労働「死」者派遣サービス

超新星 小石

第1話 冷たい唇

 大晦日、私は恋人のケンイチと一緒に鍋をつついていた。

 去年も、一昨年も同じだ。

「うんめぇー! やっぱカノの作る料理はうまいなー!」

 だらしなく頬を緩ませて缶ビールをぐびりと煽るケンイチ。去年も、一昨年も見た光景にうっすらとデジャビュを感じる。

「ふーん」

 私の冷たい返事に、ケンイチは飲み口を咥えたまま眉毛を片方だけ上げた。

「なんか、怒ってる?」

「べっつにー」

「もしかして、俺ばっかり食べるのが不満……とか?」

「そんなんじゃないけど」

 不満があるかと問われればある。

 でもそれは鍋の、しかもお肉ばかりを食べる彼の偏食ぶりに対してではない。

 こちとら恋人やってすでに五年目。いまさらそんなところに目くじらをたてるほどアマチュアではないのだ。まぁ、ケンイチの恋人としてどの程度できればプロとして認定されるのかはよくわからないけど。

 兎にも角にも私が抱いている不満はそんなことではない。

 重要なのは、去年も、一昨年も、わたしは彼の恋人のままだということだ。

 二十一歳の時から付き合い始めて早五年。わたしは今年で二十六歳。二つ年上のケンイチは二十八歳。今年一年を振り返ってみても、もうすぐ三十路じゃん! なんて、何度言ったかわからない。

 その言葉の裏には、そろそろプロポーズしてよね! という意味が多分に含まれていたのだが、結局なにごともなく迎えた大晦日。

 まさか、三十路を迎えてから結婚するつもりか? とか、よもや浮気ではあるまいな? なんてことも考えたけど、よくよく思い返してみれば付き合った当初に「二十代の内に結婚したいなー」と漏らしていたのを聞いたことがあるし、同じアパートに同棲までして職場も一緒の私たちは、文字通り四六時中一緒で浮気をする暇なんかないはずだ。

 たぶん、踏ん切りがつかないだけだと思う。

 ケンイチは食事にいけばテーブルマナーを語り、旅行に行けばご当地の蘊蓄を語り、いつもお兄さんぶる癖に、肝心の食事に行く場所や旅行先はいつも私任せ。

 ようは、決断力に欠けるところがあるのだ。

 そんな彼だから、きっと去年ぐらいからいろいろ画策してるに違いない。で、結局タイミングを逃しっぱなしでいまにいたる、というところだろう。

 気が使えて強引過ぎないところは彼のいいところではあるのだけれど、大事な場面では男らしくいてほしい、なんて願望を抱くのは我儘なのだろうか。

 いずれにしても、私は今、大層ご立腹なのである。

「はぁー、食った食った! もー食えん!」

 いつの間にか空っぽになった鍋を前に、満腹になったケンイチがご満悦な表情で寝転がる。

 年末のバラエティ番組に飽きたのか、ビールをちびちび啜りながらチャンネルを回している。

「うわ、またやってるよこのニュース」

「ニュース?」

 珍しい。普段はアニメかバラエティしか観ないケンイチがニュースに食いつくなんて。

 私も興味をもってテレビを見ると、すぐさま労働「死」者派遣サービスのテロップが目に飛び込んできた。

「あー、この会社ね……」

「俺、こういうの嫌なんだよな。死者に働かせるなんてさ」

「はいはい。聞き飽きた聞き飽きた」

 労働死者派遣サービス。

 それは、新しい時代の人材派遣サービス。

 人工知能やロボット技術が発達してきた昨今、単純労働は機械がこなすようになってきた。

 ところが、労働用ロボットは莫大なコストがかかる。

 人間と同等の知能はもちろん、運動能力も人並みでなければならないのだ。

 人工筋肉一つ作るだけでも、大規模な工場が必要なのに、そんなものの集合体である労働用ロボットとくれば費用はジェット機並みだ。

 そこで目をつけられたのが、死者。

 死人。死体。呼び方は様々だが、世間的には「デッドマン」という呼び名が定着しつつある。

 デッドマンは、最初から人間並みの運動能力を有しており、足りないのはからだを動かす動力と知能だけ。

 そりゃつい最近まで動いていた死体なのだから運動能力はあるに決まってる。でも、そういった不幸な方々を、ただ燃やして供養するだけではなくビジネスに活用しようと考えたのが彼ら労働死者派遣サービスなのである。

冒涜的というかなんというか、気味の悪い話だとは前々から思っていた。

 でも、いま、この瞬間、私の胸に去来した感情はそんなことではない。

「……本当に、画策してるよね?」

「んー? なに? いまなにかいった?」

「洗ってくるっていっただけ」

「んー……」

 私がつっけんどんに言い返すと、ケンイチは跳ね起きた。

「俺も手伝うよ」

「いいよ、テレビ見てて」

「やだ」

「なによ、やだって……」

 あれ、なんか今日はいつもと違うかも。

 いつもなら、私がご機嫌斜めの時は「お、おお……」とかいって引き下がるのに。

 そうこうしているうちに、ケンイチは私の手から鍋を攫っていって、シンクへと歩いて行った。

「ちべてぇー!」

「お湯が出るまで待ってればいいのに」

「節約節約! いま電気代めちゃめちゃ上がってんだぞ! 知らねーの?」

「知ってるし、教えたの私だし。しかもそれあれでしょ? 俺、節約できる男なんだぜ! アピールでしょ?」

「バレた?」

「はぁ、なに急にそんなのアピッてんのよ。付き合い立てじゃあるまいし」

「いまはさ、付き合い立てみたいな気分なんだよ。俺」

「え?」

 嘘。

 嘘嘘嘘嘘ぉー!

 あのケンイチが? 

 これはまさか?

 え、でもここで?

 手狭な安アパートで鍋を洗いながら?

 ……ないわぁー。

 などと考えていると、ケンイチは、きゅっ、と蛇口を閉めて「いまから初詣行こうよ」と告げた。

「……初詣って、年が開けてから行くもんじゃないの? まだ十一時半だけど」

「いーじゃん。早めにいって時間つぶしてればさ! 新年を待ち受けようぜ!」

「寒くない?」

「酔いを覚ますにはちょうどいいじゃん」

「……なんで覚ますの?」

 ぎくり、とケンイチの顔が強張った。

 しくじった。虐め過ぎたかもしれない。

 いまだに私たちが恋人のままなのは、たぶん、きっと、もしかしたら、ケンイチのせいだけではないのかもしれない。

「ま、いーや。なんか今日は歩きたい気分だし、いいよ。行こっか」

 そういうと、ケンイチは何度も首を上下に振って「お、おお! いいね!」といって親指を突き上げた。

 普段そんなことしない癖に。

 こういうわかりやすくて一生懸命なところに、なんていうか、ズブズブに嵌っちゃったんだよなぁ、私は。

 私は小さめのショルダーバックを、ケンイチはお気に色のウエストポーチをそれぞれ肩にかけ、私たちはアパートを後にした。

 普段はもっと暗いはずの住宅街は、家々に灯った明かりでいつもより明るい。

 みんな、新しい年の始まりを待ちわびている。

 らんらんと光る家々の明かりは、まるで私たちの行く先を照らす道しるべのような気がして、自然と神社へ向かう足が早くなる。

「寒いねー」

 なんていいながら、私はケンイチのダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだ。

「そうかぁ?」

 なんてとぼけながら、彼は私の手を握りしめる。

「いまは寒くないよ」

「奇遇じゃん。俺もいま寒くなくなった」

 他愛もない話をしていると、目的地の神社は目と鼻の先まで近づいていた。

 さすがに町と反対方向にあるこのあたりまで来ると、街灯も少なくて薄暗い。

 階段を登ろうとすると、ケンイチがポケットの中の手を握りしめたまま立ち止まった。

 いうまでもなく、私の一歩は踏み出せず、その場に立ち止まる。

「どうしたの?」

「……年、越す前にさ」

「うん」

「あ、いや、違うな……年、変わる前にさ」

「……うん」

 予習しとけ! なんてことをいうほど、酔っぱらってはいない。

 というか、彼の緊張が、どんどん高まる体温が、ポケットの中の手を通じて伝わってきて、とてもではないが酔ってなどいられなかった。

「俺たちの関係も、変えたいと思う」

 ケンイチが顔を上げ、彼のまっすぐな視線が私の瞳を射貫いた。

「ぐ、具体的には、どーやって?」

 精一杯声が上ずらないように気を使いながら問いかける。

 すると彼は、私の手が入っているポケットとは逆のポケットから手を引き抜き、小さな紺色の小箱を取り出した。

「嘘……!」

「嘘だと思うだろ? でもさ、俺、お前にプロポーズしようとーーーー」

「じゃなくてぇ! なんでウエストポーチじゃなくてポケットにつっこんでるわけ!? 私が逆のポケットに手を入れてたらどうするつもりだったの!?」

「いや、ウエストポーチだと出すときにかっこつかないじゃん? ポケットならスマートにさ----」

「バカバカバカ! だからってプロポーズの前に見つかっちゃったら台無しじゃん!」

「そこはほら、俺はいつも車道側を歩くわけでーーーー」

「もう! もう! いますっごい怖い思いした! すっごい怖い思いしたんだからね! だいたいケンイチはいつもーーーー」

「待て。ちょっと待て。ステイステイ」

 つないでいた手をほどかれ、ぐっと体を引き寄せられる。

 私は、言葉を飲み込んだ。

「結婚しよう」

「は、はい!」

 はっきりとそう言われた私は、ただただぎこちなく、頷いたのだった。

「…………じゃあ」 

 数秒見つめあい、彼が口を開く。

「い、行きます……か……。お参り……」

 続いて私が、次の行動を口にする。

 手をつないで階段を登り、人気のない境内へとたどり着く。

 賑やかな町中の神社ではなく、わざわざこちらを選んだのも、邪魔をされないためだったのだろうといまさらながら気がついた。

 賽銭箱の前で時間を確認すると、時刻は午後十一時五十八分。

 もうすぐ年明けだ。

「変わるな。年」

「うん」

「新しい年が来てさ、俺たちもさ、なんていうかさ」

「新しい……関係?」

「そうそれ! に、なるわけだけどさ。神様に、何願う?」

「そうだねー。やっぱりここは……あ、いや」

「え?」

「ケンイチは、なにを願ってほしいの?」

 さあ、なんて答えるかな。

 決断力が試されるぞぉ、ケンイチ君。

「カノと、ずっと一緒にいたい……かな」

「ん……合格」

「なんだよ合格って」

「合格は合格です。旦那さん検定三級と認定してあげましょう」

「ははー、ありがたき幸せ……って三級かよ」

「精進しなされ! ……あっ!」

 スマホの時計が、午前零時に切り替わった。

 私たちは、それぞれ用意していた小銭を賽銭箱へと放り込む。

「いいかいカノ。神社でお祈りするときはね」

「二礼二拍手一礼でしょ。去年も一昨年も聞いたよ」

「へへ」

「なに、その変な笑い方」

「去年も一昨年も、こうして一緒に来たんだなって思ったら嬉しくてさ」

「……来年も再来年もいくんだからね!」

「おう!」

 私たちの初詣はつつがなく終わった。

 人気のない神社は、やっぱり帰り際も寂しいもので、人っ子一人いない。

 ここまで集客力のない神社も珍しいけど、星が奇麗だからまぁいいでしょう。

 階段を降りると、ケンイチが「ちょっと止まって!」と叫んだ。

 何事かと思っていると、彼は道の中央に駆け出して、自分のスマホを取り出した。

「写真! 撮らせて!」

「二人でじゃなくていいの?」

「それも撮るけど、俺用の写真が欲しいんだよ! ほら、戦場にいく兵士とかって、よく奥さんだけが映ってる写真もってるじゃん!」

「なにそれ意味わかんない……ま、いいけど」

「はい、笑って笑って!」

「もー、道に出たら危ないよ? ……まったくもう」 

 仕方ないなぁ。

 浮かれっぱなしなのは私も一緒だし、ここはケンイチが満足するまで付き合ってあげよう。

「じゃ撮るよ! いーち、にーい、さ----」

 それはあっという間の光景だった。

 いや、永遠に近い光景だったかもしれない。

 猛烈なスピードで突っ込んできた軽トラック。

 跳ね飛ばされるケンイチの体。

 軽トラックは、金切声のようなブレーキ音を響かせて、周囲に焦げたゴムの匂いをまき散らして、雑木林へと突っ込んだ。

 ただ立ちつくわたしの足元に落ちているのは、ひび割れた画面のスマホ。

 そこに映っているのは、この惨劇を知らず、屈託なく笑っている数秒前の私。

「ケン……イチ……?」

 道路の片隅で、ぐったりと横たわる私の旦那。

街灯の薄暗い光の下、彼の頭部が電柱と重なって見えた。

 いや、あれは、そう、重なってるんじゃなくて、頭が……どこかに……。

 視覚から得てしまった情報は私の魂の土台を揺るがした。

 まとわりつくような暗闇が一瞬で足元から這い上がってきて、私は、意識を失った。



※  ※  ※


 飲酒運転による暴走。

 端的な、ケンイチがこの世を去った理由だ。

 鼻で笑ってしまうような、よくある話。

 それがいざ自分の身に降りかかろうとは思いもしなかった。

 ただ、普段テレビの画面の向こう側で怒っている出来事が事実であるということを、潔癖なまでに白いシーツの中で、四角い布をかぶせられたケンイチの姿が物語っている。

「嘘じゃん、こんなの……」

 シーツを握る。

 白いシーツに雫が落ちて、灰色の模様を描く。

 彼の荷物を確認したとき、結婚資金と書かれたメモが財布に入っているのを発見した。

 メモに書かれたアイディーとパスワードを頼りに、ネットで確認してみると、三百万円も貯金されていた。

 口座の名前は、結婚資金。

 一層、悲しみが押し寄せてきた。

「嘘じゃぁぁぁああああん……なんでなのよぉぉぉ……」

 加害者の運転手も、雑木林に突っ込んだ時に枝が喉を突き刺して死んでいる。

 私は、恨む相手すら無くしている。

 ただただ情けない声で泣くことしか、できなかった。

 冷たく硬く変わってしまったケンイチの体に縋ることしかできない。

 いつまでそうしていただろう。泣きすぎて唇がかさかさに乾いたころ、安置室の扉が開いた。

「藤堂カノ様、でございますね」

「だれ……?」

 入ってきたのは、黒いパンツスーツ姿の女性だった。

 髪も真っ黒で、後頭部でくくっていて、切れ長の瞳といい、どこか死神っぽい印象を受けた。

 普通ならキャリアウーマンといった方がしっくりくるのだろうが、いまの私の精神状態が死という物に対して敏感になっているからだろう。

 死神女は、内ポケットから名刺を取り出すと、慣れた手つきで差しだしてきた。

「わたくし、労働死者派遣サービスの末永と申します」

「労働……死者……」

「この度は、ケンイチ様のご冥福をお祈りしに参ったと同時に、カノ様に弊社よりあるサービスのご提案がございまして」

「なに……サービスって……わかんないよ……」

「端的に申し上げますと……恋人を、ケンイチ様を、蘇らせたいと思いませんか?」

「蘇えらせるって……?」

 わからなかった。本当に、この人がなにをいっているのか理解できなかった。

 死んだ人は蘇らない。そんなの小学生でも知っている常識だ。

 なのに彼女は、さも「我が社ならできますよ」とでもいいたげにケンイチを蘇らせるなんていいだした。

 こんなバカげた話があるだろうか。

「そ、そんなこと」

「できます。我が社ならできるのです」

「……ど、どうやって?」

 聞いてしまった。この瞬間、私は、希望の光をみたような気がした。駄目なのに。そんなの見てはいけない光なのに。

 そんな私の葛藤を知ってか、死神女は三日月のように口角を吊り上げた。

 彼女は小難しい専門用語を並べ立てた。

 死後硬直後の脱力を制御するチップがどうとか、胃を摘出して有機分解動力炉を憑りつけるとか、なんか、そんなようなことを言っていた気がする。はっきりいって、ちんぷんかんぷんだ。

「基本は労働死者と同じなのです。ですが、労働死者同様、蘇らせた直後はなにもしらない赤ちゃんのような状態です」

「赤ちゃん……」

 いつか、ケンイチとの間にもうけたであろう、単語。

「ひとつひとつ、生前の行動を覚えさせることで、ケンイチ様はまっさらな状態から、カノ様が知るケンイチ様へと成長されるのです」

「わ、私が、ケンイチを育てるってこと……?」

「育てる、とは少々ニュアンスが違います。蘇らせるのです。カノ様の想いが、ケンイチ様を蘇らせるのです」

「私が……ケンイチを、蘇らせる……」

 私が反芻すると、死神女は柔らかく微笑み、私の手を握った。

「契約金は、三百万円ほどかかります。ですがアフターフォローも万全でございます。いますぐに、というのは、なかなか難しいご決断でしょう。ですが、あまり時間は残されておりません。鮮度(・・)の問題もありますので」

 そういって彼女は、ケンイチに視線を向けた。

 その表情に、どことない憐憫の情が含まれていることうぇお、私は見逃さなかった。

 そっか、私たちっていま、哀れなんだ。

「それでは、わたくしはこれにていったんお暇させていただきます。もしもご決断された際は、名刺に記載の連絡先まで----」

「…………ます」

「……いま、なんと?」

「契約します!」

 契約金三百万。それは、ケンイチが貯めた結婚資金と同じ金額。

 彼が貯めたお金を、彼のために使う。それが悪いこととは、私には思えなかった。

 私の返事を聞いた死神女は、またしても三日月の笑顔を浮かべていた。


※  ※  ※


 あれから三か月。

 私たちの生活は、少しだけ安定してきた。

 最初の頃は私相手に敬語だったケンイチも、次第に柔らかい態度を学び、アツアツのお茶を飲めば暑がり、鳥の糞が頭に落ちてもキザなセリフを吐くようなことはしなくなった。

 去年と、一昨年と同じ、日常が帰ってきた。

「ね、カノ」

 ケンイチが名前を呼ぶ。去年と、一昨年と同じ声で。

「なに?」

「キスしよ」

 突拍子もない提案。

 きっとケンイチなら、こんなことは言わない。

 いや、いうときもあるかもしれない。

 私には、もう、ケンイチがどんなだったかよくわからない。

「いいよ」

 だから、受け入れた。

 これはケンイチ。

 いまのケンイチなんだ。

 私が目を閉じると、ケンイチが近づいてくる気配がした。

 その後、唇に触れたのは、氷のように冷たい唇だった。

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