極彩色の世界事件 解答編④
「……呆気ないものだね、魔法が解けてしまうというのは」
ポツリ、空先輩が呟いた。
先輩は頭上のとんがり帽子に手を掛け、そっと持ち上げる。
そのまま、とんがり帽子は空先輩の胸に抱き寄せられた。
「そうか。そんなに……そんなに簡単なことだったんだね」
光の魔法はただのイルミネーションで。
転移の魔法はただ寝てしまって意識がなかっただけで。
飛行の魔法はただ持ち上げられただけ。
「やっぱり、魔法なんてなかったんだ」
空先輩の声音は空元気に溢れていて、上滑りした声は信頼性を著しく損ねている。
先輩はいつも言っていたのに。魔法なんて実在しないと。
「でもまさか、キュラ君が先に謎を解くなんて思わなかったな」
空先輩は冗談めかして言うけれど、その声はなんだか震えているような気がした。
「たまたまですよ。僕は空先輩に話を聞いただけでしたから。その分、想像が混じる余地が少なくて、叙述トリックに引っかかりづらくなってただけです」
「そうだね。確かに、それもあったかもしれない。でも、謎を解いたのはキュラ君の力だよ」
「…………」
月明かりに力を借りました、なんて今言ったとしても、空先輩は冗談だと思うだろう。
僕はもう一度スマホで時間を確認する。パッと周囲が明るくなって、またすぐに暗くなった。
「空先輩。魔法使いは、もうやめにするんですか?」
「そうだね……。そうなるだろうね。キュラ君が魔法を解いてくれたおかげで、今の私はもう、魔法なんて信じていないんだから」
「……そうですか」
僕は努めて素っ気なく返した。
だって、空先輩が無理をしているのなんて、見え見えだったから。
そんな空先輩の言葉なんて、信じられるわけがなかったから。
だから僕は、用意していた言葉を紡ぐ覚悟を決めた。
「空先輩。どうして僕が、わざわざこんな場所に来たと思います?」
「え? なんだい、急に」
歩道橋の欄干にもたれかかりながら、空先輩は怪訝な目を僕に向ける。
「人ごみを避けたかったからだろう? あんなお祭り騒ぎのなかでは、推理を語るなんてとてもできないから……」
「残念、ハズレです」
僕はもう一度スマホで時間を確認する。そろそろだ。
こういうことをするのは柄じゃないのだが、まあ、空先輩のためなら――
「――空先輩。今から僕が、魔法を見せてあげますよ」
「えっ?」
「遠い昔に見た極彩色の世界を、もう一度見せてあげます」
ポケットに忍ばせておいた、その辺で拾った木の枝を取り出す。
それを魔法使いの杖のようにして、僕は腕を水平に構える。
そして、その杖を――大きく振り上げた。
当然ながら、木の枝の先から何かが発射されたりはしない。不思議な光が魔法の存在を知らしめてくれるなんて、この世界ではありはしないのだ。
それでも、僕は願う。
――届け、届け、僕の魔法。遠く、遠く、あの空まで。
「キュラ君、何を――」
瞬間、夜空に光の花が咲いた。
空先輩の声を遮って、心地よい破裂音が世界に響き渡る。
「……花火?」
その呟きも、続く破裂音に呑まれていく。
青、紫、赤、黄、緑――無数の色のグラデーションは、夜空を極彩色に染め上げる。
その輝きに、僕らも仄かに照らされる。僕らの瞳にこの極彩色を焼き付けさせようと、光は絶えず僕らの元へやって来る。
一つ一つの花火は儚くて、咲いたと思えば次の瞬間には消えている。
けれども、それでその花火が無駄だと思えることなどない。
美しく咲き、美しく散る光の花は、僕らに確かな感動を残していく。
この極彩色の世界は、空先輩がかつて見たそれとは違っているだろう。
それでも、これを見て魔法だと思えないならば、きっとその人は大した節穴の持ち主だ。
「空先輩。これでも、魔法は存在しないと思いますか?」
「…………。いや、でも……魔法はいつか解かなければならないんだよ、キュラ君」
長めの沈黙の後に、空先輩がその言葉を吐き出す。震えた声音で。何かに縋りたがる声で。
その声を聞いてしまったら、こう思わずにはいられない。
御大層なお題目なんて知ったことか。常識的な正論などこの場には必要ない。
僕は掲げていた杖を下ろして、空先輩に向き直った。
「そのいつかって、今じゃなくちゃいけないんですか?」
「えっ?」
「先輩が危惧してることはわかります。魔法の深みにはまっていけば、いずれ世界から爪はじきにされる。それはとても辛くて、悲しいことです」
誰も味方がいないのは辛い。誰も理解者がいないのは悲しい。
その辛さと悲しみを、僕は茅野さんに見せられたはずだ。
それを抱えて生きるなんて、きっと間違っている。
――だけど。
「空先輩、まだ魔法使いでいたいんですよね? なら、それでいいじゃないですか」
「キュラ君……それは、ダメなんだよ」
「どうしてですか?」
「禁忌だからだ。世界はそういう生き方を許さないから、魔法を信じる者に呪いをかけるんだ。だから――」
「嘘、下手ですね。空先輩」
僕から目を逸らして紡がれる、震えた声を指摘する。
そんな顔で、そんな声で、本音を隠せると思ったら大間違いだ。
「黄泉竈食は、黄泉の世界の空気を吸い込んでしまうから生まれる。茅野さんの事件のとき、先輩が言ったことです。――魔法だの呪いだの語っている時点で、先輩はもう、そういう世界で生きることを受け入れてるんです」
魔法の世界で生きようと、その世界での空気を吸い込んで、その世界での常識を取り込んで。
そうやって、空先輩は生きてきた。
だからこの期に及んでなお、禁忌だの世界だの魔法だの呪いだの言っているんだ。
なら、それでいいじゃないか。
「それに、少なくともしばらくは、空先輩は呪われたりしませんよ」
「……どうして? なぜそう言い切れるんだい?」
「空先輩が、そういう魔法を僕にかけたからです」
この数か月、先輩がどういう人なのか見てきた。
この数か月、先輩が鮮やかに謎を解き明かすところを見てきた。
この数か月、先輩が誰かを救おうと奔走するところを見てきた。
だから、僕は数か月前とは違う考えでここに立っている。
「魔法部。実は僕、最初は辞めようと思ってたんですよ」
「えっ?」
「なんか思ってた感じと違うなー、と思いまして」
おかしな先輩はいるし、ただ黙って読書をする日の方が多いし。面倒で、退屈だった。
「でもいつの間にか、辞める気もなくなってました。魔法使いを名乗る変な先輩がいて、たまに変な事件が持ち込まれて。魔法みたいに鮮やかな手腕で、それが解決されるんです。本当に、魔法を見てる気分でした」
それを見ているうちに、僕の鬱屈した気持ちはどこかへ消えてしまった。
「だから、僕はまだ魔法部にいるつもりです。先輩が魔法使いでも、離れていったりしません」
「…………」
僕の言葉を受け、空先輩は顔を俯ける。
その仕草は、夜空に咲く光に照らされるのを嫌がっているように映った。
それに魔法の光を届けられるように、僕は精一杯の言葉を紡ぐ。
「僕もいますし、それにこの前、茅野さんも友達になってくれたじゃないですか。他にも、空先輩が魔法使いを名乗ってても普通に接してくれる人はいるでしょう?」
僕が知る限りでは、新聞部の白瀬さんとかがそうだ。
「それじゃあ、足りませんか?」
「……足りないとは言わない。だけどね、いつかは学校という枠組みから飛び出して、世界に放り出される日が来るんだ。その日が来てから変わろうとするんじゃ、遅いんだよ」
それは……確かに、否定できない。
いつか魔法部という枠組みも、高校生という枠組みもなくなって、外の開けた世界に放り出される日は必ず来る。高校を卒業して、進学とか就職という形で。
そのとき先輩が魔法使いのままでいたなら、世界は先輩を呪うだろう。奇異と懐疑の眼差しを向けさせ、空先輩は新しい世界で孤立する。
その遠い世界まで、僕が直接手を伸ばしてやることはできない。人間にできることは限られていて、どこまでも届く手なんて持ってはいない。
だとしたら、どうすればいいのか――。
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