第73話 黄金雲、大庭野を駆けること

 ひろびろと広がる大庭野おおばのに、烏帽子姿の少年が、ひとり立っている。


 ――秀清である。


 大きく、よく動く瞳。

 引き締まった口元。

 品よく通った鼻筋。

 やわらかな頬は、かすかに朱に染まって、まだ十四歳のあどけなさを見せている。

 かれは今、少年と大人との、境目に立っている。


 秀清は胸元から、紙包みを取り出した。

 ひと折り、ふた折り、ひらくと、なかから馬の毛束が、はみ出した。

 黄ばんだその毛は、愛馬、黄金雲こがねぐもたてがみである。

 あの追い詰められた戦場で、咄嗟の瞬間に刈り取ってきたもので……それが唯一の形見だった。


 黄金雲は、大庭御厨おおばみくりやの牧で生まれ、育てられた馬だった。


『千鶴、今日から、お前のものじゃ』

 と景義が告げたとき、わらわの秀清は、飛びあがって喜んだ。

『大庭殿、ほんとうですか?』

 黄金雲の背に両手をかけ、その場で何度も何度も飛びあがって、千鶴は喜びを弾けさせた。


『ただし、世話を欠かしてはならぬぞ。馬は生きておるからな。毎日の世話が肝心じゃ。できるか?』

『はいっ、もちろん』


 景義は、ぶ厚いてのひらを、千鶴の頭に置いた。

『自由に乗りこなせるようになれよ』

『はいっっ』


 本当に、天にも昇るほど、うれしかった。

 いつも一緒にいてくれる家族ができた、と思った。

 その純粋な喜びが、馬にも伝わったのか、馬のほうでも、素直になついてくれた。

 黄金雲は、宝物の金鷲羽きんわしばねにかじりついたりして、悪戯いたずらっ子のような、かわいいところもあった。


『戦場では、馬の声にも、よぉく耳を傾けるのじゃぞ。馬は、人が見えず、人が聞こえぬものを、感じとることがある――』

 奥州に行く前、常々、景義はそう言っていた。


 あの抜け駆けの時、黄金雲はおそらく、千鶴が先に進めば、どんなたいへんな事態におちいるか、感じていたのだろう。

 だからこそ、抜け駆けさせまいと、一歩も進まなくなったのだろう。


 ……今、落ち着いて考えれば、そう思う。


 けれどあの時は自分のことに必死で、景義の言葉にも、黄金雲の気持ちにも、思い至らなかった。

 千鶴の泣き落としに、黄金雲はついに承服して、戦場に向かってくれた。

 必死に激走し、敵の馬に体当たりし、まさに命をかけて千鶴を守ってくれた。


 黄金雲が大地を蹴る震動が、腹に、胸に、全身に、激しく響いてくるのを、秀清は今でも、体じゅうで思い出せる。

 千鶴丸と黄金雲は、いつも、人馬一体だった――


 秀清は、きつく、唇を噛んだ。

(黄金雲、ありがとう)


 高い空に、いくつもの雲が吹き流れてゆく。

 その雲を、黄金おうごん色に輝く夕陽が、まぶしく照らしている。


(おいしい餌は、もうあげられないけど……自由に大庭野を走らせてやる、約束だったから……)


 秀清は黄金雲の毛を、ぱっと、風に放った。

 たてがみの毛はすべて、包みを離れ、きらめきながら、大庭野の空に舞いあがっていった。


(忘れない、絶対に、わすれない――)


 ふるえる胸に、潤んだ瞳のなかに、一頭の馬が疾駆してゆく。

 幻の駿馬しゅんめは黄金のたてがみをなびかせて、どこまでも、どこまでも、大空を自由に駆けてゆく。


「忘れないからなーーーッ」


 拳を握り、大地を踏みしめ、身を折って、秀清は声をかぎりに叫んだ。






(『ふところ島のご隠居・第三部・救済編』・了)





謝辞 お読みいただき、誠にありがとうございました!


 敬意をこめて、心より感謝申し上げます。





『第四部・きずな編』



あの源平大戦の旗揚げの日から、ちょうど丸十年。


鶴岡八幡宮では盛大な祭りがもよおされていた。


その流鏑馬やぶさめにおいて、射手がひとり、怪我で欠員した。


景義は、急きょ、代役を推薦する。


……それは、誰もが思いもよらぬ人物であった。


激怒する頼朝。


景義は地位も名誉も、命さえも、すべてを投げ出して、ひとりの青年を救おうとする。


すべての秘話が明らかになる、堂々の完結編!


公開中!!

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ふところ島のご隠居・第三部・救済編 KAJUN @dkjn

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