m_004_楽園は愛の夢を見る

 閉じられたドアを見つめながら、フォテスは呆然と立ち尽くしていた。

 足許の沈み込むような感触が気持ちが悪い。

 それに暑い。暖房が効きすぎだ。


「ディアナ、……誰か! 説明してくれ! なんなん――」


 不安になって思わず叫ぶ。するとその訴えに応えるように、ぷしゅうと気の抜ける開閉音が響いた。


 一瞬、ディアナが戻ってきたのかと思った。


 けれどすぐに違うとわかる。そっくりの顔で、髪も同じブロンドだけれど、別人だ。

 彼女はフォテスと同じ白い服を着て、不安げな表情で背後を振り返っている。視線の先には赤い服を着た黒髪の男性が立っていた。


「僕の仕事はここで終わりだ。……元気で、ジーン」

「えっ、ま、待って……」


 困惑する女性を残して扉が閉まる。

 つまりフォテスと彼女は二人きりで部屋に閉じ込められた恰好になった。


 とりあえず挨拶しよう、とフォテスはジーンと呼ばれていた女性に歩み寄る。しかしジーンは彼を見るなりびくりと肩を震わせた。

 まだ話しかけてすらいないのに、この妙な状況のせいだろうか。別人だとわかっていても、ディアナそっくりの顔で怯まれると、胸が痛む。


「あの、僕は――」


 言いかけたところで、フォテスを遮って電子音が鳴る。


 ピ―ッ。……被験者を確認スキャン中。管理番号RBCH-41387、およびRBCH-30898。

 確認完了しました。いずれも状態は問題ありません。

 これよりフェーズ03を開始します。


『被験者は繁殖を行ってください』


「……は?」


『生殖活動を行ってください。あなた方の肉体および精神は充分に成熟しており、必要な知識ないし経験も獲得しました。この指示内容が理解できるはずです。従ってください』


「……な、に、それ……?」


 ジーンはへたり込み、フォテスは立ち尽くした。

 何を言われているのかさっぱり意味がわからない。理解どうこうではなく意図が汲めない。


 動こうとしない人間たちを見かねて――彼らにそんな感覚はなかろうが、つまりは説明の必要性があると判断したのだろう。再びアナウンスが入った。


『当施設は人類の再繁殖を目的として設置されました。

 現在、全ての動植物は『世界統括中枢ウルトラ・マザー』の管理下にあり、地球環境の再生計画を実行中です。

 人類はかつて多数の生態系破壊を行った生物です。しかし『中枢』の演算により、完全統制は絶滅より有益であると判明しました。

 よって絶滅を中止、優良な個体に限り保護しましたが、自然調和に必要な個体数を確保できていません』


 ――あなた方の管理IDは再繁殖用Re-Breeding培養Cultured人間Humanを意味します。


「……っ」


 アナウンスがつらつら話している間、白い壁面に説明動画が映写されていた。

 人が消えた地上では今、植物と他の動物だけが繁栄している。人類が生存しているのはここを含めて数か所の再繁殖施設だけ。

 自分たちは頭数を揃えるためだけに、生かされている。


「いくらなんでも馬鹿げてるよ、合理的じゃない……。いいからディアナを呼んでくれ! あと……この人と彼女はどういう関係なんだ!? まったく同じ顔だなんて――」


 ジーンを指差してフォテスが吠えると、アナウンスは冷たい声音で言った。


『ディアナはRBCH-30898の代用人型端末アンドロイドです。適切な知識を習得するまで被験者同士の不用意な接触を避け、かつ愛情形成および生殖行為の予行によって円滑な繁殖を実現する、案内役プロトコルと考えてください。

 あなたはディアナを通じてRBCH-30898と交流し、彼女を愛するに至ったのです』


 血の気が引いた。一瞬、フォテスの脳は理解を拒んだ。


 隣でジーンが声を上げて泣き始める。――嘘、嘘よ……。

 フォテスはそこでハッとして自分の顔に触れた。目前で、黒い前髪が揺れている。


 ジーンを見る。本当にディアナそっくりで、まるで彼女が泣いているようだ。

 だが実際には彼女の涙を見たことはない。悲しい内容の本や映画を一緒に観たときは、寂しげに微笑みながら、嘆いたり憤慨しているフォテスを抱き締めるだけ。

 いつだってディアナは傍にいた。温かくて、柔らかかった。


 あれが……機械?

 一緒に食事をして、喜びや悲しみをわかちあい、抱き締めて、キスも、それ以上のこともしたのに?

 あの幸せな日々は全部作りもの?

 機械仕掛けの馬鹿げた計画でしかなかったと?


「……それでも……僕は……僕にとっては……!」


 フォテスは扉に向かった。


「直接ディアナと話す」

『許可しません』

「知ったことか!」


 繁殖用の部屋だからか使えそうな道具はなさそうだ。素手で開けるしかないが、全く動く気配がない。

 どれくらいそうしていたか、気づけばドアを掴む手が増えている。

 目許をぼろぼろに腫れさせたジーンが、フォテスと一緒になって、この呪われた部屋を脱出しようと試みていた。


「わ、たしも、確かめたい……」


 扉は二人がかりでもびくともしない。

 本ばかり読まずにもっと運動に力を入れておくべきだった、とフォテスが後悔し始めた、その瞬間。


 ふいにドアが勢いよく開いたので、二人はひっくり返った。



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