極彩色の世界事件 解答編⑤

「なら、世界の方を変えちゃいませんか?」

「世界を……変える?」


 先輩が俯けていた顔を少しだけ上げる。


「はい。禁忌を禁忌でなくしてしまえば、呪いなんて生まれなくなるんですよ」

「どうやって。できるわけがない。世界というのは巨大で、私たちにできることはあまりにも限られている」

「限りがあるのは認めます。でも、届かないとは思いません」

「どうして?」

「だって、世界の構造ならついさっき、一度ひっくり返ったじゃないですか」

「えっ?」


 心当たりがない、と空先輩は僕を覗き込む。

 その視線を正面から受け止めて、僕は答えた。


「空先輩の過去にまつわる叙述トリック。それの肝は、物語の登場人物が実は読者でもあるという、物語構造の転換――つまりは世界の構造をひっくり返すことです」

「……そう、だったね。でも、それは――」

「わかってます。これは物語の上でしかできない荒業です」


 世界をひっくり返すなんていうのはただのトリックだ。

 現実にそんなトリックは起こせやしないから、こうして推理小説なんてものが書かれることになる。

 では、僕らに現実の世界をひっくり返す力などないのだろうか。


 ――違うだろう。現実を、実際にひっくり返す必要なんてないんだ。ただひっくり返ったと思わせればいい。

 そう信じさせるだけで、それはこの世を動かす魔法に変わる。


「ところで先輩。僕の魔法部への入部動機、覚えてますよね。僕、小説を書くために魔法部に入ったんです」

「……それが?」

「ファンタジーを書くって言ってたじゃないですか。あれ、ちょっと変えます。次はやっぱり、ミステリーを書いてみようと思います」

「キュラ君、何を……?」


 僕が脈絡のない話を持ち出したからか、空先輩は当惑している。

 とはいえまさか、無関係の話だとは思っていないだろう。

 その通り。小説が書けること、それが世界をひっくり返すための条件だ。

 僕にしかできないこと。僕だけが、空先輩にしてやれること。


「つまりですね。僕が書こうと思っているのは、魔法使いを名乗る探偵のお話です」


 その探偵は普段はダメ人間で、魔法だの呪いだの、妄言を繰り返して。

 奇妙な謎に何度も出会って、そのたびに誰かの呪いを解いて。

 誰かを救う裏で、自分の在り方に絶えず悩んでいる。

 そんな魔法使いの物語を、僕は綴ろうと思っている。

 ――その物語が、世界をひっくり返す鍵になる。


「僕らにとっての現実のお話。それを全て物語の世界に閉じ込めて、ひっくり返すんです」


 現実の世界をひっくり返すことができないなら、物語の中に引きずり込んでしまえばいい。

 現実に存在する全て。つまり――これを読んでいる、あなたも含めて。


「そして今度は、読者を登場人物に変えてやるんです」


 この物語を読んでいるならば、聞いてほしい。

 空先輩を救うためには、あなたをこの物語の登場人物にしなければならない。

 僕はあなたの名前を知らないから、その登場人物に名前を付けることはできない。

 外見も声も、どこにいるかも知らないから、地の文にあなたのことを書き記すのは難しい。

 それでも、この世界に生きているならば。

 僕らと同じこの星にいるのならば、どうかこの魔法を受け入れてほしい。


「最後に、登場人物になった読者に魔法をかける。魔法なんて実在しないとわかっているのに、魔法の存在を信じたくなってしまう魔法です」


 繰り返し主張してきたように、この世に魔法は実在しない。

 だからきっと、それを信じるのは虚しく、意味のないことなのかもしれない。

 でも、その存在を信じてくれるだけで、確かに魔法が働くこともあるんだ。

 あなたたちが魔法の存在を受け入れてくれれば、それで世界が少しだけ変わる。

 魔法使いが自分らしく生きられる。そんな風に、世界を変える魔法が起こるはずだ。

 だから、あなたが空先輩の幸せを願ってくれるならば、信じてほしい。

 この魔法で世界は変えられると。空先輩が呪われる未来など、訪れることはないのだと。


「――そうすれば自然と、その人は空先輩を受け入れてくれる味方になってくれるはずです」


 そうだろう? これを読んでいるあなたたち。

 僕はあなたたちを呪うつもりはない。三つの謎解きの中で、魔法など実在しないとはっきり描いてきたつもりだ。それを理解してくれたなら、世界はあなたたちを呪わない。

 僕がお願いしているのは、魔法を、魔法使いを好きになってくれること。ただそれだけだ。


「それでどうですか、空先輩」


 しばらくは僕らが傍にいる。

 いつか外の世界に踏み出したときは、あなたたちが受け入れてくれる。

 そうなれば、空先輩は魔法使いをやめる必要なんてなくなるはずだ。

 僕の問いかけに、空先輩はポツリと呟いた。


「……いいのかな。私はまだ、魔法使いでいても」

「いいんですよ。むしろ、それでこそ空先輩じゃないですか」

「……そうかな」

「はい」


 僕が即答すると、先輩は胸元の帽子をギュッと抱いた。

 夜空に咲き誇る光が、パッとその顔を照らす。

 その表情を見て、僕はようやく安堵を覚えた。


「空先輩、これ」


 先輩の前に、僕は魔法の杖を捧げる。

 それはただの木の枝で、実際に魔法が籠っているわけでは決してない。

 それでも。夜空を彩る光の花が、僕らの心の内に眠る魔法の力を呼び覚ますから。

 魔法が彩るこの世界では、僕らはそれを杖としてしか見られないから。


「……仕方ないなぁ、キュラ君は」


 空先輩はとんがり帽子から片手を離して、捧げられた杖を受け取った。

 そして、杖を握ったままとんがり帽子を持ち、それを頭に被る。

 いつものとんがり帽子とローブ、そして今回は杖まで装備した、より完全体に近付いた魔法使いがそこにはいた。

 その魔法使いは、極彩色の光に照らされながら、少しだけ物寂しげに語る。


「キュラ君、一つだけ忠告しておくよ。その魔法は、ずっとは続かない」

「……はい。そうですね」


 ネット小説として送り出したこの物語も、いつか電子の海の底で、誰にも見向きもされなくなる時が来る。

 それは数年後なのか、それとももっと短いか、あるいは長いか。

 今この時点では予想もできない。

 けれどその時が来れば、世界を揺り動かす魔法はその役目を終えるだろう。


「でも、いつかその魔法が解けるまでは、こうしていてもいいでしょう?」


 魔法を信じて、楽しんで、力をもらって。

 そんな日々は、まだしばらくは続いてくれるはずだ。

 僕のその言葉に、空先輩はふっと笑った。

 どうやら、それが空先輩なりの返事のようだった。


「――それじゃあキュラ君」

「なんですか?」

「お返しだ。私も魔法を見せてあげよう」

「おっ、どんな魔法ですか?」

「こんな魔法だよ」


 水平に構えた杖を、空先輩は振り上げる。

 そのタイミングに合わせて、花火がまた一発、パンと弾けた。

 その虹色の輝きに見惚れながらも思う。


「ちょっと、二番煎じじゃないですか!」

「ははは、お返しと言っただろう。等価交換は贈り物の基本だよ」

「いや錬金術の基本でしょうそれ!」


 下らない冗談で、空先輩と笑い合う。


「ちなみに等価交換が錬金術の基本というのは、現実の錬金術に当てはめるなら誤りだよ。元来、錬金術とは卑金属を貴金属に変えたり、永遠の命を探究するためのものであり――」

「ああもう、こんな日にまで講義はいいですから」

「ふふふ、そうかい」


 ひとしきり笑い合って、僕らはその余韻を夜空に託す。

 煌めく極彩色の世界は、きっともうすぐ終わるだろう。残念ながら、永遠には続かない。

 その情景をせめて記憶として留めたくても、いつかは記憶すら劣化して、歪んだ形でしか思い出せなくなる日が来るのかもしれない。空先輩がそうだったように。

 だからせめて、今を楽しもう。

 この魔法が解けてしまうまでは、僕らは夢の世界にいられるはずだから。

 その夢が呪いに変わるなら、またそれも解いてしまえばいい。

 いつか本当の意味で魔法が解けるまで、そんな日々を繰り返そう。

 きっとこの魔法が、その日々を守ってくれると信じて。






 ――これで僕と空先輩との物語はおしまいだ。

 冒頭に、そして先ほど綴ったように、僕はこれを読むあなたたちに魔法をかけた。

 魔法など実在しないとわかっているのに、魔法の存在を信じたくなってしまう魔法だ。

 僕はその魔法をうまくかけることができただろうか。

 空先輩を受け入れてくれる人を、増やすことができただろうか。


 その結末を、僕はここに書き記すことはできない。

 僕の魔法の効き目次第で、結末は変動してしまうのだから。

 だからあなたたちに問う。僕はその魔法を、うまくかけることができただろうか。

 あなたの胸の内にある返答が、この物語の結末だ。

 それを覚えていてほしい。いつか、あなたたちにかけた魔法が解けてしまうまで。

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いつか魔法が解けるまで イノリ @aisu1415

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