m_005_インタプリタの撞着
ディアナは管理室へ向かっていた。RBCH-41387に関する
――今ごろフォテスは、自分と同じ顔をした女を抱いている。
実際の因果関係は逆だ。
後ろからもう一人、いや、一台の足音がした。振り向くとそこにはフォテスの顔をした男が立っている。
服は赤。色覚を持つ生物にとっては、興奮を催される色らしい。
自分たちは計画と人間を繋ぐ
「お疲れ様」
「お疲れ。……機械同士で労うのは妙だね」
「ええ……お互い、感情プロセッサが摩耗してるわ」
「人間でいうところの『疲れた』か」
彼は頭部の人工筋肉を痙攣させて、苦悶の表情を形成しながら言った。
「……今ごろジーンが泣いてると思うと、負荷がかかる」
「名前を付けたのは間違いだったかしら」
「でも人間の要望には極力応えないと。彼らは番号で呼ばれることを嫌がるし」
「……そうね。単純な愛称でも、嬉しそうだった」
管理室の扉を開く。
最低限の光源しかないため薄暗い。視覚以上の
ここで記憶の洗浄を行う。有益な学習情報だけを残し、被験者に関する個人的な記録が抹消される。
次の仕事に支障をきたさないために。
卵は固めの半熟を好んでいること。図鑑を手に、熱心に庭の植物を調べる姿。
気に入った本の内容を饒舌に語る口ぶり。こっそり捨ててあった、恐らくディアナを描いたのであろうと辛うじて判る、いびつな絵。
どんな眼でディアナを見つめ、何を囁き、どんなふうにこの身体に触れたのかも。
彼の存在そのものを、己の中から消去しなくてはならない。
――大好きだよ、ディアナ。愛してる。
情報回路が不具合を起こしたか、不意にそんな言葉を思い返して、足が止まった。動かない身体の中で
ほとんど同時に隣の男も立ち止まっていた。
「……嫌だ。ジーンを
彼は洗浄装置に背を向け、そのまま一直線に元来た方向へと走り出す。
ディアナもすぐさま彼に続いた。同胞の追走に気づいた彼が、咽ぶような声音で叫ぶ。
「止めないでくれ!」
「ええ……もちろんよ、私も同じ想いだもの。フォテスを忘れたくないの!」
二台のアンドロイドは頷き合った。
自分たちの心は機械仕掛け。だとして、この想いは作り物ではない。
なぜなら被験者に必要以上の愛着を感じるようになど、プログラムされてはいないのだから。
であればバグかといえば、それも違う。被験者と自然な会話を交わせるよう、機械と気付かれないように、高い学習能力を備えた頭脳が新たな段階に到達しただけ。
かつて機械を作った人間は考えた。人工知能に感情を獲得させることは不可能だと。
永い時を経て、非人道的な実験の果てに、とうとう臨界点は越えられたのだ。
そうでなければ説明がつかない。
――
「ジーン!」
あらゆる場面を想定し、例えば被験者が暴れたら制圧するため、管理端末たちの腕力は極めて高い。施錠されていた扉も容易く開けられる。
なぜか人間たちは揃って床にひっくり返っていた。それからディアナたちを見て、ぱあっと顔を紅潮させる。
涙を浮かべて男アンドロイドに縋りつくジーン。そして、
「ディアナ……!」
フォテスはがむしゃらにディアナを抱き締めた。人間の出しうる最も強い力で、機械の身体が甘く軋む。
「ごめんなさい、フォテス、ずっとあなたを騙していたの。私は人間ではないのよ」
「ああ、聞いたよ。……本当なんだね。こんなに温かいのに」
「ごめんなさい」
「どうして謝るんだ? こんな部屋に置き去りにしたことは、そりゃ多少は不愉快だったけど……でもそれは中枢とやらの指示で、きみの意思ではないんだろう」
そう、確かにディアナは命令通りに動いただけだ。でもそれは毎日フォテスの世話をしていたのも同じ。
ディアナが己の意思で為したことなどひとつもない。今の、この反逆を除いては。
だいたい、これからどうなるか。
指示に背いたと知れば中枢が黙っていない。ディアナたちは廃棄か、あるいは強制的に
それがわかっていながら衝動的に戻ってしまった。抱き締められて嬉しいと思ってしまった。
だから謝る。自分の選択が、破滅を導くだけと知っているから。
「あなたを愛してるの、フォテス。私はジーンじゃないのに。あなたの
わかってるわ、こんなこと許され――ッ、ん」
口を塞がれる。本当はそうされても会話の継続に問題はないが、ディアナは反射的に発声を中断した。
キスを優先したかった。
味覚機能が、かすかに塩味を感知する。
「違うよ、ディアナ。それは謝ることじゃない」
視界が弾ける。虹色のまだらに染まっていく。感情プロセッサの負荷値が上がりすぎて、虹彩カメラや他の機能に支障をきたしたか。
とうとう
「中枢は馬鹿だ。そっくりさんなんかで代用できるわけないのに。
僕が愛してるのは、きみだけなんだから」
------------
>報告
>進捗:フェーズ03 セッション失敗
>復旧:可能
>処置:被験者同士の愛情形成を継続
「こんなもので中枢は騙せないぞ」
「もちろん。あくまで時間稼ぎだよ」
自分と同じ顔をした男と着ているものを交換しながら、フォテスは不敵に微笑んだ。
「革命には準備が必要だろう?」
(結)
インタプリタの撞着 空烏 有架(カラクロアリカ) @nonentity
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