 

 少年は、少女のスカートを愛していた。

 早朝、教室の窓から入るそよ風に靡くスカートを。

 電車の勢いに揺れるスカートを。


 そのスカートが、この世から失われることの方が少年にとって一大事だった。


 しかし、少女にそんな少年の考えは理解できない。


「ふざけてるの!? そんな軽い理由で人の人生左右しないで!」


 少女は再度叫ぶ。

 しかし、少年はまたも冷静に対応する。

 

「そんなこと言ったらお前を虐めてた奴らだって、軽い理由で人の人生左右してるだろ。それに、俺にとってスカートは軽くなんてない!」


 それを聞き、少女は更に口を開く。


「わかった口聞かないで! そういうのは、やられてから言えっての! イケメンには、こんな気持ちわからないのよ!」

「だから、やられた上で言ってんだろ。同じクラスなのに気づかなかったのか?」


 少年は、動じずに返す。

 そう。少年は眉目秀麗だった。ついでに才色兼備だった。何事に対しても妥協しない少年の心は、少年をそう形作った。

 だが、少年は虐められていた。

 会話の大半をスカートで埋める少年だ。虐められる理由としては充分すぎるのだ。

 モテる要素も変態というマイナス要素と掛け合わされば、虐めの対象に早変わり。人間は本当に傲慢で強欲な生き物だ。

 

 だが、少年は折れなかった。

 自分の好きを卑下し嗤うような奴らの馬鹿にされたところで、何も響かない。

 少年は真正面から、誠実に、真剣に変態だったのだ。


 折れた少女は、折れなかった少年に言葉を詰める。

 しかし、少年は逃がさない。


「お前、逃げてもいいの?」

「逃げてなんか……ない」

「自覚は無くても逃げてんだよ。死んだら勝ちとでも思ったか? 奴らに少しでも牙を向けると思ったか? 死んだ後に勝ったところで、なんの意味もないと思うがな」


 少年はいつに無く真剣だった。スカートのことを語るときの次くらいには真剣だった。

 その真剣さにあてられ、少女は歩道の真ん中に腰を下ろしてしまう。


「だったら……私にどうしろって言うのよ」

「どうもこうも言わねぇよ。ただ、スカートがなくならなきゃ、それでいい」

「……ははっ。結局それなの? じゃあ、退いて。今からスカートを脱いで次の電車に轢いてもらうから」


 少女は苦笑する。

 自分の命よりスカートを重く見る男と、自分の情けなさに、耐えられなかったのだ。

 そして、少女は自分のスカートに手をかける。


 瞬間、少年は慌てふためく。


「待て待て待て! なんでそうなるんだよ! っていうか、お前、こんな所で下脱いで恥ずかしくないのか!」


 少女は自分のしようとしてることに、少し赤面するが、勢いは止められずに反論する。


「今から死ぬんだから、恥ずかしいもクソも無いわよ!」

「ちょい待て待て! 俺のことももう少し考えろ!」

「良いじゃない! 女の子のパンツ見れるんだから、一生の思い出にしなさい」

「その前に一生のトラウマになるわ! ってそうじゃなくて、自分のことばっか考えてんじゃねぇ! 俺はお前のスカートの中を見るわけにはいかねぇんだよ!……ってあ……」


 瞬間、少年は赤面する。


 少女は、少年が言い終わる前に、スカートを下ろしてしまう。

 少年は急いで目を逸らしたが、既にもう、その事象は起こってしまった。

 少女の奇行により、少年が勇往邁進してきた生き甲斐と目標と、モットーが、最も簡単に崩れ去ってしまった。

 

 少女は、少年の異変を視認しつつも、確実に線路へと再度足を運ぶ。


「これで、文句ないでしょう。もう、私の邪魔をしないで」

「あぁ……俺の生まれてからの15年が、人生が、生き甲斐が、こんなことで、こんなところで……」


 少年は涙する。

 それは色々な意味を含む涙だった。

 全てが終わってしまった悲しみ。

 この先、どう生きていけばいいかの不安。

 やはり、見てしまったという一抹の達成感。


 色んなことが頭の中を駆け巡っていた。


 そして、即座に気持ちは少女の方に切り替わる。


「おい! どうしてくれるんだよ! 俺は決めてたんだ。スカートの中を見るのは、最高のシチュエーションで見るってな! 放課後の教室、夕陽に照らされながら相手の恥じらう姿を見つつ、少しずつスカートを上げてもらって、最後の最後に見るって、そう決めてたんだ! それを、こんな品も、羞恥心も無いような状態で……」

「ちょ、辞めなさいよこんな所で」


 少年は少女の肩を持ち、大音量で言い放つ。

 少女は、今の自分の状況と、白昼の中の少年の発言に、流石に赤面せずにはいられなかった。


「うぅ……」


 少年はみっともなく泣いていた。

 白昼堂々、女の子の前で恥ずかしげも無く泣いていた。

 そんな様子を見て、少女も少なからず自分を取り戻しつつあった。

 自分より気が動転している者を見れば、逆に冷静になると言うのも心理的によくある話だ。


「はぁ……。もう今日はいいわよ。死ぬのもこんな格好で立ってるのも馬鹿馬鹿しくなってきたわ」


 少女は下ろしたスカートを再度上げつつ、言い捨てた。

 結果として、少年は少女の命を救ったのである。

 しかし、少年の頭の中にはそんな些細な達成感より、絶望感の方が多くを占めていた。


「責任取れよ……」

「は?」

「今本当に死にたいのは俺の方なんだぞ。でも、まぁいいよ。お前もいっぱいいっぱいだったってのもわかってる。だから、挽回のチャンスをやる」

「ちょっと……話が見えないんだけど」

「お前、俺と付き合え。それから、俺の次の生き甲斐を見つけてもらう」

「え、え!?」


 少女は混乱する。

 当たり前だ。一応命を救ってくれた変態が今何故か自分に告白している。しかも、最悪なことにその少年、よく見れば自分のタイプの顔立ちをしている。

 変態性と面の良さを天秤にかけながら、今の状況を処理するのは、高校2年生にはまだ早かったのだ。だから、それ故に答えてしまった。


「は、はひぃ」


 なんとも気の抜けた返事だった。

 だが、そんなのでも、OKという返事だったのだ。


 少年は考える。この少女との行く末を。

 少女は考える。自分がその選択をした理由を。

 

 きっと、理由ならたくさんある。

 自分を助けてくれたから。タイプの顔だから。どうせこの先は、死ぬはずだったない筈の人生だから、生かした責任を取ってほしかったというのもある。

 でも一番はきっとーー


「じゃあ、まぁ、初めに虐めてた奴の処理からやるか」

「え? 助けてくれるの?」

「勘違いするな。お前のゴタゴタを解消しないと、俺の目的に付き合わされないだろうが。目的を果たす前に死なれても困るしな」

「でも……できる限り目立ちたくないというか、穏便に済ましたいというか……」

「お前、虐められといてよくそういうこと言えるな。そういうところだぞ。でもまぁ、出来るだけスカートが汚れないようにはするつもりだ」

「う、うん。そっか」

「……じゃあ、取り敢えずうちに来いよ、美麗」

「そ、それ、私の名前……なんで」

「そりゃあ、同じクラスメイトの名前くらい知ってるだろ。それに、お前のスカートは他の奴より綺麗だったからな」


 少女には理解ができなかった。

 どうして、同じ制服なのに、上下関係ができるのか。

 どうして、スカートにしか興味のない変態が自分の名前を知っていたのか。


「どうして、私を見ていたのか」

「ん?」

「いや、なんで毎朝こっちの顔を見てたんだろうなって。スカート見るなら目は合わない筈でしょう?」

「そんなの簡単だ。お前が履いてたスカートが綺麗だったからだよ」

「だから、それ、答えになってないし」

「はぁ。お前な、俺がスカートという衣類だけを好んでいると思ってんのか?」

「違うの?」

「そんなわけあるか。スカートってのは、衣服だ。そして、衣服ってのは着られるもので、つまりは着る人がいて初めて成り立ち、着る人によって姿を変える芸術だ。スカートだけ見て評価できるもんじゃねぇんだよ」

「え、じゃあやっぱりーー」

「ん?」

「ううん、やっぱりなんでもない」


ーー私をちゃんと見てくれる気がしたから。

 それが、少女が少年を選んだ一番の理由だった。そして、それは間違いじゃなかった。


 少女はやはり知っていた。

 早朝、少年がこちらを見ていたことを。

 帰りの際、毎日自分を見ている少年がいたことを。


 少女は笑う。笑えなくなってから初めて笑う。

 ちゃんと、自分自身を見てくれていた少年がいたことを。


 きっと少年の心はまだ、本当に少女に向いたわけではない。

 しかし、少女の方はそうではない。

 

 少女は自分の頬を叩く。

 気合を入れて、力強く。

 

 


 少女が少年に声をかけるまであと30秒。

 少女が少年の赤面を見て笑うまであと40秒。

 少女が少年を揶揄うまであと45秒。

 少女が少年の名を聞くまであと60秒。

 少女が少年から怒られながら名前を教えてもらうまであと70秒。

 少女が少年と約束するまであと90秒。

 少女が少年に自分の気持ちを気づいてもらうまであとーー

 

 少年が、少女に恋をするまであとーー






ーー

 この話はここで終わり。

 いや、本当はまだ話は始まったばかりなのかもしれない。

 でも、筆者わたし読者あなたに語る話はここまでだ。

 語ろうと思えばきっと語れる。だけど筆者わたしはそうしない。

 だって、私はもっと長く、この物語を楽しんでいてほしいから。

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