m_003_果実はとうに腹の中

「身体が重いわ。だいぶ情熱的だったわね」

「ごめん……大丈夫?」

「喉がカラカラ。お茶をもらえる? ……ふふ、いつもと逆ね、私のためにあなたが動いてるのって面白いわ」


 横たわったままくすくす笑っているディアナに、中身が温くなったボトルを差し出す。

 それからフォテスは床に放っていたズボンをようやく拾った。それを穿こうとして、自分の膝に印字されたIDをなんとなしに眺めたあと、あっと小さく声を上げる。


「わかった」

「何が? 何事も経験こそは知識に勝る、ということ?」

「ちが……ああいや、それも確かにそうだけど。ニックネームの意味さ。思った以上に単純だった」

「複雑すぎるのもどうかと思って……気に入らない?」

「いや、覚えやすくていいよ」


 ディアナが今まさに飲もうとしていたボトルを押しのけて、フォテスはもう一度彼女にキスをした。そのとき下を向いた注ぎ口から、生暖かい赤黒い液体が滴って、床を汚した。



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 ID RBCH-30898

 年齢:17歳

 性別:女性

 状態:非常に良好

 経過:02 完了

 備考:本日正午よりフェーズ03に移行開始



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 あの日以来、フォテスはディアナを愛するようになった。

 もちろんその以前から彼女を大切に思ってはいたけれど、明らかに熱意が違う。


 前は、傍にいると落ち着いた。心が安らいだ。

 今は逆で、彼女に触れたいという欲求が身の内に止め処なく湧き出して、強く意識して抑えなければ爆発しそうになる――そんなフォテスに、ディアナは恐ろしいほど無邪気に接する。簡単に張りつめた均衡を崩してしまう。

 つまり端的に言えば、折に触れて幾度も情を交わしていた。


「っ……、ふふ。そんなに焦らなくても、私は逃げないわよ」

「う、うるさいなぁもう。……大好きだよ、ディアナ。愛してる」

「……私もよ、かわいい人」


 困ったな、とフォテスは思っていた。

 夜眠るときはもちろん、日中の活動にも、いくつかフォテス一人で行うものはある。ところが離れた途端、猛烈にディアナが恋しくなるのだ。

 それで大急ぎで作業を済ませて戻るなり、我慢の限界とばかりに彼女を貪ってしまう。


 しかし冷静に考えてみれば、こんなにも愛おしい相手とほとんど四六時中一緒に居られるこの環境は、楽園そのもの。

 ああ、であれば知恵の実はなくていい。イチジクの葉も要らない。裸のまま、ここでずっと、二人で。


 すっかり甘えん坊になったフォテスを懐に宥めていたディアナが、急にぴたりと動きを止めた。


「……そろそろ昼食にしましょ、何が食べたい?」



 食事のあと、フォテスはいつものように読書をしていた。読み終わったら、フィットネスルームで運動をして、次にクラフトルームで工作をする予定だ。

 けれどまだ半分も読み終わっていないのに、白い手がフォテスの邪魔をする。悪戯なんてディアナらしくないが、まるで構ってほしいと言わんばかりに思えたので、フォテスは正直ちょっと期待を込めて彼女を見上げる。


 けれどもディアナは人形のような無表情で、どこか冷めた口調で告げた。


「フォテス。いいえ――RBCH-41387。移動しましょう」

「え? まだ読み終わってないよ」

「今日の予定は総てキャンセルされたわ。特別な活動要請があるの。大丈夫、これからあなたがすべきことは、決して未知の恐ろしい経験などではないから」


 よくわからなかったが、フォテスは言われるまま立ち上がる。

 彼にとってはディアナこそが全て。彼女の指示に従わない理由などなかった。


 廊下に出ると、庭とは反対方向に進む。

 途中まではフィットネスルームに向かうのと同じ道筋だったが、それならば直進するところを左に曲がった。


 今まで一度も使ったことのない昇降機エレベーターに乗り込む。ディアナが行先ボタンを押すのを、フォテスはどこか非現実的な気持ちで眺めていた。

 いつもと違う行動。行ったことのない場所。――見たことのない、恋人の冷たい横顔。

 不安と好奇心がないまぜになって、言葉が出てこない。


 地下に下りた二人は奇妙な部屋に入った。

 床が柔らかい、マットレスのような材質で作られていて、表面にはすべすべした布が張られている。そして随分温かい。

 フォテスがきょろきょろしているうちに、ディアナは扉の外に立っていた。


「ここにいて。以降の行動はアナウンスが指示するわ」

「えっ、ディアナは?」

「私の役割はここまで。……さようなら、R……フォテス」


 どうしてだろう。

 そのときディアナは泣いているように見えた。涙なんてひと粒も流していないのに。



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