第43話「魔女の名は歴史に刻まれる」

「──帰りましょう。マリス様。シィラ様。アルゲンタリアへ……あら? シィラ様は?」


「あっちで遊んでるよ」


「あら。楽しそうで何よりですわね。お友だちもいっぱい出来たみたいで……」


「は? 友だち?」


 これは別に「自分には友だちがいないのになぜあのアホの子に友だちが出来るのか」と不満に思っての発言ではない。

 ここはマリスが発動した『狂気の侵蝕インサニティ・エロシオン』により強固な結界が張られ、その内部は一時的にインサニアの森の深層が再現されている。結界は法素や魔素すら遮断するものなので、当然ネズミ一匹出入りすることは出来ない。

 友だちなど増えるはずがない。

 何者かが増えたとすればそれは外からやってきたわけではなく──


「よし、モン太は右から枝を折れ! モン吉は正面だ! あたしは左側を攻める! モン平は隙を見て背後から幹に突進だー!」


 ──結界の内側で新たに生まれるしかないのだ。


「……あれ……猩猩の幼体だな……。しかも髪だけ赤い……突然変異体だ。三匹もいるぞ。え、待って、なんで? もしかして、もう魔物が自然発生するほどの魔素濃度になってるってこと? しかも第一世代から突然変異体? どういうこと?」


 魔物もある面では動物と同じ生態を持っている。それは親を持たない、自然発生した個体でも同様だ。猩猩はベースの動物がゴリラなので、哺乳類である。刷り込みというほどではないが、生まれたときに近くにいる、自分に似た生物に懐く習性があるらしい。

 そう考えると、猩猩を超えるパワーと頑丈さを持ち、鮮やかな赤毛のシィラは、親としてこれ以上ないくらいの適任者だったのだろう。妙に懐いているように見えるのはそのせいだ。


「……なんで突然変異体が……? 『人類領域』に無理やり『領域外』を発生させると、そこで自然発生する魔物はみんなそうなるのか? そんな実験、たぶんこれまで誰もやったことがないから前例がないな……。あと、魔素濃度の急激な上昇も不明──でもないか。一時的とはいえ、ここはインサニアの森、その深層だ。インサニアの森という存在そのものを再現してるんだから、魔素なんて湧いて出てきて当たり前だ。しまったな、その可能性は考慮してなかった。やっぱり新しく作った魔術はもっと実験と実践を重ねてから使わないと危険だな……」


 マリスのオリジナルの魔術のほとんどは必要に迫られて作ったものだ。必要に迫られていたので、当然何度も使用している。

 この旅で使った魔術も大半はすでに実績のあるものだった。

 しかしこの『狂気の侵蝕インサニティ・エロシオン』は違う。

 森の外に出ること自体が稀なマリスにとって、森の外にわざわざ森を持ってくるような魔術を使う機会はない。理論上作れそうだったから作っただけで、発動できそうだったから発動したまでだ。ただの結界だと寂しいから木とかも喚んでみようかなとかその程度の認識でしかなかった。


「ていうか、普通にあぶないなこれ。結界解除したらディプラデニア全体がいっきにインサニアに飲み込まれちゃうんじゃないかな。しかもここだけ深層。どうしよう……」


 悩んでいると、トミーがおずおずと声をかけてきた。


「あ、あの、マリス様……。もし良かったらなんですが、この森は、できればこのままにしてあげられんもんですかの?

 ディプラノス伯爵のしたことは許されることではありやせんが、娘さんを想う気持ちだけは、親として痛いほどわかるんでさ……。

 アルゲンタリアと同じく、このディプラデニアも長きに渡ってインサニアの森に寄り添ってきた土地……。人がおらんようになって、滅んじまったんだったら、森に還るのもまたええんじゃないかと思いましての……。少なくとも、何も知らん余所者にズカズカ入ってこられるよりも……」


 もしかしたらトミーにも、先祖代々伝えられているものだとか、あるいは娘や孫なんかがいるのかもしれない。

 いや今生きているのだから先祖がいるのは当たり前か。トミーの歳なら、結婚していれば子供や孫がいるのも普通である。


「……まあいっか。わかった。たぶん後でめっちゃ怒られることになる気がするけど、それは奴を逃した時点でわかっていたことだしね。地下も崩れちゃってもう隠し通路も探せないし。

 ただ、伯爵をここに置いておくと森の木の栄養とかサルの餌とかになっちゃうだろうから、遺体は時を止めた城の三階に安置してくるよ。娘さんの隣にね」


 あの部屋は彼の息子が守っている。変わり果てた姿になっているが、それは家族全員がそうだ。きっと寂しくはないはずだ。



 ◇



 こうして、マリス・マギサ・インサニアが久方ぶりに森の外に出た事件は終息した。

 事件の主題が「ルシオラ・アルジェントが拉致されかけたこと」でも「法騎士シィラが領主貴族を一方的に断罪しようとしたこと」でもなく、「マリスが外に出たこと」となっている理由は、事件の顛末を知る者には説明するまでもないことだろう。


「貴族令嬢が攫われる」とか、「ミドラーシュ教団とリベルタ連邦国との関係が緊張状態になる」とか、その程度のことは「長きに渡って繁栄してきた人類領域の一角が一夜にして深層クラスの領域外へと変貌したこと」にくらべれば、取るに足らない些細なことだからだ。


 これを行ったのが「灰金マリス」であることは明白である。

 なぜなら、ディプラデニアを飲み込んだ『領域外』は他ならぬインサニアの森だったからだ。

『領域外』は、そこを代々管理している魔女にしか制御できない。インサニアの森を広げたというのなら、それが出来るのは『森の魔女ドゥルケ』亡き今、「灰金マリス」とその母「禁忌のゼノビア」しかいない。ゼノビアの消息は誰も知らないが、ここ数年で人類領域に現れたという記録はない。


 であれば、これを成したのはマリスで間違いない。

 この事実は大陸中の魔女界隈、とりわけ魔女の未来を憂う過激派一派『魔女の夜明け団』を震撼させた。

 なぜならこれは、「マリスは魔女にとって生命維持に不可欠な魔素、それを生み出す『領域外』を広げることができる」ことを意味しているからだ。

 魔女の中でも特別な二つ名を与えられる者、その中でもさらに長寿である者たちにしか閲覧が許されていない、世界最古の書物『黄金の書』に記されているとされる、失われた技術そのものだった。

 これを現代で再現したのが他ならぬ「黄金すらも灰にする愚か者」であったというのは、果たして何を暗示しているのか。


 魔女も、人類も、この事件を境にその脳裏と歴史に刻みつけることとなった。

 マリス・マギサ・インサニアという少女の名を。



 ★ ★ ★


こちらで第一章は終了となります。

あと何話か他勢力の視点の話を投稿して、それをエピローグとします。

すぐに投稿できるかはわかりませんが、まあ、なるべくすぐには……

とりあえず明日とかはちょっとお休みします! ちょっとだけ!

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賢くない魔女と落ちこぼれ騎士と出戻り令嬢 原純 @hara-jun

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