後編
ナビを頼りに、山吹家に出向いた。
弥生が書いたという僕へのラブレターの受け取り方は、自宅に郵送または受け取りに行くかの二択だった。
僕はあえて、受け取りに行く方を選んだ。妻に知られたくなかったからだ。
インターフォンの後、ドアから出て来た爽やかで精悍な顔つきの男は、丁寧にお辞儀をした。
「改めまして、山吹です。初めまして」
「鹿島です」
僕も、気まずさを隠してお辞儀をした。
「どうぞ」
彼はそう言って、玄関ドアを広げた。
「お邪魔します」
通された部屋には小さな仏壇があって、小ぶりな一輪挿しに白いチューリップが一本刺さっている。
清廉で可愛らしく、凛と佇む姿は弥生を彷彿とさせた。
その隣には白い陶器のフォトスタンド。僕の知らない大人になった弥生が幸せそうに笑っている。
仏壇の前に置いてある簡易な机の下から、山吹は紙袋を取り出し、僕に差し出した。
中をのぞくと、紙袋がパンパンになるほど可愛らしい封筒がぎゅっと詰まっている。
「捨てるに捨てられず……。わざわざ足を運ばせてしまって、すいません」
彼はそう言って短い髪の隙間から指を入れて、頭を掻いた。
「いえ」
僕は短く返事をして袋を受け取り、仏壇の前に座った。
「焼香してもいいですか?」
「もちろん、お願いします。弥生も喜びます」
その言葉は、彼女との関係が、僕よりも深い事を物語っていた。信頼という名の元に、強固に繋がっている家族。
僕が知らない弥生を知っている山吹が羨ましいと思った。
山吹はまるでお茶でも淹れるかのようにろうそくに火を灯し、線香の箱を台に置いた。
一本取り、火にかざす。厳かに広がる線香の匂い。
細く立ちのぼる煙に向かって手を合わせた。
焼香を終え、遺影を見つめながら浮かび上がる疑問。
口に出しても詮無い事と思いつつも、僕はその疑問を口にせずにはいられなかった。
「弥生はどうして僕の事を思い出したんでしょうか?」
山吹がその答えを持ち合わせているはずもないのに。
しかし、彼は意外な言葉を口にした。
「実は、当時の弥生の日記が出て来て。中学の卒業式の日、鹿島さんの制服の第二ボタンがなかったそうです。覚えてますか?」
「ああー! 覚えてます! 弥生にあげようと思って、自分で外したんです。それなのに僕は失くしてしまって。弥生は特に何も言わなかったから、その話はしなかったと思います」
「そうだったんですね。弥生はてっきり、あなたに他に好きな子がいるのだと勘違いしていたようですよ」
「はぁ?」
僕は手を額にあてて、のけ反った。
「まさかそんな風に思っていたとは――」
今となっては笑い話だ。二人で顔を見合わせて笑った。
「弥生は、バカがつくほどの真面目な性格ですから、何も言わないあなたを不誠実だと決めつけたのでしょう。その後、好きだと告白してきた男の子としばらくは付き合っていたようですが、初恋の思いは超えなかったという事じゃないかなぁ。その日記には、亮介は私の事をどう思っているのだろうという言葉が何度も書かれていました」
山吹はそういって、仏壇に向かって優し気な視線を送った。
そう言えば、中学の頃は弥生に好きだと一度も言えなかった。あんなに好きだったのに、恥ずかしくて言えずにいたっけ。
帰り路。広々とした駐車場を有する道の駅に車を停めて、僕は弥生からの手紙を取り出した。
あの時のように、誰もいない自分だけの空間でこっそり封を開けた。
あの頃と変わらない、右上がりで少し丸まった文字に、喉の奥がきゅんとすっぱくなる。
≪亮介が好き。高校生になっても、大人になっても、この気持ちを絶対に忘れたくない。亮介が他の子を好きになっても、私の気持ちは変わらないよ。大好きだよ、亮介。≫
――僕も、ずっと大好きだったよ。君が他の男と付き合っていた時も、僕はずっと君だけを好きだった。
≪高校生になったらケータイ買ってもらうから、そしたら毎日電話で話そうね≫
――あ、今思いだした! 君の声が聴きたくて、何でもいいから話がしたくて、家に電話した事があったんだよ。親が出た場合のセリフをノートに書いて、何度も練習して何時間も電話の前でためらって、君の家の電話番号をプッシュした。結局、君の家は留守で誰も出なかったんだけどね。
≪もうすぐ卒業式だね。亮介とお別れかって思うと寂しいです。亮介はどんな高校生になるんだろう? そして、どんな大人になるんだろう?≫
――君の事ばかり考えて、ろくに勉強もしない高校生だったよ。成人式で見かけた君は、息が止まるかと思うほどきれいだった。
≪亮介が忘れても、私は絶対に忘れないよ。≫
――君は何度も『忘れない』という言葉を手紙に書いては僕に渡して来たっけ。
病に侵された弥生の文字は、無作為に伸びる枯れ枝のように時々歪んでいて、それを見ながら、僕はなんだか切ない気持ちになる。
およそ30枚ほどのラブレターを読み切った後、僕はまるで、あの頃に戻ったかのように、甘くてむずがゆい感覚に支配されていた。
誰にも言えない、嬉しくて恥ずかしくて、切ない気持ち。
そんな物が、大切な宝物だったのだと初めて気付いた。
――君は、僕の気持ちをぎゅっと握りしめたまま、遠くへ行ってしまったね。すれ違ったまま、最後の最後に、色づいた世界を見せて。
僕は、この甘くて切ない沼に溺れ、もがきながら、誰にも勘付かれないように、君の気持ちを抱えて生きていくよ。
あの時、初めて君がくれた手紙を、こっそり机の奥に仕舞ったように。
完
手紙 神楽耶 夏輝 @mashironatsume
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