花が咲くまで初見月。
和田島イサキ
運命のトマト図書館なのである。
サニーサイドアップの響きが好きだ。つい頼んじゃうけど味は苦手で、そも目玉焼き自体そんなにおいしくないと思う。同じ卵ならゆで卵の方が好き。なのにいつも名前の可愛さに負けて流されてしまう。見栄を張る、そのために来ているのだからしようがない。
図書館に併設の小さなカフェ。
まだ十九の大学生でしかない私には少しお高くて、だからモーニングがギリギリなのだ。
卵に、薄切りのトースト二枚。それとベーコンと生野菜サラダとコーヒーのセット。仕送りで生きてる小娘のお財布にも優しい良心的メニュー。これより上は厳しい。毎月アホみたいに本を買い込む癖もめっきりなりを潜めて、その代わりに図書館に通い詰めるようになった。
このお店で初めて知った。
たかが片面焼きの目玉焼き風情に、サニーサイドアップなんて贅沢な名前があるのを。
名前自体を知らなかったわけじゃない。でもそれはもっと別の、何か私の知らない料理であるべきで、だって翻訳小説に出てくるような献立だ。それがまさか、実家でも散々出てきたただの目玉焼きだったなんて、心底ガッカリしてしかるべき場面だったと思う。
ところが、そうはならなかった。カフェで出会ったそれはただの目玉焼きなんかじゃなく、確かに〝サニーサイドアップそのもの〟の味がしたのだ。生まれて初めて訪れたおしゃれなカフェで、それなりのお金を支払って食べるそれは、かつて活字の向こうに見たあの幻と同じ味がした。要はミーハーなのだと思う。私が。所詮は田舎から出てきたばかりのおのぼりさんだ。
なんなら生野菜サラダだって実家のよりおいしい。ドレッシングが違う。カトラリーに至っては月とスッポンだ。実家ではいつも「えー要らない」と脇に
現金すぎる。貴重な生活費から捻出したものだと思えば、なんでもおいしく感じられるという事実を私はこのトマトに学んだ。
実家の母と父には謝った。ごめん私が間違ってた、トマトは決して要らない子なんかじゃありませんでした——と、そう謝罪した上で結局半分くらいは残した。量が多すぎる。ひと口で行けない大きさのくし切りなのもどうかと思う。それはつい一週間ほど前、お正月に帰省した際の出来事だ。
帰んなきゃよかった、と正直思う。
トマトのせいではなく、もちろん母や父や姉、兄、妹のせいでもない。個人的な問題だ。今年の春、進学のため都会に出るにあたって、トマトを脇に除けるかのように投げ
平たく言えば、フった。
当時死ぬほどラブラブだった同い年の彼氏を、「大好きだよ、元気でね」って。
別に珍しい話じゃないと思う。私は都会でひとり暮らしを始めるし、彼に至っては東京にまで出ちゃうのだから、春までの関係だねっていうのはもともとの前提だった。そのつもりだった。向こうは全然そんなつもりじゃなかったみたいで、つまり別れ話はもう
「正直に言ってほしい。俺のこと、もう好きじゃなくなっちゃった?」
「いやきみのことはものすごく好き。大好き。愛してる」
別れ
——彼にとっての私はきっと、私でいうところの生のトマトなのだ。
あんまり好きじゃないけど嫌いってほどでもなくて、たまに気まぐれ起こしてモリモリ食べちゃう枠。それでよかった。別段なんの不都合もない。格で言えば彼の方が二段も三段も上、仮に数日でクーリングオフされたとしても、私の側には一切損がない計算だった。もちろん長引けばなおさら得だ。
それが卒業まで
おかしい。トマトなのに? という私の驚きに、「え? トマ……なに?」と驚き返される日々が続いた。あれっどうやらトマト枠とかでなく普通に私のことが好きくさいぞこいつ——と、そう気づく頃にはもうこっちがベタ惚れしていて、だから本当に名残惜しいし別れ難い。
いよいよこれから、ってところでやってきたタイムリミット。かなしい。運命とはかくも残酷なものかって思う。きっとこの先の人生、きみ以上の人は現れない気がするよという私の言葉に、「じゃあなんでさ?!」と聞いたこともないような声を出すのがちょっと面白かった。
忘れていた。完全に、遠距離恋愛という概念自体を。
はなから考えに上らないほど、それは私にとって現実味のない選択肢だ。
年に数回しか会えない状態を、付き合ってるというのはとても違和感がある。そう感じる。正しいか正しくないかはどうあれ、私の直観ではそうなんだからもうしょうがない。
結局、別れた。たぶん納得はしてもらえてないと思う。
でも片方がすっかり終わった気でいるのに関係を続けるのは難しいと、そういう判断のできる男だというのはよく知っていた。大好きだった。そんな大好きな男にこの正月うっかり遭遇しちゃって、大変気まずい思いをしておめおめ逃げ帰ってきたのだ。
ようやく住み慣れてきた自宅アパート。そこから自転車で十分くらい、公立の図書館に併設されたおしゃれなカフェ。いつもの窓際の席、いつものサニーサイドアップのモーニングセットと、そして図書館で借りてきたばかりの文庫本。
それは彼の知らない、そして彼との思い出から最も遠い、いま現在の私だけの聖域だ。
店員さんにはもう顔を覚えられている。それ自体はいい。いやよくないけどもともと小さなお店、通う以上はそれくらい覚悟の上だ。
ただ私よりも少し年上の店員さん、彼女の中で私はどうも「片面焼きとトマトが大好きな人」という認識みたいで、いまさら「本当はどっちかっていうと苦手な方です」とは言えない。狙ってやったことでもある。
高校生の頃、地元のどのお店でも私は「彼氏が大好きな人」だったと思われ、なんなら嫌いで別れたわけでもない以上は今でもそうで、だから必要なのはその辺をなにひとつ知らない店員さんだ。無邪気に「いつもこれですよね」なんて声をかけてくるから、私も「いやー朝はやっぱりこれでないと」なんて適当をこく。
サニーサイドアップの響きが好きだ。トマトは好きっていうより同類意識だと思う。こんなものは私だ。まずいとは言わないけど生のままではちょっと厳しい方の野菜。脇に除けてもいいけど値段考えたらもったいないなと、ケチ根性で無理に食べたら存外に美味しくて困った。やるじゃん私。ただ酸っぱいだけの雑魚の意外な逆襲に、なんだか救われた気がしちゃった時点でこれはもうあれだと思った。運命。ちょっとお高いお店でも、運命なら「まあいっか」と思えるから。
店員さんとトマトの話をした。なんでも園芸が趣味なのだとかで、トマトの花言葉は「完成美」なのだと教えてくれた。なるほど。そう
開花は夏。七月か八月ごろ、それは美しい黄色い花を咲かせるのだそうで、なんだか
裏切り者。お前と私は同類じゃなかったのか?
奇しくもそれは夏休み、私からすればまたニアミスの危機に怯える帰省の時期で、なのにその頃お前は優雅に花開くわけだ。とんだ道化だ。ひとり救われた気になって「やるじゃん私」とか言っちゃった私は、お前の目にはさぞかし滑稽に映ったことでしょうねえ——と、さすがにそこまで卑屈なことは言わない。異常だ。被害者意識が強すぎる。ましてや、いまここに居るわけでもないトマトの花相手に。
なんだろう。俄然やる気が出てきた。おかしな話だけど出ちゃったものは仕方がない。地味で暗くて特に胸などが大きいわけでない女にもプライドがある。終われない。たかが野菜ごときにコケにされたままでは。
夏までにもう少し大人になって、いろんな気まずい諸々も全部超克する。取り付ける。そのための約束を——もし私がお盆の帰省から無事に戻ったなら、そのときはあなたの育てたトマトの花を見せて、と——まさにいま、この場で。勢いのまま。
——農作物風情が。人間様を舐めるなよ。
——お前じゃない。私が、トマトだ。
いずれ叩きつけるであろうその宣告は、でも今は胸の奥深くにしまっておこう。
まだ見ぬ小さな私の花に、いつか初めて巡り合う、その日まで。
〈花が咲くまで初見月。 了〉
花が咲くまで初見月。 和田島イサキ @wdzm
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