第72話 最後の戦い

 やがて、最後の戦闘がはじまった。


 実正に襲いかかる敵の矢を、郎党たちが身を挺して防いだ。

「お前らっ」

「殿――殿は生き延びてください」

「殿はわれらの希望なのです」


 必死に前を塞ぐ郎党たちを押しのけ、実正は叫んだ。

「どけ、お前ら」

 激しく押し寄せる冷気に抗いながら、実正は馬を陣頭まで駆けさせた。


(……実正の、『まさ』の字をなめるんじゃねぇッ)


 雪を喰らいながら、大声で名乗りをあげた。

「百年前の奥州の合戦に、出羽国金沢の城を攻めたまいし時、十六歳にして戦の真先に駆け、鳥の海の三郎に右の眼を射つけられながら、とうの矢を射返して、その敵を討ち取りし、鎌倉権五郎景まさ末葉ばちよう、宇佐美平次実まさ――俺がこの軍の大将軍よ。たばになってかかってこいやァ」


 敵のひとりがなにか名乗り返したようだったが、強風のために、よく聞こえなかった。


 何度か、駆け違った後だった。

 吹雪のなか、思わぬ方向から矢が飛んできて、実正の右の目玉を貫いた。

 たちまち視界が消え去り、鼻の奥に生臭い匂いが広がったかと思うや、大槌で思い切り頭を殴りつけられたような鈍痛に襲われた。


(答の矢を……)

 実正は思ったが、とても叶わなかった。

 体は意に随わず、馬上からもんどりうって転がり落ちた。





 ふたりの落ち武者が、深い雪をかきわけかきわけ、吹雪のなかを歩いていた。


 どちらもすでに、鎧は棄てている。

 小柄なほうが、大柄なほうを背負っている。

 一本の赤松の、根元まで来た。


 小柄な武者は大柄な武者を背中からおろすと、松の木の根元にもたせかけ、自分もへたりこんだ。

 厳しい風雪に耐えてきた赤松の老樹の肌は、亀の甲羅のようにひび割れて、ゴツゴツとして硬かった。


(やつらは犬を使っている。すぐに見つけられちまう……)

 それは犬の遠吠えなのか、それともただ単に風のうなりにすぎないのか……あるいは耳鳴りなのか……。


 家通は疲労にあえぎながら、「実正よ」と、語りかけた。

「俺はな、お前に感謝しているんだぜ。一介の田舎武者だった俺が、最後には大将軍の親族として、華々しい人生を送ることができた。ありがとう。ありがとうな」


 家通は手のひらで、実正の頬を軽く叩いた。

「まったく、子供みたいな顔しやがって……」


 ――実正は、なにも答えなかった。

 すでに目をつむっていた。

 蒼白く清らかな雪の光に洗われて、本当に童に戻ったかのような、やすらかな微笑みを浮かべていた。


「正光、実正、ちょっと待ってろ……俺もすぐに行く。すぐに行くからな」

 雪が体の上に、後から後からふりつもってくる。

 肌を切り裂く冷酷な風が、涙さえも凍りつかせ、ほんのわずかな熱さえも奪い去ってゆく。


 家通の意識はぼんやりと遠ざかり、その目には故郷の伊豆の、懐かしい海の色や山々の形が、光ひらめくように甦りあふれてくるのだった。





 ――正月六日、北の果ての敗報が、鎌倉に衝撃を走らせた。


 頼朝は、ふるえた。

(実正……)

 実正を鎌倉に帰さなかったのは、確かに、罰則の意味もあった。

 しかし同時に、かれの力量を信じたからでもあった。


 宇佐美実正、大見家秀、中八惟平……山木挙兵以来の、石橋山でともに苦渋を舐めつくした仲間たちを、頼朝は誰よりも信頼している。

 終戦後の安定統治が一番難しい命題であるからこそ、もっとも信頼できるものたちをその任に当たらせたのだ。

(私が失ったものは、大きい……)


 同じく一報を受けた景義は、杖もろともにくず折れた。


 松田御亭の有常は、まぶたを押さえると、持仏堂にこもったきり、しばらくのあいだ出てこなかった。



 鎌倉はたちまち臨戦態勢に入った。

 実正の親しい同僚であった葛西かさい清重きよしげや結城朝光が、奮い立って陣頭指揮に乗り出した。

 鎌倉軍は再度、北上した。


 二月十二日、平泉の南、栗原で大合戦があり、大河兼任の反乱軍はついに敗れ去った。

 ――奥州勢、最後の抵抗であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る