スピンオフ サヨちゃんとひな

 猫ちゃんがいない。


 猫ちゃんが入っていた段ボールもない。どこに行ったんだろう。トラ柄のかわいい子猫だった。昨日はここにいたんだ。昨日、学校の帰りに、この公園の端の草むらの中で段ボールを見つけた。のぞくと小さな子猫がいて、小さな声で鳴いていた。かわいい子猫。


 私は、あちこち猫ちゃんを探す。いない。どこにもいない。気持ちがあせってくる。 


 こういう気持ちを、こうかい先に立たずと言うんだろうか。ママはいつも「今できることは今やりなさい」と言うけど、それはこうかいしないためにとても大切なことに思えた。でも、今はそれどころではない。猫ちゃんがいない。トラ柄の小さな猫ちゃん。


 いない。どこにもいない。段ボールもない。いなくなっちゃった。


 じわっと涙が出てきた。誰かいじわるな人にひどいことをされていないか、怖い思いをしていないか、もう死んでしまったんじゃないか、いろいろな悪いことが思い浮かんで、どうしたらいいかわからず、わたしはただ立ちつくした。



「にゃんこ?」


 急に声をかけられて、びっくりして体がビョンってなった。ふり向くと、大人の女の人がすぐ後ろに立って、タバコを吸っている。黒い長そでのTシャツ(ちょっとよれよれ)灰色のズボン(たぶん、スキニーってやつ)はだしでサンダル、茶色っぽい長い髪。ふーっとタバコの煙を吐いた。


「にゃんこ、探してるんじゃないの? 昨日そこに捨てられてた、ちっちゃいにゃんこ」


 おどろいた。


「そうだけど……知ってるの?」

「知ってるよ」


 猫ちゃんのいばしょは知りたいけど、ちょっと怖かった。ママが、タバコを吸う女の人を見るといつも嫌な顔をして「ろくでもない」って小さな声で言うから、きっとこの人も「ろくでもない」人なんだろう。でも、「ろくでもない」って、どういう意味だろう? この女の人は、ちょっとブスッとしているけど、それが「ろくでもない」って意味かな。


「にゃんこ探してるんじゃないの?」

「そ、そう。昨日、学校の帰りに見つけたんだけど、今来たらいないから」


 かわいい子猫の顔が浮かぶ。じわっと涙が出てくる。この人に怖いところに連れていかれたのかな。


「にゃんこなら、うちにいるよ」

「え!」


 おどろいた。


「ほんとに?! お姉さんが拾ったの?」


 そこで女の人は息をふっと吐いた。


「お姉さん……じゃないけど、私が拾ったの。だから、うちにいるよ。昨日の夜拾って、今日の午前中に病院に連れて行ったよ。痩せてるけど、病気もケガもないって言われた。ミルク飲ませて、今寝てる」


 わたしはとてもほっとした。この女の人(お姉さんじゃないなら、おばさん?)は、実はいい人なのかもしれない。「ろくでもない」は、「いい人」の意味なのかな。そういえば、さっきから猫ちゃんのことを「にゃんこ」って呼んでいるのも、なんだか、大人じゃないみたいで、おもしろい。


「よかった、じゃ猫ちゃんは元気なんだね。昨日見つけたんだけど、今日来たらいないか、もう死んじゃったのかな、って心配してたの。うちは、ママが猫ちゃん好きじゃなくて、パパは動物の毛のアレルギーだから、猫ちゃん飼えないの。だから、昨日見つけたんだけど、連れて帰れなくて。でも、今日学校でずっと心配してたの。だから、よかった、拾ってもらえて。お姉さんに……じゃなくて……おばさん?」


 最後のほうは声が小さくなってしまった。だって、ママやママの友達はみんな、おばさんって呼ばれるのを嫌がるから。女の人はまた息をふっと吐いた。どうやら笑っているらしい。


小夜さよだよ」

「え?」

「私の名前。小夜。上原うえはら小夜」

「サヨちゃん?」

「そう、小夜ちゃん」

「よかった、サヨちゃんに拾ってもらって」


 サヨちゃんはすっと目を細めて、タバコの煙をふーっと吐いた。


「にゃんこ、好きなの?」

「うん。好き。でも……うちでは飼えない」

「見に来る?」


 見たい! すぐにそう思った。猫ちゃんに会いたい! でも、ママからも学校の先生からも、知らない人に着いていってはだめ、と言われている。どうしよう。


「あー、そうだよね、知らない人に着いてっちゃだめだよね。えらいえらい。うん、それは正しいよ。待ってて。写真とってくるから」


 わたしが何か返事をする前にサヨちゃんはひとりで納得して、おばあちゃんが使う小銭入れみたいな袋にタバコを入れてパチンとふたをして、公園を出て行った。


「待ってて」って言われたけど、どのくらい待てばいいんだろう。とりあえずわたしは、草むらを出て、公園のベンチに腰かけた。ランドセルが邪魔で、背もたれによりかかれない。猫ちゃんが無事で本当によかった。きっとサヨちゃんはいい人だ。怖い人なら、猫ちゃんを拾ったり、病院に連れていったり、ミルクをあげたりしないだろう。そんなことを考えていると、サヨちゃんはすぐ戻ってきた。


「早いね」

「うん。だってうち、すぐそこだから。ほら、これ」


 とスマートホンの画面を見せてくれた。


「わーかわいい!」


 昨日ここで見つけたトラ柄の猫ちゃんが、ピンク色の毛布の上で寝ていた。昨日は毛も汚れていたし、目のまわりが目ヤニで黒かったけど、写真の猫ちゃんはきれいになっている。


「昨日よりきれい」


 サヨちゃんも画面をのぞき込む。


「うん、毛も汚れてたし、ノミもいたから、ウェットシートできれいに拭いて、ノミの薬もやってもらったよ。体力が心配だからまだ洗ってないけど、もう少し元気になったら洗ってやらないとね」


 わたしは、猫ちゃんを拾ったのがわたしじゃなくてサヨちゃんでよかったと思った。わたしは、猫ちゃんの体力まで心配できないし、ノミの薬のやり方も知らない。サヨちゃん、すごい。


「名前は?」

「そうそう、名前ね。まだ決めてないんだ。そうだ、君が考えてよ」


 サヨちゃんは画面の猫ちゃんを見ながら言う。


「え! いいの?」

「うん。私が拾ったのは夜だけど、君が見つけたのは学校の帰りでしょ。だから、君が名付け親になってよ。それで、ふたりのにゃんこってことにしよう」


 わたしはすごく嬉しかった。自分では飼えないと思ってた猫ちゃん。でも、名前をつけてふたりの猫ちゃんになるなら、サヨちゃんの家でわたしも猫ちゃんを飼ってるってことだ。すごい。


「じゃ、明日までに考える!」


 わたしはやる気が出た!


「うん、よろしく。じゃ、明日も同じくらいの時間に公園にいるよ、ここで会おう」

「わかった。かわいい名前考えるから!」

「おーよろしくね。じゃ、また明日」


 サヨちゃんは片手をあげて去っていった。サンダルをずるずるするような歩き方で、あれではママに「だらしない」と怒られそうだな、と思った。


 わたしはウキウキしながら家に帰った。ママに言われる前に宿題をしてほめられた。


 ご飯のときママに「ろくでもないってどういう意味?」って聞いたら、ママはまゆげをぎゅっと寄せて「なんでそんなこと聞くの?」っていうから「本にでてきたの」ってうそを言ったら「のらくらしていて役にたたないって意味よ」って教えてくれた。「のらくらって何?」って聞いたら、「なまけもので、何もしていないってことよ」って教えてくれた。


 たしかにサヨちゃんはのらくらしていそうだな、と思った。でも、役に立たないなんてことはない。だって、猫ちゃんをあんなにきれいにしてあげたんだから。


 わたしはお風呂で猫ちゃんの名前を一生懸命考えながら、そういえば、サヨちゃんに自分の名前を言い忘れた! と気付いた。



 次の日になって、学校でもそわそわしてしかたなかった。早く公園に行きたい。


 学校が終わって、わたしは急いで公園まで走った。


 昨日わたしが座っていたベンチにサヨちゃんがいる! わたしは走ってサヨちゃんに近づいた。


「サヨちゃん! こんにちは」


 サヨちゃんは今日もちょっとよれよれの長そでTシャツにズボン。ベンチでタバコを吸っている。わたしは何だか笑いたい気分になった。のらくらしていて、やさしいサヨちゃん。


「あぁ、早かったね。走ってきたの?」


 そう言ってタバコをまた小銭入れみたいな小さな袋に捨てる。


「うん、走ってきた!」

「名前、考えた?」

「うん! あ、けどその前に、えっと、わたしの名前は、さくらがわひなです!」


 サヨちゃんはちょっと目を丸くして「あぁそっか、君の名前を聞いてなかったんだね」と言って少しだけ笑った。ひなって漢字どう書くの? って言うから、名札を見せた。桜川陽菜。


「それで、猫ちゃんの名前なんだけど……ポットってどうかな?」


 わたしは昨日からずっと考えていた名前を伝えた。どうかな、気に入ってもらえるかな。


「ポット? かわいいね。まさかマリファナの意味じゃないよね?」

「まりふぁな?」


 まりふぁなって何だろう。


「うん。違法薬物。まぁ、いいや、何でもないよ。かわいい名前。由来は?」

「あのね、あの猫ちゃん、トラ柄だったでしょう? だから、まず、トラだからタイガーって思いついて、タイガーっていったら、おばあちゃんちにある、まほうびんのポットだなって思ったの。だから、ポットってどうかな、と思って」

「いいじゃん。かわいい名前だし、由来も連想ゲームみたいでおもしろい」

「良かった! じゃ、ポットで決まりね!」

「うん、いいよ。今日のポット、見る?」


 そう言ってサヨちゃんはスマートホンを見せてくれた。そこにはたくさんのポットの写真や動画がのっていた。


「わぁ、これもかわいい! これもかわいい!」

「ね、本当にかわいいよね」


 サヨちゃんはうっすら笑った。




 それから毎日のようにサヨちゃんと公園で会って、ポットの写真を見せてもらった。ポットはどんどん元気になってきて、体重も増えてきたって言っていた。本当にサヨちゃんに拾ってもらって良かった。


 わたしはサヨちゃんといろんな話をした。サヨちゃんは今「むしょく」だと言っていた。だから毎日会えるんだって。

 サヨちゃんは、あははって声を出して笑ったり、にっこり笑顔になったりしない。ふっと小さく笑うか、ほんの少しだけ口を横にしてうっすら笑うか、どっちかだ。何か、かなしいことがあったのかな、と思った。だって、元気がでないときの笑い方だ。


 わたしは気になったから聞いてみた。


「ねえ、サヨちゃんって、何か、かなしいことがあったの?」


 サヨちゃんは首をかしげて「ん? なんで?」と言った。


「だって、サヨちゃんっていつも、元気がないときの笑い方しかしないから」


 するとサヨちゃんは空を見上げて「うーん」と言った。うなり声みたいだった。


「悲しいといえば、悲しいかな。でも、仕方ないといえば、仕方ない。そんなことがあったの」


 わかるようなわからないような、むずかしい答えだな、と思った。


「それって、わたしは絵が大好きだけど、絵の話ばっかりするとママが『絵もいいけどお勉強もしてね』って言うときみたいな気分かな」


 するとサヨちゃんは「陽菜は絵が好きなの?」と聞いてきた。


「うん。好き。絵をかくのも、見るのも好き。びじゅつかんっていうところに、いつか行ってみたい」

「おぉ、いいね。私も絵、好きだよ。詳しくないけど」


 そう言って、スマートホンを見せてくる。


 そこには、きれいな青と黄色のパズルが途中まで作ってある写真があった。


「すごいきれいな色!」

「これね、今作ってるの、ジグソーパズル。完成したら、この絵になるよ」


 そう言ってサヨちゃんが見せてくれた画面には、暗い青と、光ってかがやいてるみたいな黄色の、きれいだけどちょっとさみしい感じの絵があった。


「すごくきれい」

「きれいだよね。ゴッホの『夜のカフェテラス』って絵だよ」

「ゴッホって聞いたことある。パズル完成したら、見に行っていい?」

「もちろん。でもまだまだ完成しなさそうだから、それより先に、ポットに会いにおいで」

「うん! ねえ、わたしとサヨちゃんは、もう友達?」

「え?」

「だって、もう何回も公園で一緒に遊んでるでしょ? もう友達だよね?」

「うん、そうだね」

「それなら、ママに『友達の家に遊びに行ってくる』って言える!」


 サヨちゃんは、ふっと息を吐くみたいに笑って「そういうことね。うん、友達だよ。陽菜が、小夜ちゃんの今一番仲の良い友達」と言った。わたしはうれしくなった。新しい友達ができるのはうれしい! それが、猫ちゃんにもやさしくて、わたしが絵を好きなこともわかってくれる友達なんて、サイコーだ!


「じゃ、サヨちゃん、明日おうちに行ってもいい?」

「うん、もちろん。ポットに会ってあげて」

「やったー!」


 ポットと遊んで、サヨちゃんのパズルも手伝ってあげよう!


 わたしは新しい友達とかわいい猫ちゃん、同時に出会った。これはきっと仲良くなれるうんめいだ、と思う!


 これからもサヨちゃんといっぱい遊ぼう。そう思ったら、また明日になるのが楽しみになった。


 サヨちゃんもいつか、ちょっと悲しいみたいな、仕方ないみたいなことがかいけつして、いっぱい笑えるようになったらいいな、と思った。きっとわたしと一緒にいっぱい遊べばそのうちかいけつする。


 そうなれば、きっともっと楽しいな!


「サヨちゃんの、悲しいけど仕方ないことが、かいけつするといいね」


 そう言うとサヨちゃんは空を見て「ありがとう」と言いながら、またふっと小さく笑った。


 それは、サヨちゃんが見せてくれた、夜のカフェテラスの青みたいな、きれいな声だった。



【おわり】

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セレナーデ 秋谷りんこ @RinkoAkiya

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